1987年 ワールドチャンピオン
ワイン・ガードナー
右手はこのようにしなやか
であるのが本当本物の二輪
の乗り方。
本日、東京大学五月祭において
(画像は斬鉄剣小林康宏友の会
製作した映画が上映された。
泉優二の小説『ウインディー』
の最終章に瞠目する言葉が書
かれている。
「ヒーローとは初期の失敗を
胸のすくような見事さでとり
かえす人物をいうのだ。カタ
ルシスはそこから生まれる。
決して圧倒的な強さを見せつ
けるのが英雄ではない」
(アニメ『あいつとララバイ』より)
1984年のことである。
私は毎週水曜箱根レッスンの
相方の盟友弁護士Oとオート
バイ2台で大阪に向かった。
大阪の某大の学生をオルグす
るためだった。高速道路料金
訴訟の。学二連の関西に所属
する学生たちを取りまとめる
人物に会いに行くためだった。
大阪では複数名と会い、高速
道路料金是正運動の全国展開
をする拠点を構築するのが
目的だった。
初日の午後に某大の学生寮を
目指して首都高から中央高速
を弾丸走行で大阪に向かった。
途中のSAで私のガンマの後輪
にビスが食い込んでいるのを
発見し、途中で一旦高速を降
りてバイクショップで新品タ
イヤに交換してまた高速に乗
って大阪に向かった。
命拾い(笑)。高速道でのバ
ーストなど目も当てられない。
最期に見る景色が公道での路
面だなどとは願い下げだ。
大阪での予定も無事済み、翌
朝2台で今度は東名で東京を
目指した。今回は日帰りでは
なく一泊した。
Oは午後から外せない予定が
あるので帰路も快速で走行し
ていた。行きもSAでの給油
とトイレ以外は互いにノンス
トップだったが、帰りはさら
に弾丸特急だった。
東名を走り、富士が近づいて
きたあるトンネルで速度をや
や落とした。
前を走る平ボディーのトラッ
クにはパレットが山積みにさ
れていた。パレットとは、フ
ォークリフトなどで荷を揚げ
るときの敷台の頑丈な木枠の
ことだ。
その時は私が前を先行してい
た。
だが、非常に「いや~な」予
感が瞬時にした。
何かを感じてそのトラックを
トンネル内だが追い越そうと
した。
刹那、積み荷のパレットのロ
ープが緩み荷崩れを起こしは
じめたことに気づいた。
すぐに後ろを瞬間的に振り向
いて意思を後続に示してから
超加速でトラックを相方と2台
ですり抜けた。
横を抜ける時に、パレットは
次々に崩れ落ちてトンネル内
の高速道路上の路面に投げ出
されて衝突し大音量を発して
いる。
ドラム缶を鉄のこん棒で集団
でぶっ叩いたような音がトン
ネル内に響き渡った。
完全に二人で危うく超絶危機
を脱した後、2台で横に並ん
で「どっしえ~!」とした顔
を見合わせたのをよく覚えて
いる。トンネルのオレンジラ
イトの中で。
あれ、「いやな予感」が無け
れば、二人ともたぶん、まず
死んでましたね(笑)。
あれは高速道封鎖になったの
だろうなぁ。
その後も、「あれ、やばかっ
たね」と何度か二人の間では
話題に上ったことがあった。
まじでかなり危うい事をたま
たまラッキーで避けられた。
このアニメの研二君と水曜日
のシンデレラのように。
あの東名のトンネルでの出来
事も水曜日だった。
他にも、危うい事は水曜日に
起きることが多かった。水曜
日には魔物が目覚める。
水曜日の魔物といえば、相方
と二人で箱根の峠を夜明け前
から毎週走っていたのが水曜
日だった。幸い、水曜の箱根
では私は飛んだことがなかった。
相方二人とも革ツナギの上に
トレーナーを着ていた。バリ
伝グンのように。
その5年後に「チームなんと
か」などとレーシングチーム
を標榜してメットに猫耳着け
たりして群れているような連
中とは我々はちょっと別種族
だった。
だが、80年代後半になると、
それら猫耳ローリング族は新
しいことをやり始めていた。
それは、名前で今のネットハ
ンドルネームのような幼稚な
ニックネームを自称し始めた
のだ。
例えば(あくまで仮に)デコポン
とかTっちゃん@とか(例えば
の話)そんな感じの名前を自
称するのである。自称。「~
ちゃん」「~くん」とかいう
のも自称した。非常に珍妙に
思えて違和感があった。
つまり、私の5~6才年下の金
八先生時代の世代からそうい
う事が始まった。完全に私ら
とは世代感覚が異なっていた。
今で言うとユーチュバーみた
いな感じかな。
そもそも峠でチームと称して
群れて仲間内で同じコーナー
だけを行ったり来たりして喜
んでいることが私にはよく理
解できなかった。
パツキン頭や耳輪している連
中もその頃から峠にたむろし
始めた。猫耳や妙な尻尾をヘル
に着けて。ツナギの上には短
いTシャツにチームの名前を染
めこんだ特製チームユニフォー
ムを来ていた。バイクには意
味不明のゼッケンを貼り付けて。
その数年後に渋谷あたりにチ
ーマーが出てきたが、それの
ハシリのような感じもした。
公道は危険が一杯。
何が危険かというと、自分以
外の車両が危険なのであるが、
自分もその危険要因の一人で
あるということを忘れてはな
らないだろう。
それと・・・ある程度の「予
測」というのはこれは絶対に
必要だと思う。
だから私は言うのだ。
「バイクに乗って風になりた
い」とか言う奴は真っ先に土
になる、と。
ポカァ~ンとして「景色が奇
麗だなぁ~」などと物見遊山
気分でモーターサイクルを走
らせていると、突発的な危険
回避など到底できないのだ。
皆さんも、ビッ!と気持ちを
引き締めて、セイフティーラ
イドでどうか幸せな日々を。
あいつとララバイの研二君は
前を走るトラックの丸太の荷
崩れから逃れられた。
だが、小説『ウインディー』の
最終章である『チャンピオン
ライダー』において、主人公
の杉本敬(けい)は、レース
後に娘アンナを空港に見送り
したあとに、この画像と同じ
状況に遭い、レーシングマシ
ンを載せた移動車が前方トラ
ックの落ちてきた積み荷の丸
太と激突して横転し、車から
出て来られないまま車輌に火
が着いて焼死してしまった。
突発的なことで避けられない
ことがあるとはいえ、前方車
輌には十分に注意する必要が
ある。
私が東名で生き残れたのはた
またまでしかないが、ある種
の「予測」が働いたのも確か
だ。
私は20代前半はコースでも公道
でもよく転んだ。
だが、高校時代と社会人になる
前年からこんにちまで一切二輪
で公道では転倒していない。
私だけでなく、まるで二輪で転
倒しない、という人たちが時々
いる。
私の妻は今はバイクは降りてい
るが、原付時代も自動二輪時代
も一切全く転んだことが無い。
だが、コーナーに入る前はきち
んとフロントブレーキをかけな
がらシフトダウンのブリッピン
グをしていたし、コーナー立ち
上がりではスロットルを開けて
いた。
ただ、中原街道やニコクで90は
出し過ぎだろうとは思っていた
が。
過日「なんで乗り方そんなに
上手かったの?」と尋ねてみた。
立ちゴケなる1980年代にはあま
り見られなかった意味不明な現
象が社会的に多発蔓延している
からだ。
妻は身長が低く(独ヲタアッキー
よりも低い)、二輪に跨るとハン
グフォーム気味に片側つま先立
ちだ。だが立ちゴケも一切した
事が無いし、走行転倒、Uター
ン転倒も皆無だ。
旋回では寝かし込み過ぎはしな
いが、きちんとハードブレーキ
とブリップ、そして立ち上がり
のアクセルオンはしている。
私の質問に妻は答えた。
「最初の1からすべてあなたに
教えてもらったから」
と。
そうだったかよく記憶に無い(笑
ただ、ブレーキングだけは徹底
して伝達した記憶はある。
東京湾埋め立て地に行って、練
習もしてもらった。
検定試験での急制動よりももっ
とハードなブレーキングを。
前輪がロックするまでのハード
ブレーキングを。ロックしたら
解除。
前輪ブレーキのレバーの操作も
「序破急→緩め」の必要性の
理解と実践でのタッチの感覚を
つかんでもらうようにした。
そしてリアブレーキの意味も。
リアは制動のためではなく、
スイングアームの張りをどう
させるかの車体姿勢制御の為
に使うもの、という基本的な
事柄から、使う使わないの
取捨選択の状況の違い等も
理解と実践把握をしてもらっ
た。
二輪車でのスロットル全開な
どはバカでもできる。(本物
の全開はただスロットルを回
すだけではないので、本当は
バカだと適切全開など全くで
きないが)
二輪走行で一番大切なのは
制動だ。
制動こそが二輪の走行、操作、
操縦の一番のキモだ。
つまりブレーキング。
二輪を安全に快走させている
人たちは全員がブレーキング
技術に長けている。
制動で自在に速度を任意の
速度まで減速させる事をレー
スの世界では「車を止める」
と呼ぶ。一般公道交通での
信号などでの「停止」とは
異なる概念を用いる。
だが、実際には超高速度走行
でも極低速走行でも、一番大
切な事は制動であり、ブレー
キングによって狙った速度ま
できちんと車速を落とす事が
一番二輪走行では重要になる。
公道もこの原理はコースと同
じだ。
エンジンブレーキなど使って
はならない。制動はブレーキ
で実行する。
教習所や検定試験での急制動
は、実は、実質的な有益内実
を有する制動動作を審査して
などいない。
車速40km/h乃至50km/hから
線を跨いだ瞬間からブレーキ
をかけて、本来ならば停止
距離が短ければ短い程安全
であり良好であるのに、教習
所や検定審査では、3本引かれ
た停止線のどの線手前で止ま
れ、などという決め事をする。
全く以て実践的な一般公道で
の必要な操縦方法から乖離し
ている。「教習所の嘘教え」
の一つである。
教習所は運転技術を指導する
場所ではなく、「教官が烏は
白だと言ったら、はいそうで
すね、その通りですと答えて
『決め事』を実行できるかど
うかの場所」だ。
その決め事も、公正妥当、適切
的確であるのかというと、決
してそんなことは無い。正否
の真実などとは無縁の別次元
の事を求めて来るのが教習所
や一発試験の実体だからだ。
なので、言うがまま言われた
通りの事を実行できる人か
どうかを諮るのが教習所であ
り、あるいは一発試験である、
ときちんと現実の真実をわき
まえる必要がある。
真の安全運転の実行や本物の
運転操作技術などは教習所か
らは学び取るのは不可能だ。
私は妻には、教習所の嘘乗り
は教えなかった。
本当に安全の為に必要な二輪
の操作操縦を徹底して教えた。
そして、最大の要は前輪ブレ
ーキだった。
後輪ブレーキは制動目的では
使うな、とも教えた。
これは物理的な事だ。
後輪ブレーキは減速や制動の
為ではなく、実際には車体
姿勢の可変の為に作動するし、
そうした物理特性があるのな
らば、そうした物理特性に従
って扱ってやる。
それを教えた。
Uターンでさえ後輪ブレーキ
は主軸には使わない。前輪
ブレーキをフロントダイブ
させずにシルキーで繊細な
タッチで使う。(さらに最小
旋回半径で車体の向きを変え
るには、フロントをダイブ
させてキャスターを立たせ
てカタログ値よりも小半径
で二輪を旋回方向転換させ
る)
後輪ブレーキを使うのは、教
習所でそうしないと認印や合
格を得られないから使うので
あって、実践では二輪の適正
走行にはむやみやたらと後輪
ブレーキを踏むのは不適合で
あるので、制動力を期待して
は後輪ブレーキは絶対に使用
しない。
別な目的の為に後輪ブレーキ
は使用する時には使用する。
異論反論とかどうでもいい。
物理的な特性は絶対不動な
ものとして存在しているの
で、後輪ブレーキを制動目的
で使う事の無意味さと害悪に
ついて述べる私の言う事に
反論しても意味が無い。
リンゴは手を離せば地面に
落下する、という事と同じ
事を私は言っているからだ。
それを個人的嗜好性で後輪
ブレーキを制動目的で使う
のだと反論や主調しても、そ
れは「手を離すとリンゴは宙
に浮きますよ」と言ってるの
に等しい。
二輪車の動作挙動原理はすべ
て物理的なものとして存在
している。
手を離したリンゴは宙には
浮かないのである。
二輪車で転ばない理由。
それは前輪ブレーキを適切的確
最大限に乗り手が使用する事に
よって無転倒の実績が得られる。
後輪ブレーキを踏みぬいたりし
てはだめだ。(逆ハンスライド
を意図的にやるためのきっかけ
で後輪ブレーキを使う等の特殊
な走法を除いて)
「二輪のスロットルには120アン
グルの開度があると思え」と
私は柳沢雄造から直に教えられ
たが、実はフロントブレーキに
も単なる握り代だけでなく、実
に細かい引き代と指の動作速度
とタッチがある。
その繊細かつハードにソフトに
効かせるレバー操作は、指の4本
掛けなどしていたらできっこな
い。
これも人体構造から来る物理的
な事柄だ。
また、握ると引くと摘まむの
使い分けも右手に必要となっ
て来る。
しかも、それは減速シフトダウ
ンの際のブリッピングという
スロットルを煽ってのエンジン
回転同調操作と同時にブレーキ
ングで任意の制動を短時間で
処理する必要がある。
二輪走行の安全性と適合性を
確保するのは右手のブレーキ
にかかっているのである。
それを1980年代初頭に妻に理解
してもらった。
結果、妻は公道で一切転倒した
事がない。
適切的確な動作を意識的に操縦
で実行した結果は、そうなる。
これは「人による」ものではない。
誰でもそうなるし、誰でもでき
る。
二輪は物理的な乗り物だからだ。
ただし、これが競技となって、
超高度な技術を有する人たちの
集団の中での速度と順位競争と
なると、誰でも優勝できるとい
う事にはならない。
ただ、幸いにして公道は順位を
競う道路ではないので、誰かと
競争などしなくともよい。自分
の技術を日々磨けばよいだけだ。
そして、磨けば磨くほど安全
確保の度数が高まる。
結果、転ばない、事故を起こさ
ない。
つまり、死なない。
還暦過ぎようが、古希を過ぎよ
うが生きていられる。
二輪に乗り続けていても。
「頭で理解し、身体で覚える」
二輪の乗り方はそれだ。
ひとつだけアドバイス。
「二輪のスロットルとブレーキ
は、ON OFF のスイッチではな
い」
ここ、かなり重要。
汚名挽回?
なんだそりゃ。
一から日本語を勉強し直して
くれ。
汚名を挽回してどうするの?
日本人がこんなことでは、旧
戦闘機も日本も浮かばれない。
根本から心得違いをしている。
阿蒙なりしや。