稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

ラインのおかげで昔の写真が手に入った!(2019年1月7日)

2019年01月08日 | つれづれ
なんば養正会の初稽古に行こうと準備していたら、
メールで出荷についての問い合わせが入った。
返事を急ぐようなので返信していたら遅くなって稽古は断念。

仕方が無いので腰を落着け、古い手紙など整理していた。
昭和49年6月の友人達3人からの手紙があり、一様に夏休みの旅行の話が書いてある。
昭和49年は1974年だから45年前である。ほぼ半世紀も前だ。

九州旅行には行ったが船で行った記憶は無い。
おかしいと思ってラインを使って問い合わせてみた。
生駒高校の修学旅行の班(7組1班の7名+1名)は今も付き合いがある。
昨年よりラインで繋がっている。


(3人のうち1人から来た手紙に書いてあった計画)

「船で行ったと書いてあるけど船の記憶が無いんやけど」と書いたら、
即座に「列車で行って列車で帰ってきた」との返事が来た。

そこから話がはずんで、お互いの記憶のズレなどに感嘆しながら小一時間が過ぎ、
「ところで写真残って無いんやけど、誰か持ってない?」と聞いたら、
「ちょっと待ってて」と探してきたらしくラインで送ってきた。

おかげで45年前の記憶が甦ってきた。
行ってないと思い込んでいた熊本城も行っていたことがわかった。
ラインのおかげだ。メールではこういう情報の共有は難しい。ラインに感謝。


(熊本の市電)


(谷干城の銅像の前で)


(熊本城)


(煙草の火を分け合う)


(お城の井戸を覗き込む)


(市電を待っているところ)

確か、計画とは違い、宮崎まで夜行列車で行き、
宮崎駅からバスで青島のキャンプ場へ行き2泊して、
宮崎から阿蘇へバスで行こうとしたら通行止めで熊本に変更し、
熊本駅の待合室で1泊して翌日はキャンプ、
最終日は朝から1日かかって列車で大阪まで帰ってきたはず。
当時は大雑把な計画で、あとは現地で考えようという旅だった。

情報も少ない時代だ。
時刻表と学校で使っていた日本地図だけが頼りで、
その分、想像力も逞しく、行動も大胆になっていたと思う。

お金は無いが元気だけはあった。
テントと炊飯道具を持っての貧乏旅行。焚き火で米を炊いた。
宮崎のキャンプ場では海岸の小さな貝を味噌汁の具にしたり、
焚き火の火種が無いのでコーラの木製通い箱を燃やして叱られたり・・

今から考えたらかなり無茶な旅行だったが楽しい思い出である。
何よりも、その頃の仲間といまだに付き合って昔話が出来るのが嬉しい。
コメント
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