考えてしまい、これ等のものを与えることに力を入れて、
これでいいのだ、と満足している方があるが。
勿論こういった楽しい物を貰った子供は一応よろこぶかも知れないが、
実は子供が一番欲しいと思い、心の底から願っているのは、
お父さんやお母さんの笑顔とか愛情のこもった言葉とか、
温かく力強い抱きしめとか、愛撫などといったものなのである。
このように子供は、そばにいる人間、特に父親、母親とかいう自分が一番愛し、
信頼している人間から認められる、愛される、信頼される、喜ばれる、
といった形の触れ方をされることを常に待ち望んでいる者であって、
そのようにされた時、最大の楽しさ、うれしさ、満足、自信、安心などが、
子供の中にできるものであると言える。子供はこうして母親の温かい笑顔や、
愛のある言葉によって、お母さんは自分を愛していてくれると安心し、
ではあのことをやってみようなどとつぎにやる気を大きくして、
活発に行動し始めるものである。
○やる気の座は皮膚にある。ということ。
人のやる気、子供のやる気の源泉は、子供をとりまく人々、とりわけ子供にとって
身近な親から認める、信じる、共感するという触れ方をされて心が満たされるのであるが、
その形は親の笑顔、愛ある言葉、力強い抱きしめであると前述したが、
中でも強い効力のあるものは力強い抱きしめである。
五官と言って、目、耳、鼻、舌、皮膚の中で皮膚ほど大切なものはなく、
皮膚ほど人間のやる気とかかわりのある道具は他にない。と言っても過言ではない。
故に皮膚接触が少ないとか、下手だと、子供は村八分にされたのと同じ心の状態となり、
その不満、不安、恐れのために、子供の情緒は乱れ、感情はいつもイライラと波騒ぎ、
やる気はなくなり、物は覚えないし、覚えた知識も技術も正常に使えなくなってしまうのである。
○心の栄養の第一は母親の抱きしめにあり。
目海先生が多くの子供達に行われた抱きしめの実験では、一秒でどうか、二秒でどうか、
五秒では、十秒ではどう満足するかとをやって見られたが、
五秒ぐらいまでだと全員が不満足だったようで“もっと抱いて欲しい”という顔色で、
それを越えて六秒、七秒、抱きしめていると、心ではほぼ満足しているが、
痛く苦しいものだから“痛い、放して”と手足をバタバタし始める。
そのとき、こちらがパッと離してやると、まだ少しだけ不満足そうな様子をする。
“言ったからと言って、すぐ離さなくてもよいのに”といったうらめしそうな顔色である。
子供が“放して”と言っても、聞こえないふりをして、もう一杯ぐらい抱いて、
合計8秒ぐらいしてから離してやると、どの子もみんな、まず自分で立っておれなくなる程、
体から力が抜け、満足しきった顔色でグズグズと座り込むほどになった。ほどになったと。
次に抱く回数による子供の様子をみると、一日に二度も三度も、強く抱きしめてやると、
子供に甘えが出てくるから、親子の場合、一日に一度が限度であることがわかったし、
こんな抱きしめを毎日続けると、だんだん慣れてしまって感激しなくなってしまうから、
必ず二~三日抱いたら、二、三日抱かない日をおくということも必要である。
○心の栄養の第二は母親の言葉かけ。
胎児はお母さんの胎内で、すでに母の声を聞き覚えているのである。
乳児の心を安定させ、その安心から“やる気”を大きくさせる第二の力うぃ持つものは、
そのお母さんの声、言葉かけなのである。
子供は母親の話しかけが何んの意味か判らず又、自分から母に話かけることは出来が、
やさしい母の接し方、言葉かけが、自分に好意を持っていてくれることだけは
確実に判断しているものである。
○心の栄養の第三は母親の笑顔である。これは多くを語らずとも判る筈。
○子供の好奇心は、やる気のあらわれである。
○子供の冒険心は、やる気のあらわれである。
○成功体験が又、やる気を増幅する。
以上、良い意味の心すべきところである。
間違ったやり方のやる気作りは子供を駄目にする。その例をあげる。
◎困ったやる気作り
○物を与えすぎ
○金品で釣りすぎ
○与えるのは最後という考えは危険
○便利にしすぎる
○手助けが多すぎる
○口助けが多すぎる
○教えるのは親の役目と思うのは危険
○形ばかりを整えようとする
○早さばかりを求めている
○多くを求めている
○考える時を奪っている
○自由さを奪っている
○口小言が多すぎる
○叱り方が間違っている
○ほめ方が間違っている
等々、心すべきなり。