渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

昼飲み

2024年05月06日 | open
 


オートバイを何台も停めて
いるオープンピットガレー
ジ(笑)
で午前中から友人と
バイク談義しなが
ら昼飲み。
最高。
昼メシはホカ弁(笑




 
 

工具

2024年05月06日 | open
 


普段、二輪の整備で使う工具。
メインは1980年代初期に私的
に揃えたKTCだ。TONEも
多い。
この他に工具箱が3個。
特殊工具用の工具箱が4個。
 
これは家庭用電動工具。
小作業によく使う。便利。
 
 
 
 
 

国道2号線バイパスの規制 ~松永・三原間~

2024年05月06日 | open
 

国道2号線バイパスは自動
二輪車の二人乗りは規制が
あります。
20歳未満又は免許取得3年
以内の者は二人乗り禁止。
さらに、自動車専用道路
なので、125cc以下の原付
(原付1種、原付2種)の通行
は禁止です。
福山~松永間は原付も通行
可。二人乗りも規制無し。

遠方からの通行者はご注意
ください。



PCはクリックで拡大

広島県三原市から原付で東に
海沿いを走る際には国道2号
線バイパスは通れないので、
下道の国道185号→下道国道
2号線を走るしかありません。
(広島県呉市からの国道185
号線は三原市糸崎八丁目バ
イパス交点で国道2号線とな
る)

三原市東部の海岸線を走る国
道185号線は、旧国道2号線で
す。
景観のよい道。


大正時代。


現在の同地点。


昭和初期。

この道が西国街道(旧山陽道)
だった。古代山陽道は内陸部。

国道2号線は昭和30年代に開通
した。


国道2号線と三原(1960年代
末期)。斜めに走る道路が
国道2号線。現在の三原の住
宅密集地エリアは私が大学生
だった1980年代初頭頃にも
田圃しかなかった。街であっ
たのは旧城下のみだった。


三原帝人と国道2号線。
まだ国道2号線は完成開通して
いない。昭和30年代。






旧城下エリアのみが街だった
のが三原だった。
「三原」と今では一概に言う
が、元来「三原」とは、三原
城周辺の狭い街区のみの事を
差した。今は市政管轄部まで
すべてを三原と呼んでいるが、
本来「三原」といったら城=
駅周辺のエリアのみの事だ。
これは1600年代の江戸時代初
期から昭和末期の1988年頃
まで。三原に数百年住む人の
感覚と市民(戦前からの)の
概念はそれだったようだ。

明治期の人口河川である西野川
と帝人(帝国人絹)の工場。
1960年代末期。北側から南方角
を撮影した写真。
写真一番奥の橋が国道2号線。
その一つ手前が国鉄山陽本線と
呉線の鉄橋。
一番手前の橋が「かじ新橋」。
通称土橋。昭和7年に架設され
た。元々は石製欄干が低かった
が転落者が相次いだので子ども
の肩ほどの高さに欄干が設置
された。
平成時代にこの橋は撤去され、
現在はクランク状の道路が敷
設されて新橋が架かっている。
なぜ土橋かというと、元々の
橋は木橋の上に土が敷かれて
いたからだという。
欄干付きの石橋になってから
は、その石の欄干部分は戦後
に城下の子どもたちのベーゴマ
削り台となった。
平成時代にも欄干手渡し上部の
真ん中が削れて溝状になってい
たのが確認できた。
私の叔父や小学生のその仲間た
ちがベーゴマを強化するのに
平べったく背を落とすために
石部分に擦りまっくったのだ。
現在の三原市西町の街の子ども
たち。
この川の右側は江戸期には海。
左側が城下町。
かじ新橋は「梶新橋」とも書か
れるが、あて字だろう。
城下西町には江戸期には鍛冶屋
が数十軒あった。大元の語源は
「鍛冶新橋」だったと思われる。
明治以降の架設とはいえ、三原
という場所は昭和末期まで江戸
時代とさして変わらぬ土地だっ
た。湾岸埋め立てエリアに企業
工場が誘致されていても。

現在の市内西部住宅密集地は、
かつては城下外の農村地帯であ
り、その風景は1980年代初期
においても江戸時代から時間が
止まっているかのような風景だ
った。

1980年代初期もまだこんな風景
だった。

線路脇の用水溜池で釣りをする
中学生。昭和30年代。国立広島
大学附属中学の子たちではなか
ろうか。


三原という場所は風光明媚だ。
二輪で走っているとそれが楽
しめる。
また、鉄道の車窓からもその
景色に目を奪われる。



 


 

レモンの花

2024年05月06日 | open


レモンの花。
薄ピンク。

ハッサクの花。
白っぽい花弁。




どちらも形は似ている。
だが、レモンの花はとても
かぐわしい。
仄かな柔らかく優しい香り。

 

こどもの日

2024年05月06日 | open




こどもの日。
幾人かの人が舟で川面に親し
んでいた。
950m先にそれが見えたので
見に行った。
見ると、こどもたちがダブル
ブレードのカヤックを練習し
いた。
シングルブレードのパドルボ
ードの人もいた。
暫し眺める。
よい光景だった。