・・・「アレキサンダー大王(3世)」を調べていくプロセスで、アッチ、コッチへと「文字とコトバ」がトンでしまう。紀元前356年(乙丑)、357年(甲子)・・・なんせ、漢字のアテ名が「亜歴山」で、
「亞=亜(つぐ・ア・エ・次位の・一位に準ずる・亜種
next・as~as the next
close=近似する=closely・resemble・approximate
nearly→副詞=ほとんど=similar
approximately equal
(アプロクシメットリー イコール記号は「≈」
「≒」記号は日本、台湾、韓国のみで使用
nearly equal(ニアリー イコール=同じ)
ほとんど等しい
数学的には無限小数を有効数字にマルめる
「nearly equal」は和製英語
白亜=白堊・・・堊=亞+王=あ・ア・アク
=白壁=白の漆喰(唐音の石灰の当て字)
=漆喰=消石灰に麻糸などの繊維、
ふのり(布糊・布海苔・布苔・海蘿)
角叉(つのまた)=紅藻類スギノリ目の
↓ 海藻・暖海の岩上に生育
扁平な葉状で
鹿の角の叉状に分岐し、
上部は
↓ ヘラ(箆)状
トサカ(鶏冠)状の形
色は緑紅色・紫紅色など
煮出して糊(のり)状物質を
↓ 土壁用の糊料とする
などの粘着剤を加え
水で練り、
砂や粘土を加えることもある
漆喰=うるし+くう
漆=(氵+黍)=七→シチ・シツ
唐黍=とうきび=玉麦
玉蜀黍=とうもろこし=玉黍
苞黍=つときび
南蛮黍=なんばんきび
真黍=まきび
吉備真備
持統天皇九年
(695年)
~
宝亀六年十月二日
(775年11月3日)
高麗黍=こまきび
喰=(口+食)=ショク=蝕
蜀=罒+𠣜(勹中ム)
触=觸=角+蜀(罒勹中ム)
さわる・ふれる
接触・触冒・触忌
感触(觸)
触(觸)媒
触(觸)角を持つ
丸眼で桑に群がる幼虫
青虫→蚕(かいこ・サン)
織・職・色
殖・稙
埴→埴輪=はにわ
燭・襡・稷・禝・属
・・・古代ギリシャ、ローマ人の騎兵の「兜(かぶと・冑・カッシウス(cassis)」の形態は「鶏冠(とさか)」・・・「インペリアル・ガリック型の兜(ガレア=galea)=兜の頭頂部に羽根型の飾り。百人隊長(ローマのケントゥリオ=センチュリオン)」は「鳥の羽毛」、「馬の毛」などで横に広がった飾り物を取り付けていた・・・
アレキサンダー3世時代(紀元前300~紀元前200)の古代ギリシャの騎兵、歩兵の兜は・・・密集陣形(ファランクス)の重装歩兵(heavy infan-try・ホプリテス(hoplites)・ホプロマクス(Hoplomachus=重装剣闘士)の絵画に描かれる「兜」も同形であるが・・・アレキサンダーの「マケドニア兵の兜は視野を広く取るために、同時期のギリシャ文化圏の兜のように頭部全体を覆う防御面で秀でたものでなく、より簡略化された兜をもっぱら被っていた」らしい・・・
青銅製の兜と脛当及び皮革を固めた鎧(マケドニア兵は鎧を着ず盾を胸甲代わりに着けた)を装備・・・アレキサンダーの乗馬での戦闘のモザイク画には大王は兜を被っていない。だが、ダリウス大王は頭には戦闘帽を被っている。彼の兵士は「ターバン」状のモノ・・・アステカ(メシカ)帝国(1325 or 1345~1375年建国~滅亡1521年8月13日)の戦士は兜に羽根飾り、背中に背負っている「箒(ほうき)」の様なモノに「旗布」が結ばれたて描かれている絵があるが・・・「ジャガー戦士」はジャガーの毛皮を着ている・・・彗星の核は「コマ」と呼ばれるが意味は「髪」らしい・・・そして、彼らの主食はトウモロコシ(玉蜀黍)=唐黍(トウキビ)だった・・・
・・・「唐黍、麦、米、芋(薯)」、そして「バナナ」は人類の初期の炭水化物としての「主食」であった(?)・・・日本の東北縄文人の主食は「栗(くり)」であった・・・
毛(髭=ヒゲ=絹糸と呼ばれる長い雌しべ、トウモロコシのヒゲは雌しべ)を包皮(包葉)から吹きだす「唐黍=玉蜀黍=Zea mays」の原産地は中南米である。トウモロコシが世界に拡大したのは「クリストファー・コロンブス(Cristoforo Colombo)」の「新大陸発見(1492年10月11日)」以降である・・・毛唐が南蛮人(ポルトガル人)であるとは「トウモロコシの毛」に関係するだろう・・・
「赤毛」を被った「赤報隊(明治維新期に結成された草莽(そうもう)隊の一・関東、東北の脱藩士や豪農商を隊員として相楽総三らによって組織化され、年貢半減を掲げて維新政府の官軍の先方として戦ったが、後、偽官軍として処断、処刑された」・・・彼らのスローガンは「御一新、旧幕府領の当年分、前年未納分の年貢半減」・・・博徒の親分、「黒駒(小池)勝蔵(1832年・天保三年)~1871年11月26日(明治四年10月14日?)も「赤報隊」の一員だった・・・
「小麦、大麦、水稲、粟(粱)」=「禾(いね・のぎ・ひいず・ひで・カ・ワ=形象は茎の先端に穂先が垂れかかる様)の実(穀物)」は圧倒的な収穫で、人間の食糧として「人口増加」を保障したが、大規模な人間の組織的な協働耕作は長期間、365日の「天変地異=季節の天候次第、大地の変動=噴火、地震、津波」、「疫病」などに左右されてきた・・・今現在もコレラは変わるコトはない・・・
「PTT、PTA」でもなく、「TPP=経済連携協定(EPA)・(自由貿易協定)」だった・・・一見、「食糧流通の均衡化」だが、「流通業者」は「穀物相場=博打」で投機的に「買い占め、価格を高騰させ」て儲けるのが相場である・・・
「米騒動(1918年米騒動=大正七年の日本で発生)」した。近年では「1993年(平成五年)の米騒動」で、日本商社の「外国米(タイ米)」の買い占めで、タイ国内の米高騰、従来「安いタイ米輸入」で生活をしていた周辺諸国の危機的な食糧不足を招いた。旧ソ連のウクライナの飢饉・・・
ホロドモール(Holodomor, Famine Genocide)、1932年~1933年、ウクライナの国境は封鎖し、ウクライナ地域で政治的に起こした大飢饉「農業集団化・国営農場(ソフホーズ)、集団農場(コルホーズ)」で、ソビエト連邦のスターリンの小麦徴発政策と、農民の強制移住、強制労働だった。結果は「250万~1450万人」の餓死者・・・
ソ連崩壊は「フルシチョフ(1894年4月17日~1971年9月11日・最初の妻ガリーナは飢饉で餓死)」、「ブレジネフ(1964年10月14日)、コスイギン」時代でも「ウクライナの小麦不足(1962年)」、1972年の凶作、1975年のデタント(緊張緩和)でアメリカからの穀物輸入、1985年「ゴルバチョフ」時代の「チェルノヴィル原発事故(1986年4月26日)」である・・・
「食糧危機」は各々の人間共同体(協同体)同士の「掠奪(食糧・労働力=奴隷)戦争」である・・・
だが、「戦争目的」は「飢餓、飢饉による食糧確保」から逸脱し、単なるエゴな国家的支配階級の下で、強盗、「殺傷目的」となり、今日的な「世界紛争」へと引きずってきている・・・
「飽食」などとはダレのコトバなんだか、「ダーウインがキタ」の野生動物以下になり下がって殺傷をしている・・・釈迦は呑気だった・・・モーゼ、キリスト、マホメットは「人間の餓え」からの解放、その生きている「現場の人間」の危機的状況の打開を目指したが、「人間相互の責任」を「神」に押し付けてしまった・・・「断食 (fasting)=ラマダーン」はスリムになるコトが目的ではないコトを知るべきだな・・・喰える時には喰うべきであるが、「餓え」を忘れては、ダレかが「餓えているコト」を忘れては救いようがない・・・
↓↑
トウキビの日本語方言
まんまん=広島県、島根県南部
まるきび=岐阜県の一部
うらんだふいん=沖縄県竹富島(オランダ大麦)
怨んだ附韻、訃音?
↓↑
トウキビの外国語
英語=corn(コーン)
Indian corn(インディァン・コーン)
maize(メイズ)
ドイツ語=Mais(マイス)
オランダ語=mais(マイス)
フランス語=maïs(マイス)
イタリア語=granoturco(グラノトゥルコ)
granturco(グラントゥルコ)
スペイン語=maíz(マイス・マイース)
ポルトガル語=milho(ミリオ)
ラテン語=Zea mays (ゼア・マイス)
ギリシャ語=καλαμπόκι(カラボキ)
ロシア語=кукуруза(ククルーザ)
アラビア語=ドラ・・・銅鑼・dram・虎・彪・寅
↓↑
ーーーーー
Taj Mahal=タージ・マハール=白亜の宮殿(廟堂)
王妃ムムターズ・マハル
Mumtāz Mahal・・・まはル
Momtāz-i Maḥal・・・まわル?
の
「ムム」が消え、→「mum=mom」?
「無務毋武夢鵡」
「ム=私・ヨコシマ」
ターズがインド風発音のタージに訛った?
直訳は「王冠の宮殿」・・・空洞の宮殿?
空白の墓・・・廟堂
grave(グレイヴ)
tomb(テウーム)
sepulcher(セパルカ)の墓の建築物だろう.
の
「歴=こよみ=暦」・・・歴史・暦史=calendar(カレンダー)
の 日読み?月読み?
「山=やま・サン・ザン」
で、
「山」は
「щ(シチャー)・・・キリル(Cyrillic alphabet)文字
・・・「櫛+ヽ」?
ш(シャー)・・・・キリル文字・・・櫛?
Ε(イ)の横倒し
∃(よ・ケイ)の横倒し・・・ヨ=彐(ケイ)=豚の頭
△△(三角・参画)・∧∧・M・W」
に類似、類字するから・・・
「ギョシャ=馭車=禦者=Auriga(アウリーガ)」スル如く、
「トレミーの48星座」の
「Ἡνίοχος(ヘーニオコス)=御者(ギョシャ)」座を含めて
「プトレマイオス」も、
「アラートス( Aratos)」も
星座として天体に配置した・・・
「馬車と馬と馭者、車道」・・・ナゼ、「馬(うま・バ)」が「午(うま・ゴ)」の漢字として、「12支の正午、南方位の午の位置(位地)」を獲得したのか?・・・
「うま・ウマ・宇摩→horse→Ἵππος(híppos・ヒッポス)」・・・
「ヒポクラテス(ヒッポクラテース・Ἱπποκράτης=Hippocrates・紀元前460年頃~紀元前370年頃)」の医者・・・
ヒポポタマス(Hippopotamus)は
「河馬=魁罡」・・・魁罡=北斗七星
星座としての
「こうま座(小馬座・駒座・Equuleus)は、
トレミーの48星座の1つ
全天88の星座の中で南十字星(座)の
次に小さく、また
全ての星が4等級以下の星座」で、
「アラトス=アラートス(Ἄρᾱτος・Aratos・Aratus)・紀元前3世紀のギリシアの詩人、マケドニアの人」
の
「星座(現象=ファイノメナ)=星の配置」
にはないらしい・・・
「こうま(子馬・pony=ポニー)座=Equuleus(エクレウス)」・・・
「プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus・83年頃~168年頃)」
は
「(Πππου -ροτομή=híppuː protomɛ̌(ヒップー、プロトメー)=ウマの首」、
「子ウマ=άριον=hippárion(ヒッパリオン)」
としたらしい・・・が、
「hippo」は「河馬(hippopotamus)」の短縮形で、「hippopotamos」=「hippos(馬)+potamos(河)」、古代エジプトでは
「河馬」=「デブ(db)」で
「神々の母、原初の水の中にいるもの」・・・子宮の羊膜中の水は「羊水」というが、「河馬水」ではない・・・「羊水(amniotic fluid=amniotic liquid=羊膜内の流動性液体)」は、「羊膜上皮から分泌し、羊膜腔を満たす液体で、爬虫類、鳥類、 哺乳類といった有羊膜類の胚、胎児は、羊水に浮かんで発育する」らしいが、ナゼ、「羊水」と云う漢字に一般化されたんだろうかは・・・羊、山羊の放牧民の日常生活からだろう・・・
デンデラ(Dendera←Tentyra=テンティラ)の守護女神で、妊婦、安産、養育の「牝河馬の神」・・・北天の星座がカバに結び付けられ、王家の谷ある「セティ1世の墓の天井に天の女神」として描かれている・・・
「トゥエリス=タウレト(牝河馬神)=デブ(db)」→「ハトホル(牝牛神)」に習合されていった・・・
デンデラ神殿には黄道帯(十二宮)の彫刻がある・・・
「ヒッポカムポス(古希=ἱππόκαμπος・hippokampos
ラテン語=hippocampus)」
は、
「ギリシア神話の半馬半魚の海馬」、
「ヒッポカンポス=英語で
hippocamp(ヒッポキャンプ)
hippocampus(ヒッポキャンパス)
sea-horse」・・・
「アラートスの(神話的主題の詩、『現象(Phaenomena)』=紀元前275年頃の本」にはこの星座の記述はない、らしい・・・
「子馬座」は
「プトレマイオス」以後の座図らしい?・・・
「ペガスス座(Pegasus)=Ἵππος
=(híppos=ヒッポス=馬・ウマ」
の座・・・ペガスス=「Πήγασος (ペーガソス)」・・・
「射手座(Sagittarius・サギッターリウス)」=「半人半馬のケンタウロス一族のケイロン」・・・
「ケイロン(Cheirōn・Chiron)」は
「医者、医術の「アスクレピオス」の先生・・・
↓↑
「ケンタウルス座=Centaurus(ケンタウルス)
=kéntauros」・・・
「ポロスの星座」であり「射手座」とは異なる
これらの二つの星座は混同された・・・
↓↑
射手座
二十八宿の第8宿「斗宿」
「北斗」に対して
「南斗」=「南斗六星」
英語で
「Milk Dipper(ミルクディッパー)」
アラビアでは
「al-Naʽām al-Ṣādirah=天の川の水を飲んで
帰っていく
ダチョウ(駝鳥)の群」
六星のうち、
「枡」にあたる4星は
「ミボシ=箕星」
↓↑
「アラートス」の著書、
「現象」
の中の記述は
「エウドクソス」
の「星座と気象」に関する著書を、
「韻文の詩」に書き改めたもの・・・
「現象」は、現代の星座名と同じく、記述としては最も古い。
「アラートス」は天文学には詳しくなかったので、記述には誤認も含む・・・らしい・・・
で、
「星座に関するギリシア神話」は、ほとんどが
「アラートスの記述(紀元前275年頃)」を基盤しているらしく
↓↑
五角形の「ぎょしゃ(馭者・禦者)座(Auriga=アウリーガ=Ἡνίοχος=ヘーニオコス=御者座・カペラ」は既に記述したが、馬車の発明は「アテナイ王エリクトニオス」・・・御者(馭者)は馬と車を制御する「馬追い、馬車追い」である・・・馭車・御車の誤運転のハナシは「太陽神アポローンの子パエトーン」でアポローンのチャリオット(馬車)を借りて、その馬車を制御できずに世界を火焔地獄にしてしまったコトである・・・最近は老人の誤運転事故が多い・・・酒の飲み運転事故は公務員も・・・運転中の携帯電話、ポケモン狩りの事故も・・・
技術、技能、知識の「自己過信」も「無自覚、無知、無恥」も「誤まりを招く」が「相手の存在、認識対象の存在」の中にあってのコトである・・・しかも、ホンの僅かな「nearly equal」の差の結果である・・・
ーーーーー
・・・「アレキサンダー大王(3世)」のハナシだが、「亞(亜)歴山」の漢字での「歴史=暦史」→「古与見(こよみ)」の西暦は「ユリウス暦(曆)」と「グレゴリオ暦(曆)」がある・・・「曆」・・・「清代に乾隆帝の諱(弘暦)であるので、使用が避けられ代わりに厤、歴が用いられた」らしい・・・「厤(厂+禾+禾)象なり」=「等間隔に並べる」・・・「金文では蔑暦=軍功の評」?・・・「蔑(さげすむ・ないがしろにする・ベツ・メチ)」で熟語は「蔑称・侮蔑・軽蔑・蔑視」だが、「軍功のヨしワルしの評価」ならば、「軍拙を並べて侮蔑する」か?・・・「暦=厤+曰=𤯍(𤯌)」の「隷釈」って?、「碑文資料・石刻資料=隷書体の文字」と云うコトか・・・なんで、「奴隷」と「隷書」の「隷」が同じなんだか・・・「曆=𢍷(止+止+厂+禾+禾+日+廾)」・・・この漢字構成のイメージは階段状の田畑に植えられた禾と禾の間に昇る太陽、あるいは月に手併せ、拱く急勾配の山間地の階段状水田の「棚田」だろう・・・広重の浮世絵、「信州更級-田毎の月(嘉永六年)」・・・
愛馬ブケパロスとアレクサンドロス3世
イッソスの戦いを描いたモザイク壁画で
「ポンペイ(Pompeii・Pompei)遺跡
(イタリア・ナポリ近郊の古代都市
79年8月24日・・・己卯・壬申・癸亥(グレゴリオ暦24日)
辛酉(ユリウス暦24日)
ヴェスヴィオ火山噴火の火砕流で地中に埋没)」
より出土
「ブケパロス」は大王の
「黒い馬」で、
額に星模様、or 牛の角の形があった
「ブーケパロス(雄牛の頭)」
βούς(ブース=牡牛)
βού(プー=牝牛]
κεφαλή(ケパレー=頭)
ポンペイ遺跡の出土壁画の馬には
角が描かれているが、馬の色は「茶色」である・・・
ーーーーー
西暦
1年 1月 1日
庚申(猿)/戊子(鼠)/己卯(兔)
↓↑
1年(庚申)2月(戊丑)1日(庚戌)
↓↑
節分日以降は辛酉年-庚寅月
↓↑
1年 2月 10日
辛酉(鳥)/庚寅(虎)/~己未(羊)
↓↑
アレクサンドロス3世=亜歴山-三世
亜の歴(史)の山(算・纂)の三世紀
アマネシのコヨミのヤマのサンヨ
アレク-サンド-ロス-3世
阿連句-作務努-賂素-纂所為?
(ギリシア語=Ἀλέξανδρος Γ')
紀元前(ユリウス暦)
356年 乙丑・・・・
沖刑
7月 癸未
害
20日 戊子・・・・癸巳(グレゴリオ歴換算)
~
紀元前323年6月10日
在位
紀元前336年~紀元前323
↓↑
ピリッポス2世
と
エペイロス王女
オリュンピアスの間に生まれた
ピリッポス2世はヘーラクレースを祖
オリュンピアスはアキレウスを祖
13歳
都ペラから離れた
「ミエザの学園」で
アリストテレスの講義を受けた
↓↑
紀元前338年
アレクサンドロスは一軍の将として父に従って
ギリシアの南部に出兵
カイロネイアの戦いで
アテナイ・テーバイ連合軍を破る
アレクサンドロスは精鋭の騎兵を率いて
アテナイ・テーバイ軍を壊乱させ、
マケドニアの勝利に大きく貢献
父ピリッポス2世は
ギリシア諸ポリスに
コリントス同盟(ヘラス同盟)を締結
全ギリシアの覇権を握る
紀元前336年に護衛の
パウサニアスに暗殺された。
↓↑
20歳
マケドニア王を継承
敵対者を排除してマケドニアを掌握
トラキア人と戦うために
イストロス川方面に遠征
反旗を翻したテーバイを破壊し、
父王暗殺後に混乱に陥っていた
全ギリシアに再び覇を唱えた。
ギリシアの諸ポリスを制圧し
マケドニア本国の押さえを
重臣
アンティパトロスに任せた
↓↑
「アレクサンドロス」=「イスカンダル」
↓↑
紀元前333年
アレクサンドロスは
アンティオキアの北西
イッソスで
ダレイオス3世のペルシア軍10万と遭遇し
イッソスの戦いでは
騎兵と近衛兵、徴募兵を指揮し
ペルシア軍を敗走させ、
ダレイオスの母・妻・娘を捕虜にした
和睦の申し出を拒否し進軍
↓↑
「アレクサンドロス東征記(Anabasis Alexandri)」
(Alexándrou anábasis)=内陸への遠征
2世紀にアッリアノスにより書かれた
プトレマイオス1世の書いた
「アレクサンドロス大王伝」などの資料で記録
↓↑
エジプトの征服
シリアでは反ペルシアの都市が多く歓迎されたが、
フェニキアのティール(Tyre・ティルス)を屈服させ
南下してエジプトに侵入
↓↑
紀元前343年
エジプトは
アルタクセルクセス3世
によって征服されていたが
ペルシアの統治が弱く、
アレキサンドロスが占領
紀元前332年
エジプト人に解放者として迎え入れられ
ファラオとして認められ、
「メリアムン・セテプエンラー」
の
ファラオ名を得て、
アメン神殿にその像を祭られた
西部砂漠の
シワ・オアシスにあるアメンの聖地で
自らをアメンの子とする神託を得た
後
ナイルデルタの西端に都市を建設
アレキサンドリアとした
↓↑
ペルシア王国への遠征再開
↓↑
「ガウガメラの戦い」
「ペルシス門の戦い」
紀元前331年
アレクサンドロス軍47,000は、
チグリス川上流の
ガウガメラで
20万~30万ともいわれた
ダレイオス3世指揮下のペルシア軍を破った
ダレイオスが
カスピ海東岸に逃れると、
ペルシャ王国の中枢に乱入し
バビロンやスーサの主要都市を略奪、
ペルセポリス
では一般民衆に対しても
凄惨な虐殺と強姦、徹底的に破壊、焼き払った
この破壊は、
ペルシア戦争時に
ペルシアが
アテナイのアクロポリスを焼き払った復讐
ペルシアの中枢を占領した後も、
ダレイオスを追った
↓↑
翌年、紀元前330年
ダレイオス3世が
ベッソスによって暗殺
ベッソスは
ペルシア国王アルタクセルクセスを自称し
抗戦
ベッソスの不義不忠を糾弾し攻め
ベッソスは、
スピタメネスと
オクシュアルテスに捕えられ
エクバタナで公開処刑
↓↑
ソグディアナ方面の占領
中央アジア方面へ侵攻
再び反乱を起こした
スピタメネスを中心とする
ソグド人による激しい抵抗に直面
紀元前329年~紀元前327年
ソグディアナとバクトリアで
ゲリラ戦(Siege of the Sogdian Rock)を強いられた
遊牧民である
スキタイ人も攻撃を仕掛けてきたが、
大王の部下
クラテロスは勝利した
↓↑
紀元前328年
大王は
帰順したこの地方の有力者、
オクシュアルテスの娘
ロクサネを妃とした
↓↑
インド遠征
インドへの遠征を開始
紀元前327年~紀元前326年
スワート渓谷
コフェン戦争
アオルノス包囲戦
紀元前327年~紀元前326年
紀元前326年
インダス川を越えて
パンジャブ地方に侵入
5月にヒュダスペス河畔の戦いで
パウラヴァ族の王
ポロスを破った
後も周辺の諸部族を平定、進軍
カタイオイ人も制圧
部下が進軍を拒否し
兵を返すことにした。
↓↑
11月から
Hydraotes川(ラーヴィー川)を南下
全軍を3つに分割し
クラテロスと共に残存する
敵対勢力(en:Jat people系族のen:Malhi)を
駆逐(en:Mallian Campaign)し、
インダス川を南下し
Patala(タッター)に出た。
ゲドロシア砂漠(パキスタンバローチスターン州)
を通って
カルマニア(イランケルマーン州)に向かい、
紀元前324年
スーサに帰還
この際、部下の
ネアルコスに命じて
インダスからペルシア湾を通って
ユーフラテス川の河口までの航海を命じた
この探検航海によりこの地方の地理が明らかになり
ネアルコスの残した資料は
後世散逸したものの
ストラボンなどに引用された
紀元前324年
スーサの合同結婚式が行なわれた
↓↑
バビロン帰還と大王急逝
バビロンで帝国を
ペルシア、
マケドニア、
ギリシア(コリントス同盟)
の3地域に再編
同君連合の形
ペルシア人を積極的に登用
ペルシア人とマケドニア人の融和を進めた
ペルシア帝国の後継者を宣し、
ペルシア王の王衣を身にまとい
ペルシア風の平伏礼などの儀礼や統治を
導入し
専制君主化とマケドニア人の反発を招いた
↓↑
バビロンに戻り
アラビア遠征を計画
が、
蜂に刺され、祝宴中に倒れた
10日間高熱に浮かされ
「最強の者が帝国を継承せよ」
と遺言し、
紀元前323年6月10日
34歳の若さで死去
死因は毒殺説、熱病(マラリア=malaria)説
癲癇発作
アレクサンドロス3世は
虹彩異色症・・・左右の眼の虹彩の色が異なる
or、一方の瞳の虹彩の一部が変色
オッドアイ(odd eye)
だった?・・・モモちゃんは左目が無い隻眼だった・・・
↓↑
大帝国の遺将たちが
バビロン会議、
トリパラディソスの軍会
協定によって安定化を目指したが
「最強の者が帝国を継承」で
アンティゴノス、
セレウコス、
プトレマイオス
他の諸将による
ディアドコイ戦争で
分裂
紀元前3世紀
アンティゴノス朝マケドニア、
セレウコス朝シリア、
プトレマイオス朝エジプト
の
ヘレニズム三王国が出現
三国鼎立で落ち着いた
↓↑
紀元前168年
アンティゴノス朝が滅び
西方は順次ローマに併合
ヘレニズム諸三国は
ローマに滅ぼされた
東方はパルティアが勃興
セレウコス朝の領土の大部分を奪い、
東方領はマケドニア人の手を離れた
以後東地中海から中央アジアに至る地域は
イスラーム帝国の出現まで
大統一を見なかった
アレクサンドロスの遺体は
ペルディッカス
が
バビロンから
王都ペラへ移送途中に
プトレマイオスに強奪され、
ミイラとしてエジプトに埋葬された・・・
↓↑
アレクサンドロス大王の一族は
ディアドコイ戦争中に殺害され、
大王の血統は断絶
↓↑
サンドロコットス
プルタルコスなどによれば、
アレクサンドロスがインドに侵入した時、
マケドニアの陣営に1人の若者が訪れて
インド東部への道案内を申し出、
若者の名は
サンドロコットスといい、
彼がのちの
チャンドラグプタであるとした・・・
ーーーーー
・・・
白鳥(はくちょう→swan)座(Cygnus=キュグヌス)=「Ὄρνις =オルニース=鳥=Κύκνος(kýknos=キュクノス=白鳥」・・・「鷲」、「鶏」・・・「白鳥」になったのは「ヤマトタケル(倭 健=大和健)」だったが・・・
ーーーーー
・・・権力を握るモノは暗殺される・・・