高のお嬢さん、お坊ちゃんたち
のスタイルをそう呼んだ。
じだ。
まあ、リカちゃん人形のような
スタイル。
日本で一世風靡した1980年に
登場した聖子ちゃんカットは、
登場当時にはその呼称は無く、
プレッピーカットとファッシ
ョン界では呼ばれた。意外と
この事は一般には今は知ら
れていないようだ。
方が一般化したのは、松田聖子
が不動の地位を築き始めた数曲
目あたりからだ。
しかし、聖子ちゃんカットは
1970年代のファラ・フォーセッ
トが一躍有名にしたワンレン
フレアのカットの発展系だ。
見事に当てた。
日本では、日本的プレッピーとも
いえる日本的お嬢様路線の髪型に
初めてしたのは1973年登場の
麻丘めぐみさんだった。
カットにはしていない。これは
南沙織さんやそれ以前のロング
からまだ脱却していない。
これが発展系の段付きお姫様カット。
はなく麻丘めぐみさん自身の発案
だという。
この麻丘めぐみお姫様カットが
定着した。
誕生だ。
でも、本当のお嬢様学校は、髪
を三つ編みとかにまとめないと
いけない校則だった。
だった。
のお嬢様が制服でいることは、
現実の日本ではあまり存在しな
かった。
現在のプレッピーヘアとはこう
いうスタイルなのらしい。
わらないが、なんか違う感じも
する。
ジだったのだ。
ルックとの融合がプレッピーに
は見られた。その空気は残存し
ている。
ッピーと対極にいたのがロッカ
ーズだったが、まあどっちでも
いいや、みたいなのはある(笑)。
代〜80年代は男性も女性も
プレッピーが流行っていたの
というのも流行った。
1-2年であるからいいけど、
早稲田のや青学や立教の
連中がハマトラですって、
ホントは意味不明なんだよ
ね(笑)。
リスの女の子以外はハマ
トラじゃない気もする(笑
甲子園の応援歌で慶応の
応援団はコンバットマーチ
はやらないでしょ?みたいな。
男女ともこんな感じの服が
主流であった事は確かだ。
ナーとか。
らしい。
プレッピーというかスカラーズ
のような印象が私にはある。
や高校生の間では、革ツナギ
の上にコットントレーナーを
着るのが増えた。
に、やはり革の上にトレーナー
を着た。
トレーナーというのが定着し、
峠を走るストリートキッズの
スタイルとして定着した。
見ない。
は、40年前とさして変わらな
い。
に清潔感あるよね。大学生で
なくとも若い子たち。
部屋が一般的になったのと、
社会的な風潮でしょうね。
ないけど、清潔感ある感じが
いいよ。
のは、なんてのか爽やかな清
潔感があるんだよね。いつの
時代でも。
汚れた感じがする(笑)。
クリアさは、はたしてどうか
な。
よりも根っこのとこでは純で
ピュアなように思えるよ。
てなこと言ってると、1964
年のブライトンでの伝説の
英国ロッカーズとモッズの
大乱闘集団抗争のようにな
っちゃうのだけどさ。
結局は、あれはお坊ちゃま
の象徴のようなモッズたち
も本当は「不良」であると
いう事を浮き彫りにした事
件だった。
でも、本当はロッカーズと
TON-UP BOYSには線引き
があったという複雑な事も
ある。
真の走り屋(乗り屋)だった
TON-UP BOYSたちは見かけ
倒しのロッカーズとは自分ら
は違う、という自負を持って
いたようだ。
そうした二分化構造は実は
日本にも1970年代~1980年
代に存在した。