稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

剣士、山本勝士逝く(2019年1月8日)

2019年01月09日 | つれづれ


奥様からのハガキで亡くなったことを知った。
すぐに電話してお話させていただいた。

95才まで生きるんだと言ってたが、11月に肺炎を患ったこと、
肺炎は治まったが老衰が進み、最後は眠るように亡くなったこと、
あと1週間で89才の誕生日だったこと、武道が好きで、
若い頃からあれこれかじったが、結局、戸山流のみ続いて範士八段を戴いたこと、
ホワードの皆さんには本当にお世話になったこと、
我がままでお節介やきで、迷惑をかけたんじゃないか・・・などなど。

迷惑なんてトンでも無い。
山本さんにはよく励まされた。
2回、ご自宅に泊めていただいたこともある。

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神奈川県は横須賀市武にレディスショップヤマモトという衣料品店があった。
ホワード東京本社勤務時代のお客様で店主が山本勝士氏である。
若い頃は岡山で八百屋を営んでいたと聞いている。

接客の中で、武道の話になり、山本勝士氏が戸山流居合道をされていたのがわかり、
それから親しくお付き合いさせていただいてきたのだ。
数えてみたら30年ほどの付き合いとなっている。

20年前に私が大阪に戻ってきてからも時々電話を戴いた。
「お~い!まこっちゃん!元気にしとるかぁ?」と岡山なまりの大きな声で、
仕事の話、武道の話など、何かにつけ激励していただいたものだ。

30代、40代の私は、慢性的な焦燥感と、どうしようも無い絶望感の中で、
今思い出しても、恥ずかしいほどの勘違いや間違いばかりをしていたように思う。
仕事も思うようにならず、人を傷つけ自分も傷ついて暮らしてきた。

そんな中で、剣道を続けてきた事だけが背骨のように自分を支えてきた。
山本勝士氏は、そんな私の悩みも理解してくれて、逗子の徳富太三郎先生
(関東戸山流居合道会)の徳富道場へ連れていってくれたのだ。
私の日本刀の所作、試し切りの技はここで習い憶えたものである。

私の愛刀の一振りも山本さんから譲り受けたもので、
いかにも斬れそうな切っ先鋭いキレイな刀だ。

ほんとうに公私ともにお世話になった。
今夜は山本さんに献杯をし思い出を偲びたい。
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