「PCX」のレトロ版が公開!
~コレは爆売れ確定!~
これの125バージョンが出た
としたら、原付スクーター
市場はホンダ一色になるよう
に思える。
単純にカッコいい。
シート形状などはベスパ丸
パクりだけど(笑
そもそもここ40年程の日本の
スクーターがベスパを模した
ところから発しているから、
デザインがベスパに似ている
のは仕方ないのだろうが。
当然、そのうちこのデザイン
で125市場にもホンダは新型
モデルをぶち込んで来そうな
気がする。
大型バイクの販売台数は現在
はカワサキが一人勝ちだが、
2種原付戦線はホンダが圧倒
的。
このレトロタイプのスクーター
をホンダが125市場に投入した
ならば、もはやホンダの位置は
絶対不動かと思われる。
なぜならば、ありそうで今は
ほぼ無いのが125クラスのレト
ロシルエットのスクーターだ
からだ。
このホンダstyloが125で出たら、
PCXに続いてこれまた爆発人気
必至だろう。
とか思ってたら、やはり出して
来た。おそるべし、ホンダ。
ワンコにとっては重要な生活
の一環だからだ。
豪雨だろうと台風だろうとす
る。
豪雨の時には飼い主は私も妻
も陸上自衛隊のポンチョを着
て雨の中、散歩に出かける(笑
雨があがっての散歩は晴れの
時よりも犬は嬉しそうだ。
もう距離も歩けず、目も殆ど
視力が無い老犬なのに、懸命
に歩こうとする。よちよちと。
人間はずっと傍らでつきあって
やる。
その二度とない時間を大切に
思いながら。
が好きな人は多い。
の男の9割以上が喫煙者だった
時代にはショートホープは人気
だった。
で吸ってたのはショッポだった。
なこれだった。セブンスターが
出てからはセブンスターに流れ
る人も多かったが、ショッポ好
きはずっとショッポを通す。
ッポ好きがいて、これ以外は吸
わない。
他のタバコは吸わない。
事務所が解散して、民間企業に
就職した時、名古屋中京地区の
支店長がショートホープ大好き
だった。
ショッポについて尋ねたら、
ショートホープが出た時から
これ以外は吸わない、と言う。
根っからのショッポ人だ。
ショッポ好きは一念を通す。
プ一筋だ。
う事もあるが、基本的にはショ
ッポ以外は「不要なり」のクチだ。
かどうかは不明だが、喫煙シー
ンで田村正和さんがショッポに
火をつけようとするシーンがあ
った。
もしかすると田村正和さんも
ショ―ホープをかつては吸って
いたのかも。
ていたが、以前は喫煙者だった
のかもしれない。
は余計なミシン目が入っていて
破りやすいようになっているが、
元々はそんな物は無い。余計な
お世話だ。
どはいつでもできる。
のはくそダサい。
のをやめたほうがましだ。
もん。
実に綺麗な乗り方。
適切、適正、的確、正確。
オートバイは特殊な乗り物だ。
それは自転車と同じく、常に
人間がバランスを取らないと
倒れてしまう乗り物だから。
自転車と同じく、推進力を得
たならば、ジャイロ効果で直
立維持しようとする力が働く。
だが、走行中の旋回はハンドル
を切るのではなく、車体を傾
ける事により前輪支持部がタ
イヤの構造により自分で内向
する。
それにより二輪車は旋回を
する物理特性がある。
ハンドルを切るのは極超低速
の場面だけだ。
二輪は自転車もオートバイも
車体を傾ける事により旋回を
始める。
旋回行動は、直立直進状態を
崩して、いわば「転ぶ」のと
同じ動作をさせる事になる。
この車体を傾ける事をバンク
と呼ぶが、二輪に不慣れだっ
たり、二輪車の走行自体が怖
い人にとっては、このバンク
自体が相当な恐怖となるよう
だ。
だが、オートバイは車体を
微弱だろうと傾けないと信号
だろうと曲がり角だろうと
緩いカーブだろうと曲がれな
い。
駐輪場から出る時やUターン
では積極的にハンドルを切る
が、通常走行状態での旋回に
おいては一切ハンドルは切っ
てはいけない。セルフステア
と呼ばれるステムの旋回性を
出すために車体を傾けて曲が
って行くのがオートバイだ。
動作挙動は基本的にオートバ
イは自転車と同じだ。
走行中にハンドルを左に切っ
たら車体は右に急激に傾く。
オートバイでの競技等の走行
ではその挙動特性を使って
瞬時にマシンを倒す技法もあ
るし、後輪が滑り出したら逆
にハンドルに当て舵を与えて
バランスを取る場合もある
(逆ハン)。
すべて二輪の走行はバランス
をどう取るかにかかっており、
その事はとりもなおさず、運
転者がどういう動作をするか
によって決定づけられる。
二輪は四輪以上に、否、遥か
に四輪よりも運転者のわずか
な動作が走行状態に影響を及
ぼす特性を持つ乗り物なので
ある。
ゆえに、運転者の技量如何で
どのような動きもするので、
運転者の技術と裁量が極めて
重要な乗り物となっている。
適切、適正、的確、正確な操
作操縦で、皆様も安全運転を。
なお、「危険」は予知するも
のです。気配り目配りをして
運転して。
特に二輪車ではその「心の位
置」が大切。
音楽をヘルメットの中で聴き
ながらとか、延々としゃべり
ながらとかの「ながら運転」
をやっている人が現代は異様
に多すぎるが、極めて危険で
す。
安全運転を唱える動画配信者
たちのほぼすべてが延々とし
ゃべりながらの動画撮影をし
ている。
本末転倒の危険運転以外の何
ものでもありません。
やめてください。ながら運転。
動画でお金を稼ぎたいのでしょ
うが、とても危ない事を拡散
させている。
動画配信は編集にてテロップ
で製作するのがよいのでは。
危ない事を広めているのは
とてもよろしくない事です。
そして、そうしたくっちゃべり
動画を配信している人で、二輪
の乗り方が巧い人は皆無。
それは最初から安全運転など
には口先と違って本質的には
肉薄していないからです。
大人気ユーチューバーほど、
とんでもない乗り方をして
います。これ現実。
危ない。
ヤマハのオールド2スト原付
マシン。
めちゃくちゃカッコいい。
90や125なのに2気筒。
基本的なスタイルはカフェ
レーサーだ。
そして、これらの1960年代の
車の後にヤマハ2stのフラッグ
シップRDシリーズが登場する。
RD125
RD125の1977年モデル
ハンドルはノーマルでもかな
り低い。ロードレーサーを意
識していた。
ちなみに、私が高1の時に通っ
た教習所の教習車はヤマハの
RD350だった。
まったくこの色、この年式のモ
デル。
まずガソリンコックをONにし、
跨ってキックのみで始動する。
教習生も当然それをやる。
私の前の学年の10月以降から
自動二輪の中に限定付と限定
無が設定され、400ccを越える
二輪は教習所では免許が取れ
なくなった。
限定解除試験は警察での一発
試験のみ。不合格にさせる事
を前提としていたので、受験
回数が数回どころか10回以上
は当たり前だった。私が知っ
ている広島県の同じ齢の人で、
50回近く受験した人がいる。
広島県に異様に限定解除者が
少なかったのは、広島県警の
「限定解除自動二輪免許は取
らせない」という方針があっ
たからだろう。状況証拠とし
て。
東京・神奈川・埼玉でも受験
者の返事が悪いと不合格、白い
ジェットヘルメットでないと
不合格、黒手袋に黒いブーツ
でないと不合格、目つきが悪
いと不合格、後方確認の角度
が試験官が気に入らないと不
合格、試験官の心象が悪いと
即不合格、起立直立の姿勢が
悪いと不合格、e.t.c・・・。
これは嘘偽りなく、本当にそう
いうのが限定解除試験だった。
受験者たちの間では「白ジェ
ットに黒ブーツと手袋。これ
は限定解除法第1条に記載され
ている」とまで揶揄された程
だった。
先日、まだ20代の若い世代の
二輪乗りに限定解除制度時代
の話をしていたら、「そんな
に厳しいのなら、教習所で
大型取ったほうが早いのでは」
と言った。
教習所では免許が取れない珍
制度を日本国家が導入した事
を知らなかったのだ。
そして、不合格基準の歴史的
実態を説明すると信じられな
いという顔をしていた。
だがしかし。
ある面では、今のお手軽簡単
(審査基準も1975年以降1995
年までより水準をかなり下げた
大甘。技術力が高くなくとも
現在は大型二輪が取得できる)
な大型二輪免許は、限定解除
制度があった時代よりも厳し
い。
それは、免許取得初年度のう
ち、3点の交通違反を犯したら、
即卒業した教習所にて講習を
受けて卒検試験官が再度認定
しないとならなくなったから
だ。
また、教習所でなく一発試験
で大型免許を取得した者は警
察センターにての実技講習し
か道は無い。
これは従前の限定解除より困
難で、完全に落とす為に機能
させている。実勢運用として
はそうしている。合格させな
い。制度があるため受講を
するしないは国民の自由だが、
実際には運用としては合格さ
せない。銃所持許可と同類の
扱い。警察の胸先三寸で決定、
権力を行使する。
結果、すべての免許が取り消
しとなる。
現行制度はそうなっている。
教習所で免許を簡単に取得で
きるようにし、また一発試験
でも合格させる。
だが、一発試験合格者が3点
違反したら免許を取り消す方
向で機能させる制度に変更に
なった。アメとムチ。
これはかなり厳しい。
限定解除時代は、仮に暴走族
の集会に参加して検挙された
としても、「停止命令違反」
と「信号無視」だけで4点。免
停にさえならなかった。
また、自動二輪は自動二輪な
ので、限定付免許(中型)で大型
二輪を運転しても「条件違反」
だけの違反だった。
今は免許そのものが「小型二
輪」「普通二輪」「大型二輪」
に分けられていて、適合免許
の車以外の大きな排気量車を
運転したら「無免許運転」と
なる。3年以下の懲役または
50万円以下の罰金の刑事罰に
処され、免許は25点で一発
取り消し、欠格期間2年。
刑事犯なので前科もつく。
総合的に見るに、従前の限定
解除制度が存在した時代より
も現代のほうが締め付けがき
つく厳しい時代となっている。
だが、教習所での公認課程は
異様な程に簡単にしてしまっ
ており、「倒れても自分で二
輪を起こせない」「一本橋を
まともに低速走行できない」
「スラロームもきちんとでき
ない」「後輪ブレーキしか使
わない」「背骨伸ばし上半身
ガチガチ硬直載りしかできな
い」という「二輪にまともに
乗れない国民」を大量産出し
ている。
事故など無くなる訳がない。
また、二輪車普及安全協会な
る警察の外郭組織が危険な大
嘘乗りを指導広報拡散させて
いる。
それは「胸を張って威厳を」
とか「威風堂々と腹を出せ」
とかいうとんでもない乗車
姿勢を戦前教育のように精神
論で注入しようとしている大
きな過ちを犯している。
スポーツなどでも適切な姿勢
がある。テニスでの構え、バ
スケットでのドリブルの時の
姿勢、相撲で見合った時の
姿勢等々。
二輪車普及安全協会の指導は
完全に実技的に誤りを拡散さ
せているし、何よりも精神論
で物理的道理を無視して二輪
運転者を縛り付け洗脳させよ
うとしている旧軍時代の旧態
然とした思潮で活動しており、
極めて社会的に問題がある。
帝国大学卒業者は国家の為に
挺身せよ、という思想と全く
同類だ。
そして、学徒だろうと出陣さ
せて国民の殺生与奪権を国家
が握る。
二輪の事故は無くならないど
ころか増加するだろう。
そうした人の命を軽んじる精
神教育指導を警察とその外郭
団体がしようとしているから
であり、実際にそれを実行し
ているからだ。
実技面において不合理で危険
な方法を拡散させて何が安全
普及か。
国民の命をないがしろにして
いる。
だが、権力というものはした
たかなもので、白バイ隊員た
ちのみは、実利的に実効性の
高い技法を用いている。
それの代表格は、フロントブ
レーキレバーの指2本がけで
あり、競技大会でのハング
フォームの使用だ。
競技大会での加速旋回では
白バイ隊員は内側の膝を開か
ないだけで、完全にハングフ
ォームで誰もが走っている。
リーンウイズなどはしていな
い。
これは物理特性に準じた走行
を実行するのでそうなる。
そこには虚構の精神論などは
導入しない。全開加速では
胸を張って腹を出して背骨を
伸ばしている隊員などは全国
一人もいない。
そうした、本当本物の技術は
警察のみが独占しようとして
いる。
そして、外郭団体である二輪
車普及安全協会などでは危険
な大嘘載りを広報し、国民を
して二輪車の運転を不可能な
らしめんとしている。
また、警察と密接な関係にあ
る教習所においても、本当の
本物の二輪操縦運転技法を教
える教習所は極めて少ない。
ほぼ安全協会と警察の手先と
して機能している。
教習所によっては、「どんな
状況でもリーンウイズで乗れ」
などという危険極まりない事
を指導する教官がいる教習所
もある(実在)。
二輪についての知見が低いど
ころの話ではない。
無責任なものだ。
そうやって、「本当には乗れ
ない人」を多く世に送ろうと
している。
現実問題として、現代日本人
で二輪を運行させている人た
ちでは、世代が若ければ若い
程二輪にまともに乗れない。
乗り方を知らないし、物理的
に厳然と存在する二輪の挙動
特性に対しての知見が著しく
低劣だからだ。
これまた、事故は減りはしない。
が単車屋の店主に二輪の乗
り方を教わり、段々と上手
くなって行く演技が秀逸だ
った。
りだったのだ。
原付から始め、最後にはCB
72を乗りこなす18才の主人公
みすず。
脱力させて自然に弓なりにさ
せた背中、突っ張らない腕、
軽く曲げた肘と手首。
宮﨑あおいさん自身が二輪に
正確に乗れる人だから、ごく
自然な演技でこの上級者走行
フォームが取れる。
この映画の一つの見所となっ
ている。とにかく宮﨑さんの
演技が光る傑作作品。
を携帯していたりとか。当時
はそれは無い。白バイ隊員が
けん銃を携帯するようになっ
たのは平成時代末期からだ。
る。
機付二輪車=モーターサイ
クルに使うようになったの
も日本が世界で初めてだが、
その登場は大阪万博のあっ
た1970年以降の事だった。
なお、日本車が世界グランプリ
を席巻した1980年代、あまり
に日本人がモーターサイクル
の事をバイク、バイクと呼ぶ
ので、世界チャンピオンたち
も二輪の事をバイクと呼ぶよ
うになった。
元々英語圏ではバイクは自転
車の事だ。オートバイの事は
モーターバイクと米語の族称
で呼ぶ事はあったが、英語で
はモーターサイクルが正式単
語だ。
それを日本語に直訳した単語
が原動機付自転車。
語も古く、これは日本人によ
る英語のミックス造語だが、
オートバイという単語は戦前
に既に日本国内で登場してい
た。ただ、日本に最初に動力
付二輪が入って来た頃はモー
ターサイクルと日本でも呼ん
でいた。日本オリジナルの
造語「オートバイ」は国威高
揚の社会風潮の中で日本語と
して新たに創り出された。
さらに戦局が進むとオートバイ
さえも敵性外来語と同様とみ
なされたので単車という単語
が登場する。
戦後も警察や公的機関の正式
呼称は「オートバイ」となっ
ている。「オートバイ」は日
本語である。
ては法律文言として「自動二
輪」が長らく使われている。
同じく日本語である「単車」と
は側車(サイドカー)に対して
二輪単体の車の事を単車と呼称
した。
首都圏でも長らくオートバイの
事は単車と呼ばれていて、1960
年代などは「単車」呼称が多か
った。
だが、バイクという新語が広ま
るにつれて首都圏では単車呼称
が1970年代中期にはほぼ消滅し
たが、西日本では最近までも
単車という単語がモーターサイ
クルを指す表現として定着して
いた。
今は全国的に「バイク」呼称が
一般化している。
「オートバイ」という歴史の長
い日本語は消滅しつつある。
だが、「バイク」も元来は日本
語の造語だ。
「バイク」呼称の勢いは止まら
ず、今やイタリア人やアメリカ
人はじめ、世界のライダーたち
が日本語である「バイク」という
呼び名を使用し始めている。