・・・今現在、NHKの「22:25・ブレイブ・勇敢なる者、冤罪弁護士」を観終わったが、「勇気を持って世界を変える日本人に迫るシリーズ『ブレイブ』」、「日本の刑事裁判の有罪率99.9%、14件もの無罪判決」を克ちとってきた「今村核」氏・・・スゴイなぁ~ッ・・・「勘違い」を「正(糺)す」のには・・・だが、「弁護士のアタリマエの仕事」である・・・「検察官・裁判官」もだが、本来、その「仕事の重さ」は「裁判官」だろう・・・「皮相=ヒソウ=日宋=悲壮=悲愴」と云う漢字は、「怪しい=あや(怪・奇・竒・恠・妖・文・理・斐・彪)しい」コトバではある・・・むかし、友人に「アンタはモノの観方が皮相的なんだョねッ」と云われたコトがある。だが、その時は「皮相的」自体のコトバの意味がワカラなかった・・・個々人の経験的な事象、事態は「生活レベル」での軽重が随分と異なっている。「プライド(?)の軽重」も・・・「10円の価値」が個々人の生活状況によって異なるのは当然だが・・・ボクは「10円、1円」で泣く思いをするが、「1000円単位で生活」しているヒトの困惑などを理解するコトは無理であったし、無理であるカナ。だが、事情は何であれ、その時点での個々人の「死ぬ思い」は同じであるらしい。それは、「死ぬオモイにも、異なった生活のレベル」がある、と云うコトらしい・・・
モモちゃん、ごめん・・・鎮魂の絵だけれど・・・鎮星(土星)に逝ってんのカナ・・・
「
「悲哀」・・・「悲(かな)しい」と「哀(かな)しい」は訓は同じでも、漢字自体の構成も意味も異なるだろう・・・だが「熟語」になって重なってしまった・・・「喜怒哀楽」は「主観的な個々人の感情のコトバ」であるらしく、それらを「共感、同感」出来る人もいるだろうが、「客観的に一般化」は出来ない・・・「特殊、個別」的な出来ごとの「共感」は、人生での同じ時間枠の経験、時間がズレテいても同じような経験が必要だ・・・相手の「喜怒哀楽」を「共感」するのは、自分自身が、「未知」で、それらに「遭遇」するまでは難しい・・・「遭遇」しても「尚、且つ」である・・・自分自身の痛さは「殴られて初めて解る」・・・ダレも「我が身を抓(つね)らない」が・・・
自分自身の「痛さを快感」と感じる人間もいる・・・生きている人間の肉体も精神も、プロセス的には「快=不快」の「表裏一体」の存在であるらしいのがアタリマエであるが・・・以前ドキュメンタリーのTVで観たのは「無触覚知覚障害の女の子」・・・「触覚=触感」が無い人もいる・・・肉体的に冷たさ、熱さ、痛さをマッタク感じられない病気・・・「皮膚感覚=体性感覚」、「触覚、圧覚、痛覚、温度覚」の無い病気・・・「無触覚知覚障害」・・・
「加齢」が確実に「五感覚」を鈍くしていくコトを「涅槃」まで保障しているのは「自然」であるが・・・
悲=非+心
哀=亠+口+イ+レ(丄)+乀+ノ(ノ)
・・・多分、「哀」は口に「亠(ふた・トウ・ズ)=蓋・音略)」された「イ(人)」の「乀(ながれる・まがる・フツ・ブチ)」の「丿(ひく・ヘツ・ヘチ)」である・・・この「漢字部品」は
「丿(ノ)、乀」は
「船などが左右に揺れるさま」
漢字を書く時の筆画、筆描の動きので、
左に払うものを「丿=ヘツ=ノ」、
右に払うものを「乀=ホツ」
と云う意味らしい・・・視覚的な形象はナニかを叩く「棒(ボウ)」か、ナニかを切る「小刀(こかたな)」である・・・コレラが重なれば
「乂(かる・おさめる・カイ・ガイ)=乀+ノ」
である・・・類字は「乄(しめる)」
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で、
「ヒソウ」、難聴のベートーヴェンの「悲愴(Grande Sonate pathétique・第2楽章・第8番ハ短調・作品13・ピアノソナタ・1798~1799年)」とは怪しい音楽である。「情熱の表出」ですか・・・漢字は「悲=非+心」と「愴=忄(心)+倉」であるが、「忄」は「小」を圧縮したようにも思える・・・心の倉がカラッポ(悲)なのか、小さい倉で、「宝石箱」なのか、「怪盗ルパン」に訊いてみたい・・・
「怪異・怪人・怪訝(ケゲン)」の「怪(カイ・ケ)=忄(心)+圣(コツ・又十一)」である。
「ア-ヤ-シ-イ=丫=「ア・鴉・蛙・亞」-「や・哉」-「シ・詞」-「イ・意」が、「あやしい=怪・奇・竒・恠・妖」、奇怪千万・・・
次ぎもナニを云っているんだか、ボクには「?」である・・・以下は「jigen net」から抜粋添付したモノだが・・・
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子曰。
素隱行怪。後世有述焉。吾弗爲之矣。
「隠(いん)を素(もと)め、怪(かい)を行ふは、
後世(こうせい)述ぶること有らん、
吾は之れを為さず」
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君子遵道而行。半塗而廢。吾弗能已矣。
「君子(くんし)、道に遵(したが)ひて行ひ、
半塗(はんと)にして廃(はい)す、
吾は已(や)むこと能(あた)はず」
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君子依乎中庸。遯世不見知而不悔。唯聖者能之。
「君子(くんし)中庸(ちゅうよう)に依り、
世(よ)を遯(のが)れて知られずして悔いず、
唯(た)だ聖者のみ之れを能(よ)くす(中庸)」
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「蓋し世道の変、
無窮に相(あい)尋(つ)ぐと雖も、
然れども本と愕(おどろ)く可く
怪(あや)しむ可き事有ること無し(論語)」
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・・・???・・・