・・・「忘己利他(もうこりた…己を忘れて他を利する)-慈悲極」ですか、これってヤッパ、「もう、懲(こ)りた」だろう。そして、「まだ懲りない奴だ」・・・も、いるだろう・・・「己を忘れた(無自覚)では利他」も難しいし、無自覚では「慈悲の極(きわみ)」も難しい・・・「懲りては生きていけない動物、人間」は命を賭けての「懲りられない存在」であるかも・・・「慈+悲」は主観認識、客体対象としての「慈悲を乞う人間が存在」し、それに「慈悲を与えねばならない、と思う人間」が存在すると云う「相対関係」のコトだろう・・・ダレとダレの関係の「懲らしめる」、「懲りる」なんだか・・・「懲らす」は「勧善懲悪・懲役・懲戒・懲罰」の「懲=(徵+心)=懲・こらしめる・こらす・こりる・チョウ」だが、「徴(めす=召す・チョウ)=懲=彳+山+一+王+攵=微省に従ふ、壬為徵、微に行ひて而(しか)も文達する者は、即ち之れを徵(め)す」は、「徴収・徴税・追徴・徴兵・徴用・徴発」で、その「心」である。他には「徴候・徴験・特徴」もあるが、「人間宣言」したのに「象徴天皇」には日本国憲法下での「人権・戸籍・国籍」も、「定年」も無い?・・・崩御なさるまで「酷使」する「国民」って、ダレなんだか・・・同音で「凝(こ)らす」は漢字構成からすれば「氷(冫・凍=凍結)+疑」で、「凝縮・凝固」で、縮(ちぢま)ッて、固まるである・・・凝視、仰視と云うコトバもある・・・
「徴・徵(彳山一王攵)・象徴・特徴」の類字は
「微(彳山一兀攵)=かすか・わずか=微細・微妙
微笑(ビショウ)」
「徽(彳山系攵)=しるし・キ・ケ・徽章(キショウ)」
「黴(彳山一里灬攵)=かび・バイ・ビ・黴菌(バイキン)」
であるが・・・説文解字に「召すなり=微省に従ふ、壬為徵、微に行ひて而(しか)も文達する者は、即ち之れを徵(め)す」の意味は、難解である・・・
「微省=(安)微省なのか、
(安)徽省なのか、
徽を省(かえりみる・はぶく)なのか、
省(かえりみる・はぶく)も微(かすか)」
なのか、
「壬為徵=壬(ジン)は徵(チョウ・チ)と為す」は声音の説明らしいが、「壬は徵の異字」ともある・・・「徴・徵」の部首構成の「王(オウ)」ではなく、「壬(ジン)」であるらしい・・・ボクとしての判断は「?」である。穿って妄想すれば「壬は徵の異字」ならば「壬申の乱を省(かえりみる」に掛けているように思える・・・
干支(カンシ)年では60年周期で「壬申(ジンシン)」である。この干支年の「歴史上」は過去的には、
天武天皇元年六月二十四日
~
七月二十三日
ユリウス暦
672年・・・壬申(猿・さる)
7月・・・丁未(羊・ひつじ)
24日・・・甲申(猿・さる)
~
672年・・・壬申(猿・さる)
8月・・・戊申(猿・さる)
21日・・・壬子(鼠・ねづみ)
「七月二十三日」はボクの誕生日でもあるけれど、「壬申年」ではない。「1512・1572・1632・1692・1752・1812・1872・1932・1992・2052」は「壬申年」で、下二桁が「12・72・32・92・52」のサイクル年である・・・ナゼか「明治天皇」は
「明治三年七月二十三日
(西暦1870年8月19日=庚午年-甲申月-丁亥日)」
西暦(グレゴリオ暦)で
「1870年7月23日=庚午年-癸未月-庚申日」
に
「大友皇子=伊賀皇子(死亡は天武元年七月二十三日)」
に対して
「弘文天皇」の号(追号・称号・諡号)を与えている・・・ナゼ、「弘文(コウブン)=弓+ム+亠+乂」なんだか?・・・「コウブン=乞う文、交文、考文」・・・ナゼ、「伊賀皇子」なんだか、「百地三太夫・石川五右衛門」、「服部半蔵」、「藤林保武」、「望月出雲守」、「戸川(戸田)白雲斎」・・・「訳臥話葉句韻差意」の仕業かも・・・「記録文書」も忍者の仕事・・・忍耐、堪(こら)える、躵、我慢・・・
改暦布告は二年後の明治五年(1872年12月9日)である・・・
「壬申=ジンシン=訊審」である・・・「ミズのエのサル」・・・
「jigen-net」では、
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「長は長髪の人で部族を代表する者、そのような人を殴(う)って部族に対して懲罰を与えるのが徴(徵)、敵方の若い巫女を殴って呪力を微(な)くするのが微、髑髏(どくろ)を殴ってその呪霊を刺激し徼(もと)めるのが徼。徴(徵)・微・徼はいずれも相似た呪的行為を意味する字」
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「彳(テキ)+山+王(チョウ)+攵=攴(ボク)。彳=道路において、「山+王=長髪の人」を「攴(うつ・敺=殴打)」形象。長髪(山+王)の人は長老とも、また巫女とも解されるが、要するにすぐれた呪的能力をもつもの。これを殴(う)って、敵方に対する懲罰的な行為として、味方の要求するところを徴し、あわせて懲罰を加える行為をいう。その効果のあらわれることを徴験という(字通)」
・・・「徴(徵)」の「山+一+王」が、「山+一+壬(みずのえ・ジン)」ならば、「彳(渓流)の山から一(流)れる水(壬)の瀧(攵=攴)の落水」で、「望天門山(李白)」の漢詩からナルホドかも・・・
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「望天門山 李白」の漢詩
「天門中断楚江開
碧水東流至北廻
両岸青山相対出
孤帆一片日辺来」
からの示唆?、
「天門山は
安微省・・・・・・・安-微省
蕪湖(ムコ)・・・「蕪村」じゃぁなく、「蕪湖」です
市付近にある
東梁山
長江(揚子江)を
楚の国から流れてくるコトから
楚江と呼んだ」・・・らしい
・・・「楚」=「林(木々)」+「疋(ひき・あし・ショ・ソ=疋は膝から下の脚、反物を数える数詞」・・・
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「天門山=長江両岸を夾んで
門のように聳(そび)える・・・聳=従う耳
二つの山の総称
安徽省・・・・・・・安-徽省
当塗県にある
博望山(東梁山)(長江東岸)
と
和県(長江西岸)にある梁山」・・・和の県?
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「天門山は長江が
安徽省・・・・・・・・安-「微」-省
から江蘇省に入る直前。
安微省・・・・・・・・安-「徽」-省
蕪湖近く。
「博望山」
と
「梁山」の
二つの山をあわせた言い方
この両山が長江の両岸にそそり立っていて、
川下りの舟から見上げるると
天に門が開けたようなので
天門山という。
楚江=長江。
戦国時代にこのあたりは
楚の領土だったため楚江という」・・・らしいが、
「安-微(ビ)-省」=安-徽(バイ・ビ)-省」・・・と記されている・・・のだが、「誤記」なのか・・・?・・・「安徽省(Ānhuī Shěng)=アンホイ」が正解であるらしい・・・
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・・・ナゼ、「仏性」を簡単に「自然の法則性」の「対象認識」としないんだか・・・「大乗」は「自転、公転している地球自体の乗り物の比喩」だろう。それに乗っているのが「生きている動植物」で、「個々の限られた命(いのち)を別個な命へと交代で繋いでいる」のである・・・「お経」を暗記して唱えているだけでは救われないのはアタリマエである。「漢字の一文字」の意味が解れば、「生き方も変化」していくだろうが、「言霊が人間を動かす」のは事実であるが、「意識がプチブル意識の枠内」では「慈+悲」のコトバの「人間社会」もなくならない。「慈悲」を極めるとは「慈悲」を必要としない「人間社会」である・・・「施(ほどこし)し、乞食(コツジキ)」を必要とする階級社会ではないだろう・・・「ホトケの手のヒラ」で生きていくコトでもない・・・
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以下の文言は「ETVの番組」の登場者の会話を観て拾ったコトバであるが・・・
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忘己利他
モウコリタ・・・懲りたのは
毛の子の理(利)の多(他)で・・・厘毛
毛野 (けぬ) 国=かみつけの=上毛野=上野
群馬
=しもつけの=下毛野=下野
栃木
摩利支天(Marīcī・陽炎・威光)塚古墳
仏教の守護神である天部の一柱
日天の眷属・Marīcī=太陽や月の光線
摩利支天は陽炎の神格化
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にこげ=和毛=鳥獣の柔毛・産毛
二毛作か、不毛か
毛利か、毛-タク-サンか
己心本有
コシンホンユウ・・・己の心は本に有り?
1052年末法
観心本尊抄
一念三千・・・事の一念三千
十界互具
常不経菩薩
良寛
法華讃
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南妙法蓮華経
ナンミョウ補得蓮華経
久遠の仏
衆生国土五蘊世界
十如是諸法実相
百界
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・・・???・・・