新年おめでとうございます。
今年は私の干支、卯(兎)の年。
兎どしは、飛躍のとしとか、よく言われますが、私が兎どしであるだけに、
余計自重しなければならない年と思っております。
それは何故かと申しますと過去からの経験から
運よく調子の良い時は丁度兎が山をかけ足で登るのが得意で上手なように
何事もとんとん拍子にうなく事を運ぶのですが、一つ調子が狂って、
うまくゆかないようになった時、丁度兎が山から下る時、前足が後ろ足より大変短いので、
下りは不得手なように、精神的に落ち目になった時の何糞(なにくそ)という頑張りがなく、
すぐ悲観して、花の萎れたように消極的になるのが何よりの兎どしの生れの欠点と自覚しております。
ので最悪の時、己れに勝の心構えを忘れずにこの一年精進してゆきたいと思っております。
以上年頭のご挨拶を致しまして本年も亦折りにふれて書いて参ります。
○№5に剣道は国民の道である。という項に三種の神器のことを書いたが、もう少し補足しておきたい。
三種の神器は武術としては鏡は心。玉は気。剣は力とも考察され、古来から良将の資格として
智に勇(鏡玉、剣)に相当すると古書に書かれてある。
これを更に言うなれば、勇は武により、智は文によるので、
この文武両道の中には人間五常の道、即ち仁、義、礼、智、信が備わらなければならない。
この道の備わったものを武徳と言うと書かれてある。
徳とは修養によって身に備わった品性であり、善や正義を貫く人格的能力を言うのである。
○体当たりについて。
体当たりの目的は精神的には、あらゆるものにぶつかって行く負けじ魂を養ってゆく、
肉体的には足、腰を錬るために行うものである。
体当たりにゆく者も、受ける者も共に、この体当たりで心気力一致を養わなければならない。
体当たりの要領は全剣連発行の幼少年剣道指導要領「改訂版」
(昭60,11,11初版)の第十節体当りの項で説明されているが、
もう少し具体的に幼少年に対する体当り方法を説明しておきたい。
先ず第一に大人と少年の体当り方法並びに受け方は違うという事である。
その少年の体当りについて、私の道場では次のようにやらせている。
先ず正面を打つ時、一歩前へ攻めて打つ、
次に両腕を両脇にかかえお互いに竹刀の柄を×のように柄の中心につけ
足腰に力を入れて押すのであるが、
その時、少年の腰と腹の力が元太刀の柄に伝わる度合いを感じとり、
少し受け入れてやり、その力が入ったまま、体勢をくずすことなく後へ下がり、
腰に力が入ったまま再び攻めて正面打ちをし、体当りを行い、これを繰り返すのである。
このように体当りを受け、押し返してやることによって、少年をして何ものにも恐れず、
ぶつかってゆく勇気を肉体的には腹腰から尻べた太ももに及ぼして筋肉が発達するのである。
この体当りによって、稽古の時、腰に力が入り、大きく構えられる。
それを知らず、少年以上の馬鹿力で押し返し、少年をひっくり返して
「さあ。しっかりこい」とよろこんでいる者があるが、
これは体当りの目的を知らない者で指導者としては失格である。
正面を打つなり、そのまま体ごとぶつかる大人のやり方をやらぬよう心掛けること。
大正四年に発行された高野佐三郎先生の「剣道」の135ページに体当りがあるが、
昔は命がけで、これでよかったが、今、少年にこれをやるべきではない。
この項終り