く~にゃん雑記帳

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<丸亀城> 石垣の名城 現存木造天守としては最小

2019年09月22日 | 旅・想い出写真館

【見返り坂、扇の勾配、悲しい伝説の二の丸井戸……】

 全国に12カ所しかない木造天守のうち4つが四国に現存する。松山城、宇和島城、高知城、そしてこの丸亀城(別名亀山城・蓬莱城)。現存12天守はいずれも国宝または国の重要文化財に指定されている。重文の丸亀城は高さが約15mで、12天守の中では最も小さい。ただ山全体を高い石垣で強固に堅め亀山(標高66m)山頂に築かれた城は美しい〝石垣の名城〟として広く知られる。

 北側の大手門をくぐって天守に向かうと、まず迎えてくれるのが長くて急な坂道。途中で右に曲がると勾配はますますきつくなる。あまりに急なため登ってきた道をつい振り返ってしまうため「見返り坂」と名付けられた。登っていた若い女性も「急すぎでしょ、この坂」とぼやいていた。三の丸に至るその坂の右手には高さが20mを超える城壁がそびえる。美しい曲線を描いた算木積みの石垣は「扇の勾配」と呼ばれている。

 

 天守は入母屋造り、本瓦葺きの三層三階建て。壁面は白漆喰の総塗籠で、唐破風や千鳥破風などの意匠を凝らす。そばで見上げると小ぶりながら毅然とした風格と佇まい、均整のとれた美しさについ見とれてしまった。昭和の解体修理のとき見つかった板札から、天守の完成は万治3年(1660年)とみられる。四国の現存4天守の中では最も古い。天守からの眺めも素晴らしい。眼下の丸亀の市街地の向こうに〝讃岐富士〟といわれる飯野山や瀬戸大橋などをくっきりと望むことができた。

  

 丸亀城には築城にまつわる悲しい伝説が残っている。その一つが石垣を築いた〝裸重三〟こと羽坂重三郎にまつわる二の丸井戸伝説。殿様が石垣を前に「これでは空飛ぶ鳥以外に城壁を乗り越えるものはあるまい」と絶賛する。これに重三郎は「尺あまりの鉄棒を下されば容易に登れます」と言って目の前ですいすいと登ってしまった。殿様は重三郎が外敵に通じることを恐れ、重三郎が二の丸の井戸(絵図によると深さ約65m)に入っている間に石を落とし殺してしまった――。時の城主は生駒親正とも山崎家治ともいわれている。豆腐売りの人柱伝説もある。城の人柱として捕えられ生き埋めにされた豆腐売りの怨霊が雨の降る夜毎「トーフトーフ」と泣き続けたという。

 

 丸亀城では最近のインスタ映えブームを反映してか、「幸運のハート石」も注目を集めている。その石があるのは大手二の門の真正面の石垣の中。そばに「幸運のハート石 これを触ると良縁のご利益があるとか」と日本語と英語と中国語で書いた案内板が立っていた。ただハート石というほど上側がくぼんでいなくて少々こじつけっぽい感じもしないでもなかったけど……。

 

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