稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

長正館定例剣道稽古(2019年2月6日)

2019年02月07日 | 剣道・剣術
大阪市東住吉区の矢田中学校の体育館で毎週水曜日19時半から。
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【長正館練習生募集中】
初心者、元経験者、有段者を問わず募集中。
レベルに応じて個別指導を行います。
詳しくは長正館ホームページまで。
http://www.doujyo.net/choseikan/
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大阪市東住吉区の矢田中学校の体育館で19時半から。
最終参加は13名。七段4名、六段1名、五段3名、他で盛り上がった。
やはり人数が多いほうが稽古は面白い。終了は21時。


(いつも通り稽古前の剣道形稽古)


(準備運動)


(素振り)


(切返しと基本稽古)


(地稽古はたっぷり1時間)


(井上館長に指導して貰うTちゃん)


(稽古終了)


(七段先生に礼と口頭指導)


(同じく)


【感想・反省点】

残念なことに、休みがちのT君がお父さんと挨拶に来た。
剣道を辞めたいと言う。他にやりたい武道があると言う。
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武道は何のためにすると思う?
強くなるというのは何に対して強くなるということなの?
大切なのは「自分に勝つ」ということ。
休みたいとか行きたくないとかという気持ちは誰でも起こる。
でもそういう後ろ向きの気持ちを乗り越えて稽古に行くことが大切なことなんですよ。
まずは自分自身に負けてはならない。これはどんな武道でも同じです。
筋は良いので、もしまた剣道に戻りたいならいつでも戻って来なさい・・という話をした。
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私もT君と同じ頃に剣道を始めた。
従兄弟が始めると言うので何となくお供として入門した。
そして家からバスと電車を乗り継いで1時間ほどかかる道場へは、
やがて何だかんだと言い訳をしては行かなくなってしまった。

もしあの時、剣道を続けていたなら私の思春期の精神的な低迷は来なかったと思う。
もしかしたら自分の魂の根源にある「怠けぐせ」も生まれなかったのかも知れない。
武道をするなら、何か見えてくるまで、ともかく休まず続けて欲しい。
「克己(コッキ)」こそが武道修行の一番の目的だと思うのだ。

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さて稽古。

先輩のベテラン七段が二人も来られたので稽古させていただいた。
後で・・・などと思うと、まず稽古出来ないので最初からS伯先生に並んだ。
S伯先生は、私が五段の時から鍛えていただいた先生だ。

当時は面をガンガン打ち込まれたという記憶がある。
勇んで攻め入り、初太刀を打ち込んだら妙に曲がってしまった。
左肘のテニス肘が痛んでいるせいだと気がついたが仕方が無い。
テニス肘バンドを忘れてきたせいもあるかも知れない。
全体としては、不本意な剣道だが、一方的に打たれるようなことは無くなった。

同じくベテランのH井先生。
いやはや、本当にやり難い。まず打たせてくれない。
防がれたと思ったら左右から打ちが飛んでくる。乱戦である。
またもや不本意な剣道になってしまった。悩みは増える。

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木曜会で習った攻めや誘いがベテラン七段にまったく通用しないのは、
まずは気構え身構えの部分が不充分であるのと、
打てる時に打てる技術がまだまだ足りないせいであると思う。
捌けるが返せないという場面もいくつもあったし、
攻めて打っているつもりでも余裕で返される場面もあった。

いやはや剣道は面白いものだ。まさに克己(コッキ)である。
きょうの自分より明日はもっと良い剣道を目指したいと思う。
コメント
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