・・・十一月一日・火曜日・・・朝方、雪がふんわり・・・
[
21時過ぎ、モモちゃんとのお別れでした・・・
https://www.youtube.com/watch?v=W00rHNN2zMQ
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ーーーーー
たまねぎ(onion・玉葱・球葱)とターバン(turban)と「黄幢」
ーーーーー
たまねぎ(onion・玉葱・球葱)の語源
↓↑
ラテン語の
真珠〔unio〕に由来・・・universe(宇宙)
日本語
玉葱
葱頭
たまねぎ・・・・玉の根の木
オニオン・・・・鬼の音は「キ」です
おにおん
↓↑
英語
onion(アニャン・ァニャン)・・・豈、兄ャンです
きっと…だろう
決して…ない
阿仁→王仁
ドイツ語
Zwiebel(ツヴィーベル)
オランダ語
uien(アウウン)・・・・阿吽?
フランス語
oignon(オニョン)・・・音ヨン(読)?
イタリア語
cipolla(チポッラ)・・・地保椄等?
スペイン語
cebolla(セボージヤ・セボーリャ)
ポルトガル語
cebola(セボラ)・・・施法螺?
ラテン語
cepa(ケーパ)・・・・掛重葉?
Allium cepa (アッリウム・ケーパ)
古代ギリシャ語
κρομμυον
krommyon(クロンミュオン)・・・句論観諭音?
ロシア語
лук(ルーク)・・・留得句
アラビア語
بصل(バサル)・・・・場猿
・・・猿田比古・猿女=宇受女
中国語
洋葱(yángcōng・ヤンツォン)
葱头(cōngtóu・ツォントウ)
圆葱(yuáncōng・ユェンツォン)
ーーーー
↓↑
長葱(ながねぎ)
英語
ネギ(ねぎ)
leek(リーク)・・・・・理意句?
scallion(スキャリァン)
ドイツ語
Lauch(ラウホ)・・・・・等得補?
フランス語
oireau(ポワロ)・・・・補和賂
イタリア語
porro(ポッロ)・・・・・補通賂
ーーーーー
↓↑
エシャロット(仏語 Échalote)
ネギ属の多年草
英語はシャロット(shallot)
中東 原産で、十字軍がヨーロッパに持ち帰った
名前は中東の都市
アシュケロン・・・鴉主家論?
に由来
鱗茎の皮の色は
タマネギに似る
エシャロット(仏語 Échalote)・・・絵者(写)路通訳
ーーーーー
↓↑
ラッキョウ(らっきょう・辣韮・薤・辣韭
学名 Allium chinense)
ネギ属の多年草・野菜
別名は「オオニラ・サトニラ」
鱗茎は卵状披針形
外皮は汚白色の鱗片葉に包まれる
英語は
スキャリァン(scallion)
シャロット
シャラト(shallot)
イランでは
モーセール・・・・申施留?
中国では
胡葱(フーツォン)
台湾では
紅蔥頭(アンツァンタウ)
香港では
乾蔥(コンチョン)
タイでは
หอม(ホム)
中国福建省の
竜海市には
「香脯糕(シアンプーガオ)」という
落雁(ラクガン)に似た干菓子があり、
エシャロットやネギの風味を付けたもの
「落雁=白雪糕=白雪羹=はくせつこう・はくせんこ」?
・・・近江八景の「堅田の落雁」に因なんでつけられた、中国の軟落甘の「軟」が欠落した・・・の説があるらしいが、「落ちる雁(ガン)→岩、眼、丸」で、「カモ」であるカナ・・・
↓↑
日本のエシャレット
ラッキョウ (Allium chinense)
「エシャレット」
一年物の早獲りラッキョウに
「エシャレット」という商品名を命名したのは
東京築地の青果卸業者(川井彦二)
エシャロット
と
ラッキョウ
では見た目も味も違う
根らっきょう=「エシャレット」が、
誤って
「エシャロット」と呼ばれる・・・
本物のエシャロットが必要な場合は
「ベルギー・エシャロット」などと明示されている・・・?
ーーーーー
↓↑
キャロット
英語「carrot」
フランス語「calotte(カロット)」
ドイツ語「Karotte」
イタリア語「carota(カロータ)」
「carrot(キャロット)」と同源
「carrot」は、
「体の上部」や「頭・角(つの)」を意味する
印欧語「keres-」
ニンジン
赤毛(の人)、赤毛、
褒美(ほうび)、報酬
ほうびと罰
(ニンジンとムチで
馬を走らせる・・・
the carrot and the stick)
アメとムチ・・・
飴 と鞭・・・
天 と無知・・・
海人と笞(竹+台)・・・・類字は「答」
編目と無恥・・・
褒美(ホウビ=人参(ニンジン)
と
鞭(むち)で馬を走らせる・・・ウサギ(兎・兔・卯)?
↓↑
英語で
人参(にんじん)は
キャロット
carrot(キャロット)
ドイツ語
Möhre(メーレ)・・・芽(メ・目・女・馬)獲例
Möhren(メーレン)
フランス語
Karotte(カロットゥ・キャロット)
イタリア語
carotte(カロタ)
carota(カロータ)
ーーーーー
シャロン=カロンとも表記
シャロンは元来は
ヘブライ語の「森」・・・・「モリ」です?
シャロンは19世紀頃までは
男女両方に使われる名前
20世紀にはほぼ女性名・・・
↓↑
Charon=カロン=冥王星の衛星
Châlons=フランスの地名の1
シャロン=シュル=ソーヌ
シャロン=アン=シャンパーニュ
Sharon=イスラエルの地名の1
テル・アビブ(ヨッパ)~北のハイフア(カルメル山)までの
地中海に面した肥沃な平原
花が咲き草木が生い茂る特別な場所
「乳と蜜が流れる広い良い土地(出エジプト3章8節)」
「シャロンは羊の群れの牧場となるように(イザヤ書65章10節)」
「シャロンの牧場」=ユダヤ教とキリスト教世界の理想郷
その地に咲く
白い可憐な
「シャロンの
花(シャロンのバラ)」=ムクゲ(槿・尨毛・夢句解)
旧約聖書で「純潔の象徴」
「Charon=カロン」
ギリシア神話で
現世と冥界を分ける「川の渡し守」
キャロン (caron)=ハーチェクの別名
=チェコ語で「かぎ(鈎)・V字形」
文字の上に付され、
上昇調を表す声調記号
文字の下に付され、
有声を表す・・・
ーーーーー
シャーロット・ケイト・フォックス
Charlotte Kate Fox
1985年8月14日
↓↑
シャーロット (Charlotte)
英語圏の女性名
フランス語圏ではシャルロット
ドイツ 語圏ではシャルロッテ
愛称は
チャーリー (Charlie)
↓↑
char=charred,char・ring
火が木などを炭にする
黒焦げにする
・・・を焼き払う
lotte=Burbot(バーボット)
カワメンタイ
属名・種小名の
lotaは
古フランス語で
本種=「lotte」を意味
英名「burbot」は
ラテン語の
髭(鬍・髯・鬚)=barba
に由来
カワメンタイ(Lota lota)=タラ(鱈)目唯一の淡水魚
漢字では
身が
「雪のように白い」ことから
「鱈(たら)」・・・鱈は和製漢字
・・・タラ=鰔・腭=桵
誑=言+狂
(たら-す・たぶらかす・だます
キョウ・コウ)
タラのキ
楤木・桵木・学名、Aralia elata
・・・タラ=莿萩・・・トゲのある木
スプラウト(Sprout)=発芽直後の植物の新芽
主に穀類、豆類、野菜の種子を
人為的に発芽させた新芽の食べ物
「たぶらかす=誑かす」=だまし惑わす・人をあざむく」
「鱈(たら)」=「大口魚」
この国字は、
中国でも一般的に用いられ
福建省の客家語では
「大口魚」は
「ハス」=鰣・早子=鰭ふりゆくこと早し、故に「早子(はす)」
・・・「大口鱒=ブラック-バス」・・・?
・・・「小口鰣(コグチバス)=鱒(ます)・・・?
↓↑
腹いっぱい食べるという意味の・・・・・既=「白+ヒ+牙」
「たらふく(鱈腹)」の副詞の語源・・・?
「たらふく」は
「足(た)らい脹(ふく)るる」で、
「満足して(腹が)脹れる」に由来・・・?
「鱈腹」は当て字・・・
↓↑
シャルロッテ・ゾフィー・ヘンリエッテ・ブッフ
(後、ケストナー)
(Charlotte Sophie Henriette Buff(Kestner)
1753年1月11日~1828年1月20日
ーーーーー
・・・若くなくても「悩むョ、ナァ~ッ」・・・「シャロン」も「キャロン」も、「カロン」も・・・「ベニスの商人(The Merchant of Venice)」の「高利貸シャイロック(Shylock)」・・・「Shy」に「lock(錠・錠前)」ですか・・・「rock(岩・磐・巌)」じゃぁ、違和であるが・・・発音がネ、ッ・・・
ーーーーー
・・・???・・・モモの鳴き声かな・・・
・・・2016年(丙申)10月(戊戌)30日(乙酉)日曜日、31日(丙戊)月曜日・・・「バラ(薔薇)の名前(Il Nome della Rosa)」の師匠の「玉葱(タマネギ・onion・オニオン)」の講釈は「食べ過ぎるのはイケナイ、性欲が旺盛になるから」だったが、ストイックな「ウィリアム修道士」には当然で老師で、老人?だが、弟子の「アドソ」は若(わか)かったので「?」だったろう・・・しかも、タマネギ(玉葱)で「大蒜(にんにく・葫・garlic・ガーリック)」ではなかった・・・「黄色の玉葱」の「葱(ねぎ・ソウ)」、「黄幢(コウドウ・オウドウ)・キリスト、イエス(移鼠)死後の西暦245、247年」の色や形に、マだ、マだ、まだコダワリタイのだが、タマネギ?、Yellow Turban?・・・「怱=悤」=「屋根の窓+心」で「慌てる・束ねる・集める・筒抜けのもの・聡明」・・・カモが禰宜(ネギ)って、長ネギ・・・
「長葱(ながねぎ)→葱(ソウ)」=筒抜けのもの=「艹+匆(稹・公?)+心」・・・匆=稹=多忙・・・採ってもスグに芽を出して伸びる?・・・「根葱(ねぎ)」・・・「根」を食べる「根の葱」・・・
「悤=怱=忩→匆・稹は略字」=「総(すべる・ソウ)」・・・
「窓(まど・ソウ→偬・聡・愡・惣」・・・「物部(述べ)の心」・・・「勿(勿論・~する勿れ・モチ・ブツ・刎頸)」
「匁(もんめ)」
「忽(ゆるがす・たちまち・忽焉 (コツエン) ・忽然(コツゼン)・おろそか(忽略・軽忽・粗忽)」・・・
「愡(ソウ・ス)=憁・揔(すべる・ソウ)・偬(ソウ・ス)」
「惚(ほれる・自惚れ=己惚れ)」・・・
「惣→揔→悤」・・・
「楤(タラの木・タラの芽)=新芽・タランボ)=たら=桵木」
「緫=総」
「牕(まど・てんまど・けむりだし・ソウ)=壁・屋根などに設けた開口部=窗・囱・牎・窻・䆫・㷓・囪」・・・
「マドと書く罫線表で、普通重なり合っているロウソク足(?)が、突然、間隔があいた隙間・そら(空)ともいう」・・・
「マドが三回続けて出現したのを三空(さんくう)といい相場の転換点?」・・・株式相場のグラフ表らしい・・・「ローソク足チャート(ローソクあしチャート)は、株価などの相場の値動きを時系列に沿って図表として表す手法の一つ。ローソクチャートともいう。単位期間を定め、単位期間中 に初めに付いた値段を始値、最後に付いた値段を終値、最も高い値段を高値、最も安いのを安値」・・・博打屋の用語らしい・・・蝋燭(蠟燭)の火はイズレ消える・・・
ーーーーー
「バラ(薔薇)の名前」・・・小説
↓↑
ラテン語で書かれ、
フランス語に訳された
メルク
の
アドソ
の手記を
「私」が手にし、
その真偽を疑いながら
イタリア語で出版したという
物語形式・・・
↓↑
アヴィニョン教皇庁の時代
フリードリヒ美王の特使として
バスカヴィルの
ウィリアム修道士が
北イタリアの
ベネディクト会修道院を訪れ
異端審問官としての判断が高く評価されていた
物語の語り手は
見習修道士メルクの
アドソ
父親は
メルク男爵
ウィリアムと一緒に旅をしている・・・
↓↑
ウィリアムの本来の目的
「清貧論争」と呼ばれた、
フランシスコ会
と
アヴィニョン教皇庁
の間の論争に決着を付ける
会談を調停し、手配することだった
妨害事件、
修道院内で死者が相次ぐ
↓↑
この論争は決着は付かず
教皇使節と共に会談に訪れていた
異端審問官
ベルナール・ギー
が、修道院で起こっている殺人事件は、
異端者の仕業であるとして、
異端審問を要求
↓↑
物語は7日間にわたって進行
「迷宮図書館」
修道士たちの長老、
盲目の師
ブルゴスの
ホルヘなどの登場
(ホルヘ・ルイス・ボルヘスは
アルゼンチンの国立図書館の館長で、
盲目となった人物)
↓↑
物語の背景
喜劇について論じたとされる
アリストテレスの
『詩学』の第二部・・・現物は存在しない・・・
当時の神学論争(普遍論争など)
フランシスコ会における清貧論争と異端論議
神聖ローマ皇帝
と
アヴィニョンに移った教皇の争い
終末意識
実在した異端審問官
ベルナール・ギー(ドミニコ会士)
実在したフランシスコ会士
カサーレの
ウベルティーノ
を登場させて
聖書やキリスト教神学から引用
ーーーーー
↓↑
ターバン(アラビア語=`imāma)
中東諸国、インドで用いられる頭に巻く帯状の布
↓↑
イスラーム
アッバース朝期以降、
宗教的敬虔さの象徴
ウラマーやイスラーム、インド
などのシク教徒も日常的に用いる
↓↑
ターバン
現在では単に頭部の布巻きもの
必ずしもイスラームなどと結びつけられるものではない
↓↑
黄巾の乱(Yellow Turban Rebellion)
布を巻いた形状の帽子も
ターバンと呼ばれている・・・
ペルシア語(دلبند Dulband)が
トルコ語(Tülbent)
を経て15世紀末頃から
ヨーロッパ語で取り入れられた・・・
ターバンの定義
ドゥルバンドはそのうちの一つ
イスラーム世界におけるターバン
男性が用いるターバンを指す用語は
非常に多彩で、
形状を異にする
アラビア語の「イマーマ」が
日本語の「ターバン」
の意味やイメージに近いが、直接一対応する語ではない・・・
ターバンは通常、
扁平で
頭の形にそった
丸い帽子をかぶり、
そこに巻くもので、
発汗の抑止や、
布を巻くことで
空気を含ませて
頭部の暑さや寒さを抑える効果、
砂漠地帯では砂よけの効果を持つ
同時に
装身具としての
視覚的意味合いがある・・・
↓↑
イスラム世界のターバン
ターバンは
扁平で
頭の形にそった
丸い帽子をかぶり
そこに
布を巻くもの・・・
帽子
と
布巻きは別モノ・・・
帽子
円柱状の帽子は
古代エジプト
ハカーマニシュ朝(アカイメネス朝)で用いられた
ジャーヒリーヤの
アラブにとって
ペルシア人の象徴
布を巻いた形状は
アラブに特有のもの
イスラーム期
布を巻くということが
アラブの
アイデンティティー・・・
↓↑
身分表示機能
歴史的には
武官に対する
文官
ウラマーとしての身分表示
特定の
スーフィー・タリーカ
への所属、
宗教、出自などさまざまな意味を持った
イランでは
黒ターバンを巻いているのは
預言者ムハンマドの子孫
セイイェド(サイイド/シャリーフ)
の
ウラマー・・・
↓↑
19世紀以降
近代主義的改革が行われ
ターバンを巻く者は
これに反対する伝統主義者と見られた
現在都市部では
ウラマーやイスラーム復興主義者でもない限り、
ターバンを巻いた者はほとんどいない・・・
↓↑
フェズ(トルコ語=fes)
頭頂部から
房の垂れ下がった、
つば(鐔)のない
円筒形の帽子
色は
赤や
「臙脂(エンジ・濃い紅色、黒みを帯びた赤色)=燕脂」色
「フェズ」
モロッコの都市
フェズ
にちなみ、
日本では
トルコ帽と呼ばれる
エジプトなどでは
タルブーシュ(طربوش)と呼ばれる
19世紀~20世紀初頭にかけて
オスマン帝国とその周辺地域で流行
モロッコの辺りで用いられていた帽子
オスマン帝国が
マフムト2世
の近代化改革によって
文官・武官共に洋装を取り入れ
従来ムスリム(イスラム教徒)が
頭に巻いていた
ターバンに代わるものとして導入
フェズは近代化のシンボル的存在
19世紀末ごろのオスマン帝国
フェズにフロックコート
という洋風のスタイルが流行
↓↑
クーフィーヤ (アラビア語: كوفية, Kufiya)
アラビア半島社会で男性が
頭にかぶる装身具、頭巾
地域によっては
シュマーグ (شماغ,shemagh)
グトラ(غُترَة,ghutrah)
ハッタ(حَطّة,ḥaṭṭah)・・・・旗?・・・葉通多?
マシャッダ(مَشَدة,mashaddah)
などと呼ばれる
クルド語=ジェメダニー(cemedanî)
ペルシャ語=チャフィイェ(چَفیِه,chafiye)
英語=keffiyeh=kaffiyeh
とローマ字表記され、
カフィエ
と呼ばれる場合もある・・・
↓↑
ターバンが
頭の上で固まっているのに対して
クーフィーヤは
首の後ろまで布が垂れさがって
頭部全体を覆う
模様は様々で
男性用で、
女性は
アバヤ
などを身につける
↓↑
黄巾の乱(Yellow Turban Rebellion)
黄色い(?)布を巻いた形状の帽子・・・黄色のターバン?
ーーーーー
後漢書の記録
大秦(ローマ帝国)国王の
「安敦」は
「カエサル・マルクス・アウレリウス
アントニヌス・アウグストゥス
121年4月26日~180年3月17日
第16代ローマ皇帝(在位、161年~180年)
ネルウァ=アントニヌス朝の第五代皇帝
第15代皇帝アントニヌス・ピウスの后妃
ファウスティナ・マイヨル(大ファウスティナ)
の甥
大ファウスティナは
ハドリアヌス
と
トラヤヌスの傍系血族
外叔父アントニヌスの皇女で自身の従姉妹である
ファウスティナ・ミノル(小ファウスティナ)
と結婚して帝位を継承
共同皇帝として
ハドリアヌスの重臣の子
ルキウス・ウェルスが立てられていた
アウレリウスは
小ファウスティナとの長女
ルキッラを嫁がせて
両皇帝の結束を固めたが、
169年にウェルスが死んで
単独の皇帝となった・・・
ストア哲学・・・・ゼノンの思想哲学で
↓↑ 感情=破壊的な衝動は
判断の誤りから生まれるが、
理性=知者は
「道徳的・知的に完全」な人は
この種の(感情)衝動に
↓↑ 苛まされることはない」
などの学識に長け、
ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス
に並ぶ皇帝(五賢帝)と評された
対外政策
パルティアとの戦争で勝利
蛮族への予防戦争として
マルコマンニ人、クアディ人、サルマティア人
などへの遠征(マルコマンニ戦争)は
長期戦となり、
国力を疲弊させ、
自らも陣中で没した・・・
軍事よりも学問を好んだ皇帝
『自省録』は自著
プラトンの時代から学識者にとって
理想とされた
「哲人君主」だった」・・・
↓↑
「ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス
(Lucius Aurelius Commodus Antoninus,
161年8月31日~192年12月31日
在位期間
180年~192年)
第17代ローマ皇帝
ネルウァ=アントニヌス朝の最後の皇帝
たびたび
改名を重ねた
公文書などでは
ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス」
「先帝マルクス・アウレリウスの嫡男
第十一子で
六男
アウレリウス・コンモドゥスは
紫の皇子の渾名
紫とはローマの皇帝権
在位中の皇帝を父に生まれたという意味・・・
184年
元老院から
「ブリタンニクス(Britannicus)」
の称号を与えられた・・・
・・・184年の後漢の「黄布の乱」に重なるローマ皇帝・・・
部下の「クレアンデルの専横」によて、汚職、食糧危機、内政が混乱・・・側近の粛清・・・「ある時、陛下は切り落とした獣の首を貴賓席に座る我々の方へ笑いながら差し向けてきた。その行動は「余の気を損ねれば、お前達もこうなる」という言外の意味を含んでいることは明らかだった。しかし我々は恐怖よりも、その芝居がかった行動が滑稽に思える気持ちの方が強く、思わず笑いが零れそうになった。
我々は慌てて月桂樹の葉を口に噛んで笑いを堪えねばならなかった。もし笑えば本当にあの獣の如く殺されてしまうだろう」・・・
彼は毒を盛られ、絞殺された・・・享年、31歳・・・
↓↑
後漢の末期
184年
大農民反乱
農民を扇動したのは
張角
の唱えた
太平道という新興宗教
張角は
「蒼天すでに死す、・・・・・蒼(艸+倉)の天?
黄天まさに立つべし。
歳は
甲子にあり、
天下大吉」
をスローガンにし
甲子の年(西暦184年)3月5日?・・・四月二日?
黄巾を標識とした
後漢朝、2世紀末
外戚,宦官,官僚が権力争い
地方では
天災飢饉が続発
農民の反乱
↓↑
太平道への弾圧
184年
張角によって起こされた
後漢の
火徳に代わる
土徳の
黄色の頭巾(ずきん)をつけた
↓↑
後漢(25~220)末の宗教反乱
黄色の頭巾をつけて目印に
黄巾(huáng jīn)とよばれた
後漢中期
豪族が大土地所有し
村落社会を支配
天災と飢饉が頻発
農民は豪族に隷属し、流亡化し
華北に没落農民・流民が発生
抵抗した儒家・士大夫の運動も
党錮の禁
で挫折
鉅鹿(河北省)の
張角が
「太平道」を創唱
罪の懺悔(ザンゲ)による
療病と倫理的な生き方を説き
疫病の蔓延、村落社会から疎外された
没落農民・流民を救済し
十数年間に
数十万の信徒を得て各地に教団を組織
↓↑
外戚、宦官(カンガン)、党人官僚
が三つどもで政争
地方で洪水や干魃(カンバツ)、流行病
鉅鹿(キョロク・河北省南部)の人
張角は、
黄帝信仰
道家(ドウカ)学説を含む
道教の一派である
太平道を創始
大賢良師(タイケンリョウシ)と自称
呪術と信徒本人の懺悔によって
病気が治るという
太平道の教えで
黄河下流域の
多数の貧困と病気に苦しむ農民たちを
教団に組織化
後漢、
霊帝(レイテイ)代・・・第12代皇帝
在位期間
168年2月17日~189年5月13日
解瀆亭侯劉萇(建)の子
解瀆亭侯劉淑の孫
河間王劉開の曾孫
章帝の玄孫
中平四年(188年)十月
「皇帝直属の常備軍」の創設を構想
無上将軍と名乗り、下に
西園八校尉と呼ばれる8人の指揮官には
曹操・袁紹・淳于瓊がいた
「184~189年」
霊帝時代の『後漢書』東夷伝倭人条に
この頃、
「倭国に大乱」・・・・これは「黄巾の乱」に
と、記録 連動していないか?・・・連動
184年2月節分以降は、
60年を1周期とする
干支、甲子の最初の年
「蒼天、既にに死せり。
黄天まさに立つべし。
歳は甲子に在(あ)り。
天下大吉」
というスローガンを掲げた
この年2月
目印として互いに
黄色い頭巾
を着用した
30余万の信徒を率いて反乱
後漢政府が党人官僚への弾圧を中止し
黄巾討伐に全力をあげた
張角が陣中において病死
反乱の主流は年内に平定
その余党は
10年以上にわたって各地に蜂起(ほうき)し
離合集散
行政官や将軍たちの
地方割拠と絡み合い
黄巾の余党の活動は
後漢帝国の統一政府に実質に打撃を与えた
↓↑
後漢代
鉅鹿郡(河北省南部)の
張角によって組織された
中国最初の
道教教団
西方の巴蜀および漢中の地域に発展した
五斗米道(ゴトベイドウ)
と時期は同じ
大賢良師と称した
張角は
病人に罪の懺悔をもとめ
お札や霊水を飲ませ
呪文をとなえて
神のゆるしを請う
そのような方法で布教
十数年の間に
信者は
中国東半部の広い地域にわたって
数十万人に達し
36の
「方」とよばれる集団に組織化
↓↑
河北
山東
の農民に多くの信徒を得た
「五斗米道」とともに
道教の源流・・・・道教、道家の源流はキリスト教?
184年
唐代は景教(ネストリウス派
431年の異端派)だが?
唐の太宗の時代、
635年に中国に伝わった
↓↑
太平道
↓↑
後漢末期におこった新宗教
干吉(カンキツ)
が神人から授けられた
『太平清領書(たいへいせいりょうしょ)』
170巻によって、
張角がこの宗教を始めた・・・
太平道教団は個人的信仰に基づく集団・・・?
張角は
184年に
「黄巾の乱」を起こした・・・
↓↑
「蒼天已死 黄天當立」
「四神」を崇めるもの・・・???
青龍は川(青)
白虎は道(白)
朱雀は窪地(朱)
玄武は冬の北風を防ぐ山(黒)
↓↑
儒教
「子、怪力乱神を語らず(孔子)」
人知では推し量れないこと、
理性では説明できないことがらについては語らない」
新王朝を建国した
王莽が前漢を簒奪する時に、正当化するため
焚書坑儒を免れた教典を復刻
↓↑
「青天の霹靂」・・・「晴天」ではない・・・だからナニ?
青空に突然に起こる雷
思い掛けず起こる突発的事変
突然の大事件
人を驚かす変動
↓↑
「陸游」の
「九月四日の鶏未鳴起作」・・・
ニワトリ、未だ鳴かず時に起きて作す?
・・・筆の勢い(筆の運び、描写の動的な勢い?)らしい・・・が、ナゼ、「青天の霹靂」なのか・・・
↓↑
「霹靂は雷・雷鳴」
「霹(はためく・ヒャク・ヘキ)」・・・ハタめく、でアル・・・
「霹靂神(はたたがみ)」=「霹靂藭」
「かみ-とき=神-解き=霹靂」・・・?
「かみ-とけ」に同じ(名義抄)
「かみ-とけ=神-解け=霹靂」・・・?
↓↑
「雷が落ちること・落雷・かみとき・かむとけ」
「カムトケに当たりし、楠あり(霊異記・上)
「かむ‐とけ=神-解け=霹靂」
「かみとけ」に同じ
「霹靂神してその磐をふみさいて」〈神功紀〉
「はたた‐がみ=霹靂神」
「はたたく神の意・激しい雷」
「へき-れき(霹靂)=かみなり・いかずち・雷鳴
雷が激しく鳴ること。落雷」
↓↑
「霹靂=急而響的雷・
唐、王維
老將行=「漢兵奮迅如霹靂、
虜騎奔騰畏蒺藜」
紅樓夢第一回
「士隱、意欲也跟了過去、方舉步時、
忽聽一聲霹靂
有若山崩地陷」
亦稱為「落雷」
↓↑
「霹隆(Перун・英语=Perun)
又譯為、佩龍
斯拉夫神話的神祇、
為萬神殿(Pantheon)
中位階最高的神明,掌管雷電。
就像日耳曼神話的托爾神、
霹隆被形容為是一個有銅鬍子的暴躁男子
他騎乘著由
公羊拖著的戰車、
帶著
斧頭
或是
鐵槌」
↓↑
黄巾の乱
184年4月2日先勝・木曜日・4月1日=戊申・赤口・水曜日
(ユリウス暦)
干支=甲子年丁卯月己酉日・・・4月2日=己酉・先勝・木曜日
4月3日=庚戌・友引・金曜日
日本
成務天皇五十四年
皇紀844年
中国
後漢 : 光和7年、中平元年
張曼成 : 神上元年
朝鮮
高句麗 : 故国川王6年
新羅 : 阿達羅王31年、伐休王元年
百済 : 肖古王19年
檀紀2517年
仏滅紀元: 727年
↓↑
黄巾の乱(コウキンのラン・黃巾之亂)
小説『三国志演義』では反乱軍を
「黄巾“賊”」と呼称
している。後漢の衰退を招き、三国時代に移る
↓↑
冀州
鉅鹿の
張角は
『太平清領書』に基づく
道教的な悔過による治病を行った
政治色を濃くしていった
太平道は、数十万の信徒を
三十六個に分け、
一単位を「方」とし
軍事組織化
武装蜂起を計画した
張角は、漢王朝の転覆を暗示した
「蒼天已死 黃天當立 歲在甲子 天下大吉」
(『後漢書』71巻 皇甫嵩朱儁列傳 第61 皇甫嵩伝
というスローガンを流布し、役所の門などに
「甲子」の
二文字を書いて呼びかけた
↓↑
184年(光和七年、干支年は甲子)
先に
荊・揚州で兵を集めさせていた
馬元義
を洛陽に送り込み、
中常侍の
封諝、徐奉等
を内応させ
3月5日に内と外から蜂起するよう約束
だが、
張角の弟子の
唐周
が宦官達に密告
蜂起計画が発覚し、
馬元義は車裂きにされた
霊帝
は三公や司隸に命じ、
宮中の衛兵や民衆を調べさせ
千人余りを誅殺し
張角の捕縛の命を下した
↓↑
2月
張角は予定より早く諸方に命じ一斉に蜂起し
自らを
天公将軍と称し、
弟の
張宝、張梁
をそれぞれ
地公、人公将軍とした
↓↑
3月
霊帝は
何進
を大将軍とし将兵を
都亭に駐屯
八つの関に都尉を置き洛陽を守護
皇甫嵩
呂強
等の進言によって
「党錮の禁」を解き、
官界から追放されていた
清流知識人が
黄巾賊に合流するのを防ぎ、
且つこれを利用
また
宮中の倉の銭と
西園の馬を出し人材を募り、
盧植
を張角がいる冀州方面へ、
皇甫嵩
朱儁
を
豫州潁川方面へと、
黄巾の勢力が強い所へ派遣
↓↑
豫州・潁川黄巾軍
184年4月
朱儁は潁川にて
波才と激突し敗走
↓↑
5月
皇甫嵩
朱儁
は
長社に篭城
波才は大軍を持って包囲
皇甫嵩は軍を鼓舞し
火計を用いて
波才軍を混乱させ
長社を討ってでて波才軍を敗走させた
援軍に来た
曹操軍と合流し、打ち破り、追撃し
陽翟において
波才軍を、
6月
に西華にて
彭脱軍をそれぞれ壊滅
黄巾の別働隊を破った
王允と共に豫州を平定
↓↑
荊州・南陽黄巾軍
184年3月
荊州南陽にて
張曼成率いる南陽黄巾軍が蜂起
太守・褚貢を攻め殺し
自らを
「神上使」を称し、
宛に駐屯
↓↑
6月
南陽太守に任命された
秦頡は
張曼成を攻めこれを斬ったが、
南陽黄巾軍は
新たに
趙弘を指揮官に立てて盛り返し、
宛城に篭った
豫州を平定し終えた
朱儁は
荊州刺史
徐璆
秦頡
と合流し宛城を包囲
↓↑
8月
宛城を包囲中に
何者かが
朱儁の更迭を進言という噂
朱儁は急遽攻撃を開始し
趙弘を斬った
趙弘を失った黄巾軍は
韓忠を代わりに立て再び宛城に篭ったが、
朱儁揮下の
孫堅の活躍で宛城は落城
韓忠は脱出し降伏しようとするが
朱儁が受け入れず、
その後打ち破られた
韓忠は秦頡に殺され
南陽黄巾軍は新たに
孫夏を立て抵抗
↓↑
10月
朱儁は
抵抗を続けた
孫夏を破り
南陽黄巾軍を壊滅
↓↑
冀州・張角軍
184年6月
冀州にて黄巾軍に連戦連勝した
盧植軍は、
張角が広宗に篭城するとそれを包囲し攻め落とそうとし
盧植軍は終始優勢だったが
派遣されてきた
小黄門
左豊に賄賂を贈らなかったため、
恨まれ讒言され職を解かれ
代わりに
董卓が派遣されたが
黄巾軍に敗れた
↓↑
8月
霊帝
豫州を平定したあと
兗州東郡において
卜己軍を打ち破った
皇甫嵩を冀州に派遣
↓↑
10月
皇甫嵩
広宗で黄巾軍を奇襲によって破り
張梁を斬った
張角は病死
していたので
遺体を引きずり出し晒した
鉅鹿太守の
郭典と共に、
曲陽にて
張宝を打ち破りこれを斬った
↓↑
黄巾の乱、収束
張角ら幹部が死去した後も
乱の根本的原因である
政治腐敗による
民衆への苛政が改善されることはなく、
黄巾軍の残党はこののちも
広範な地域に跋扈し、
反乱を繰り返したり、
山賊行為や盗賊行為を行っていた・・・
これらの中で
楊奉、韓暹に率いられ
白波谷に拠った残党は
「白波賊」と称されたが、
献帝の洛陽帰還の際に
後漢に帰順し、
皇帝奪還を目論む
李傕、郭艴らと交戦
後に
盗賊のことを「白波」と称するのはこれによる
青州は黄巾軍が大流行しており、
青州の黄巾軍
100万人が中国北部を大いに荒らし、
公孫瓚に大敗
↓↑
187年
張純が反乱
青州刺史は
張純討伐を命じ
討伐軍が平原を通過した時、
劉子平は
劉備が武勇に優れているとして従事に推薦
劉備は従軍し、
田野で敵軍と戦い負傷し、
死んだ真似をして後から友人に助けられ脱出
軍功で
安熹県の尉になった
(魚豢「典略」)・・・
↓↑
192年
兗州刺史
劉岱が戦死
黄巾軍の勢力が弱かった涼州のような地域でも
後漢政府の統制が弱まったため、
韓遂らが相次いで反乱、自立、抗争を繰り返し、
異民族も辺境でしばしば略奪行為
豪族を中心にして
村落共同体規模で
自衛・自警のための武装
知識人を含む多くの民が
荊州・揚州・益州・交州
など
江南や四川の辺境地域に移住
黄巾の乱以後
軍閥的な勢力が多数出現
群雄割拠
軍閥を支えていたのは
黄巾の乱により武装化した豪族たちと
広汎な地域に拡散した知識人・・・
ーーーーー
↓↑ ↓↑
タマネギ(玉葱、学名:Allium cepa)
ネギ属の多年草
onion(英語)
oignon(仏語)
↓↑ ↓↑
玉葱(和)
↓↑
一年草、もしくは二年草
鱗茎、
葉は野菜
種小名はcepa(ラテン語でタマネギ)
「頭」を意味する
ケルト語に由来・・・
戦前の日本では
「葱頭」が正式な和名
↓↑
タマネギ中毒(onion poisoning)
タマネギなどの摂食で
イヌ、ネコ、ウシ
などの食中毒
サルなども用量依存性の障害が生じる
(過剰に摂食し過ぎると障害が起こる・人も同様)
低用量ではタマネギ中毒にはならない
↓↑
タマネギ、ニンニク、ニラ
などのネギ属に含まれる
アリルプロピルジスルファイド
などが
ヘモグロビンを酸化させ
溶血性貧血を起こす
血液塗抹標本では
ハインツ小体が認められ
摂取する食品を加熱しても毒性は消えない・・・
摂取量と体重の相関関係は明確でない
動物の種や個体差次第
品種や個体によっては
少量の摂取でも死亡する原因として、
赤血球中の
カリウム濃度が関係・・・
HK型イヌ赤血球を持つ犬は
赤血球内が高カリウム状態に保たれるため、
タマネギ中毒起因の
溶解性貧血が発生すると、
赤血球内の
カリウムが血液中に流出し
高カリウム血症に伴う死亡の危険が高まる
1975年に北海道大学の家畜病院で報告・・・
北海道大学
ザガジグ大学
らの研究グループが、
ヒツジのタマネギ中毒発症の研究
ヒツジに於いては
第一胃内の
嫌気性細菌が発症に関与
症状
貧血、黄疸、可視粘膜蒼白、ヘモグロビン尿
など。発症までに1~数日かかる
慢性症状は
肝臓機能の低下・・・
治療
すぐに吐かせる
ビタミン剤投与
有効な治療方法
解毒剤などはなく
強心剤、利尿剤
などの対症療法を行う
重症の場合は輸血
ーーーーー
↓↑
たまねぎ効能
疲労回復、高血圧、糖尿病、不眠解消、精神安定
と効果・・・
↓↑
たまねぎの原産地
中央アジアから地中海沿岸
栽培は
古代エジプト
メソポタミア文明で始まった・・・
16世紀頃には ヨーロッパ各地で広がった
江戸時代に
オランダ人が長崎に持ち込んだのが最初
↓↑
品種
鱗茎の辛味度
辛タマネギ
甘タマネギ
に大別
鱗茎の色により
黄、赤、白色系
に分けられる
日本で栽培される品種
辛タマネギの
黄色系
泉州黄(せんしゅうき)
札幌黄
ともに
アメリカでの栽培品種を
日本で改良してつくられた
泉州はイエロー・フラット・ダンバース
札幌黄はイエロー・グローブ・ダンバース
が改良親
泉州は北海道以外ではもっとも主要な品種
泉州がもとになって
奥州
仙台黄
貝塚早生(かいづかわせ)
久留米黄(くるめき)
など多くの品種が分化
札幌黄は
北海道でもっとも主要な品種
秋タマネギの代表種
黄色系以外の
辛タマネギの品種では
愛知白
札幌赤
が栽培
甘タマネギの品種
黄魁(さきがけ)
湘南(しょうなん)レッド
がわずかに栽培
(星川清親)
↓↑
起源地
イラン、パキスタン
および
その北の山岳を含む地域と推定
野生種らしい植物が
19世紀に
西アジアで発見された・・・
バビロフによれば、
第一次中心地は
中央アジア、
第二次中心地は
近東地区で、
現在の栽培型より大きい
大球型が地中海沿岸地域にある
中近東、インドでは古くから栽培
エジプトでは
第1~第2王朝時代(前3000~前2700)
の墓の壁画に描かれている
ピラミッドを築く労働者の食用とされた
ギリシアでは
紀元前10~前8世紀、
ローマでは
前5世紀から栽培
ドイツでは
15世紀
タマネギ料理が普及
ヨーロッパ一帯に広まったのは
16世紀ころ・・・
北・南両アメリカ大陸には
16世紀に
スペインから入り、
アメリカ合衆国では
17世紀から栽培が始まった
西インド諸島へは
17世紀に入った
日本へは江戸時代(18世紀)に
長崎に入ったが、
現在の品種は主として
1884~85年(明治17~18)に導入され、改良されたもの
(田中正武)
↓↑
日本
食卓には
明治時代以後
和風料理は
肉じゃが・すき焼き・牛丼・ハンバーグ・メンチカツ
獣肉食が解禁されて生まれた料理が多
「不許葷酒入山門」
に引っかかるため、
一部仏教宗派(臨済宗・曹洞宗)
では食べることを禁じられている・・・
↓↑
ナポレオン時代
フランス軍歌
『玉葱の歌(Chanson de l'Oignon)』(作詞・作曲、不詳)
は童謡
『クラリネットがこわれちゃった』
の原曲・・・
ーーーーー
1.
俺は油で揚げた玉葱が好き。
うまけりゃ俺は玉葱が好き。
俺は油で揚げた玉葱が好き。
玉葱が好き、玉葱が好き。
(繰り返し)
1.
J'aime l'oignon frît à l'huile,
J'aime l'oignon quand il est bon,
J'aime l'oignon frît à l'huile,
J'aime l'oignon, j'aime l'oignon.
Refrain.
(繰り返し)
進もう戦友、行進の足取りで。
進もう、進もう、行進の足取りで。
Refrain:
|: Au pas camarade, au pas camarade,
Au pas, au pas, au pas. :|
2.
油で揚げた玉葱一玉だけでも、
俺たちゃ獅子に変わるよ。
油で揚げた玉葱一玉だけでも、
俺たちゃ獅子に変わるよ。
(繰り返し)
2.
Un seul oignon frît à l'huile,
Un seul oignon nous change en lion,
Un seul oignon frît à l'huile
Un seul oignon nous change en lion.
Refrain.
ぼくの大すきな クラリネット
パパからもらった クラリネット
とっても大事に してたのに
こわれて出ない 音がある
どうしよう どうしよう
オ パキャマラド
パキャマラド パオパオ
パンパンパン
オ パキャマラド
パキャマラド パオパオパ
ドとレとミの音が出ない
ドとレとミの音が出ない
とっても大事にしてたのに
こわれて出ない音がある
どうしよう(コラ)
どうしよう(コラ)
オ パキャマラド
パキャマラド パオパオ
パンパンパン
オ パキャマラド
パキャマラド パオパオパ
ドとレとミとファとソと
ラとシの音が出ない
ドとレとミとファとソと
ラとシの音が出ない
パパも大事にしてたのに
見つけられたらおこられる
どうしよう(オー)
どうしよう(オー)
オ パキャマラド
パキャマラド パオパオ
パンパンパン
オ パキャマラド
パキャマラド パオパオパ
「クラリネットをこわしちゃった」
が歌唱禁止に?・・・・???
↓↑
18世紀末~19世紀初頭のフランスでは、
クラリネットには
「召使い」という意味があった・・・
「クラリネット(clarinet)をこわしちゃった」
↓↑
・・・「クラリネット」は、その「形状」だろう・・・もちろん、「名器」の意味も・・・「笛吹き((パイドパイパー)」とは「グリム童話の中世ドイツの北の町、ネズミ(鼠・鼡・子)退治してくれた『ハーメルン(Hameln)の笛吹き男』は1284年の6月26日にハーメルン(Hameln、German・独逸)で実際に起こったと云われる130人の子供たちが一夜にして街から消えた」、「古い記録は1430年から1450年頃のもの(リューネブルク写本)で、現在でもこの街は、「Rattenfängerstadt Hameln(ネズミ捕りの街ハーメルン)」・・・どっちにしても壊してしまっちゃぁネッ、「少子化」の原典(原点)かも・・・フランス、当時のナポレオンの敵はドイツ・・・ハーメルンは、当時のハノーファー選帝侯領最強の要塞都市で、難攻不落の「北のジブラルタル」とされたが、ナポレオン時代のフランス支配とプロイセン支配下が入れ替わる1806年、クリュート山の麓に第四砦(ルイーゼ砦)が造られた。イエナ・アウエルシュタットの戦いの後、ル・コック将軍が率いるハーメルンは1806年にサヴァリー将軍指揮下のフランス軍に、戦うことなく降伏し、1808年にナポレオンによって要塞は取り壊された・・・そして、最北方のロシア・・・
日本での替え唄の詩はドイツを意識していたかも・・・?
「ナポレオン戦争」・・・1796(1799?、1803?)年~1815年まで・・・
↓↑
の本来の意味は、
領主である父親から
女を譲られた息子が、
性的暴力を働いたことを意味するらしく、
女中や下女は主人に求められれば
性的な仕事にも奉仕していたと
歴史研究により明らかになった・・・
全国の教育委は
「小学生には早すぎる内容」として・・・
↓↑
「オ・パッキャマラード」のフレーズが
↓↑
「おっぱい、毛、マラ、
おっぱい、毛、マラ、おっぱい、
おっぱい、おっぱい、おっぱい」
と聞こえるらしい・・・児童の性教育に悪影響?
「オ・パッキャマラード」は訳すると、
「ステップを踏むんだ」
や
「足並みそろえろ」
という意味・・・
↓↑
3.
だけどオーストリア人に
やる玉葱はない。
その走狗どもに
やる玉葱はないのだ。
だけどオーストリア人に
やる玉葱はない。
奴らにやる玉葱はないのだ。
(繰り返し)
3.
Mais pas d'oignons aux Autrichiens,
Non pas d'oignons à tous ces chiens,
Mais pas d'oignons aux Autrichiens,
Non pas d'oignons, non pas d'oignons.
Refrain.
↓↑
4.
油で揚げた玉葱を好きになろう。
玉葱を好きになろう、うまいんだから。
油で揚げた玉葱を好きになろう。
玉葱を、玉葱を好きになろう。
(繰り返し)
4.
Aimons l'oignon frît à l'huile,
Aimons l'oignon car il est bon,
Aimons l'oignon frît à l'huile,
Aimons l'oignon, aimons l'oignon
Refrain.
↓↑
黄たまねぎ
シャロット
もっとも多く出回っている黄色種の辛たまねぎ
イエローダンバース系の
札幌黄や泉州黄からの改良種が多く栽培されている
たまねぎを小さく、やや細くした形。
分球して数個の鱗茎をつくるたまねぎの親戚。
フランス料理に欠かせない野菜
↓↑
赤たまねぎ
紫たまねぎともいう。
皮も表層部も赤紫色。
湘南レッドが代表的な品種で、
辛みも刺激臭も少なく、
みずみずしい。サラダに最適。
↓↑
白たまねぎ
日本では極早生種。
端境期の3、4月に愛知白が出回る。
水分が多く、辛みが少なく柔らかい。
↓↑
原産地は中央アジア。地中海沿岸
古代エジプトで栽培
ギリシャでは紀元前10世紀
ローマでは紀元前5世紀
に栽培されていました。
旧約聖書
千夜一夜物語
にも
食べたり
精力剤・・・・・・・・・・・
にする話
ヨーロッパ一帯に広まったのは
16世紀から
硫化アリルはビタミンB1の吸収をよくする
米食中心で
ビタミンB1の不足しがちが
日本人には欠かせない野菜
↓↑
食べているのは「葉」・・・
葉の下の
葉鞘とよばれるところが
成長するにしたがって厚みを増し、
重なり合って
球体に太ったもの・・・
1枚ずつはがすと魚のうろこ(鱗)のようになるので、
鱗茎とよぶ
英語のオニオンという名前は
ラテン語の
ユニオンから転じたもので
多くの「うろこ(鱗)状の葉の集合体」の意味・・・
↓↑
古代エジプトを支えた
たまねぎ
古代
エジプトに伝わり、
紀元前33~28世紀の
第一王朝時代の墓の壁画にもたまねぎの絵が描かれている
ピラミッドを築く労働者には
にんにく
たまねぎ
を食べさせたという記録・・・ウィリアム修道士の研究?
「たまねぎ」が
彼らの給料の支払いにも使われた・・・という説・・・
ーーーーー
・・・「黄色=きいろ=規意賂」・・・「黄幢」と「玉葱」と、その「鱗(ウロコ)」・・・「タマネギのカワを剥くサル」でした・・・「鱗茎、即ち葉は野菜として食用に利用され、サルは好んで 食べることもある」らしいが・・・丙申年(2016年)の怒り涙と、歓喜の涙・・・あぁ、きみ、ミズや、感激のナミダにムセブ、我が選手・・・涙の出ない「タマネギ」、そして果物ように甘い「タマネギ」の発明、栽培、出荷・・・