鳥栖・鳥巣・賭す⇔「トトス=止止主=鳥取=止止利」
『日本書紀(景行十八年七月四日条)』
傾向 拾捌(葉知)捻 漆解通 肆比帖
景行 18 年 7月 4日条
筑紫後国の三池(福岡県三池)に
倒れた巨樹があり
長さは970丈(2910メートル前後)
橋代わりにされていた
「朝霜の 御木(みけ)のさお橋
まえつきみ
・・・(公卿・卿・大夫=まえつきみ)
「前つ君=天皇の御前に仕える人」
い渡らすも
御木の
さお橋」
「老人がいうに
この椚(クヌギ)が倒れる前は
朝日の影で
杵島山を隠し
夕日の影で
阿蘇山を隠すほどだったと語り
天皇はこの
倒木を神木とし
この国を
「御木(みけ)の国」
と呼ぶことにした・・・
↓↑
『播磨国風土記(逸文)』
仁徳天皇の治世(5世紀前半)に
楠があり・・・「楠正成」?
朝日には
淡路島を隠し
夕日には
大倭(やまと)島根を
その大樹による影で隠した
と記述
その大樹を伐(き)り
舟を造ったが
その速き事、飛ぶが如く
一楫(かじ)に
七波を去(ゆ)き越えた
よって
「速鳥(はやとり)」
と号(なづ)けられた
ある日
一度だけ目的に間に合わなかった為
和歌で
「何が速鳥か」とその名を揶揄
この速鳥という船名は
『続日本紀(天平宝字二年三月条)』
にも
播磨の船として見ることができる
↓↑
『今昔物語集(巻第三十一)』
近江国
栗太郡に
柞(ははそ・サク)の
↓↑・・・柞=木+乍
=十+八+乍
拾 捌 乍(𠂉ㅑ
𠂉丨=)
𠂉=神挿し・櫛
丨=棒・ぼう・コン
「=」=「二(弐・仁)」
ㅑ=ya(ヤ・ハングル文字)
「ㅕ(yo・ョ)の左~右反転字」
ㅑ=「丬(爿・𤕪・ショウ・ソウ)
の左~右反転字(片・かた・ヘン)」
片=ヘン・かた・きれ・ひら・ペンス・片月
きれ・きれはし・かけら・片雲・破片
わずか・すこし・片言・片鱗(ヘンリン)
イギリスの貨幣単位「ペンス」の音訳字
阿片・紙片・断片
破片(ハヘン)・欠片(かけら)・木片(モクヘン)
片仮名・片言
片(かた・ひら・ヘン)・一片(ひとひら)
片意地
片田舎
片腕
片方(かたえ)
片靨(かたえくぼ・かた笑窪)
片陰(かたかげ)
片才(かたかど)
片口(かたくち)・片口鰯(いわし)
片栗粉(かたくりこ)
片食(かたけ)・片隅(かたすみ)
片岨(かたソ)・片付く(かたづく)
片手で錐は揉めぬ
片時
片肌=片膚(かたはだ)
片腹痛い(かたはらいたい)
片庇(かたびさし)=片廂
片肘
片棒
片辺(かたほとり)
片身(かたみ)
片割れ
片木(ヘぎ)
片羅(ペラ)=紙幣・札びら・薄い一枚の紙
200字詰め原稿用紙
片雲(ヘンウン)
片影
片言(かたこと・ヘンゲン)
片言隻句(ヘンゲンセキク)
片言折獄(ヘンゲンセツゴク)
「折=断じる・獄=訴訟」
片頭痛(ヘンヅツウ)
片務・片片(ヘンペン)・片鱗(ヘンリン)
↓↑ ↓↑
片利共生(Commensalism)=偏利共生
共生する生物の片方が
その共生により
宿主に害を与えることなく
利益を得ている状態
樹木の皮と地衣類
ジンベイ鮫とコバン鮫
フジ海鼠とカクレ魚
相利共生(Mutualism)
二つの互いに異なる生物の
種類同士の共生関係
アリとアブラムシ
ヤドカリとイソギンチャク
虫媒花と昆虫
↓↑ 人間と腸内細菌
柞(ははそ・サク)
葉々楚(祖・素・曾・蘇・措)
母 祖 拾捌乍
乍=ながら・サク=長柄・長良・名賀羅・名雅羅?
名化等?
柞=ブナ科コナラ属の総称
きる・草木を切る
↓↑
「巨樹」伝説・・・
幹回りは500尋(900メートル前後)
朝日の影は
丹波国をさし
夕陽の影は
伊勢国にさした
その木はあまりに大きく
栗太郡・志賀・甲賀
三郡の百姓は
田畑を作ることができなかった
天皇に訴え、願いが聞き入れられ
遣いにより
巨樹は切り倒され
田畑を耕すことができるようになり
豊穣を得た
今(物語集成立時代)でも
その郡にはその時の子孫がいる
伝説は後世でも類型派生し
室町時代成立の『三国伝記』で
ハハソから栗の木へと変わり
郡名由来譚となって切り倒された
↓↑
フヨウ(芙蓉、Hibiscus mutabilis)
アオイ科フヨウ属の落葉低木
種小名 mutabilis=「変化しやすい(mutable)」
「芙蓉」は「ハス(蓮)の美称で
区別する際には「木芙蓉(もくふよう)」
朝咲いて夕方にはしぼむ1日花
ムクゲと同時期に良く似た花をつける
直線的な枝を上方に伸ばすムクゲの樹形に対し
フヨウは多く枝分かれして
横にこんもりと広がる
葉がムクゲより大きい
めしべの先端が曲がっている
フヨウとムクゲは近縁で接木も可・・・?・・・無理かも・・・
ーー↓↑ーー
鳥栖(とす)市
姫方
姫古曽神社の由来
小郡市
七夕神社(媛社神社)
↓↑
まつられている女神
「市杵島姫命」
「織女神」
小郡市の七夕神社(媛社神社)は同じ
↓↑
「鳥取=止止利=ととり」
『和名抄』
「因幡国
邑美郡
鳥取郷」
由来は
水鳥を捕らえる
「職業部」の
「鳥取部(ととりべ)」
住んでいたことにちなむ
↓↑
「しつ(織物の一種)おり」
が変化した
「しとり(倭文)=湯梨浜町・伯耆国一宮の社名」
↓↑
「耳(みみ・~のみ・~だけ・ジ・ニ)」・・・聴診器
耳学・耳目・牛耳
外耳(ガイジ)・牛耳(ギュウジ)・洗耳(センジ)
空耳(そらみみ)・中耳(チュウジ)・内耳(ナイジ)
寝耳(ねみみ)・馬耳(バジ)・早耳(はやみみ)
耳+α=聚・聳・聶・聖・聞・聾
↓↑
「耳」
鳥取県・・・取=耳+又
倉吉市・・・倉の吉の誌(史・詞)・・・?
耳
・・・倉吉市中部地域の名前
↓↑
耳取(みみどり・みみとり・ジシュ)
耳ケ吠(みみがほい・ジヶボウ)
耳切(みみきり・ジセツ)
耳谷(みみがい・ジヤ)
耳塚(みみづか・ジチョウ)
耳成山(みみなしやま・ジセイザン)
耳原(みのはら・ジゲン)
耳ほげ=ほげる・ほがす (長崎の方言)
穴があく・ 穴をあける
耳鼻咽喉科・・・字備引行(韻行・印行)化?
耳なし芳一 ・・・小泉八雲の『怪談』
一夕散人(いっせきさんじん)著
『臥遊奇談』第二巻
「琵琶秘曲泣幽霊(1782年)」
↓↑
「耳」だけがつく・・・倉吉市耳
↓↑
地名の由来・・・
古事記の
神沼河耳命
神八井耳命
手研耳命
に由来・・・
↓↑
京丹後市
弥栄(やさか)町
「鳥取」という地名
藤原宮跡出土木簡に
「旦波国竹野評-鳥取里-大贄布奈」
『和名抄』に
「因幡国邑美郡-鳥取郷」
↓↑
郷名は
垂仁天皇の王子
本牟智和気御子(ほむちわけみこ)=誉津別命
のために設置された
鳥取部に由来
↓↑
倉吉市・・・「蒼頡」⇔「艹+倉」+「吉+頁」
・・・「鶏の足跡」から文字を発明?
「稲扱千刃(千歯)」・異な古記撰葉?
「倉吉絣(かすり)」・総記通飛白?
総紀通化素理?
の生産地・・・
↓↑
天女の産んだ子の名が
お倉
お吉
で倉吉の地名になった・・・?
鳥取県中部
市内には
打吹(うつぶき)
玉川地区
をはじめ土蔵が多く
白壁土蔵の街
↓↑
古代に
伯耆国(ほうきのくに)の
・・・鳥取県西伯郡-伯耆-町
成務天皇時代に波伯 (ははき) 国造設置
国府・国分寺・国分尼寺
がおかれていた
↓↑
打吹山(うつぶきやま)
鳥取県
倉吉市にある山
標高204m
天女伝説の山
残された天女の子どもが
この山の頂で太鼓や笛を吹いて
天に帰った母親を思い偲んだ・・・
打吹山(うつぶきやま)の山体
流紋岩(rhyolite・ライオライト)
↓↑・・・二酸化ケイ素の鉱物
(石英、鱗ケイ石、クリストバライト)を含む
白色~灰白色
龍門願⇔登龍門・・・龍=リュウ=劉・隆・柳・流
・・・李 膺(リヨウ)
膺=䧹+月・・・鷹・雁・應(応)
广+倠+月
广+亻+隹+月
あたる・うつ・攻撃する・征伐する
↓↑ ↓↑
廣=广+黄(黃・厶)=広
黄
オウ 黃=廿+一+由+ハ=ム(私)
コウ 𡕛=夂+廿+火=黄・・・炎の外円色
き
こ
きいろ
きばむ
東西の長さ・・・・黄河
↓↑ こども・幼いこども?
卵黄・卵の黄身
黄帝、土色、中央の色・黄泉
↓↑ 黄ばむ、老人、幼児という意味・・・?
令制で、三歳以下の称
↓↑ 「令義解(りょうのぎげ)718)」
養老令の官撰の注釈書・10巻30編、2編欠
826年(天長三)
明法博士
額田今足(ぬかだのいまたり) の建議
清原夏野・小野篁 らの撰
天長十年(833)
「新唐書‐食貨志」
↓↑・・・各王朝の
財政記録編目
食貨志の名称は
『書経』洪範八政に
↓↑「一にいわく食、二にいわく貨」
北宋
仁宗の嘉祐六年(1060年)
↓↑ 欧陽脩・曾公亮らの奉勅撰225巻
流紋岩は
中生代白亜紀の
火山活動によって形成
ーー↓↑ーー
鳥栖(とす)の
地名は
熊本県である
肥後国
菊池郡
鳥栖村が起源
中臣鎌足が
天智天皇より
賜ったことに始まる
氏(藤原氏)隆家流・菊池氏族
↓↑
長野(チョウの)は
佐賀県
鳥栖市では
長野(チョウの)と呼ぶ名字
「長野(ながの)=信濃=長い傾斜地の盆地」
↓↑ 和銅六年(713)年
科野国(しなのノくに)
「長野(ながの)県」
の名前の起源
室町時代(1570年)
武田信玄朱印状に
『長野之内 五貫文』
↓↑ の記録が初見
と呼ぶよりも
「長野(チョウの)」・・・
長=チョウ=鳥
↓↑
鳥栖(とす)
奈良時代に書かれた
「肥前風土記」
ここに住人が
「鳥小屋」を作り
雑鳥(くさぐさのとり)を
つかまえてかいならし
朝廷に献上し
「鳥屋の郷(とりやのさと)」
「鳥樔(巣)郷(とすごう)」
と呼ばれ
「鳥栖」という地名になった・・・?
↓↑
鳥栖=鳥の栖(すみか)
↓↑
市内全域で多くの野鳥
↓↑
市の鳥 「メジロ」
佐賀県の鳥「カササギ」
「ヤマガラ・モズ・カワセミ
ヒバリ・ヒヨドリ」
など、147種の鳥が確認・・・・
↓↑
鳥栖市(とすシ)
佐賀県の東端に位置
筑紫平野(佐賀平野)に位置
南の境を筑後川が流れる
低地は水田
その中に市街地
北西部は
脊振山地の東部
「魏志倭人伝」
の
「對蘇(ツサ)」=「鳥栖(とす)」・・・?
「建ち伝と」=「タチツテト」+「サ」
=「ツ」+「サシスセソ」
=「起ち伝と」?
鳥栖=「鳥巣(とりのす)」・・・地名由来
↓↑
「肥前国風土記」
「応神天皇の御代、この地に
鳥屋が置かれた」
様々な鳥を飼育して献上し
「鳥巣」と称し後に
「鳥栖」に転化・・・
↓↑
鳥屋が多かった=養鶏の盛んな土地・・・?
・・・「隋書俀人伝」・・・
『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」
「開皇二十年
俀王姓 阿毎・・・・・阿毎=阿部=安部
字 多利思北孤
號 阿輩雞彌・・・雞=ケイ・にわとり=鶏
遣使
詣闕
・・・「随処和人伝」・・・
↓↑
江戸時代
藩政
市域東部は
対馬府
中藩の飛び地で
「田代領」と呼ばれ
長崎街道
田代宿の宿場町
鳥栖市街地に
長崎街道
轟木宿・・・とどろき=等々力・驫木
鶏の鳴き声?
コケコッコウ
虚仮(鱗・扱)国交?
の宿場が置かれた
田代宿
対馬府中藩の
米倉や代官所が設置
朝鮮通信使・・・鶏を盗んだ朝鮮兵?
↓↑ 朝鮮-聘礼使(ヘイレイシ)-淀城-着来図
延享度(1748年)
通信使船団が淀に着岸、淀城下の行進図
『朝鮮通信使一行の一人が
町人が飼っている
ニワトリを盗んで逃げようとし
↓↑ 日本人と喧嘩になっている絵図」・・・
の立ち寄る場所で
応接施設も備えられた
藩主の
宗氏が
朝鮮との貿易で朝鮮から輸入した
漢方薬の実物と知識が豊富に供給され
収入源を確保する目的から
領民には
薬の製造を副業とする者が増え
次第に他領でも行商
江戸時代後期
日本四大売薬の一つ
九州の薬商の大半を
田代産の薬が占めた
↓↑
明治期~第二次世界大戦
佐賀の乱や西南戦争時に
薬が不足し
製薬業の拡大
日清戦争期
久光製薬などが
「佐世保や広島といった軍都に近い」
地の利を活かして販路を拡大
江戸時代から続いた
綿織物生産は
生糸生産に代わり
養蚕が盛んになった
↓↑
鉄道網の整備
大正~昭和初期
製糸工場(養蚕業)
製粉工場(裏作として小麦生産)
第二次世界大戦時に
戦況悪化による衰退・・・
↓↑
鉄道網
九州鉄道の最初の区間
博多~筑後川北岸まで開通
(鹿児島本線、1889年(明治22年))
1891年(明治24年)
佐賀、1898年(明治31年)
長崎・佐世保方面
(長崎本線・佐世保線・大村線)
開業し
1934年(昭和9年)
久大本線全通をもって東西南北へと整備
1948年(昭和23年)頃
「鉄道の町」
「煤煙の町」
と称された
↓↑
1874年(明治7年)
佐賀の乱・・・江藤新平
市内
朝日山において
政府軍と反乱軍の戦闘
1889年(明治22年)4月1日
町村制により
各村が発足
養父郡=轟木村・麓村・旭村
基肄郡=田代村・基里村
1896年(明治29年)3月26日
郡制施行
各村は全て
三養基郡に属する
1907年(明治40年)3月19日
轟木村が町制を施行
鳥栖町となる・・・轟木村→鳥栖町・・・?
1936年(昭和11年)2月11日
田代村が町制施行
田代町となる
↓↑
所属 柚比遺跡群
所在地 佐賀県
鳥栖市
田代本町
位置 北緯33度23分41.3秒⇔会稽東冶の東
東経130度30分54.6秒
形状 円墳
規模 径約42m
埋葬施設 横穴式石室
出土品 玉類、鉄鏃片、馬具片
須惠器片、土師器片、円筒埴輪片
↓↑
築造時期 6世紀後半
史跡 大正15年(1926年)国の史跡
装飾古墳
所在地 佐賀県
吉野ヶ里町、神埼市
座標 北緯33度19分25秒
東経130度23分26.5秒
面積 36ha
ーーーーー
・・・???・・・
「トトス=止止主」・・・「鳥取=止止利=ととり」
「鳥取=止止利=ととり」・・・「鳥仏師=止利仏師」
「鞍作 止利(くらつくり の とり)」
「司馬達等の孫
鞍部多須奈の子」・・・
「司馬-鞍作-首-止利
(しば-の-くらつくり-の-おびと-とり)
南梁からの帰化人、「司馬達等」の孫・・・
ーーーーー
・・・???・・・「蘇我入鹿」・・・
「鞍作太郎」・・・「上宮聖徳法王帝説」・・・
「蘇我林臣鞍作(そがの はやしのおみ くらつくり)」
「 林太郎( はやし たいろう)」
「蘇我太郎」
・・・「カント( 康徳)」・・・
「鞍作」・・・「馬具職人の四男」
イマヌエル・カント
・・・今(意眞)怒(奴・努)重留
(Immanuel Kant) 漢都
(乾人・奸徒・巻訳)?
大運1798年7月(74歳)~1808年
丙子
1724年4月22日~1804年2月12日 ↓↑
甲辰(乙癸戊)傷官・正官 養⇔甲子
┏戊辰(乙癸戊)正官・正官 養⇔丙寅
┗癸卯(甲 乙) ・食神長生⇔壬辰
┗戊午(丙 丁)正官・偏官 絶⇔丙午
辰巳空亡
「公的な法則が存在する状態に達する前には
結合した人間や諸国民や諸国家は
決して
互いの暴力から
安全ではありえず
しかもこれは
自分にとって
正しく
また
良いと思われることをし
他人の意見に左右されないという
各人固有の権利から生じる」・・・
ーーーーー
・・・???・・・