この歌ですが、ついでの事に、万葉仮名で描いてみます。
“吾瀬枯乎<ワガセコヲ> 倭辺遣登<ヤカトヘヤルト> 佐夜深而<サヨフケテ> 鶏鳴露爾<アカトキツユニ> 吾立所霑之<ワガタチヌレシ>”
とあり、此の中の“鶏鳴”ですが、これを“アカツキ”と読ましておりのです。鶏のなく時刻が中国では夜明けの証拠だとされていますが。これをそのまま日本でも使って、“暁”「アカツキ」と読ましたのだそうです。
此の鶏の故事は「鶏鳴狗盗」の言葉として有名な話が残されております。(史記の中「孟嘗君列伝」)。話が横道にそれたついでに、今日は、そのお話から。
中国戦国時代(BC200年頃)です。斉の国に「孟嘗君田文」という子が生まれました。妾の子で生まれた日が5月5日でしたので、5月5日に生まれた子は「父母殺す」と言われ育てないのが、当時の中国での習わしでした。そこで父は、母に「育てるな」と、命令します。でも、母は父に内緒で、竊に、育てます。孟嘗君が大きくなってから、その父親に合わせます。すると、父が「どうしてそだてたのか?」激怒しますが、それを聞いていた母の傍にいた孟嘗君は父に尋ねます。
“君所以不挙五月子者何故”
「お父さんにお尋ねします。どうして5月5日に生まれた私を育てないようにと、お母さんに言ったのですか。」と。それに答えて父親は云います。
「5月5日に生まれた子は大きくなって背が敷居に届くようになると“将不利其父母”(父や母によくないことがある)と云ったのです。するとです。そこが孟嘗君の孟嘗君たる所以なのです。次のように言ったと書かれております。
“人生受命於天乎。将受命於戸邪”
「人は命は天から授かるのでしょうか、それとも家の戸口から受けるものでしょうか」と、父親は、それに付いて、何も言えず黙っていますと、孟嘗君は、更に、付け加えて云い放ちます。
”必受命於天、君何憂焉。必受命於戸、則高其戸耳。誰能至者”
「命は天から授かるものです。御父さん、何も心配しなくてもいいのではないでしょうか。もし、命が戸から授けっれるものとしたら、その戸を高くして行けば、、その背は、決して戸までは届きはしませんよ。」
と。此の子の言葉に、父親の云う言葉がなかったと司馬遷は書いております。これから、この孟嘗君の、とっても愉快な頓知話が続いておりますがそれは明日に又