「どんな字書くの?」
おれ?
こんな字書くの。
二輪を深く理解している人
は、この画像を見てすぐに
ある事に気づくだろう。
金谷さんに始まり、高井さ
んが手掛け、河崎シャケさ
んが開発し、のちに本間さ
んが全てのノウハウを引き
継いで造ったヤマハの二輪
が、どうしてグッドハンド
リングの極上マシンで「転
ばない二輪」であったか、
その二輪造りの原理と構造
に。
オートバイを深く理解して
いる人は気づくはずだ。
車体がどのような挙動をジ
オメトリーにおいて現出さ
せているかを。
こういう二輪が「転ばない
二輪」であり、「極上ハン
ドリング」をもたらすシャシ
とステムの設計構造なのだ。
共走りには相性がある。
自分と同レベルの走行技量で
ある事は大前提だが、走行感
覚に同質性が無いと一緒に走
っていてもちっとも面白くな
い。
今月の連休明け、MCブラザー
から久しぶりに誘いがあり、
いつもと趣向を変えて原付
スクーター同士でちょい走り
してみねぇかとなった。
そいつぁおもしれえってんで
こちとら乗った。
横浜に長らく住んでた奴で
ウマが合う。
原付2台で広島県から愛媛県ま
で行って帰って来る。
「動力付車両は原付しか走れ
ない」という国内でも珍しい
専用道路を通って。
本州から四国までの通行料は
500円。安い!
この行き帰りが非常に面白かっ
た。
やはりMC=モーターサイクル
クラブだ。排気量関係なく走り
が主体。
ただ、MCというのはツーリング
クラブや同好会ではなく血盟団
のような結社だ。誰でも希望す
れば入(はい)れるものではない。
事実、審査期間で人的質性に問
題ありとして決議ではねたり、
審査以前に断っているケースも
ある。これはうちだけでなく、
どこのMCもそうだろう。
「同志」以外はクラブには入(い)
れないし、希望しても人的質性
を審査されて入(はい)れないケ
ースも多い。
最近も入りたいという人が知人
にいたが、全体会議にかける前
に私が断った。
「同志にはなれないから君は
入れないよ」と。
「え?」と言っていたが、何か
普通の同好会やツーリングクラ
ブとMCの違いの識別が不在だっ
たようだ。
なおさらMCなどには入れる要素
も必要もない。他で楽しんでも
らえばいい。我々は関係ない。
MCブラザーの間ではあまり
「ツーリング」という表現は
使われない。「共走り」だ。
仮に便宜上ツーリングと呼称し
ても、主たる行動は観光旅行で
はなく、共走りにメインテーマ
が置かれるからだ。
そして、2台以上では集団走行
となり、編隊走行になる。
当然、そこでの規律や自由走行
区間での自己表現や堪能が入る。
それがオーケストラのように全
体がバラバラではない同調を伴
って軌跡を描くのがMCだ。
それがMCの走りであり、組織
行動なのである。
今月初旬に久しぶりにブラザー
と走った原付走行は実に面白
かった。
やはり原付であろうと、それよ
り上の排気量二輪での共走りと
全く中身が同じなのだ。内実が。
これが面白くない筈がない。
MCの場合、車間はかなり狭い。
互いの技量を信頼しているから
だ。
素人さんは50mや100mフツー
感覚なのか空けてしまう。
そんなに広げたら集団走行は
不可能だ。行程において走り
にならない。
それは「共走り」ではない。
勝手な個人が走っているだけだ。
MCは根本素因がまるで異なる。
だが、必ず直線では千鳥になり、
旋回では一直線になる。
(旋回ではスリップアウトして
も前走者に衝突する事は無い)
やはり、走行において信頼し合
える間柄同士の走行はかなり面
白い。
旋回が一番面白いが、直線も
市街地も山中ワインディングも
海岸線も、すべてが楽しい。
これはソロ走りでは味わえない
面白さだ。
だが、二輪にガソリンを入れる
ように、人間も腹に飯を入れる。
途中では食い処に立ち寄ったり
もする。
途中で寄り道して、走った事が
ない所を行き、景勝地に寄って
ちょいと普通ツーリングぽい事
もする。
だが、メインは走行そのものだ。
ロードを二輪で行く、という。
やはりMCは良い。
モーターサイクルは実際に走って
ナンボだ。
そもそも、走らない奴は二輪乗り
でも何でもないし。
「ただバイクを所有しているだけ」
という存在であって、オートバイ
乗りでも何でもない。
当然、そうした層は二輪乗りの
心情や二輪の世界の深淵とも無縁
だ。
平 忠彦 英雄伝説 2nd Lap
-ラストランSUGO-
1992年4月。
一つのレジェンドが選手として
の活動の幕を閉じた。
この日、SUGOサーキットに詰
めかけたファンは伝説の平忠彦
選手の最後のデモランを見守っ
た。
レーシングライダーにしては
珍しく、温厚な人格者だった。
ノービス時代はよく転ぶが突き
抜けた走りではなく、コツコツ
と地道にステップアップする
人だった。
埼玉イナレーシングの人だった。
だが走りは光っていたし、レー
ス開始2年後の78年にはノービス
250で全日本3位になり、79年に
はジュニア350で全日本チャン
ピオンになった。
そして、1980年には私も76年
から別チームながら大変お世
話になった実力者の王子の三原
さんと組んで平選手は鈴鹿8時
間耐久にも参加した。
その年1980年は平選手は全日本
国際A級に昇格して350で日本
チャンピオンになった。
81年から500にスイッチし、
ランキング6位、82年に3位、
そして83年から85年まで不動
の3年連続日本チャンピオンに。
さらに1986年からはヤマハワー
クスとして世界グランプリに
250クラスでフル参戦して世界
ランキング9位となった。
特に最終戦のサンマリノGPで
はスタートに失敗し、ほぼ
最後尾から全員を抜き、トッ
プのチャンピオンのラバート
に肉迫する。逃げるラバート
はオーバーペースで転倒、
平選手は追撃する2位以下を
突き放して優勝した。
映画のような現実が起こった。
映画『汚れた英雄』でも、
北野晶夫は最終戦で転倒して
しまうが、そこから立て直し
て、全員を抜き優勝する。
平選手はまるで4年前の自身
が吹き替えをした映画のよう
な優勝をサンマリノで遂げた。
最高の走りだった。
なお、世界グランプリは従来
は数十年に亘り押しがけスタ
ートだったが、始動性の悪い
ヤマハと押しがけがあまり上
手ではない平選手は1986年
GPでスタートで追突される
重大事故を起こした。
ホンダのマシンは始動性が
良く、1歩押してクランクが
1回転する間に点火するが、
ヤマハのマシンは250も500
も3歩押さないとエンジンが
始動しないような車だった。
平選手はそれゆえに重大事故
を起こしてしまった。
そのため、安全性のために、
ロードレースでは押しがけが
廃止されてエンジンをかけた
ままからのスタートが採用さ
れるようになった。
平選手の事故が国際ルールを
変えたのだった。
平忠彦さんは現役引退後に
ヤマハのチーム監督まで勤め、
また、ヤマハ系の御自身のショ
ップを浜松に開いて二輪界の
隆盛に貢献した。
だが、現在のヤマハは歴史的
な平さんの功績、ヤマハへの
貢献を軽んじ、関係を絶つ。
現在、残念ながら、平さんの
ショップ「タイラレーシング」
ではヤマハの車は取り扱って
はいない。
ヤマハは河崎氏、平氏と同じく
多大なる歴史的貢献をした本間
利彦氏も切った。ホンダも同様
の事をし始めた。
そして、現在。
ヤマハはホンダと並び、MotoGP
では世界最底辺の位置を走る事
しかできない二輪を作るメーカー
になった。
ネオコングローバリズム台頭
以降、二輪メーカーだけでなく、
日本の自動車産業界には一つの
潮流が席巻している。
それは「利益優先第一主義」。
そして、有益な人をどんどん
社内や関係企業から追い出して
行った。
特に二輪車業界にその傾向は
激しく、社内でも有益な貢献
をした人材を閑職に追いやった
り、退社するように仕向けたり
した。
そして、現在がある。
世界最底辺の二輪車しか作れな
くなった日本の二輪メーカー
の現実が。
ヤマハが平さんを切るという
のは凄すぎる事だ。
いうならば、巨人軍が長嶋さん
を「もう無関係の人」として
放逐するようなものだ。
一体、日本の二輪メーカーは
何をやっているのか。
というか、ヤマハはトヨタ傘下
になって、完全にトヨタ色に
なったのかも知れない。
汚れた英雄 THE LAST HERO
北野晶夫=草刈正雄=平忠彦
の美しい前傾フォーム。
1892年。
大藪春彦の小説が舞台を1960
年代から1982年に変えて映画
で実写作品化された。
製作監督は角川春樹。
世界初のブルー感光フィルム
の採用、世界初の実物グラン
プリマシンの採用、世界初の
ポルシェオープンカー使用に
よるサーキット並走撮影、世
界初のグランプリ世界王者メ
ーカーヤマハの全面協力、世
界初の国際サーキット貸し切
り撮影、世界初の観客エキス
トラ動員による模擬レース撮
影、e.t.c。
この作品は地球の上で新たな
歴史を作った作品だった。
この作品以降、北野武がブルー
感光フィルムを多用し、多く
の世界中のモーターサイクル
映像がこの作品のシーンカット
とオリジナルBGMの曲調を模
倣した。
主演は主人公北野晶夫(あきお)
に草刈正雄。実際の走行シーン
の顔面アップは草刈正雄が実走
して撮影された。
レース走行シーンの吹き替えは
ヤマハ系プライベーターの平忠
彦選手。マシンもゼッケンも平
選手と当時のチャンピオンの
木下選手のマシンが使われた。
平選手はこの映画の主人公の如
く飛躍し、翌年にはヤマハワー
クス入りし、不動の3年連続
全日本王者となり、世界グラン
プリに参加していく。
平選手は1980年代初頭から末期
まで日本のロードレース界の
花形選手として大活躍した。
資生堂という化粧品会社がメイ
ンスポンサーとなったのも史上
初だった。
実際に、若き平選手は二枚目俳優
草刈正雄なみの男前だった。
ただ、草刈正雄については、
私個人は『汚れた英雄』の
前年の1981年公開の横浜が
舞台の探偵ドラマ『プロハ
ンター』でのトロント役が
とぼけた素の味が出ていて
好きだった。
草刈さん自身のインタビュー
回顧談によると、モデル出身
でシリアスな二枚目役ばかり
で、実際の自分の冗談好きな
性格とはかけ離れているもの
ばかりだったと言う。
素の草刈さんは現在のよく回
って来るこなしている役のほ
うがおとぼけ具合が素に近い
のではなかろうか。
『汚れた英雄』以前から個人
でもオートバイ乗りだった。
九州小倉出身。
私は旋回中でも二輪ではフロ
ントブレーキをあてる事があ
る。
「旋回中にブレーキなんて」
と思う人は素人。
ホンダの二輪などは、フル
バンク手前でフロントブレー
キをあてながらスロットルを
開けないと曲がらない二輪さ
えあった。
バンク中にフロントブレーキ
で速度制御をしようとしてい
ながらそれが実現できずに、
「握りゴケ」などをするのは
二輪のド素人だ。
状況によりフロントブレーキ
での旋回中の速度制御も後輪
ブレーキでの車体姿勢コント
ロールもするのが本当の二輪
の操作操縦だ。
(旋回Gにより面圧で車速を
落とす乗り方もある)
通常2ストクォーターや4スト
モデルであっても、旋回中の
前輪ブレーキあては舐めるよ
うにかければさほど車体が起
きる事はない。
あえて逆あて舵をあてながら
フロント制動をかける場合も
走行状況によってはある。
その際のレバー操作は極めて
繊細に、『レフトアローン』
でのウォルドロンのピアノ演
奏の強弱よりもさらに微細で
センシティブなタッチでブレ
ーキを操作する。
それゆえ、バンク中でも車体が
急激に起き上がる事は抑制でき
る。
ところが、ベスパLX125の場合、
ごくわずかにフロントを舐める
ようにあてても車体がガバッと
起き上がる。
これはロードスポーツモデルと
は異なるボディ(モノコック)
とステムの構造によるものだが、
旋回中のフロントあては車体が
急激に起きるので操縦には注意
を要する。
ロードスポーツのスポーティー
走行のように「ファーストイン、
ファーストコーナリング、ファ
ーストアウト」という乗り方は
できない。まして、ターンイン
して旋回エイペックス付近まで
ブレーキを引きずって減速させ
ながら旋回頂点を目指す乗り方
は不得手な車体設計となってい
る。
ベスパの乗り方は、きちんと直
線部分で適正減速させて、適合
する速度でバンク旋回し、立ち
上がりでスロットルを開けて行
く、というオーソドックスな旋
回方法が一番適している。
これがヤマハのスクーターあた
りだと、殆どロードスポーツと
同じような乗り方で操縦しても
きちんと曲がってくれるのだが、
ベスパは独特な挙動を示すので
それなりに、つまり車なりの
操作操縦が必要になって来る。
かといって、旋回中の操安性が
低いかというと新型4ストベスパ
は決してそんな事は無い。
排気量車格内でのかなりの高速
域での寝かし込みでも安定して
いる。
また、超低速での旋回は、車体
を倒しこむとクルンとフロント
から切れ込んで曲がるので注意
が必要だ。ヤマハのハンドリン
グとはまるで異なるテイスト。
かなり挙動特性に癖があるのが
ベスパ125なので、運転する際
には、その車に適合した乗り方
を選択して実行してやる必要が
ある。
ただし、ベスパはそうした乗り
味が非常に面白い。
完全に国産車にはない二輪の乗
り味となっている。
曲者二輪が好きな向きには堪ら
ないのが現行のベスパなのでは
なかろうか。
ベスパを称して「お洒落な」と
か言うのは、それは極めて陳腐
であり、かつ底が浅い。
ベスパは実際に乗ってみての独
特の個性豊かな乗り味にこそ妙
味がある。
ステムからステアへの路面情報
の伝達はリニアでダイレクトリー
であり、極めて情報処理しやす
く、白を白、黒を黒と乗り手に
伝える。これは非常に好感触だ。
ぼやかしてごまかしていない。
この事は運転手をして接地感を
感知せしめる事に極めて正確に
貢献している。
ベスパLX125ie3バルブはとても
良い二輪だ。
エンジン音はベスパ音。4スト
なのに野太い2ストのような音
を出す。
そして、一定速度以上になると
ヒューンというモーター音を奏
でる。
このサウンドの変化は、すぐ横
に壁のある海岸線道路などを走
ると即座に音色の変化を感知で
きる。
ベスパ=スズメバチと呼ばれた
のはシート下の両サイドの空冷
取り込みボディが蜂のお尻形だ
からではなく、戦後直後のプロ
トモデルのエンジンサウンドが
スズメバチのようだったからだ。
だが、形状からと勘違いして誤
認している日本人がレポーター
の中にも多くいる。
ベスパは独特のサウンドゆえに
ピアッジオの社長が「これはス
ズメバチだ!」と言ったのを量
産製品名にしたのだ。
そして、そのオリジナルサウン
ドは4ストロークエンジンとな
った今でも、ベスパらしい音色
が伝統であるかのように引き継
がれている。
トントントンという音ではなく
ビンビンビーンであり、ベスパ
サウンドなのだ。
3バルブモデルはその音が中速
から高速域でヒューンに変化す
る。
乗っていて、走行個性の乗り味
も面白ければ、独特なサウンド
も実に楽しい。
客観的に見て、ベスパは「良い
二輪」だ。
ブランドイメージやオシャレ感
などという世俗的なものに捉わ
れているうちは、ベスパの真価
を身近に引き寄せられないだろ
う。
ベスパは所有して飾る二輪では
なく、乗る二輪だ。
神奈川県の津久井湖畔にある
峯の薬師の県道513(KP513)は
現在二輪車全面通行禁止にな
っている。
かつて80年代初期は通れた。
だが、危険で無謀な公道レース
を繰り返し、事故が多発しすぎ
たので二輪が全面通行禁止にな
った。
スィーッと快速で走り抜ければ
よいのに、制御不能速度まで
上げてローリングしていた者た
ちが事故を多発させ、通行禁止。
かつて私が奥多摩有料を走って
いた頃は奥多摩も二輪通行禁止
ではなかったが、通行禁止にな
り、数年前に奥多摩周遊として
無料化された後に数十年ぶりに
二輪車通行が解禁された。
峯の薬師の道は快適で心地よい
軽快な道路だったが、ここも
通行禁止となった。救急車の
サイレンが鳴りやまない日が
続きすぎたからだ。
広島県の福山市の後山グリーン
ラインも1982年頃は二輪が走れ
た。私も何度も通った。
だが、ローリングする者たち
が制御不能速度で走り、死亡
事故が発生したので80年代前
半に二輪車全面通行禁止とな
った。(一部地元民の原付は
許可)
グリーンラインの二輪車通行
禁止が解除されたのは数年前で
あり、実に30数年ぶりの通行
解禁だった。
二輪の事故により道路が通行
禁止になる。
これはとても残念な事だ。
また、死亡事故も峠で多発し
ていたのが1980年代~2000年
初頭だった。
二輪が好きで走っているのに
二輪の操作操縦判断の不手際
で死亡してしまう。
これも非常に残念な事だ。
かといって、現代のような極
めてぎくしゃくした硬直固ま
り載りを安全と盲信している
人々が爆発的に増えたのは、
これはこれで危険が蔓延して
いる事以外の何ものでもない。
データは見ていないが、峠で
の無謀運転による事故は減少
しても、峠や市街地での二輪
運転技量未熟による事故は激
増しているのではなかろうか。
かつての事故原因とは別な要
素が現代は登場しているだろ
う。
それは、安全普及団体が大嘘
の硬直載りを安全で正しい二
輪の乗り方と広報拡散させて
いるので、それを妄信して洗
脳された人たちがガッチガチ
に固まって二輪を走行させて、
操作ができずに事故を起こし
ているケース。
これ詳細調査したらかなり多
いと思われる。
その証左の一つが、現代は異様
な程に立ちゴケやUターンゴケ
が多い事だ。異様、異常。
それは、嘘乗りを教え込まれて
洗脳された人たちが一様にその
ような「運転不能」を動画等
で曝している事実からも見て
取れる。
動画にアップされていないケ
ースはさらにごまんとあるだ
ろう。つい先日も隣りにいた
人が125ccの軽量車なのに立ち
ゴケしていた。一応救助はし
たが、見ていると反省もして
いないようだ。日常茶飯事な
のだろうか。
単なる下手くそとかの域を超
えている。
根本から乗り方を間違ってい
るのだが、動画サイトなどで
も嘘乗りを正しいとして拡散
させている人たちがかなり多
くいる。
絶対に二輪の事故は減らない。
・背筋伸ばし
・腹出し
・背骨反り
・腕伸ばし
・腕で体重ささえ
・肘張り
・胸張り
・ハンドルを上から鷲づかみ
・顔上げ顎出し
・ステップには足を載せてい
るだけ
・尻位置が極度な前載り
すべて間違いである。
しかし、その完璧に間違って
いる載り方がここ10数年前か
ら日本国内でウィルスのよう
に大流行している。致死性の
中身なので厳重に注意が必要
だ。
オートバイに乗るのが上手く
なるのは簡単ではないが難し
くはない。
それは正しい乗車姿勢を取る
事だ。
ゴルフや野球でクラブやバット
を両手離して握って、足を揃
えて球を打とうとするような
頓珍漢で的外れなフォームを
二輪乗車時にやらない事だ。
現在は、二輪車普及安全協会
なる団体が大嘘の危険乗りを
正しいとして広報活動してい
るので厳重注意を要する。
嘘は嘘。真実を見抜かないと
二輪には適切に安全には乗れ
なくなる。
これが正しい。
硬直載り推進勢力の言と拡散
広報活動を鵜呑みにして洗脳
されてはならない。
私たち国民自身が自分たちや
他者の安全を守るために。
まず心だ。
心正しからざる者、また乗り
も正しからず。
曇った目の鱗は捨て去ろう。
裸の王様は裸なのだ。
正しい乗り方。(白バイ安全
競技全国大会優勝者)
【バイク女子】 免許取得後の
初公道でハプニングと涙の連続
で返納を考えた日
運転はド下手だけど、実直で
真面目さが伝わって来てとて
も好感がもてる。ひたむきだ。
前に向いて進めば、どんどん
上手くなる事だろう。
生まれての初体験。
頑張ったと思う。
会社の上司に「友だちに一緒
に走ってもらえばいいのに」
と言われて、しょぼんと「友
だちいない」と呟いていたが、
乗り人でいい関係の友人でそ
こそこ乗れる人がいると飛躍
的に上達するのだろうけど。
実際にそうやって着実に上達
してきた人を何人も見て来た。
堅実さが一番確実な進化を
掴み取る。
あと、個人的感想だけど、バ
イクって、たとえばスキーや
スノボでバンバン斜面を行け
るような人でないと結構難し
いものあるのではないかなぁ。
ちゃっちゃと身のこなしをす
るというような。
それと、速度と旋回を怖がら
ない資質というか体質という
か・・・。
怖がる人は自転車で10km/h出
そうが叫んで怖がるけど、そ
ういう系統の人はオートバイ
の運転は危ないからしないほ
うがいいように思える。
昔、道場で居合ではなく剣術
の稽古の時間に竹刀で切り返
しをしたのね。
すると、居合ではそこそこで
大会でも優勝するような同期
の奴が、子ども時分には剣道
とかやった事無いらしくて、
切り返しの打ち込みの時に
「うわっ」とか言って目をつ
ぶってすくんだ。
「刀を手に取ったら絶対に目
をつぶるな!逃げるな!」と
俺は思わず怒鳴った。かなり
でかい声で。
その後も、そいつは気を取り
直して構えて受けたが、やは
り実際の打ち込みに対して恐
怖心を抱いているようですく
む。
正直言うと、空気斬りのカタ
をやる居合道には向いていて
も、実際の剣を手にした斬り
合いには向いていない質の人
だと思う。
本当は竹の竹刀ではなく、真
剣での斬り合いなのだから。
でも、真剣刀法である筈の居
合をやっていながら太刀合わ
せの実践ではビビッて目を閉
じてすくむ。居合大会常勝者
が。
こういうのはもう人的資質の
問題なのだと思う。向き不向
きの。
たとえ現代であっても、士が
刀を腰に差したら、そこから
すでに事は始まっている。
実刀である真剣という事だけ
でなく、取り組みと心構えも
真剣でなければならないし、
刀を使った健康体操をやって
いるのではないのだから、常
に斬るか斬られるかが実際に
あると想定しないと居合を武
術としてやる意味など無い。
武道としてさえも意味が無い。
さらにスポーツとしてみても
意味が無い。対敵模擬戦闘
訓練で怖がっていたならば。
極言すれば、剣戟で死する事
などは「そういう事もあるね」
位に思わないと、真剣日本刀
を使った武術などの本筋は研
鑽できない。極める事などは
更に不可能だ。
真剣使用での稽古中の事故は
あってはならないし、絶対に
自分を自分の刀で斬っては
ならないが。
刀で自分を斬るのは本当は切
腹の時だけだ。
竹刀で打ち合うのが怖い人は
当然剣道や剣術には向いてい
ない。
木刀での組太刀をやった時で
もいたものなぁ。怖がる人。
お決まりのカタチ事の振りで
はなく、通常の剣技としての
振りで斬り込みをしたのを受
けた人で。居合では高段者だ。
だが、目をつむり、怖がる。
剣先を軽く合わせたらもう手
がガチガチ。「あなた、これ
ではいくらでも斬り倒される
よ」と感じた。
そうしたものは、もうどうし
ようもなく、ぬぐえないもの
なのかとも思う。
でもね。
剣士でありながら、剣での打
ち込みや斬り込みを怖がって
いたとしたら、これはもう致
命的なんですよね。剣戟戦闘
以前の問題。剣技の技法以前
の問題。
本当の高所恐怖症の人がハシゴ
を3段昇れないのは本当の事だ
が、まさにそれ。
私も高所恐怖症だが、ハシゴや
屋根の上、トラックの上などは
平気だ。小学生の時に小田原城
の石垣を結構な高さまで登って
厳重注意された程だし。
ただ、怖がる人は、いろいろな
ジャンルで怖がる。
それは、速度だったり高さだっ
たり打撃だったりする。
思い出したが、学生の時、後輩
とキャッチボールをした。広島
県出身の奴と。
そしたら、途中でやめた。
「どうした?」と尋ねたら、
「球が速すぎて怖い」と。
「こわいぃい~?なんだそれ」
と思わず言った。
そんなに出してない。
高校時代に野球部だった奴と
交代したら、そいつはニコニコ
しながらキャッチボールして
くれる。
最速で投げてはいない。軟球
を使っていたので、直球を投
げたら球がホップしまくるが。
捕球の手元で浮き上がるよう
に。
軟球は変化球もテニスの軟式
球のように変化させられるの
で面白い。ズドンと落とした
りスライダーでもギュイギュイ
曲がる。直球は全部伸びて浮
く。
「今の球どれ位?」と尋ねたら、
「まあ、120位かな」と言う。
「え~?140台じゃないの?」
と冗談で訊くと「そげん出と
らんばい(笑」と言う。まあ、
ちょい速キャッチボール程度
だ。
でも怖い人は怖いのだろう。
そういう人はバッティングセ
ンターでバッターボックスに
立つ事もできないような気も
した。
120どころか140とか150って
結構な速度だから。
そうした事がオートバイにも
いえる。
怖がる人は、多分だが未来永
劫怖がる。お化けなるものが
怖い人とかも。
私などは幽霊もののけの類に
関しては、人心を惑わす不届
き者め、斬り伏せて成敗して
くれる、という気でいるので
その類に恐怖心等は一切全く
寸毫たりとも存在しない。
身体が委縮すると適正運転が
不可能なので、そうした人は
オートバイの運転には向いて
いないし、死ぬ前に二輪に乗
るのはやめておいたほうがい
いと感じる。
「楽しみたい」ならば、他に
も沢山いろんな事がある筈だ。
ただし、運転そのものはまだ
覚束ないが、走行自体に恐怖
心はなく、ただ下手なだけと
いう人はどんどん乗ればいい。
目的意識的に正しい操作操縦
をする事を実行していけば、
徐々に確実に運転技術は上達
する。箸を持つのと同じだ。
幼児の時には不確かでも、き
ちんと正しい持ち方を心掛け
て日常的に励行すれば、確実
に上手くなる。
下手は上手くなる。今が一番
下手なのだからそれ以上下手
になる事は無い。上昇しかな
い。
だが、上昇するには、正しい
事をきちんと頭で理解して、
それを実行できるように何度
も何度もトライしないと発達
も発育も訪れない。
逆に、心がけなど無視すると
いい大人になっても日本人な
のに箸をまともに使えない人
間になったまま一生を終える。
オートバイも全くそれだ。
この動画の女性は前向きだ。
それは道が拓ける第一条件
だ。
技量はぼちぼちと必ず伸び、
必ず上手くなる。
自分を見つめる事ができる
人だからだ。
良い先輩もいるみたいだし、
着実に伸びるだろう。