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広島県三原市で、今まで
行った事がない場所に行
ってみた。
初めて見る景色。
遠くにしまなみ海道の因
島(いんのしま)大橋が見
える。
三原市は狭いコンパクト
な街だが、まだ訪れてい
ない場所がかなりある。
ここは、三原市街地の西
端にあたり、室町時代以
前には往還道としてあ
った場所の山すそだ。
った場所の山すそだ。
まだ戦国末期に三原城
ができる前には、今の
三原市街地は海だった為、
尾道方面から西に行くに
は、現三原市中之町から
広島大附属の裏の桜山(山
名氏の山城)の北側を通り
小浦(現西宮)まで出た。
ができる前には、今の
三原市街地は海だった為、
尾道方面から西に行くに
は、現三原市中之町から
広島大附属の裏の桜山(山
名氏の山城)の北側を通り
小浦(現西宮)まで出た。
さらに八坂神社の下を抜
けて船津地蔵に出て、そ
こから対岸の現頼兼(より
かね)の近江堂まで船で渡
った。
頼兼からは大串の谷に入り、
現沼田町に入った。
戦国末期に三原城築城以前
は現在の三原市街地は海で
あったので、現在の市街
地部分を行くには船に乗っ
て小島や岬の山すそまで達
する必要があった。
地部分を行くには船に乗っ
て小島や岬の山すそまで達
する必要があった。
毛利一門小早川氏の城があ
った高山城、新高山城まで
尾道方面から到達するには、
内陸部の山中にある古代山
陽道もしくは海沿いを岬の
山すそを縫いながら進む往
還道を行くしかなかった。
まさに陸の孤島が現在の広
島県三原市だった。
三原の陸路交通の利便性が
やや開かれたのは昭和戦
後の1950年代であり、
昭和30年代にようやく国
道が開通した。
後の1950年代であり、
昭和30年代にようやく国
道が開通した。
三原には小さな城下町が
あったとはいえ、極めて
閉鎖的な土地柄として今
も存在している。何かに
あったとはいえ、極めて
閉鎖的な土地柄として今
も存在している。何かに
つけ、21世紀の現代でも
開明性に乏しい。
開明性に乏しい。
それは、旧古の地形からく
る人々の点在さと、その閉
ざされた地形を利用した中
世戦国武将たちの軍事的
な意図を持たせた集落や町
造りの影響の残滓である事
だろう。
な意図を持たせた集落や町
造りの影響の残滓である事
だろう。
中世軍事統治が人心に及ぼ
したものが如何に強大で骨
の髄まで浸透したものだっ
たかが如実に分かる。
また、中世から近代江戸期
における城外農村エリアの
統治の徹底は、幕藩体制が
消滅して百数十年経とうと
も、封建時代の被支配者と
しての精神性が根強く残る
事もあからさまに見て取れ
る。
21世紀にあっても、密告と
吊し上げ。それが今でも地
場の人間は大好きで横行
している。現代的な人権
意識は極めて乏しく、町ぢ
ゅうのそこかしこに人権啓
発の大きな看板が建ってい
るが、住民たちは今でも差
別や集団排斥行為が大好き
だ。
している。現代的な人権
意識は極めて乏しく、町ぢ
ゅうのそこかしこに人権啓
発の大きな看板が建ってい
るが、住民たちは今でも差
別や集団排斥行為が大好き
だ。
これらは開かれた地形と開
明的な近代思想の不在がも
たらしたものであり、それ
を過去の時代の統治者たち
が人為的に人民操作をして
来た治世の結果といえる。
有体に言えば、現代でも前
時代的な監視と密告、排除
(村八分的な)事が横行して
いる土地だ。
これは農村部だけでなく、
市街地においても蔓延して
いる。
差別も排除排斥も無くなら
ない土地。無くならないど
ころか、それらを人間たち
が積極的に温存助長再生産
している土地。
ころか、それらを人間たち
が積極的に温存助長再生産
している土地。
東京都心部や都会近郊の郊
外の新興住宅街のような開
明性は無い。
外の新興住宅街のような開
明性は無い。
それを社会的にには「古き
良き時代」とはいえない。
地方の入り組んだ奥まった
土地では、全国的にそうし
た旧態然とした因習や発想
が現代でも根強く残ってい
る。
そのような悪しき流れを指
摘すると「地元ディスり」
とか「地元レイシスト」と
か本気で言う感覚の人間だ
らけなのだから、この先も
明るい未来は無いだろう。
悪しきを自ら断ち、開かれ
た未来を自分らで作ろうと
する心根が皆無なのだから。
そら、県外への転住者増加
に歯止めも利かない筈だ。
ちょっとした地方的社会問
題となっているが。
住みにくい、こんなとこに
は住みたくない、という人
たちや、よその素晴らしさ
を知った人たちは、それは
どんどんと地場から出て行
くのはごく自然の流れだろ
う。
客観的正否を自覚しない手
前味噌のみの歪んだ郷土
愛では自主的な浄化は望
めない。
愛では自主的な浄化は望
めない。
これは全国的にどこであっ
てもそうだろう。