く~にゃん雑記帳

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<香川・引田> 往時の繁栄を偲ばせる町並み

2019年09月25日 | 旅・想い出写真館

【織豊時代の石垣が残る引田城、「続日本100名城」にも】

 香川県の東の端に位置する東かがわ市引田(ひけた)。古くから播磨灘に面した天然の良港として知られ、高松と徳島を結ぶ国道11号が南北に貫く。交通の要衝として中世には引田城の城下町として栄え、廃城後も回船業や漁業、醤油や砂糖の製造などで栄えた。旧阿波街道沿いを中心に今も往時の繁栄を偲ばせる豪商の屋敷跡などが点在している。

 とりわけ目を引くのがなまこ壁とベンガラの赤壁が印象的な「かめびし屋(岡田家)」。1753年創業の老舗の醤油醸造元で、店舗や蔵など18棟が国の登録有形文化財になっている。醤油の製法は国内唯一という〝筵麹(むしろこうじ)法〟による長期熟成。店内では醤油の販売のほか、飲食メニューとしてうどんやピザなども提供している。

 

 そばの御幸橋を渡って誉田(ほんだ)八幡宮に向かう途中、右手になんとも不思議な円形の石を積み重ねた石垣があった。この丸い石、サトウキビを搾るために使った石臼という。引田はかつて「和三盆糖」と呼ばれる高級砂糖の原料、サトウキビの一大産地だった。讃岐和三盆は地元の伝統産業として今も守り続けられている。観光客向けに〝和三盆型抜き体験〟を行っているのが観光交流拠点の「讃州井筒屋敷」。この施設は江戸時代~昭和末期に井筒屋として醤油と清酒の醸造業を営んだ豪商佐野家の屋敷で、合併前の旧引田町が買収し2005年にリニューアルオープンした。

 

  引田にはほかにも往時の佇まいを残す屋敷が少なくない。日下家は江戸初期から明治初期まで続いた大庄屋で、旧家の岡田家、佐野家とともに引田御三家と呼ばれた。長崎家は江戸後期に創業した回船業者、松村家は魚の卸商や薬種商などを営んだ。旧引田郵便局は昭和初期建築のレトロな洋風建築で、今は喫茶店として営業している。これらも国の有形登録文化財。

 

 引田城跡は引田港を挟んで町の北側に位置する城山(標高82m)にある。築城時期は不明だが、戦国時代には阿波三好氏との間で攻防が繰り広げられ城主も何度か入れ替わった。1587年に播州赤穂から入城したのが豊臣秀吉の家臣生駒親正(1526~1603)。ただ讃岐国を治めるには地理的に東に偏りすぎとして程なく宇多津、高松に移った。城は一国一城令で1615年に廃城となるが、生駒氏が築いた石垣や曲輪などは今も残る。2年前の2017年には日本城郭協会により「続日本100名城」に選ばれた。

 

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