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コジキジゲン

「サガ懸の連中」・・・サガリ首・・・「サガ-ミ」・・・鍋島の殿様・・・

2018-01-30 23:30:00 | 古事記字源

 ・・・「芎藭(キュウキュウ)=草の名・芹(せり・キン)科の多年草=藭=艹+穴(宀八)+躬(身弓)」・・・「芎藭=セリ科の香草=「芎藭=関中産を京芎・蜀産を川芎・天台産を台芎・江南産を撫芎・・・芎=𦵡=艹+宮(寓)・・・漢方の効能は止血・血を補い、血液の循環・月経不順・冠状動脈硬化性の心臓病、狭心症」・・・
 「北海道釧路郡釧路町・仙鳳趾村」の「重蘭窮(ちぷらんけうし)」地名の「窮⇔藭」・・・
 「重蘭窮(ちぷらんけうし)=アイヌ語
      チプランケウシ(船を下ろす所)」
 「チプ(船)+ランケ(~を下ろす)+ウシ(所)」
 「重蘭窮」=重なる蘭(阿蘭陀)の
   「窮猿投林・窮鼠猫を噛む
         窮鼠齧狸⇔狸(たぬき)=犭+里=山猫?)」
 「古事記」の
 「サガ(佐賀・佐嘉・嵯峨・礒=磯・性
     探    ・捜)
     探査・探索・捜査・捜索
  ミ(見・身)に
  カミにカミて」?
  さがみ・・・相模・坂上・佐上・相神・相見?
  かみ・・・・掛視・咬み・噛み・神・守・髪・嘉美
 「振滌(振るサンズイ(氵)の條=洗滌・船上・撰條)」
 「天 之眞名井而
 (アマの真名=漢字の意の形而=形字)」
  海女・海人・海部・贏・阿毎⇔阿倍
  あま=女
 「佐賀美邇(佐賀見似)、迦美而(加味字)」
 「自佐下六字以音、下效此」
 「佐賀美邇、迦美」・・・下效此=下は此れに效(なら)へ
                 以下、此れに同じく従う
              效=効=傚
               =ならう・まねる・きく・ききめ
              効顰(コウヒン)=ひそみにならう)
 「さかみに かみ」=「顰に倣う=善し悪しも兎に角、真似よ」
          =他も同じく倣え
          =西施(美人)の顰(ひそみ)に倣う
              顰=歩+頁+卑(弥呼)
               =顰(しか)める
                眉間に皺(しわ)を寄せ
                顔を顰(しか)める
     「西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃=中国古代四大美女」
     「西施(セイシ)=越王(勾践)が
              呉王(夫差)に送り込んだ
              傾城の美女」
      越の賢臣
     「范蠡(ハンレイ⇔凡例・範例・判例)」
      の諫めを無視し
     「会稽の戦いで越王は敗北」
      越の名臣
     「文種(ブンシュ)は
      呉王(夫差)に
      越王(勾践)の助命を嘆願
      呉の雄臣、伍子胥(ゴシショ)は反対
 「於、吹棄(ふきすて=附記素出
    スイキ=垂記・椎木・隋記・水記)
    氣吹(きふく・記伏・帰伏
       キスイ・記素意)
    之(シ・詞・史・これ・維・伊・惟・凝=氷+疑=凍+疑)
    狹霧(差務・佐切・怎)・・・せまい・ギョウ」
                  施米 ・業
 「所成藭(キュウ)御名、
  多紀理毘賣命(此藭=キュウ名以音)」
 「亦御名、謂、
  奧津嶋(欧、清等)比賣(比較売り)命」
 「次、市寸嶋上比賣命、
  亦御名、謂、
  狹依毘賣命」
 「次、多岐都(瀧津)比賣命。三柱
  (此藭名以音=キュウ)」・・・
  ↓↑
 ・・・「鍋島=金+咼+島」・・・「化け猫騒動」
     なべしま
  ↓↑
 「鍋島 直大(なべしま なおひろ)」
 肥前国
 佐賀藩第十一代(最後の)藩主
 明治・大正時代の政府高官
 侯爵
 佐賀藩十代藩主
 鍋島斉正(直正)の長男
 初名 は直縄(なおただ)
 明治維新以前(藩主在任中)
 将軍徳川家茂の偏諱を冠し
 茂実(もちざね)
ーー↓↑ーー
 「岩倉使節団の
  船中の読書・・・・・ダレって?「鍋島直大」?
  古事記-妄想-古事記」
 「鍋島の化け猫(犭+苗・ねこ・ビョウ)騒動」
  ↓↑
 「天照大藭」&「須佐之男命」
 ・・・「古事記-原文」・・・
  ↓↑
 故於是、速須佐之男命
 言
 「然者、請天照大御藭、將罷(まかる)」
 乃
 參上天時、山川悉動、國土皆震。
 爾
 天照大御藭、聞驚而詔
 「我那勢命
  之上來由者、必不善心。欲奪我國耳」
 卽
 解御髮、
 纒(まとい)
 御美豆羅(おんみずら)而、
 乃於
 左右
 御美豆羅、
 亦於
 御𦆅、
 亦於
 左右御手、
 各纒持
 八尺勾璁
 之
 五百津
 之
 美須麻流(みすまる)之珠而
 (自美至流四字以音、下效此)、
 曾毘良邇者(そびらに・かいびらに・自曾至邇以音)、
 負
 千
 入(のり)之靫(うつぼ・ゆぎ・矢を入れ)
 (訓入云能理、下效此)。
 比良邇者、
 附五百入之靫、
 亦所
 取佩
 伊都(いと・此二字以音)
 之
 竹鞆而、
 弓腹
 振立而、堅庭者、
 於
 向
 股蹈
 那豆美(なづみ・三字以音)、
 如
 沫雪蹶散而、
 伊都(いと・二字以音)
 之
 男建(たけ・訓建云多祁)夫
 蹈建而
 待問
 「何故上來」
 爾
 速須佐之男命
 答白
 「僕者
  無邪心、
  唯
  大御藭之命以、
  問賜僕
  之哭
  伊佐知流之事。
  故、
  白
  都良久(とらく・つらく・三字以音)、
  僕
  欲往
  妣國以哭。
  爾
  大御藭詔、
  汝者
  不可在此國而、
  藭
  夜良比
  夜良比賜。
  故、
  以爲請
  將罷往之狀、
  參上耳。
  無異心」
 爾
 天照大御
 藭・・・・・「窮猿投林」
 詔
 「然者、汝心之芿明、何以知」
 於是、
 速須佐之男命答白
 「各宇氣比而生子」
  (ウケイ・自宇以下三字以音、下效此)。
  ↓↑
 故爾
 各中置天安河而、
 宇氣布時、天照大御藭、
 先
 乞度
 建速須佐之男命
 所
 佩
 十拳劒、
 打折
 三段而、
 奴那登母母由良邇
 (ヌナトモモユラニ・此八字以音、下效此)
 振滌
 天
 之
 眞名井而、
 佐賀美邇(サガミニ)・・・・・・さがみ=詐臥実似
 迦美而(カミ)・・・・・・・・・かみ
 (自佐下六字以音、下效此)、
 於
 吹棄氣吹之狹霧
 所成藭(キュウ)御名、
 多紀理毘賣命(此藭名以音)、
 亦御名、謂
 奧津嶋比賣命。
 次
 市寸嶋上比賣命、
 亦御名、謂
 狹依毘賣命。
 次
 多岐都比賣命。三柱、(此藭名以音)。
  ↓↑
 速須佐之男命、
 乞度
 天照
 大御藭
 所纒
 左御美豆良八尺勾璁
 之
 五百津
 之
 美須麻流珠而、
 奴那登母母由良爾、
 振滌
 天之眞名井而、
 佐賀美邇・・・・・・さがみ=詐臥実似
 迦美而、・・・・・・かみ
 於吹棄氣吹
 之
 狹霧所成
 藭御名、
 正勝吾勝
 勝速日天之忍穗耳命。
 亦乞度所
 纒右御美豆良之珠而、
 佐賀美邇・・・・・・さがみ=詐臥実似
 迦美而、・・・・・・かみ
 於吹棄氣吹
 之
 狹霧所成藭御名、
 天之菩卑能命。(自菩下三字以音)。
 亦乞度所
 纒御𦆅之珠而、
 佐賀美邇
 迦美而、
 於吹棄氣吹
 之
 狹霧所成藭御名、天津日子根命。
 又乞度所
 纒左御手之珠而、
 佐賀美邇・・・・・・さがみ=詐臥実似
 迦美而、・・・・・・かみ
 於吹棄氣吹
 之
 狹霧所成藭御名、
 活津日子根命。
 亦乞度所
 纒右御手之珠而、
 佐賀美邇・・・・・・さがみ=詐臥実似
 迦美而、・・・・・・かみ
 於吹棄氣吹
 之
 狹霧所成藭御名、
 熊野久須毘命。(くすび・自久下三字以音)。
 幷五柱。
 ↓↑
 於是
 天照大御藭、
 告
 速須佐之男命
 「是後所生
  五柱男子者、
  物實
  因
  我物所成、故、自吾子也。
  先所生
  之
  三柱女子者、
  物實
  因
  汝物所成、故、乃汝子也」
 如此詔別也。
 ↓↑
 故、其先所生之藭、
 多紀理毘賣命者、
 坐
 胸形之奧津宮。
 次
 市寸嶋比賣命者、
 坐
 胸形之中津宮。
 次
 田寸津比賣命者、
 坐
 胸形之邊津宮。
 此三柱藭者、
 胸形君等
 之以
 伊都久三前大藭者也。
 故、此後所生
 五柱子之中、
 天菩比命之子、
 建比良鳥命
 此
 出雲國造・无邪志國造・上菟上國造・下菟上國造
 ・伊自牟國造・津嶋縣直・遠江國造
 等之祖也、
 次
 天津日子根命者。
 凡川內國造・額田部湯坐連・茨木國造
 ・倭田中直・山代國造・馬來田國造
 ・道尻岐閇國造・周芳國造・倭淹知造
 ・高市縣主・蒲生稻寸・三枝部造
 等之祖也。
 ↓↑
 爾
 速須佐之男命、
 白于
 天照大御藭
 「我心芿明、故、
  我所生子、
  得
  手弱女。
  因此言者、自我勝」
 云而、於勝佐備(さび・此二字以音)、
 離
 天照大御藭
 之
 營田之阿(此阿字以音)、
 埋其溝、
 亦其
 於聞看
 大嘗之殿、
 屎麻理(まり・此二字以音)散。
 故、雖然爲、
 天照大御藭者、登賀米受而告
 「如屎、醉而吐散登許曾(此三字以音)、
  我那勢之命爲如此。
  又離田之阿・埋溝者、
  地矣
  阿多良斯登許曾(あたらしとこそ・
         自阿以下七字以音)、
  我那勢之命
  爲如此」
 登(此一字以音)
 詔雖直、猶其
 惡態不止而轉。
 天照大御藭、
 坐
 忌服屋而、
 令
 織藭御衣之時、
 穿
 其服屋之頂、
 逆剥
 天斑馬剥而、
 所墮入時、
 天服織女見驚而、
 於
 梭衝
 陰上而死。(訓陰上云富登)。
 ↓↑
 故於是、
 天照大御藭
 見畏、
 開
 天石屋戸而、
 刺許母理(こもり・此三字以音)坐也。
 爾
 高天原皆暗、葦原中國悉闇、
 因此而
 常夜往。
 於是
 萬藭之聲者、狹蠅那須(なす・此二字以音)滿、
 萬妖悉發。
 是以
 八百萬藭、
 於
 天安之河原、
 藭集集而(訓集云都度比・つどい)、
 高御產巢日藭之子・
 思金藭令思(訓金云加尼・かね)而、
 集
 常世長鳴鳥、
 令鳴而、
 取
 天安河
 之河上
 之天堅石、
 取
 天金山之鐵而、
 求
 鍛人
 天津麻羅而(麻羅・まら・二字以音)、
 科
 伊斯許理度賣命(いしごりどめ・自伊下六字以音)、
 令
 作鏡、
 科
 玉祖命、
 令
 作八尺勾璁
 之
 五百津
 之
 御須麻流之珠而、
 召
 天兒屋命・布刀玉命
 布刀(二字以音、下效此而)、
 內拔
 天香山
 之
 眞男鹿之肩拔而、
 取
 天香山
 之
 天之波波迦(此三字以音)、
 木名而、
 令
 占合
 麻迦那波而(自麻下四字以音)、
 天香山
 之
 五百津眞賢木矣、
 根
 許士爾許士而(自許下五字以音)、・・・コシにコシ
 於上枝、
 取著
 八尺勾璁
 之
 五百津
 之
 御須麻流之玉、
 於
 中枝、
 取
 繋八尺鏡(訓八尺云八阿多、於下枝)、
 取
 垂
 白丹寸手
 青丹寸手而
 (訓垂云志殿)、
 此種種物者、
 布刀玉命・
 布刀御幣
 登取持而、
 天兒屋命、
 布刀詔
 戸言禱白而、
 天手力男藭、
 隱
 立
 戸掖而、
 天宇受賣命、
 手次繋
 天香山
 之
 天之日影而、
 爲𦆅
 天之眞拆而、
 手草
 結
 天香山
 之
 小竹葉而(訓小竹云佐佐)、
 於
 天之石屋戸
 伏汙氣(此二字以音)
 蹈登杼呂許志(此五字以音)、
 爲
 藭懸而、
 掛出胸乳、
 裳虬忍垂
 於番登也。
 爾
 高天原動而、
 八百萬藭
 共咲(わらう)。
 ↓↑
 於是
 天照大御藭、
 以爲怪、
 細開
 天石屋戸而、
 內告者
 「因吾隱坐而、
  以爲
  天原
  自闇
  亦
  葦原中國
  皆闇矣、
  何由以、
  天宇受賣者
  爲樂、
  亦
  八百萬藭
  諸咲」
 爾
 天宇受賣白言
 「?汝命而
  貴藭坐。
  故、
  歡喜
  咲樂」
 如此言之間、
 天兒屋命・布刀玉命、
 指出其鏡、
 示奉
 天照大御藭
 之時、
 天照大御藭
 逾思奇而、
 稍
 自
 戸出
 而
 臨坐之時、
 其所
 隱立
 之
 天手力男藭、
 取
 其御手
 引出、
 卽
 布刀玉命、
 以
 尻久米(此二字以音)繩、
 控度
 其御後方白言
 「從此以內、不得還入」
 故、
 天照大御藭
 出坐之時、
 高天原
 及
 葦原中國、
 自
 得
 照明。

 於是
 八百萬藭共議而、
 於
 速須佐之男命、
 負
 千位置戸、
 亦
 切鬚
 及
 手足爪
 令拔而、
 藭
 夜良比
 夜良比岐。
 ↓↑
 又
 食物
 乞
 大氣津比賣藭、
 爾
 大氣都比賣、
 自
 鼻口
 及
 尻、
 種種味物
 取出而、
 種種
 作具而進時、
 速須佐之男命、
 立伺其態、
 爲
 穢汚而奉進、
 乃
 殺其
 大宜津比賣藭。
 故、
 所殺藭
 於
 身生物者、
 於
 頭生蠶、
 於
 二目生稻種、
 於
 二耳生粟、
 於
 鼻生小豆、
 於
 陰生麥、
 於
 尻生大豆。
 故是
 藭產巢日御祖命、
 令
 取茲、成種。
 ↓↑
 故、
 所避追而、
 降
 出雲國
 之
 肥上河上
 ・名鳥髮地。
 此時
 箸從其河流下、
 於是
 須佐之男命、
 以爲
 人有其河上而、
 尋覓上往者、
 老夫
 與
 老女
 二人在而、
 童女
 置中而泣、
 爾
 問賜之
 「汝等者誰」
 故其
 老夫答言
 「僕者國藭、
  大山上津見藭之子焉、
  僕名謂
  足上名椎、
  妻名謂
  手上名椎、
  女名謂
  櫛名田比賣。」
 亦問
 「汝
  哭
  由者
  何。」
 答白言
 「我之女者、
  自本
  在
  八稚女。
  是
  高志
  之
  八俣遠呂智(此三字以音)
  毎年來喫、
  今其
  可來時、
  故泣」
 爾問
 「其形如何」
 答白
 「彼目
  如
  赤加賀智而、
  身一
  有
  八頭八尾、
  亦
  其身
  生
  蘿
  及
  檜榲、
  其
  長度
  谿八谷
  峽八尾而、
  見其腹者、
  悉
  常血爛也。」
 此謂
 赤加賀知者、
 今
 酸醤者也。
 ↓↑
 爾
 速須佐之男命、
 詔其老夫
 「是汝之女者、奉於吾哉」
 答白
 「恐不覺御名」
 爾答詔
 「吾者
  天照大御藭
  之
  伊呂勢者也(自伊下三字以音)、
  故今、
  自
  天降坐也」
 爾
 足名椎
 手名椎
 藭白
 「然坐者恐、立奉」
 爾
 速須佐之男命、
 乃
 於
 湯津爪櫛
 取成
 其童女而、
 刺
 御美豆良、
 告其
 足名椎
 手名椎藭
 「汝等、
  釀
  八鹽折之酒、
  亦
  作
  廻垣、
  於其垣
  作八門、
  毎門
  結
  八佐受岐(此三字以音)、
  毎
  其
  佐受岐
  置酒船而、
  毎
  船盛
  其
  八鹽折酒而待」
 ↓↑
 故、
 隨告而
 如
 此設備待之時、
 其
 八俣遠呂智、
 信如言來、
 乃
 毎船
 垂入
 己頭
 飮
 其酒、
 於是
 飮醉留伏寢。
 爾
 速須佐之男命、
 拔其所
 御佩之十拳劒、
 切散
 其蛇者、
 肥河
 變
 血而流。
 故、
 切其中尾時、
 御刀之刄毀、
 爾
 思怪
 以御刀之前、
 刺割而見者、
 在
 都牟刈之大刀、
 故
 取
 此大刀、
 思
 異物而、
 白上於
 天照大御藭也。
 是者
 草那藝之大刀也。(那藝二字以音)。
 ↓↑
 故是以、
 其
 速須佐之男命、
 宮可造作之地、
 求
 出雲國、
 爾到坐
 須賀(此二字以音、下效此)
 地而詔之
 「吾來此地、我御心
  須賀
  須賀斯而。」
 其地作宮坐、
 故其地者
 於今云
 須賀也。
 茲大藭、
 初作
 須賀宮之時、
 自其地雲立騰、
 爾
 作御歌、
 其歌曰、
 ↓↑
 夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾
 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁
 ↓↑
 於
 是喚其
 足名椎藭、告言
 「汝者、任我宮之首」
 且
 負名號
 稻田宮主
 須賀
 之
 八耳藭。

 故、其
 櫛名田比賣
 以、
 久美度邇起而、
 所生藭名、
 謂
 八嶋士奴美藭。(自士下三字以音、下效此)。
 又娶
 大山津見藭之女、
 名
 藭大市比賣、生子、大年藭、
 次
 宇迦之御魂藭。二柱。(宇迦二字以音)。
 ↓↑
 兄
 八嶋士奴美藭、
 娶
 大山津見藭之女
 名
 木花知流(此二字以音)比賣、
 生子、
 布波能母遲久奴須奴藭。
 此藭、
 娶
 淤迦美藭之女
 名
 日河比賣、生子、
 深淵之水夜禮花藭。(夜禮二字以音)。
 此藭、
 娶
 天之都度閇知泥上藭(自都下五字以音)生子、
 淤美豆奴藭。
 此藭名(以音)。
 此藭、
 娶
 布怒豆怒藭(此藭名以音)之女
 名
 布帝耳上藭(布帝二字以音)生子、
 天之冬衣藭。
 此藭、
 娶
 刺國大上藭之女
 名
 刺國若比賣、生子、
 大國主藭
 亦名謂
 大穴牟遲藭(牟遲二字以音)
 亦名謂
 葦原色許男藭(色許二字以音)
 亦名謂
 八千矛藭
 亦名謂
 宇都志國玉藭(宇都志三字以音)、
 幷有五名。
ーーーーー
 岩倉使節団の計画
 ↓↑
 大隈重信
 と
 伊藤博文
 の建言による
 背景には政府顧問の
 グイド・フルベッキ
    (Guido Herman Fridolin Verbeck
     Verbeek)
     1830年1月23日~1898年3月10日
     オランダ系アメリカ合衆国移民
     日本に派遣された宣教師
     法学者・神学者
     明治政府顧問
    「何礼之(が のりゆき・レイシ)」
     長崎奉行所支配定役格・英語稽古所学頭
     の私塾の塾生は
     フルベッキの
     アドバイスや援助も受けていた
    「振別記(ふるべっき)」?
 による
 ブリーフ・スケッチ(進言・助言)
 の存在があった。
 当初10ヶ月で全行程を踏破の予定であったが、
 米国で想定外の条約改正予備交渉が始まってしまい
 (結局失敗したが)、長期化することとなった。
 だが結果として
 欧米先進国の実態を、
 じっくりと見聞し、熟慮することで、
 明治政府は日本近代化の
 基本構想が出来た・・・
 同時にその事により
 帰国直後の
 留守政府内での
 征韓論に対する
 海外派遣組の反発を招き
 「明治六年政変」に至った。
 ↓↑
 久米邦武
 佐賀藩士・久米邦郷の三男
 佐賀藩校の弘道館に学び
 大隈重信とも親交
 久米の博覧強記ぶりは
 漢籍、儒書、史書や
 『坤輿図識』(箕作省吾)
 など和漢の
 世界地図書に親しんだ基本的知識のほかに、
 藩主
 「鍋島直正」の
 近習として勤めた経験にある。
 ↓↑
 「鍋島直正」は
 ↓↑
 早くから西洋文化に興味を抱き、
 唯一
 「オランダ船に乗り込んだ大名」
 藩内に製錬方を設け
 反射炉を建設
 日本初の
 鉄製大砲の製造に成功
 幕府の
 台場用大砲の製造を引き受け
 巨艦建造の軍港を設け
 国産初の
 木造外輪船を建造
 多くの西洋技術を導入
 ↓↑
 「久米邦武」は
 それらの技術に関する質問に答えるため
 近習として仕え、
 加えて
 「唐鑑会」と称する
 「唐鑑」の書の輪講を
 藩主と家臣が分け隔てなく議論し合う場に参与し
 柔軟多様な発想を持つ事で鍛えられた。
ーー↓↑ーー
 ・・・「紅葉山=もみじやま=摸視字哉磨」の蔵書を持ちだした奴は「江藤新平」・・・蔵書には「古事記」があった?・・・

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