健=すこ-やか・たけし・つよし・ケン・ゴン・ゲン
亻+建=亻+廴+聿
通仮字「建」・・・異体字「㨴・䢖」
異体字「徤」・・・腱・鍵・旔・犍
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彳建=彳+建=亻+廴+聿
彳=ただずむ・テキ・チャク
十字路・交差路・辻・・・X・十・ᆃ・┿・┼・╋
⏆・╬・╫・╪・✜・✛
異体字「 廴=⼻」
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『最新JIS漢字辞典』が
「健=イ+建=亻+廴+聿」の意の国字とする
『正字通』に「健 俗作[彳+建]」
『漢語大字典』は
『正字通』の他、『疊雅』・『天工開物』
などを典拠に「同“健”」とする
『同文通考』にもやや崩れた字形で
「タケシ 俗ノ健ノ字」とある
「彳+建」は漢字そのもの
(出典は『和製漢字の小辞典』)
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国字=和字、倭字、皇朝造字
和製漢字
「国字」の使用は
『同文通考』が初め
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「日本建=やまとたける=大和建=倭武」
建元=建元(ケンゲン)は
中国、前漢代の元号(紀元前140年~紀元前年)
中国最初の年号
「景帝」の死後、皇位を継いで即位した・・・「景の綴」・・・高橋景保・景行典行?
「武帝」の初元・・・
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建元 (漢)=前漢
(紀元前140年~紀元前135年)
「武帝・劉徹」
建元 (前趙)=五胡十六国時代、前趙
(315年~316年)
「烈宗・劉聡」
建元 (東晋)=東晋
(343年~344年)
「康帝・司馬岳」
建元 (前秦)=五胡十六国時代、前秦
(365年~385年)
「世祖・苻堅」
建元 (南朝斉)=斉 (南朝)
(479年~482年)
「太祖・蕭道成」
建元 (新羅)=新羅
(536年~551年)
「法興王」~「真興王」
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614~911年・・・297年間は『存在しない』?
1722年=2019年
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補正後の値 614年3月1日12時6分
↓↑
甲戌(辛 丁 戊)比肩偏財 養
丙寅(戊 丙 甲)食神比肩建禄
甲寅(戊 丙 甲) 比肩建禄
庚午(丙 己 丁)偏官傷官 死
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補正後の値 911年2月10日12時4分
(10.50日)
真太陽時
節入日(当月) 911年2月30日15時23分
(30.64日)
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庚午(丙 己 丁)偏官傷官 死⇔食神印綬
己丑(癸 辛 己)正財正財冠帯⇔劫財劫財
↓
干合・・・干合化土格
↑(当日戊)
甲午(丙 己 丁) 傷官 死⇔比肩印綬
庚午(丙 己 丁)偏官傷官 死⇔食神印綬
↓↑ ↓↑
補正後の値 911年3月1日12時6分
(1.50日)
↓↑
辛未(丁 乙 己)偏印偏財 墓
庚寅(戊 丙 甲)印綬正官沐浴
癸丑(癸 辛 己) 比肩冠帯
戊午(丙 己 丁)正官正財 絶
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『日高見国』=常陸・・・日田
日高見国(ひたかみのくに)
蝦夷の地を美化して用いた語
『大祓詞』では
「大倭日高見国」
として大和を指す
『日本書紀(景行紀)』
や
『常陸国風土記』では蝦夷の地
『釈日本紀』は
日高見国が大祓の祝詞のいう
神武東征以前の大和であり
『日本書紀(景行紀)』
『常陸国風土記』
での
日本武尊東征時の
常陸国
平安時代の
日本紀講筵の
「公望私記」を引用・・・矢田部 公望(やたべ の きんもち・生没年不詳)
平安時代中期の官人・学者
承平三年(933年)
阿波介に任ぜられ地方官に転じた
矢田部稲吉
あるいは
大内記
矢田部名実・・・矢田部の名の実?
の子
官位は外従五位下・文章博士
延喜四年(904年)
日本紀講筵に
尚復として参加し
『日本書紀私記』の一つである
『延喜公望私記』を著す・・・本当に実在したのかな?
矢田部村(やたべむら)=茨城県鹿島郡に
かつて存在した村
旧-波崎町の中部
現在の神栖市の南部に位置した
「四望高遠之地、可謂日高見国歟、
指似不可言一処之謂耳
(四方を望める高台の地で、汎用性のある語)」
「実際の地名とは関係ない空想の地で
日の出る方向によった連想からきたもの(津田左右吉)」
「日高見」
大祓の祝詞では天孫降臨の
日向国から見て東にある大和国
「日の上の国(日の昇る国)」
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北上川=「日高見(ヒタカミ)」
戊辰戦争直後
北海道11カ国制定で
日高国
北海道日高振興局
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