喪中だが集まろうと声がかかり急きょ実家に集合した。
実家は自宅から800m南になる。次兄(粕井隆)が継いで守っている。
昼過ぎに行き、両親の仏前に参ってから宴となる。
喪中なのでお祝いの言葉は述べない。
今年もよろしく、乾杯ではなく献杯。
お開きは午後10時だから実に10時間近くだらだらと酒を飲んでいた。
休むことなく飲み続けるのが扇田(母の実家)の流儀である。
親戚が入れ替わり立ち替わり来て宴に参加する。
祝いの言葉こそ無いが例年と変わらない正月の風景だった。
(親戚が次から次へと離れの仏壇にお参りする)
(甥の一家が帰ると言うので集合写真を撮る)
(母方の祖父、扇田善次郎の遺品のシルクハット)
(ちょいと拝借して被らせてもらった)
(父、粕井貫次66才の時の写真、雑誌のインタビュー記事「うちのヨメ讃」より)
(週刊朝日、1990年2月3日号「うちのヨメ賛」の記事)
(お開きの前にも集合写真、例年よりも人数は少ない)
実家は自宅から800m南になる。次兄(粕井隆)が継いで守っている。
昼過ぎに行き、両親の仏前に参ってから宴となる。
喪中なのでお祝いの言葉は述べない。
今年もよろしく、乾杯ではなく献杯。
お開きは午後10時だから実に10時間近くだらだらと酒を飲んでいた。
休むことなく飲み続けるのが扇田(母の実家)の流儀である。
親戚が入れ替わり立ち替わり来て宴に参加する。
祝いの言葉こそ無いが例年と変わらない正月の風景だった。
(親戚が次から次へと離れの仏壇にお参りする)
(甥の一家が帰ると言うので集合写真を撮る)
(母方の祖父、扇田善次郎の遺品のシルクハット)
(ちょいと拝借して被らせてもらった)
(父、粕井貫次66才の時の写真、雑誌のインタビュー記事「うちのヨメ讃」より)
(週刊朝日、1990年2月3日号「うちのヨメ賛」の記事)
(お開きの前にも集合写真、例年よりも人数は少ない)