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コジキジゲン

「虎の皮」は「シキモノ」・・・

2014-12-24 22:30:13 | 古事記字源

 ・・・スゴイ人って・・・「大きな二枚舌を使う政治家」らしい・・・「矛盾したことをいうこと。ウソをつくこと・二枚舌 duplicity(人をだまそうとする) forked tongue 」・・・「建前」をしゃべる舌と「本音」をしゃべる舌を使い分けること・・・「be double‐tongued」・・・喋る時に舌を使い分けるように、言うことが前後矛盾していること・・・「時と場合により、違ったことをいうこと。前に言ったことと違うことを平気で言うこと。うそを言うこと。矛盾したことを言うこと。建前と本音を使い分けること」・・・「ウソも方便」って「ヒトを助けるコト」もあるけれど・・・
 以下はウイッキベデアや、ブログ記事が原文・・・
  ↓
  仏教で、悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法のこと。 仏教以外の物事について導く・説明するための手法のこと。真実でないが有益な説明等を意味する場合もある
 嘘は罪悪ではあるが、よい結果を得る手段として時には必要であるということ
 嘘をつくということにより、相手を安心させることも出来る
 Circumstances may justify a lie.
 It is sometimes necessary to lie.
 Sometimes it's necessary to fib a little. 
 仏が衆生済度にあたっては、方便(手段)として嘘をつくこともある、ということから、大きな善行の前では、偽りも認められるということ
  「方便」とは、仏教用語で、衆生を真の教えに導く為に用いる仮の手段のこと。 悪事に結びつく嘘を許されるという意味で使うのは誤り」
 嘘つき世渡り上手
 嘘は世の宝
 嘘も重宝
 嘘も追従も世渡り
 嘘も誠も話の手管
 嘘をつかねば仏になれぬ
  ↓↑
 嘘つきは泥棒の始まり
 嘘つきは盗人の苗代
 嘘と盗みは互いに隣同士
 嘘は盗人の始まり
 嘘は盗みの基
 嘘を言うと閻魔様に舌を抜かれる
 嘘を言えば地獄へ行く
 嘘をつくと腹に竹が生える
 正直は一生の宝 
  ↓↑
  The end justifies the means.
 (目的は手段を正当化する)
 He that cannot dissembble know not how to live.  (偽ることのできない人は、
   生き方を知らない人である)
 A lie does good how little a while soever
  it be believed.
 (嘘は信じられる時間がどんなに短かろうと、
   役立つものだ)
  ↓↑
 方便(ほうべん・upāya ウパーヤ)
 には、次の意味がある。
 1.仏教で、悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法のこと。
 2.仏教以外の物事について導く・説明するための手法のこと。真実でないが有益な説明等を意味する場合もある。「嘘も方便」という慣用句ではこちらの意味で使用されている。
 3.上記の意味がさらに転じて、都合のよいさまを悪く言う場合にも用いられる(「御方便なものだ」)。あるいは、「詭弁」とほぼ同じ意味で用いられることもある。
  ウパーヤは「接近・到達・手段・方策」の意味
      「苦しんでいる人に近づく」
 「火宅の人」という言葉の出典は「法華経・譬喩品」
  ↓↑
 「火が迫っているという
  事実を直接伝えることが
  その場の救出法ではない
  救出という目的のために
  方便的な言葉(ウソ)を用いた」
 「方便的な言葉=知恵?」で・・・子供たちの「興味の対象」を利用して危険な場所から安全な場所へ誘導した・・・
 だが、誘導は「羊車、鹿車、牛車(の小車=小乗車)を与えるというコトバであった・・・「物欲」を利用したのである・・・結果、子供達の「イノチ」は救われた・・・そして、「モノ」よりも大切なモノが「今現在、生きているコトである=大乗車」と理解(悟った)した・・・「大乗車(理解・悟り・覚り・覚醒・悔悟)」も「命あってモノだね」・・・「誕生から涅槃」までの間・・・
 「迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること」・・・
 「迷妄⇒漸悟(だんだんに悟ること。順序を追って悟ること)⇒頓悟(短期修行で、一足とびに悟りを開くこと)⇒開悟(悟りの瞬間?)⇒覚悟(悟りの自覚)」
 ・・・戦術的には「調略(ちょうりゃく)=主に政治的工作、作戦の総称・策略をめぐらして敵をまかしたり内通させたりすること・はかりごと・謀略」で、「戦略的な目標」は「勝って生き残るコト」・・・
 だが、生ある人間、生物諸々はイズレは朽ち果て、死ぬ・・・モノ自体も「無常に変化する」・・・
 問題は限定的時間の枠内で生きていく「人間諸関係=階級社会」の「無情・夢情」・・・
ーーーーー
 以下、「産経デジタル」に載った「S」氏のインタビュー記事の部分抜粋・・・ 
 「佐藤ってすごい人だと思う。沖縄返還交渉で非核三原則を唱えながら、アメリカの大統領のジョンソンに『日本は核を持ちたい、日本の核について協力してくれ』って言って断られている。それを諦めた後、沖縄返還の時にニクソン(元米大統領)と丁々発止やりながら、ドイツと一緒に核開発をしようと思って話をもちかけている。これだけの大きな二枚舌を使った政治家はいないと思う」
ーーーーー
 ・・・「政治屋」は二枚舌を使う・・・税金を貪る「方便」で人々を救ってくれる「職業人?」なんだか、どうなんだか・・・殆んどの人々は「サトル暇」もなく・・・どうでもイイやッ、とか「無情をサトっている」?・・・年寄りは寿命の枠内で「涅槃」なんて無いと覚っている?・・・
 「大乗用車=地球」でも「定員制限=自然災害の命の調節」があるのに・・・生きている個々人が如何様にも「サトル・覚醒」するのは勝手だけれどネッ・・・「生きて菩薩になる」のはムリと云うモノだろう・・・「S」氏は猶更(尚更)ムリ・・・?
 「醒(さめる・セイ)」=「酉(兀日)」+「星(日生)」って、サケの酔いからサメル・・・目も頭も身体も脳ミソも適当な温度にまで下げる・・・温度を下げても「階級意識の覚醒」はないだろう・・・
 「醵=酉+豦(キョ)」=拠費用を出し合って、物事を行うこと。囫醵金醵出年金
  「醵」は、本来は「金を出し合って酒を飲むコト」 ・・・「割り勘」で酒を呑むって、か・・・
 「豦(はげしい動きをする)」=「虍(とらの文・コ・ク)+豕(いのこ・ぶた・シ・猪=亥)のヒヒ=狒々」→「霏々」・・・さぶい、寒い蝦夷地である・・・
 「虍部(こぶ)」=「虍」の字は「トラ(虎)の皮の斑紋・その形に象る(説文解字)」
 ・・・「虍」=「ト(占)+皮+七」・・・?・・・
 「霏々」=雪や雨が降りしきるさま
      細かなものが飛び散るさま
      話の続くさまにいう
 「酉→酒樽・酒壺」の「豦」=「虍(とら・虎・寅)+豕(猪・亥)」は酒を呑み過ぎた「大虎」か「大猪」である・・・前後不覚の暴れ者の「呑んベイ」・・・
  なるほど、「演劇」の「劇=豦+刀」で、「舞台で刀を振り回して激しい動きをする役者演劇(or 芝居)」である・・・
 「伊吹山の白猪」に敗北したのは「日本タケル」であった・・・「三重で脚(足)萎えて」・・・「白鳥」になって、飛んでいった・・・

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「未艶」さんの「羊」・・・

2014-12-24 00:07:03 | 古事記字源

・・・日本の「つつがない」発展を求めていくとき・・・
 「・・・先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう、常によりよい日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課された義務であり、のちに来る時代への責任であると思います。そして、これからの日本のつつがない発展を求めていくときに、日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、せつに願っています・・・」
 81歳のお誕生日、おめでとうございます・・・これからも「つつがない」ご健康をお祈りいたします・・・
ーーーーー
 「隋書俀国傳(二十四史の一つで第13番目・中国史の中、隋代を扱った歴史書=本紀5巻、十志30巻、列伝50巻で、十志の部分だけ通史)」・・・「調所和国傳」・・・?
 「唐の
  魏徴と
  長孫無忌
  らが唐の太宗の勅を奉じて勅撰。
  編纂には
  顔師古や
  孔穎達らが参加
  636年(貞観十年)には
  魏徴によって
  本紀5巻、列伝50巻が完成
  第三代の
  高宗に代替わりした後の
  656年(顕慶元年)に、
  長孫無忌によって
  十志30巻が完成後、
  編入
  ・・・「通史」・・・「十志」だけを独立して「五代史志」と呼び習わしていた・・・「断代史であって通史でもあるという正史が成立」・・・?
 「通史」=「歴史記述法の一様式
       ある特定の時代・地域・分野に限定せず、
       全時代・全地域・全分野
       を通して記述された総合的な歴史
 「倭人の出自」=「太伯之後(晋書・梁書)」=中国の歴史記録=「呉の祖太伯の子孫」・・・
 「論衡」
  ↓
 「周時
  天下太平
  倭人來
  獻
  鬯草(異虚篇第一八)」
 「成王時
  越裳
  獻
  雉
  倭人
  貢
  鬯(恢国篇第五八)」
  ・・・鬯=暢草・・・
 「周時
  天下太平
  越裳
  獻
  白雉
  倭人
  貢
  鬯草
  食
  白雉
  服
  鬯草
  不能除凶(儒増篇第二六)」
 ・・・「白雉を食し
     鬯草を服用するも、
     凶を除くあたわず」・・・効き目が無かった・・・
 「獻」と「貢」の違いはナニ?・・・
 「貢献」=貢ぎ物を奉ること・また,その貢ぎ物
 「献(獻)」=「南(十冂辛)+犬」
        「南(ナ冂辛)+犬」
        「鬳+犬」
        ケン(漢) コン(呉)
        訓読=たてまつる ・ささげる
        上位者や神仏に物をさしあげる
        献金・献血・献上・献呈
        献本
 ・・・「文献」・・・「文=亠乂」+「献=南犬」
     「献」=ナ+冂+辛+一+人+ゝ」
         ナ(十・な)or(一ノ←ハジメの)
         冂(まき・キョウ・ケイ」
     部首は「けいがまえ・まきがまえ」
        「同(々)」として
        「ドウがまえ」とも
         立
         十
         一
         人
         ゝ=ポチ・てん・灯火
           一の字点(いちのじてん)
           重ね字(かさねじ)
           送り字(おくりじ)
           揺すり字(ゆすりじ)
           重字(じゅうじ)
           重点(じゅうてん)
           畳字(じょうじ)
           踊り字、躍り字(おどりじ)
          「約物」記号の一
          「ゝ」=おなじ
             =〃 仝 ゞ ゝ ヾ ヽ 々
 「犬に付けられる名前。
  明治期に来日した
  フランス(仏蘭西・仏)語圏の
  宣教師が、自分の犬を
  petit(プチ=小さい・かわいい)
  と呼んだのを、
  日本人が犬の名前と誤って解釈
  した、という説が広まった・・・
  日本語の
  「これっぽっち・ぽっちり」
  など小さなモノの意に由来・・・
  他には英語の
  spotty(スポッティ=斑=マダラの犬)
  チェコ語の
  Pojd'(ポチュ=来い)などの説・・・
  明治時代から広まった名称で
  1901年(明治三十四年)に出版された
  「幼年唱歌 初編 下巻」に収録された
  童謡
  「花咲爺」で犬の名前をポチとしている
  権力者に対して
  従順な者や
  媚びへつらう者に対し、
  「・・・幕府の犬めッ!」などと
  同義の蔑称として使われる・・・
 ・・・「ポチ」は「プチブルジャージ(フランス語のプチブルジョア・Petite bourgeoisieの略」、「階級存在にかかわりなくブルジョワジー(Bourgeoisie)階級意識をもつ人)」の意識としての「小ブル」の「プチ」だろう・・・
        ↓↑         
        奉献
        客に酒をすすめる
        献酬・献杯
        物知り。賢人。
       「文献」
        一献(コン)
        杯のやりとりの度数
        「献」
        最も貴重な
        「青銅鍋」で
        「香肉」を煮ることで
        祖先の神霊に奉献すること
        拡張されて
        「献花、献礼、献旗、貢献」などの
        「進献」の意味になった
        引き伸ばされて、他人に見させる表現
        「献技、献丑(つたない芸を
         お目にかけるという謙遜した意)」
        「献殷勤(手厚く、
         丁寧にさせていただくという意味)」
        神に祈りをささげ、祈願する時
        お供えとして
        「犬(香肉=香辛料をまぶした肉?)」
        を
        「燔祭」として神前に捧げた
        「犬」は神聖な動物であった・・・
 「貢」=「工+目+八」
     コウ(漢) ク(呉)
     訓読=みつぐ
        政府に物を献じる
        みつぎもの
        朝貢・入貢・来貢
        力をささげる
        貢献
        人材を推薦する
        貢挙
        みつぎもの
        年貢(ねんぐ)
        先秦時代には地方の権力者が
        中央の王=天子へ献上するものは
        人と物を問わず
        「貢」と称した
        周辺国が貢物を捧げることを
        進貢(しんこう)、
        皇帝がその貢物を受け入れることを
        入貢(にゅうこう)という
        朝貢それ自体には
        政治的な臣属という意味はなく、
        その点で
       「冊封」とは区別される・・・
        ・・・本の一冊を封じる・・・?
       「封」=フウ(呉) ホウ(漢)
          =「圭(土土)」+「寸」
           出入り口をふさぐ
           閉じ合わせる
           封緘・封鎖・封入
           完封・厳封・密封
           閉じ合わせた箇所
           封をしたもの
           封書・封筒
           開封・同封
           減封(げんぽう)
           金一封
           素封家(そほうか)は
           金はあるが地位がない・・・
           封建時代の「商人(あきんど)」
           ブル(bourgeoisie)だろう
 ・・・「貢(工+目+八)」の類字の
    「頁(一+ノ+目+八)=ヨウ→葉)」は
    「本のページ(page)」の意・・・
 「工」は「たくみ(巧)」である。
 「頁」の上の部分の「一+ノ」は連結した字で
 「丁(ひのと・チョウ)or丅(カ)→T(ティ)」かも・・・
 「丅(カ)」=「下」の原字、稀・訓読=した・しも・呉音=ゲ・漢音=カ」・・・
 「くぎ(釘)の源字
  壯年の男子
  男子年二十を
  成丁と爲す、
  納稅兵役の義務ある者
  書籍の表裏二ページ分の紙葉。また、折り丁の一折分
  距離の単位」・・・豆腐一丁・・・
 ・・・「貢」は「目の巧な人・視力の良い人」、「貝(宝器、銭)の工(たくみ)なモノ」だろう・・・「巫女・占師・芸能・医者・大工」などの専門技術者は「匠(たくみ)」と訓読する・・・
ーーーーー
 「経籍志」
 第32巻-志27から第35巻-志30にあたる
 中国の正史に付されたものとしては、
 『漢書』「芸文志」に次ぐものであった
  ↓
 「律暦志」には、
 宋斉代の
 祖沖之(429年~500年)が、
 円周率を
 「3.1415927の位」まで計算していたことを記録
 ヨーロッパでは初めてこの桁数まで計算できたのは、
 16世紀のこと
  ↓
 隋書・東夷伝
 第81巻列伝46
 俀國(倭国 ヤマト政権)
 と、
 その王、
 「多利思北孤」
 「大業三年 其王
  多利思北孤遣使朝貢
  使者曰 聞
      海西菩薩天子
      重興
      佛法
      故
      遣朝拜
      兼
      沙門
      數十人
      來
      學佛法」
 「菩薩天子」=「開皇十一年(591年)
         菩薩戒により
         総持菩薩となった
         煬帝」
 や、
 「男女多黥臂點面文身 没水捕魚」
 朝鮮半島にあった
 高句麗、新羅、百済、琉求について記述
 「新羅 百濟皆以俀爲大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來」
ーーーーー
 「日出処天子 至書日没処天子
  無恙」
 (日出処の天子、書を没する処の天子に致す。
  つつがなきや)
 「帝覧之不悦(隋書俀国傳)」・・・俀=倭?
  ↓
 つつがなきや
 つつがなく
 「病気になる」
 「差し障りがある」
 「恙む(つつむ)」
 「恙み(つつみ)」
 「つつみなし」
 「恙む」=障害にあう意味
 「慎む」「障む」「包む」
  ↓
 「恙」=「憂」
 「恙無し」
 古代中国の「戦国の七雄」の一の
 斉の国王が北方の
 趙の国に人質にとられている
 威太后が無事かどうかの安否を使者に確かめさせた時、
 威太后も斉の国のことを心配し、
 使者に尋ねた
 「歳亦た恙無きや、
  民亦た恙無きや、
  王亦た恙無きや」
 ・・・「恙」=「羊(ひつじ・ヨウ)」+「心」・・・類字は「羔」=「羊+灬(燃・もやす)」で、「羊+X」→「姜美養羞羨羑着譱」、「義=羊+我」である・・・
 「迷える羊の子」・・・新約聖書「マタイによる福音書18章・ルカによる福音書17章」・・・「Lost Sheep・Stray Sheep」・・・「ラテン語で財貨を意味するpecuniaという語は羊群pecusという語から派生」・・・
 ・・・「義=羊+我」は「羊を管理する我」なのか?、あるいは「我は管理される羊」なのか?・・・
 「羊毛」・・・羅紗・・・羅紗緬・・・めんよう(綿羊=緬羊)・・・
 「幕府の奥詰医師であった
  本草学者の
  渋江長伯
  幕府医師
  江戸郊外の幕府の
  薬草園であった
  巣鴨薬園の総督を兼ねていた
  文化十四年(1817年)
  薬園内で綿羊を飼育し、
  羊毛から
  羅紗織の試作を行った。
  巣鴨薬園は当時
  綿羊屋敷と呼ばれていた」・・・
 「らしゃめんは=羅紗綿(緬)」・・・西洋人の「めかけ(妾)」になった日本女性の蔑称。「洋妾」とも・・・
 「キリスト教ネストリア派=景教」では
 「未艶(艶・艷)」とは
 「聖母マリア」であった・・・
 「イエス・クリスト」とは
 「移鼠(イエス)迷師訶(メシア)」であった・・・
   ↓↑
 子(鼠)→害→未(羊)←合→午(馬)→害←丑(牛)
 子(鼠)→・・・・・・→合←・・・・・・・丑(牛)
   ↑
 「メリーさんの羊=Mary Had a Little Lamb
              (アメリカ童謡)」
   ↓↑
 http://www.geocities.jp/lune_monogatari/mary.html 
   ↓↑
 メリーさんは子羊を飼っていました
 その毛は白くて、雪のよう

 メリーが行くところにはどこにでも
 必ず羊はついていきました

 ある日 
 羊はメリーの通う学校へついていきました
 でもそれは校則違反でした

 子供たちは笑い はやしたてました
 学校にやってきた羊を見て

 すぐに先生に追い出されましたが
 それでも子羊 そばでうろうろ
 しんぼうづよく待っていました
 メリーが姿をみせるのを

 どうして羊さんは
 そんなにメリーのことが好きなの?
 興奮した子供たちは叫びました

 それはメリーが羊さんを大好きだからよ
 と 先生は答えました
   ↓↑
 作者はボストンで子どもの本の編集をしていた、
 セイラー・J・ヘイル夫人。
 1830年に自分の編集する雑誌
 『児童文学』 にイニシャル入りで発表しました。
 誰もが知っているからという理由で、
 発明王
 トーマス・A・エジソンが
 蓄音機にはじめて吹き込み、
 世界で
 一番最初に録音されたのは、
 エジソン自身が歌った
 メリーさんの羊です。
 アメリカの人々に広く知られ、
 愛唱歌となったこの歌は、
 次のような実話をもとに作られました。
  ↓
 1806年、ニューイングランドのマサチューセッツ州にある小さな町、スターリングの農家で女の子が生まれました。
 女の子の名はメアリー・ソーヤ。
 メアリーが少女のころ、彼女の家で子羊が2匹生まれましたが、母羊は1匹の面倒しかみようとしません。
 そこでもう1匹の世話はメアリーがすることになりました。
 ごはんを食べさせ、毛をとかし、ときにかわいらしい赤いリボンをつけてあげるメアリーを母親のように思った子羊は、
いつも彼女のあとをついて歩くようになりました。
 メアリーの行くところへはどこへでもトコトコ。
 ある日、弟と一緒に学校へ向かっていたメアリーが気配を感じ振り向くと、そこには小屋から抜け出した子羊が立っていました。
 結局、学校までついてきてしまった子羊をメアリーは机の下に押しこんで隠しました。
 やがて授業が始まり、先生にみんなの前で朗読を命じられたメアリーが黒板に歩いていくと、そのあとを子羊が・・・。
 教室は大爆笑。授業の邪魔になるということで外に追い出された子羊ですが、校庭で辛抱強くメアリーを待っています。
 その様子を見た生徒たちが先生に質問しました。
 「どうしてあんなに子羊はメアリーのことが好きなの?」
 「それはね」 
 先生は答えました。
 「メアリーが子羊をかわいがっているから。
  メアリーが羊さんを大好きだから
  羊さんもメアリーのことが大好きなのよ」
 その後、
 子羊は牛小屋に入って、
 牛の角に突かれて死んでしまい、
 悲しむメアリーを慰めるために、
 母親は
 死んだ子羊の羊毛で
 ストッキングを編んであげたそうです
  ↓
 「羊」=ひつじ=「未=日辻」・・・「辻」=「十字形に交わる所・人が往来する道筋・街頭」・・・
 「辻」=「辶」+「十」は国字・・・

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