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なかなかよか本ですたい。
駅家(うまや)について、学生の時
に社会統制史の中の位置付けとし
てもっと勉強しておけばよかった
と思う。
駅伝のルーツにも繋がる、古代
街道に定距離ごとに置かれた駅
家(うまや)。
そこには馬が16乃至20疋程飼育、
常備されていた。
それは、旅人用ではなく。
全国から労役の為に中央に参集せ
しめられた古代の人民は、すべて
徒歩で移動、野宿、摂食も自弁だ
った。
古代山陽道には、絶対に制度規則
から見てなくてはならない場所に
駅家があった筈なのに、記録から
消されているらしき場所がある。
それは、現在の広島県三原市の
北部エリアにある。古代山陽道沿
い。
そこは、奇しくも、日本最古の
製鉄遺跡が発見された場所だ。
しかし、この謎の駅家については、
地元の一部の教育機関が駅家存在
の推測をしているのみで、日本の
史学の中では、文献史学も考古学
も、メスを入れるアプローチを
していない。
謎が謎を呼ぶ。
ただし、古代駅家のエリアは、
その後の近世統制史上の重要な
地区とも重なる現象を見せており、
なかなか現地探査や調査が困難で
あるという在地的な事情もある。
しかし、古代の古墳周辺エリアに
見られる現象と同じ現象が存在
する事は、古代の階級制度がその
まま何らかの形で近世を通り抜け
て現代まで続く事を意味する。
突然、降って沸いたように人は
土地に集住しないからだ。
そして、そうした土地の地区には、
必ず製鉄と関与した痕跡が見られ
る。
鉄の研究は、古代からの統制史
の研究を抜きにしては成し得ない。
鉄単体を解析したり、炉の火口
の径とかのみを研究しても、それ
では象牙の塔の偏頗な視野狭窄
から脱する事は叶わない。
この書、めちゃくちゃ面白い。
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