私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

さて、またまた、反れ道へ。「三毬打」と小正月

2016-01-15 09:42:21 | 日記

 楊貴妃のその後も気になるのですが、今日は1月15日です。「一月十五日」と言っても、「それ何???」と、連れない返事しか返ってこない世の中になってしまいました。そこで、この日、[正月一五日]の日本古来からの伝統になっている行事について、すでに、死語化しつつあるのでが、「今、ここで言わなくては・・・」という気にもなりまして、少々説明していきたいと思います。
 随って、楊貴妃は明日にでも。
 
 さて、「一月十四日」(十四日年越し)ですが、この日に、門口や神棚などに飾り付けていたお正月のお飾りを下げておき、それを、今日15日に、野原などで、大勢の家から持ち寄ったあ飾りを焼きます。俗に言う「とんど」のことです。
 正月には、天にあらせられる「歳神様」を自分の家に招くために門松を立て、神棚にお飾りと付けて、神様を迎えして、一年の我が家の安寧を祈願します。それが「お正月」なのです。その神様も、「十五日」には、再び、「とんど」の煙に乗られて、天へお帰りになります。その道しるべと成るのが「とんど」の煙なのです。何時ごろからこのような行事が行われてきたかはその起源は分からないのですが、あの「徒然草」の中で、「とんど」の起源ではないかと思われることについて、西行も書いております。

 ”さぎちやうは、正月に打ちたる毬杖を、真言院より神泉苑へ出して、焼きあぐるなり・・・・・”と
 文化年間の「徒連\ /草 絵入り」本より(第182段)
    

                        

 毬杖<ギチョウ>とは、今のゴルフのクラブと同じような槌で、それを使って木製の球を打って遊ぶ平安貴族の遊びした。1年間に使ったその槌を「正月十五日」に焼いたのが「さきちょう」だと、西行はこの「徒然草」で説明しています。その行事を「三毬打」、又は、「左義長」と書いて<サギテウ>と読ましておりました。
 そんな宮中で行われていた行事が、何時の間にやら、民間にも広まって、あの「歳神様」信仰と一緒になって、今日に行われている「とんど焼き」になったのだそうです。

 なお、十五日を、また、「小正月<コショウガツ>」とも呼んでおります。旧暦では十五日は満月です。その年の初めての満月もお祝いするという意味で、年の初めの「一月一日から三日」までの正月を「大正月」として祝い、それに続いての[十五日]1日だけの正月祝いですから、「小正月」と呼んだのだそうです。なお、所によりますと、この「小正月」の代わりに「二十日正月<ハツカショウガツ>」を祝った所もあるようです。

 なお、この「とんど」も、七日に行う所もあるし、二十日に行う所もあり、必ず、十五日に決まっているわけではありませんが、でも、西行の「さぎちやう」から十五日に行う地方が多いのではないかと思われます。

 

念のため。余りその由来についての説明もありません。敢て、ここに書いておきますので、よかったらお読み下さい。ご意見をお寄せいただくと幸いです。


天界の楊貴妃

2016-01-14 09:30:14 | 日記

         “不見長安見塵霧”    <長安は見えず。塵霧を見る>

 と、楊貴妃は悲しげに語らいます。そして、次に、楊貴妃と方仕の間にしばらく沈黙が続きます。やや置いて、楊貴妃が口を開きます。今までのような哀愁を帯びた啜り泣くような細々とした声とは違います。楊貴妃のお側に、常に、置いていたであろう物を取り上げて、再び、意を決した如くに、語り出します。その間の時間はほんのわずかな間、そうです、この間にはほんの一息ぐらいしかなかったと思えますが、詩人は、直ぐに、行間もなしに、次の言葉を平然と並べます。この辺りの巧さにも、もう何十回ともない驚きです。それがこの歌を読む楽しさなのです。

         唯將舊物表深情   <唯<ヒタス>ら舊物を將(も)って深情を表し>

 「旧物」とは、かって、長安の宮殿で、楊貴妃が玄宗から戴いた宝物です。「深情」は数々の玄宗からの温情です。唯だ、「ひたすら」に、この旧物を以って陛下との思い出に生きてまいりました。  
  
        鈿合金釵寄將去  <鈿合 金釵 寄せ將(も)ち去らしめん>

 鈿合は螺鈿の箱、金釵は黄金で出来たかんざしです。
  「これを、是非、陛下にお届けください」
 と、楊貴妃は方士に頼むのです。

 ただし、今、楊貴妃がこの天界での、たった一つの「表深情」、思い出は、此の陛下から戴いた旧物のみです。これがなかったなら、これからの楊貴妃の生活はないも同然です。そこで彼女は考えます。

  ”釵留一股合一扇”
 
 の策です。それはまた明日に???    
        


「不見長安見塵霧」と、陛下恋しさの情が切々と

2016-01-13 11:33:03 | 日記

  此処からが、その仙女としての楊貴妃の言葉です。その声は如何様であったかは分かりませんが、詩人は”含 情凝睇”と書いております。「情を含み」をどのように解釈してよいか分かりませんが、当然、その方士さえ、かって一度たりとも耳にしたことがないような妙なる響きを持った、言葉と云うよりも、音声といった方がこの場合より的確にその言葉を言い表わすのではないかと思います。この辺りの表現にも感心させられるのですが???
 さて、その美しいくちびるからあたかも音楽を聞くかのように 
    
             一別音容兩渺茫    <一別音容 兩つながら渺茫>   
             朝陽殿裏恩愛絕    <朝陽殿の裏に恩愛は絕え>  
             蓬萊宮中日月長    <蓬萊宮中の日月は長し
             回頭下望人寰處    <頭を回らせ 下人寰の處を望めば>
             不見長安見塵霧    <長安を見ずして塵霧を見る>

 と、切々と流れます。此処は、このように日本語で聞くより、中国語は分かりませんが、その響きを聴くことによって、より美しくこの場の状況が我々の耳に伝わってくるのっではないかと思いますが???残念ですが、私は、まだ、一度も中国語での朗読は聞いたことがありません。    
 
 お別れしてから陛下のお声とお姿の『両<フタツナガラ>』は渺茫、遠く彼方に霞んでしまって見ようと思っても見えません。朝陽殿は、かって、楊貴妃が住んでいた宮殿です。そこでうけた陛下の暖かい恩愛は今では夢のようです。そして、今、私が一人でいるこの蓬莱宮の暮らしも随分と長くなってしまいました。
 この『絶』と『長』に込められた楊貴妃の思いは如何様でありましょうか??そこには、必ず、楊貴妃の「睇」から流れ出す涙があるはずです。それなしには、この場は説明がつきません。”春帯雨“の“涙欄干”ですもの。
 そして、いつも、そのような、ため息の中に、此処から下の方、人界を見ているのですが、 陛下のいらっしゃる長安は見えません。そこら辺り一面は立ち込めた霞だけで、他のものは何一つ見ることはできません。 “不見長安” のたった4字で、そのような楊貴妃の心を、これ又、大変うまく表現しております。  


「涙欄干」。その涙は?????

2016-01-12 11:33:03 | 日記

 楊貴妃の眼からは涙がとめどもなく後から後から流れ出ています<涙欄干>。その様子を詩人は次のように歌っております  

         ”梨花一枝春帶雨 <梨花一枝 春の雨を帯ぶ>”   
                    今にもこぼれそうな真っ白い小さな梨の花に、“春帯雨”が。しっとりとした春の雨が降り注いでいるようであったと。

 どうです。たったこの7文字の中に、とんでもないほどうっとりとさせる美人の美しい涙を言い現わしています。「うまい」と、自然に唸り声が出そうなほど素敵な文章ではありませんか。「長恨歌」で私の一番好きな文章です。

             “梨花一枝 春の雨を帯ぶ”     

 
 この美しい涙の後、楊貴妃はようやく声を玄宗の使人「方士」に掛けます。その声は        

        ”含情凝睇謝君王”
                 馬嵬駅で別れしてから沢山の思いをいっぱい胸にして、じっと一点を見つめるようにして、「天子様はいかがですか」と。ここを又読むと、楊貴妃が言ったであろう、その声の大きさ、早さ、抑揚までもが読む者をして感じさせずにはおかないように心に響くようではありませんか。   
                 
 なお、この「凝睇」を<ギョウテイ>と読んだ方がいいのか、それとも「睇<ヒトミ>を凝らして」と呼んだ方がいいのか分かりません。私の「前書」には<ギョウテイ>と読ましております。意味は 『楊貴妃(太真)は今までの数々の思いを込めて、じっと瞳を凝らし、玄宗へ、方子を使いとして此処に来させてくれたと心の中でお礼を述べました。』というぐらいになると思いますが????
    

 


 


「夢魂<仙界にいる楊貴妃>は驚きます。

2016-01-11 10:37:30 | 日記

   未だ寝台で休んでいた、それが「九華帳裏」です、楊貴妃は、仙女「雙成」から天子の使いの来訪を聞きます。

     聞道漢家天子使    <聞くならく 漢家天子の使なりと>  
                 「聞道<キクナラク>」と成っておりますが、どうでしょうか。「・・・使いと道<イウ>を聞く」でいいのでは???     

     九華帳裏夢魂驚   <九華の帳裏 夢魂驚>
                 「九華の帳」とは、多くの花模様を縫取りした帳です。夢魂とは死者の魂です   

     攬衣推枕起徘徊  <衣を攬り枕を推して起って徘徊し>    
                 「攬<トリ>」です。どうしようかと迷い、その辺りを歩きまわります。それが「徘徊」です。

     珠箔銀瓶迤邐開  <珠箔 銀屏 迤邐(いり)として開く>    
                 「箔<ハク>」は簾です。「迤邐<イリ>」とは幾重にも連なっているさまです。沢山ある簾や屏風を一つずつ開いて。 
     
     雲髩半偏新睡覺  <雲髩<ウンビン>半ば偏<ミダ>れて新たに睡覺し
                 「雲髩<ウンビン>」は雲のように美しい髪が乱れています。 ようやく眼がさめたばかりで  

     花冠不整下堂來  <花冠は整はずして 堂を下り來る>
                  「花冠」は仙女が着けている花の冠です。「堂」とは高い建物     

     風吹仙袂飄飄舉  <風は仙袂を吹いて飄飄として舉がり>
                 堂より下りてくる楊貴妃の袂は風に吹かれて飄々と揺れ動きます。「飄々」はひらひらと左右に音もななくたなびき動くことです。             

     猶似霓裳羽衣舞  <猶ほ似たり霓裳羽衣の舞に>
                 「猶」は、ちょうど・・・のようだです。かっての日に舞った「霓裳羽衣」の舞のようです。   
  

 

 

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