私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

七月七日長生殿

2016-01-19 10:18:22 | 日記

 再び、楊貴妃の声は、哀愁を帯びて消え入りそうになり、じっと天上ではありません、足元から遠く地上を見遣りて、それでも何かその声には、最初の声とは違って、幾分楽しげな様子さえ浮かべた特別な聖なる声に変わります。

 さて、この声はどのようだったのかは、読む人の想像でしか分かりません???

  その詞は
  
  七月七日長生殿、夜半無人私語時
  
 まだ、玄宗と楊貴妃の、宮中での、二人だけの甘い生活が続けられていた天宝十年です。“仙楽風飄処々聞<仙楽は風に飄よって処々に聞こゆ” の時です。
 夜もまだ半ばが過ぎた頃です。霓裳羽衣の緩やかな曲が辺りにゆっくり流れております。宮殿の中は、二人だけの静寂の世界が広がっております。二人はお互いにこれからの世界について話します。

 私の「古文前集」には、この “私語時”の補足として「大宝十歳明方、玄宗は楊妃の肩に寄りかって。天の川を仰ぎながら、牛女の事を思って、密かに誓うのでした。「必ず、どんなことがあっても永遠に夫婦でいような。」と 。 それが次に書かれている十四文字の詞です。   

  “在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝”
                   <天に在りては願わくば比翼の鳥作らん。地に在りては願わくば連理の枝為らん>

 なおこの部分を、幸次郎先生は     
             天に在りては願わくば作らん比翼の鳥  地に在りては願くば為らん連理の枝 

 としています。どう思われますか???     
 
            

   
                            


「両心知」どう読めばいいのでしょうか

2016-01-18 19:51:08 | 日記

 12月の初めから書き始めましたこの「長恨歌」も、ほんのの2,3日でと思っていたのですが、いらい「えろう なごうなってしもうて」ようやくその終わりが見えて来ました。

 さて、楊貴妃がその方士に言ったとばかり思っていた「詞」-「重寄詞」-ですが、まあ普通は楊貴妃の言葉だと思うのですが、此の次に、詩人は書いております。

   ”詞中有誓両心知”

     <詞の中に誓えること有り 両<フタツナガラ>の心を知るのみ。>
 と、「古文前集」にはルビを振ってありますが どうでしょうか??これも、又、どう日本語では読めばいいのかよく分かりません。お教えいただければ幸いです。「両心を知るのみ」と書いている解説書もありますが。
 
 ちなみに、幸次郎先生は『両<フタ>りの心のみ知る』 としております。

 

 次が、あの誰もが知っている「七月七日長生殿」です。


「両心知」どう読めばいいのでしょうか

2016-01-18 19:51:08 | 日記

 12月の初めから書き始めましたこの「長恨歌」も、ほんのの2,3日でと思っていたのですが、いらい「えろう なごうなってしもうて」ようやくその終わりが見えて来ました。

 さて、楊貴妃がその方士に言ったとばかり思っていた「詞」-「重寄詞」-ですが、まあ普通は楊貴妃の言葉だと思うのですが、此の次に、詩人は書いております。

   ”詞中有誓両心知”

     <詞の中に誓えること有り 両<フタツナガラ>の心を知るのみ。>
 と、「古文前集」にはルビを振ってありますが どうでしょうか??これも、又、どう日本語では読めばいいのかよく分かりません。お教えいただければ幸いです。「両心を知るのみ」と書いている解説書もありますが。
 
 ちなみに、幸次郎先生は『両<フタ>りの心のみ知る』 としております。

 

 次が、あの誰もが知っている「七月七日長生殿」です。


「重寄詞」は誰が言ったか?。当然、楊貴妃ですよね。

2016-01-17 20:20:10 | 日記

 天上人間会相見 <天上 人間 会<カナラ〉ず相い見ん>

 人間はどう読めばよいのでしょうか?? <ジンカン>でしょうか<ニンゲン>でしょうか。

 この詩に続いて詩人は

     “臨別殷勤重寄詞”   <別れに臨んで殷勤に重ねて詞を寄す>

 さて、此の言葉は「方士が言ったのでしょうか、それとも楊貴妃が言ったのでしょうか。私は、当然、楊貴妃が言ったのではないかと思っていたのですが、岩波新書の「新唐詩選続編」には、人界から送られてきた「方士}が言ったように説明がなされています。あの吉川幸次郎先生がです。どうお思いでしょうか。

その理由として。先生は
 「-おことば、たしかに承りました。また2つのおん品、たしかにお預かりいたしました。しかしそれだけでは、陛下はお疑いになるかもしれません。何かもし、陛下とあなたさまだけの間の秘密のお言葉、そのようなものがございましたら、おそれながら、おもらしをねがいます。わたくしは、それを証拠として、陛下に復命いたしましょう。」

 と。どうでしょうか。吉川先生独自の解釈ですが???    


天界での楊貴妃の思い

2016-01-16 10:22:27 | 日記

 “寄将去”

 「寄せ持ち去らしむ」と、普通なら読むのだと思いますが、あの幸次郎先生は、敢て、この部分を「寄<さず>け将<モ>ち去<ユ>かしむ」と読んでいます。それの方がよりその意味がはっきりすします。さすがです。

 さて、楊貴妃が毎日のように側に於いて、かっての自分と玄宗との昭陽殿での甘い生活の思い出の糧にしていた「鈿合」と「金釵」を地上に持ち帰ってもらうのです。すると、その思い出の二人の深情を表す旧物です。全部というわけにはいきません。そこで、楊貴妃は臨卭の方士に言います。

       ”釵留一股合一扇”   <釵は一股を留め 合は一扉>

   私の持っている「釵」をどうぞ
         

  「釵は二つに分けて、その一本を、また、螺鈿の箱はその扇(扉)を両方に分け、その一つをお互いに持っておりましょう」
 と言って、

       ”釵擘黄金合分鈿”   <釵は黄金を擘き、合は鈿を分つ>

 「黄金の釵は2つに裂き 螺鈿の箱は二つに分けるのです」
  と、片方を方士に渡し、もう一つを自分が持ちます。そうして、更に、言います。
 この時言った言葉には、つい先程の弱々しい哀愁に満ちた言葉ではありません。むしろ、力強く、将来が待ちうけいれられるが如くに堂々と言い放ちます。その言葉とし、を白居易は

       “但教心似金鈿堅”    <但だ心をて 金と鈿の堅さに似せしめば>  
                     もし二人の心がこの金や螺鈿のように堅いものであるならば、
          ”天上人間會相見” 
                     天に居ろうと地に居ろうと、何時の日にか、必ず、お会いすることが出来るでしょう。
                       (「会」は、この場合、「必ず、きっと」という意味です)

 この言葉が、後に出る「比翼の鳥や連理の枝」に繋がって行きますが、その伏線として、詩人は此処にそれを使っているのです。それはまた。