だったのではなかろうか。
乗りたちのロッカーズだった
とファッション界ではいわれ
ている。
時、広襟の白系シャツを好ん
で革ジャンの下に着たのは、
空軍シャツを流用したのが
始まりだったのではなかろ
うか。
初期は全盛期だった。
プールから上がり、シャワーを
全て富豪の女たちに貢がせて
晶夫は天性の美貌と女を虜にさせ
上のフロアに上がって来た晶夫。
ここでペリエにライムを絞る。
ブラインドを開けると朝日が
よい絵柄だ。
スモールディスプレイスメントの
ライトウエイトマシンが明るい光
の中で爽快感も漂わせている。
だが、カフェレーサーは、シティ
にあってこそ似合う。
田園風景とはマッチしない。
街の中や街はずれのカフェに集ま
り、そしてレコード1枚が鳴り終
わるまで街中レースで競い合う。
それがカフェレーサーだ。
なので、いくら車の恰好だけを
それ風にしても駄目。外れ。
滑っている。
また乗り屋がカフェに行かずに
ただ田舎道を走っているだけで
も駄目。
手を加えた自慢のモーターサイ
クルでカフェに行くからカフェ
レーサーなのだ。
カフェレーサーとロッカーズは
生き方であり、見かけのカッコ
だけを真似ても、それは似せ物
でしかない。フェイクだ。
【バイク事故】 楽しいツーリングが...
最悪の事態に!納車したてのVMAX1700散る
大排気量のビッグトルクの恐怖
なぜVMAXは転倒してしまった
のか。
ヒントはコスチューム。
サンタさんのソリは滑るもの
だから。
季節柄、熱帯地方以外は世界
的にそうなってる。
人はダメージ少なそうでよかった。
マシンは痛い。まさに痛手という
ものか。
しかし、徐行もしていたのに
相当車両は滑って行ってる。
まったくタイヤが路面に食い
ついていない感じ。
ドンガバチョ開けもしてないのに
ツルーンと転んでしまった。
真冬の道路は怖いなぁ。
横断歩道の塗装部分なんてツン
ツルテンでしょうね。
しかも、横断歩道塗装は乗った
一番端のみ、そこだけまるで塗り
直したように真新しいし。
横断歩道の一番摺り剥げる場所
だから、そこだけ塗り直しして
たのじゃないかなぁ。
数週間以上過ぎて塗料溶剤が定
着する前の非常に滑り易い状態
だったのかも。
今でも現役。店も出前機カブも。
出前機はマルシン1型。
カブ+出前機。
日本人が生み出した世界最強の
タッグである。
大量注文のおかもちなど、相当
な重量物であっても積載できる。
箱を後ろに固定するのが最近は
趣味カブの定番になっているが、
ここは一発、凝りに凝り抜いて、
世界最強の出前機を取り付けて
はどうだろうか。
とか思ってたら、そういう人たち
は何人かカブ主の中にはいる(笑)。
出前機はダンパー付きなので
中が路面振動で揺れない。
だから蕎麦屋のツユ物もラー
メン屋のラーメンも運べる。
日本人が考えた出前システム
と出前専用機械。
これ、ほんとに世界一。
日本の出前は世界に先駆けた
デリバリーシステムだ。
そして、戦後、モーターサイ
クルで日本が世界一になる頃、
この革命的機械の出前機が
発明登場した。
日本人はほんとにいろんな物
を考えて、人々に役に立つ
モノヅクリをする。
最近はデリバリー専用三輪車
や二輪車が作られて一般化し
ているが、ダンパー機能から
して確実に出前機のほうが
運搬物への路面衝撃除去性は
優れている。それも圧倒的に。
出前機カブ、最高!世界一!
日本の顧客サービス精神と
世界一のモノヅクリの象徴が
出前システムと出前機だ。
そして、世界最強のカブ。
この三位一体の完全トリオ。
ほんとに、これ世界一だよ。
もっと全世界に紹介されて
もいいと思われ。
城下町の中の旧山陽道沿いにある
明治時代の建物にある食堂。
戦後感満載。
映画『地下鉄に乗って』のロケ
セットみたいだ。
金額のみ現代(笑)。
この黒電話は現役で使っている
とのことだ。
店主によると、プッシュホンは
新し過ぎて使えないという(笑)。
その時点で、1985年から時が
止まってる(笑)。
この店は戦後といっても昭和29年
1954年からやっているという。
国内ではロカビリーが流行って
いた頃ですね。
名作映画『七人の侍』が公開され
た年。
ちなみに、1972年放送のテレビ
ドラマ『ワイルド7』では七人を
「ひちにん」と発音して主題歌を
歌ってしまってます(笑)。
あれはきっと東京生まれの人が
歌っていたのでしょうね。
東京方言は「し」と「ひ」が逆転
することがあります。
広い道は「しろいみち」になり、
左は「しだり」となる。
逆に質屋は「ひちや」で、潮干狩
りは「ひおしがり」と江戸東京弁
では変化します。
あと、発音でなく発声としては
女郎は「じょうろう」と言います。
この変化は一部標準語化されて
ますよね。
「女王陛下の007」は「じょおう
へいかの〜」ではなく、「じょう
おうへいかの〜」が標準です。
女帝は「じょうてい」とは言わ
ないのに。
女郎をじょうろうというは上臈
(じょうろう)からのことだろ
うという気もしますが。
この本町食堂では、「焼き飯」
を頼みました。
焼き飯です、焼き飯!
これね、私が中学から大学の
頃までは、三原市に遊びに来て、
喫茶店でも食堂でも、「ピラフ」
という名称は存在しなかった。
全部「焼き飯」。
アイスコーヒーなどという名称
も喫茶店では存在しません。
「冷コーヒー」であり略して
「レイコ」と言ってました。
高校の時は都内では喫茶店マニア
だったので、三原に来た時も喫茶
店に行くのですが、アイスコー
ヒーと頼むと、「はあ?」と言わ
れて、「ああ、レイコですね」
と言い直された。
最初、こっちがきょとんとなり
サッパリだった(笑)
こうした方言は今では消えまし
た。ここ20年程で。
でも、先日、市内の喫茶店に
行って、レモンスカッシュを
頼んだら、「はい。レスカね」
と返された。今時、そんな言葉
残ってるんだ(笑)。
讃岐でうどんのことを子どもが
「おぴっぴ」と言ってたのが
もう消滅してる時代に、昭和戦
後言葉が一部では三原では残存
している。
本町食堂の焼き飯は、塩味のみ
での味付け。
ウスターソースがついてきます。
美味くもなく、不味くもないけ
ど、3人前くらい食べられそうな
味。
これ、数十年ぶりに食べた感。
どこか懐かしい味。
なんか、ここは気に入りました。
すごいのはね、高齢の店主の方、
カブで出前するのよ。
この城前の山陽道を江戸時代
には大名行列が通っていたの
です。
この本町食堂がある場所は、
城下街道筋の町人街になり
ます。
西を見る。
東を見る。
どんつきがお城。
毛利一門小早川隆景が戦国末期
に海を埋め立てて築城し、その
後、江戸時代に福島正則が安芸
備後両国領主で入封(にゅうほう)
し、江戸時代初期に紀州から
浅野家が安芸と備後の西部の藩主
として転封(てんぽう)して来まし
た。
備後国は二つに分けられ、備後
福山には福山藩が普代として置
かれて西国への睨みを利かせる
ようになった。淺野は外様だか
らです。
幕末の福山藩主は日米和親条約
を締結した阿部氏で有名ですよ
ね。代々福山藩は幕府要職の老
中とかを出していました。
老中は一人ではないけど、いわば
当時の日本の実権を握る職で、
今の総理大臣のようなものです。
三原は、一国一城令の例外と
して、肥後細川家が八代城を
残されたように、三原城も幕
府に廃棄処分はくらいません
でした。城ではなく要害として
の届け出。
本藩の城は広島府内広島城で
すが、三原は三万石の石高が
あり、浅野家の家老が城主と
なり、側近が城代となってい
ました。
広島藩は46万5000石で浅野家
は大大名でした。
城下山陽道の西側からのどん
つきでお城の北面の石垣と濠
に突き当たります。
そこはクランク状のシケイン
になっています。
明治以降に拡幅して作られた
道ですが、ほぼ江戸期の道割
のままです。
なぜ城下町はシケイン状にする
のか。
それは現代のサーキットと同
じ目的。そこで進行を遅らせ
るためです。
敵から攻められた時、そこに
敵を渋滞させて、一網打尽に
するのね。
日本全国どの城下町もそのよう
な都市構造になっています。