稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

長正館定例剣道稽古(2019年2月13日)

2019年02月14日 | 剣道・剣術
大阪市東住吉区の矢田中学校の体育館で毎週水曜日19時半から。
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時間前にS口二段と久々に剣道形稽古。
最終参加は9名、うち七段3名。
終了は21時を少し回ってしまった。


(準備運動と素振り)


(K野三段とH尾二段)


(H井七段とS口二段)


(I口初段とH井七段)


(同じく)


(K野三段とS口二段)


(稽古終了、面取れ~!)


(証書伝達式)


(口頭指導)


【感想・反省点】

稽古の前にI口初段へ、一足一刀とは?攻め入るとは?などなど説明する。
大人になってから剣道を始めたのなら、ただひたすら打ち込むばかりではなく、
稽古の中で、遠間、触刃の間、交刃の間、一足一刀の間を意識して欲しい。

彼とは意識を変えて、あえて剣術的な剣道をしてみた。
やや身体を低くし正眼に構え、撞木足の歩み足で慎重に入って打ち、そして返す。
自分自身がいずれ年を取って(剣道風に)打ち込めなくなったのなら、
習い覚えた一刀流の動きや技を取り入れた独自の剣風を作ってみたい。

稽古のあとに、鍔越えの小手打ちが得意なH尾君に、
「けん制や嫌がらせにはなるが有効打突にはならない」と説明。

木刀で剣術稽古をするとわかるが鍔があると上からの小手は打てない。
竹刀の場合は、竹刀のしなりで当たるが、当たっても剣の理法では無い。

刀の鍔というものは、小さいながら非常に実用的だと思う。
もしこれが無ければ怖くて実戦で戦うことは難しくなるだろう。

剣術諸派の中には鍔無しの木刀や竹刀で稽古する流派もある。
体術としての稽古ならわかるが、日本刀には本来鍔があるのが当たり前である。
鍔があるなら鍔を意識した剣術稽古が当たり前であろうと思うのだがおかしいだろうか。

ちなみに余談だが、日本刀を用いた実戦で、お互いに同時に真正面から斬り込むと、
鍔と鍔とがぶつかってお互いの頭上の上で日本刀は止まってしまう。
剣道の相面的なものは実戦の場では精神的にも物理的にも生じないと思う次第。
となると「一刀流の切り落としはどう遣うの?」という疑問も生まれてくる。
しかしこれは内緒としたい。
コメント
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