・・・「芎藭(キュウキュウ)=草の名・芹(せり・キン)科の多年草=藭=艹+穴(宀八)+躬(身弓)」・・・「芎藭=セリ科の香草=「芎藭=関中産を京芎・蜀産を川芎・天台産を台芎・江南産を撫芎・・・芎=𦵡=艹+宮(寓)・・・漢方の効能は止血・血を補い、血液の循環・月経不順・冠状動脈硬化性の心臓病、狭心症」・・・
「北海道釧路郡釧路町・仙鳳趾村」の「重蘭窮(ちぷらんけうし)」地名の「窮⇔藭」・・・
「重蘭窮(ちぷらんけうし)=アイヌ語
チプランケウシ(船を下ろす所)」
「チプ(船)+ランケ(~を下ろす)+ウシ(所)」
「重蘭窮」=重なる蘭(阿蘭陀)の
「窮猿投林・窮鼠猫を噛む
窮鼠齧狸⇔狸(たぬき)=犭+里=山猫?)」
「古事記」の
「サガ(佐賀・佐嘉・嵯峨・礒=磯・性
探 ・捜)
探査・探索・捜査・捜索
ミ(見・身)に
カミにカミて」?
さがみ・・・相模・坂上・佐上・相神・相見?
かみ・・・・掛視・咬み・噛み・神・守・髪・嘉美
「振滌(振るサンズイ(氵)の條=洗滌・船上・撰條)」
「天 之眞名井而
(アマの真名=漢字の意の形而=形字)」
海女・海人・海部・贏・阿毎⇔阿倍
あま=女
「佐賀美邇(佐賀見似)、迦美而(加味字)」
「自佐下六字以音、下效此」
「佐賀美邇、迦美」・・・下效此=下は此れに效(なら)へ
以下、此れに同じく従う
效=効=傚
=ならう・まねる・きく・ききめ
効顰(コウヒン)=ひそみにならう)
「さかみに かみ」=「顰に倣う=善し悪しも兎に角、真似よ」
=他も同じく倣え
=西施(美人)の顰(ひそみ)に倣う
顰=歩+頁+卑(弥呼)
=顰(しか)める
眉間に皺(しわ)を寄せ
顔を顰(しか)める
「西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃=中国古代四大美女」
「西施(セイシ)=越王(勾践)が
呉王(夫差)に送り込んだ
傾城の美女」
越の賢臣
「范蠡(ハンレイ⇔凡例・範例・判例)」
の諫めを無視し
「会稽の戦いで越王は敗北」
越の名臣
「文種(ブンシュ)は
呉王(夫差)に
越王(勾践)の助命を嘆願
呉の雄臣、伍子胥(ゴシショ)は反対
「於、吹棄(ふきすて=附記素出
スイキ=垂記・椎木・隋記・水記)
氣吹(きふく・記伏・帰伏
キスイ・記素意)
之(シ・詞・史・これ・維・伊・惟・凝=氷+疑=凍+疑)
狹霧(差務・佐切・怎)・・・せまい・ギョウ」
施米 ・業
「所成藭(キュウ)御名、
多紀理毘賣命(此藭=キュウ名以音)」
「亦御名、謂、
奧津嶋(欧、清等)比賣(比較売り)命」
「次、市寸嶋上比賣命、
亦御名、謂、
狹依毘賣命」
「次、多岐都(瀧津)比賣命。三柱
(此藭名以音=キュウ)」・・・
↓↑
・・・「鍋島=金+咼+島」・・・「化け猫騒動」
なべしま
↓↑
「鍋島 直大(なべしま なおひろ)」
肥前国
佐賀藩第十一代(最後の)藩主
明治・大正時代の政府高官
侯爵
佐賀藩十代藩主
鍋島斉正(直正)の長男
初名 は直縄(なおただ)
明治維新以前(藩主在任中)
将軍徳川家茂の偏諱を冠し
茂実(もちざね)
ーー↓↑ーー
「岩倉使節団の
船中の読書・・・・・ダレって?「鍋島直大」?
古事記-妄想-古事記」
「鍋島の化け猫(犭+苗・ねこ・ビョウ)騒動」
↓↑
「天照大藭」&「須佐之男命」
・・・「古事記-原文」・・・
↓↑
故於是、速須佐之男命
言
「然者、請天照大御藭、將罷(まかる)」
乃
參上天時、山川悉動、國土皆震。
爾
天照大御藭、聞驚而詔
「我那勢命
之上來由者、必不善心。欲奪我國耳」
卽
解御髮、
纒(まとい)
御美豆羅(おんみずら)而、
乃於
左右
御美豆羅、
亦於
御𦆅、
亦於
左右御手、
各纒持
八尺勾璁
之
五百津
之
美須麻流(みすまる)之珠而
(自美至流四字以音、下效此)、
曾毘良邇者(そびらに・かいびらに・自曾至邇以音)、
負
千
入(のり)之靫(うつぼ・ゆぎ・矢を入れ)
(訓入云能理、下效此)。
比良邇者、
附五百入之靫、
亦所
取佩
伊都(いと・此二字以音)
之
竹鞆而、
弓腹
振立而、堅庭者、
於
向
股蹈
那豆美(なづみ・三字以音)、
如
沫雪蹶散而、
伊都(いと・二字以音)
之
男建(たけ・訓建云多祁)夫
蹈建而
待問
「何故上來」
爾
速須佐之男命
答白
「僕者
無邪心、
唯
大御藭之命以、
問賜僕
之哭
伊佐知流之事。
故、
白
都良久(とらく・つらく・三字以音)、
僕
欲往
妣國以哭。
爾
大御藭詔、
汝者
不可在此國而、
藭
夜良比
夜良比賜。
故、
以爲請
將罷往之狀、
參上耳。
無異心」
爾
天照大御
藭・・・・・「窮猿投林」
詔
「然者、汝心之芿明、何以知」
於是、
速須佐之男命答白
「各宇氣比而生子」
(ウケイ・自宇以下三字以音、下效此)。
↓↑
故爾
各中置天安河而、
宇氣布時、天照大御藭、
先
乞度
建速須佐之男命
所
佩
十拳劒、
打折
三段而、
奴那登母母由良邇
(ヌナトモモユラニ・此八字以音、下效此)
振滌
天
之
眞名井而、
佐賀美邇(サガミニ)・・・・・・さがみ=詐臥実似
迦美而(カミ)・・・・・・・・・かみ
(自佐下六字以音、下效此)、
於
吹棄氣吹之狹霧
所成藭(キュウ)御名、
多紀理毘賣命(此藭名以音)、
亦御名、謂
奧津嶋比賣命。
次
市寸嶋上比賣命、
亦御名、謂
狹依毘賣命。
次
多岐都比賣命。三柱、(此藭名以音)。
↓↑
速須佐之男命、
乞度
天照
大御藭
所纒
左御美豆良八尺勾璁
之
五百津
之
美須麻流珠而、
奴那登母母由良爾、
振滌
天之眞名井而、
佐賀美邇・・・・・・さがみ=詐臥実似
迦美而、・・・・・・かみ
於吹棄氣吹
之
狹霧所成
藭御名、
正勝吾勝
勝速日天之忍穗耳命。
亦乞度所
纒右御美豆良之珠而、
佐賀美邇・・・・・・さがみ=詐臥実似
迦美而、・・・・・・かみ
於吹棄氣吹
之
狹霧所成藭御名、
天之菩卑能命。(自菩下三字以音)。
亦乞度所
纒御𦆅之珠而、
佐賀美邇
迦美而、
於吹棄氣吹
之
狹霧所成藭御名、天津日子根命。
又乞度所
纒左御手之珠而、
佐賀美邇・・・・・・さがみ=詐臥実似
迦美而、・・・・・・かみ
於吹棄氣吹
之
狹霧所成藭御名、
活津日子根命。
亦乞度所
纒右御手之珠而、
佐賀美邇・・・・・・さがみ=詐臥実似
迦美而、・・・・・・かみ
於吹棄氣吹
之
狹霧所成藭御名、
熊野久須毘命。(くすび・自久下三字以音)。
幷五柱。
↓↑
於是
天照大御藭、
告
速須佐之男命
「是後所生
五柱男子者、
物實
因
我物所成、故、自吾子也。
先所生
之
三柱女子者、
物實
因
汝物所成、故、乃汝子也」
如此詔別也。
↓↑
故、其先所生之藭、
多紀理毘賣命者、
坐
胸形之奧津宮。
次
市寸嶋比賣命者、
坐
胸形之中津宮。
次
田寸津比賣命者、
坐
胸形之邊津宮。
此三柱藭者、
胸形君等
之以
伊都久三前大藭者也。
故、此後所生
五柱子之中、
天菩比命之子、
建比良鳥命
此
出雲國造・无邪志國造・上菟上國造・下菟上國造
・伊自牟國造・津嶋縣直・遠江國造
等之祖也、
次
天津日子根命者。
凡川內國造・額田部湯坐連・茨木國造
・倭田中直・山代國造・馬來田國造
・道尻岐閇國造・周芳國造・倭淹知造
・高市縣主・蒲生稻寸・三枝部造
等之祖也。
↓↑
爾
速須佐之男命、
白于
天照大御藭
「我心芿明、故、
我所生子、
得
手弱女。
因此言者、自我勝」
云而、於勝佐備(さび・此二字以音)、
離
天照大御藭
之
營田之阿(此阿字以音)、
埋其溝、
亦其
於聞看
大嘗之殿、
屎麻理(まり・此二字以音)散。
故、雖然爲、
天照大御藭者、登賀米受而告
「如屎、醉而吐散登許曾(此三字以音)、
我那勢之命爲如此。
又離田之阿・埋溝者、
地矣
阿多良斯登許曾(あたらしとこそ・
自阿以下七字以音)、
我那勢之命
爲如此」
登(此一字以音)
詔雖直、猶其
惡態不止而轉。
天照大御藭、
坐
忌服屋而、
令
織藭御衣之時、
穿
其服屋之頂、
逆剥
天斑馬剥而、
所墮入時、
天服織女見驚而、
於
梭衝
陰上而死。(訓陰上云富登)。
↓↑
故於是、
天照大御藭
見畏、
開
天石屋戸而、
刺許母理(こもり・此三字以音)坐也。
爾
高天原皆暗、葦原中國悉闇、
因此而
常夜往。
於是
萬藭之聲者、狹蠅那須(なす・此二字以音)滿、
萬妖悉發。
是以
八百萬藭、
於
天安之河原、
藭集集而(訓集云都度比・つどい)、
高御產巢日藭之子・
思金藭令思(訓金云加尼・かね)而、
集
常世長鳴鳥、
令鳴而、
取
天安河
之河上
之天堅石、
取
天金山之鐵而、
求
鍛人
天津麻羅而(麻羅・まら・二字以音)、
科
伊斯許理度賣命(いしごりどめ・自伊下六字以音)、
令
作鏡、
科
玉祖命、
令
作八尺勾璁
之
五百津
之
御須麻流之珠而、
召
天兒屋命・布刀玉命
布刀(二字以音、下效此而)、
內拔
天香山
之
眞男鹿之肩拔而、
取
天香山
之
天之波波迦(此三字以音)、
木名而、
令
占合
麻迦那波而(自麻下四字以音)、
天香山
之
五百津眞賢木矣、
根
許士爾許士而(自許下五字以音)、・・・コシにコシ
於上枝、
取著
八尺勾璁
之
五百津
之
御須麻流之玉、
於
中枝、
取
繋八尺鏡(訓八尺云八阿多、於下枝)、
取
垂
白丹寸手
青丹寸手而
(訓垂云志殿)、
此種種物者、
布刀玉命・
布刀御幣
登取持而、
天兒屋命、
布刀詔
戸言禱白而、
天手力男藭、
隱
立
戸掖而、
天宇受賣命、
手次繋
天香山
之
天之日影而、
爲𦆅
天之眞拆而、
手草
結
天香山
之
小竹葉而(訓小竹云佐佐)、
於
天之石屋戸
伏汙氣(此二字以音)
蹈登杼呂許志(此五字以音)、
爲
藭懸而、
掛出胸乳、
裳虬忍垂
於番登也。
爾
高天原動而、
八百萬藭
共咲(わらう)。
↓↑
於是
天照大御藭、
以爲怪、
細開
天石屋戸而、
內告者
「因吾隱坐而、
以爲
天原
自闇
亦
葦原中國
皆闇矣、
何由以、
天宇受賣者
爲樂、
亦
八百萬藭
諸咲」
爾
天宇受賣白言
「?汝命而
貴藭坐。
故、
歡喜
咲樂」
如此言之間、
天兒屋命・布刀玉命、
指出其鏡、
示奉
天照大御藭
之時、
天照大御藭
逾思奇而、
稍
自
戸出
而
臨坐之時、
其所
隱立
之
天手力男藭、
取
其御手
引出、
卽
布刀玉命、
以
尻久米(此二字以音)繩、
控度
其御後方白言
「從此以內、不得還入」
故、
天照大御藭
出坐之時、
高天原
及
葦原中國、
自
得
照明。
於是
八百萬藭共議而、
於
速須佐之男命、
負
千位置戸、
亦
切鬚
及
手足爪
令拔而、
藭
夜良比
夜良比岐。
↓↑
又
食物
乞
大氣津比賣藭、
爾
大氣都比賣、
自
鼻口
及
尻、
種種味物
取出而、
種種
作具而進時、
速須佐之男命、
立伺其態、
爲
穢汚而奉進、
乃
殺其
大宜津比賣藭。
故、
所殺藭
於
身生物者、
於
頭生蠶、
於
二目生稻種、
於
二耳生粟、
於
鼻生小豆、
於
陰生麥、
於
尻生大豆。
故是
藭產巢日御祖命、
令
取茲、成種。
↓↑
故、
所避追而、
降
出雲國
之
肥上河上
・名鳥髮地。
此時
箸從其河流下、
於是
須佐之男命、
以爲
人有其河上而、
尋覓上往者、
老夫
與
老女
二人在而、
童女
置中而泣、
爾
問賜之
「汝等者誰」
故其
老夫答言
「僕者國藭、
大山上津見藭之子焉、
僕名謂
足上名椎、
妻名謂
手上名椎、
女名謂
櫛名田比賣。」
亦問
「汝
哭
由者
何。」
答白言
「我之女者、
自本
在
八稚女。
是
高志
之
八俣遠呂智(此三字以音)
毎年來喫、
今其
可來時、
故泣」
爾問
「其形如何」
答白
「彼目
如
赤加賀智而、
身一
有
八頭八尾、
亦
其身
生
蘿
及
檜榲、
其
長度
谿八谷
峽八尾而、
見其腹者、
悉
常血爛也。」
此謂
赤加賀知者、
今
酸醤者也。
↓↑
爾
速須佐之男命、
詔其老夫
「是汝之女者、奉於吾哉」
答白
「恐不覺御名」
爾答詔
「吾者
天照大御藭
之
伊呂勢者也(自伊下三字以音)、
故今、
自
天降坐也」
爾
足名椎
手名椎
藭白
「然坐者恐、立奉」
爾
速須佐之男命、
乃
於
湯津爪櫛
取成
其童女而、
刺
御美豆良、
告其
足名椎
手名椎藭
「汝等、
釀
八鹽折之酒、
亦
作
廻垣、
於其垣
作八門、
毎門
結
八佐受岐(此三字以音)、
毎
其
佐受岐
置酒船而、
毎
船盛
其
八鹽折酒而待」
↓↑
故、
隨告而
如
此設備待之時、
其
八俣遠呂智、
信如言來、
乃
毎船
垂入
己頭
飮
其酒、
於是
飮醉留伏寢。
爾
速須佐之男命、
拔其所
御佩之十拳劒、
切散
其蛇者、
肥河
變
血而流。
故、
切其中尾時、
御刀之刄毀、
爾
思怪
以御刀之前、
刺割而見者、
在
都牟刈之大刀、
故
取
此大刀、
思
異物而、
白上於
天照大御藭也。
是者
草那藝之大刀也。(那藝二字以音)。
↓↑
故是以、
其
速須佐之男命、
宮可造作之地、
求
出雲國、
爾到坐
須賀(此二字以音、下效此)
地而詔之
「吾來此地、我御心
須賀
須賀斯而。」
其地作宮坐、
故其地者
於今云
須賀也。
茲大藭、
初作
須賀宮之時、
自其地雲立騰、
爾
作御歌、
其歌曰、
↓↑
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾
夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁
↓↑
於
是喚其
足名椎藭、告言
「汝者、任我宮之首」
且
負名號
稻田宮主
須賀
之
八耳藭。
故、其
櫛名田比賣
以、
久美度邇起而、
所生藭名、
謂
八嶋士奴美藭。(自士下三字以音、下效此)。
又娶
大山津見藭之女、
名
藭大市比賣、生子、大年藭、
次
宇迦之御魂藭。二柱。(宇迦二字以音)。
↓↑
兄
八嶋士奴美藭、
娶
大山津見藭之女
名
木花知流(此二字以音)比賣、
生子、
布波能母遲久奴須奴藭。
此藭、
娶
淤迦美藭之女
名
日河比賣、生子、
深淵之水夜禮花藭。(夜禮二字以音)。
此藭、
娶
天之都度閇知泥上藭(自都下五字以音)生子、
淤美豆奴藭。
此藭名(以音)。
此藭、
娶
布怒豆怒藭(此藭名以音)之女
名
布帝耳上藭(布帝二字以音)生子、
天之冬衣藭。
此藭、
娶
刺國大上藭之女
名
刺國若比賣、生子、
大國主藭
亦名謂
大穴牟遲藭(牟遲二字以音)
亦名謂
葦原色許男藭(色許二字以音)
亦名謂
八千矛藭
亦名謂
宇都志國玉藭(宇都志三字以音)、
幷有五名。
ーーーーー
岩倉使節団の計画
↓↑
大隈重信
と
伊藤博文
の建言による
背景には政府顧問の
グイド・フルベッキ
(Guido Herman Fridolin Verbeck
Verbeek)
1830年1月23日~1898年3月10日
オランダ系アメリカ合衆国移民
日本に派遣された宣教師
法学者・神学者
明治政府顧問
「何礼之(が のりゆき・レイシ)」
長崎奉行所支配定役格・英語稽古所学頭
の私塾の塾生は
フルベッキの
アドバイスや援助も受けていた
「振別記(ふるべっき)」?
による
ブリーフ・スケッチ(進言・助言)
の存在があった。
当初10ヶ月で全行程を踏破の予定であったが、
米国で想定外の条約改正予備交渉が始まってしまい
(結局失敗したが)、長期化することとなった。
だが結果として
欧米先進国の実態を、
じっくりと見聞し、熟慮することで、
明治政府は日本近代化の
基本構想が出来た・・・
同時にその事により
帰国直後の
留守政府内での
征韓論に対する
海外派遣組の反発を招き
「明治六年政変」に至った。
↓↑
久米邦武
佐賀藩士・久米邦郷の三男
佐賀藩校の弘道館に学び
大隈重信とも親交
久米の博覧強記ぶりは
漢籍、儒書、史書や
『坤輿図識』(箕作省吾)
など和漢の
世界地図書に親しんだ基本的知識のほかに、
藩主
「鍋島直正」の
近習として勤めた経験にある。
↓↑
「鍋島直正」は
↓↑
早くから西洋文化に興味を抱き、
唯一
「オランダ船に乗り込んだ大名」
藩内に製錬方を設け
反射炉を建設
日本初の
鉄製大砲の製造に成功
幕府の
台場用大砲の製造を引き受け
巨艦建造の軍港を設け
国産初の
木造外輪船を建造
多くの西洋技術を導入
↓↑
「久米邦武」は
それらの技術に関する質問に答えるため
近習として仕え、
加えて
「唐鑑会」と称する
「唐鑑」の書の輪講を
藩主と家臣が分け隔てなく議論し合う場に参与し
柔軟多様な発想を持つ事で鍛えられた。
ーー↓↑ーー
・・・「紅葉山=もみじやま=摸視字哉磨」の蔵書を持ちだした奴は「江藤新平」・・・蔵書には「古事記」があった?・・・