何でもない里山の風景ですが、我が家の裏庭から見える今朝の景色です。
東からの陽光がスポットライトになって結構綺麗なのですが、わたくしの腕ではこれが限界のようです。
<根岸の里のわび住まい>と言われますが、その通りになって参りました。
一年が風のように過ぎ去り、部屋から見える景色もまた巡り来て、今はすっかり秋模様です。
春に鳴く対岸の鶯に亡母を思い、夫が植える四季の野菜を細々と食み、訪れる小さき鳥に子を思う。そうした日常の繰り返しで今年も終ろうとしています。
こんなわたくしに何の希望があるでしょうか?
実は。
あるのですよ。
京セラ創始者 稲盛和夫先生の書物から得た言葉「人生の目的はただひとつ魂の成長にある」
これがわたくしのこれから杖なのです。
おそらく艱難の道が待ち受けていることでしょう。
誰もが通らなければならない老いへの坂道。四苦の中にも記されている<老>という<苦>
生も病も死も想像がつきます。
しかしこの<老>だけは実感の伴わないボディブローのように後から分かってくる痛みです。
不必要な欲望から解き放たれ、魂の成長に光を見出すとき、人は最後までその光にそって、歩めるのではないか、そんなことを考えたりしています。
秋は「少し歩みを止めて、深く思考するように・・・」わたくしの一番痛いところを突いて来ます。
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