ロードの直線部では千鳥走行。
これ、ほんとにやったほうが
いいと思いますよ。
1970年代。
本物の暴走族が首都圏を跋扈
した頃。
暴走族は集会後の走りで、超
接近過密状態で暴走した。
甲州街道や環七を密集デモの
ような車間で激走する。時速
100km/h超でオール信号無視。
検挙されても、信号無視と停
止指示違反の合計4点だけの
時代だ。速度超過は取られな
い。
信号は旗持ちが遮断機のよう
に旗を出して止めていた。
八王子から大井ふ頭までノン
ストップだ。数キロ先まで
ワンチーム600台の二輪四輪
のテールライトが夜の東京の
ロードに続く。
そうした密集集団暴走行為で
走行していた暴走族は不思議
とチーム内接触事故とかは
起こさなかった。
それは一見すると、雑で出鱈目
な無秩序の走行のように見える
が、実は車間を千鳥に取って、
各人が注意しながら大爆走して
いたのがよく判った。
現代の2台以上の集団走行は暴
走行為は厳禁だが、編隊走行で
は直線部では千鳥、コーナーで
は一列になるのが安全確保の大
前提の走行方向かと思う。
そして、そうした事は、各人が
示し合わせなくとも、臨機応変
に千鳥や安全ポジションに自分
を位置させる走行をMCなどの
練度の高い集団はサッとやる。
安全確保のためにおすすめは
互い違いの並びになる千鳥
走行。
コーナーは一直線が安全なの
で千鳥編隊は取らない。
これ、集団走行の原則であり、
鉄則だろう。
1980年代に日本初のバイクデモ
(合法申請)を私たちは開催し
た。
参加した一般ライダー500名の
バイクは数十台のてい団ごとに
区切って明治公園から都内を走
行した。
私は第2てい団の引率を担当し
たが、事前にはてい団のライ
ダーたちに千鳥走行での編隊走
行をと伝えた。学生の時によく
やったデモ指揮とは勝手は違う
が、二輪集団走行は慣れていた。
500台、全車無事故で都内での
史上初のバイクデモ走行は成功
裏に終了した。マスコミでの
報道はかなりの反響だった。
単なる二輪だけの問題ではなく、
日本のモーターリゼーションの
健全な発展を問う私たちの運動
は、二輪の枠を超えて広範な社
会的ムーブメントとなった。私
たちの運動は、ライダー自身の
手で高速道路料金を合法的裁判
闘争で勝ち取った歴史的な足跡
となった。原告数16,000有余名。
私は中央事務局書記長兼編集局
長だった。
1980年代の二輪乗りで二輪高速
道路料金訴訟を知らない人間は
モグリだ。
私はてい団引率では、時々後方
を振り返りながらの引率だった。
そのあたりは、ミラー確認のみ
の白バイ同士の集団走行とは異
なる。(白バイが後方確認をす
るのは車線変更時のみ)