左:隣りの市の合鍵のプロ「鍵の
しょこたんの楳津かずお先生風
描画でもそうだが、好きな先生
のタッチは模写を続けると同じ
画風で描けるようになる。
PCを整理していたら古いのが
出て来た。1984年描。サバゲ
仲間内ミニコミ会報用。
こちらも1984年描。本日ぅ結集
したぁすべてのぉ学友諸君!の
中の一人である友人を描いた。
某先生風タッチで描いた原本。
これにさらに私自身で手を加え
た物を友人小池が気に入り、今
でもアイコンに使っている。
昔はあいつは自分の名刺にも
印刷していたようだ(笑
いわばあのアイコンはほぼ40年
物だな(笑
こちらは2001年。自己サイト構築
の時の素描。
素案検討段階。
のっぺりしてて、てんで駄目。
最終型。
これをサイトの表紙に使った。
この中に俺がいる。似た人物も
描いており、おいらはど~こだ?
と友人たちに訪ねると、大抵は
別な人物と間違うトリックカット。
こちらはPC付属の画像ソフトで
初めて描いてみた。描画専用ソ
フトではないのでめんどっち
かった。2002年のサイト内の
コンテンツページ表紙。
まだ著作権コンプラが厳しくな
かった時代。今なら他者作品の
キャラは自己サイトには使えな
い。
この頃、私が書いてネットに
公開したオリジナルテキスト
がジャンスカとパクられた。
ディ・イタリアの偉大なロード
レースチャンピン名の雑誌とか
いろいろ。
これは私のオリジナルのロゴマーク。
サインペンで手描き。2008年頃。
これはちゃっちゃとマジックペン
で描いた落描き。2006年。
友人の同級生の仲いい女に「あたし
のイメージはどう思ってるの?」
と言われたので、その場で描いて
みた。「こんな感じかな」と。
原本のアメリカのキャラもこんな
タッチだったと思うが、原本の
あのキャラとは細部が異なるか
も知れない。こりゃほとんど
ゲバゲバピー!だ。
仲間内ミニコミ誌用に描いた
ある夜の玉屋の実話報告。
インターネットなどこの世に
存在せず、それどころか携帯
電話も全く普及してない時代。
まあ、なんというか、下手で
あろうと絵が描けないと日本
刀の押し形は採れないとおら
思うだよな。
私が知る限りの本邦一番の押
し形の名手うを新なんて、実
は絵も上手い。水墨画なんて
やったら宮本武蔵あたりまで
行くのではなかろうか。
これはおいら。
日本の交通法規のルールでは
キープレフトを定めている。
だが、どこまで左に寄るかと
いうのは規定されていない。
教習所などの二輪教習では上
の画像の黄色ラインからさらに
外側の車道補助白線ぎりぎり
あたりを走る事を指導する。
だが、これは現実の公道の実
走行ではとても危険なのだ。
理由は、道路の端には砂利や
砂が浮いている事が多いから
だ。
また、最近では殆ど見かけなく
なったが、道路の端には釘や
ガラスの破片等の落下物があ
る事も多い。
現実的な安全確保の為には、
二輪では道路の車線の真ん中
からやや左の青線を走るのが
正解だ。
ただし、制限速度以内であって
も、速度によっては、上掲の
線のように道路のRと同じR
で旋回するのではなく、旋回
半径を車線内で大きなRに取る
「アウトインアウト」で走る
事も実践走行では必要だ。
タイヤ1本分だけもかなり安全
確保マージンの幅が変わる。
道路にとってはタイヤの幅は
ほんの細い幅だが、安全確保
の幅としてはとても大きな幅
となるのだ。
ただし、自分の走行車線の中
で。絶対にコーナーでセン
ターラインをはみ出しては
ならない。上掲のような破線
センターラインの道路であっ
ても。
対向車が来ないからとカーブ
でセンターラインを割る走り
方を常にしていると、それが
癖になり、ある瞬間に危険を
引き寄せる。
また、アウトインアウトの
ラインは交通ルールには厳
密には抵触する虞もある事
は自覚するのも必要だ。
安全確保の理想はミドル
ミドルミドルで走行車線内
を走る事だが、実はこれも
キープレフトの規則に厳密
には反する。
真ん中よりやや左側を走れ
ば、道路端の落下物や砂利
を避ける事もできるし、キー
プレフトの原則にも違反し
ない。
左ハンドル四輪車の運転者
の右手あたりのラインだ。
それが上掲の青ラインあたり。
Keep your safty riding
It's for your life in life
It's not a boring thing
Imagine all the people
Livin' for today
東京はパリと同じく放射状に
ロードモデルのカフェタイプに
最近よく見かける。
アスファルトブルーというか、
戦闘機の単色空中迷彩色のよう
な青みがかったグレー。
空を飛行していると、空の色に
一番溶ける色合い。
日本刀の鋼の色にも少し似て
いる。
ない。
危険な乗り物だからだ。
オートバイなどは、自分自身が
興味を持って自発的に乗ろうと
決めて乗り出す人だけが乗るの
がいい。
人から薦められて、どれ乗って
みようか、などと安易に踏み
出すと、とんでもない危険が
待ち受けている、そんな乗り
物がオートバイだからだ。
二輪に興味を示している人には
言うには言う。
「乗らないの?」と。
その時、「乗りますよ」と言下
に即答える人は、大抵はやがて
自分から免許を取りに行き、その
うち二輪に乗り始める。
逆に、興味を示しながらも、私
のその問いに少しでも逡巡を示
す人は、大抵は乗らない。とい
うか、ほぼ100%の確率で乗ら
ない。
口では「乗りたいんですよ~」
などと言うのも共通パターンだ
が、その類型の全ての人は乗ら
ない。本当に乗る気あるなら
とっとと行動して乗っている。
その手は二輪になど乗らなくて
いいと思うし、乗らないほうが
いい。
オートバイは倒れたら自分で
起こさなければならないという
自立的な人間が乗る乗り物だ。
人から薦められたり、誘われた
からと乗ろうかなと思うような
あやふやな心持ちで乗るには、
あまりにも危険が多すぎる乗り
物が二輪だ。
「わ~、楽しい」だけではない。
その楽しさとは常に危険と背中
あわせなのだ。
そういう乗り物。
そして、人の薦めや誘いで何か
を始めようとするのは、それは
発心でも発起でもない。自覚的
な自立性も無い。
つまり、主体が欠落している。
そういうタイプは一番オートバイ
に乗ってはいけない類種だ。
そうしたあたりで二輪に乗り始
めると、確実に転倒したり事故
を起こす。
そして、事故を起こしても「よく
ある事」などと自分を含めた二輪
に乗る者に甘い事を言って本質
を見ようとしない。
現代はそうしたナンチャッテの
二輪走らせ人が異様に増えてい
る。
危険を危険ときちんと認知して、
察知して、その危険を回避した
り、繰り返さないように砕身し
たりするつもりのない人間は、
実はオートバイだけでなく、
四輪だろうと道路を走っては
ならない。
オートバイ人口の裾野を広げる
とか、二輪を広めようとか、私
は個人的にはくそくらえだ。
自分から乗る気がある人のみが
二輪には乗ればいいし、それが
危険回避と安全追求への近道だ。
例え他人を見ていて「よさそうだ。
やってみるか」となったとして
も、自分から自分の足で一歩踏み
出さない人は危険な二輪になど
乗らないほうがいい。
そして、私は二輪乗りの世界に
人を誘わない。勧誘も広報もし
ない。いいぜ~、とは個人的感慨
の吐露として言っても。
「今度、あの映画観に行かない?」
というようなノリでは絶対に二輪
を人には薦めないし乗り始める事
に誘わない。
「乗るの?乗らないの?」とだけ
訊く。
そして、前述のように、その答え
により明確に一様に進路が分かれ
る結果となるのが興味深い。
一つの不動の真理に近いものが
そこにはあるのだろう。
オートバイなどは乗る気のある
奴だけ乗ればいい。