凍った路で滑って、初コロビ、一番・壹番・・・後遺ショウ・・・
↓↑
壹=壱=一=いち=位置・市・意知
位地・移置・仲地・・・仲間の地=故郷
意知 人は中大兄皇子
逸(イチ・イツ
いつ=何時・乙)
乙巳の変(645年)
大化の改新
↓↑
㦤=㦉=㱅
↓↑
懿=壹+恣
士+冖+豆+次+心
士+冖+豆+冫+欠+心
士+冖+豆+冫+丿+乛+人+心
懿徳天皇
第四代 天皇
大 日本 彦 耜 友 天皇
おほやまとひこすきとものみこと(日本書紀)
大 倭 日子鉏 友 命
おほやまとひこすきとものみこと(古事記)
↓↑
磯城津彦玉手看天皇(安寧天皇)の第二皇子
↓↑
母は
鴨王 ( 事代主神 の孫)の娘の
渟名底仲媛命 (日本書紀)
阿久斗比売(古事記)
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皇后は
天豊津媛命(日本書紀)
賦登麻和訶比売命(古事記)
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子
観松彦香殖稲尊(孝昭天皇)
御間津日子訶恵志泥命
(みまつひこかえしねのみこと)
多藝志比古命
(たぎしひこのみこと)
武石彦奇友背命
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兄弟 同母兄 息石耳命(常津彦某兄 )
同母弟 磯城津彦命
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父帝が崩御した翌々年の一月に即位
即位二年一月
軽 之 境 岡 宮
(かるの さかいおかのみや・古事記)
軽 曲 峡 宮
(かるのまがりおのみや・日本書紀)
に遷都
二月
息石耳命 の娘の
天豊津媛命 を皇后とし
観松彦香殖稲尊(孝昭天皇 )を得た
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懿=壹+恣+士+冖+豆+次+心
士+冖+豆+冫+欠+心
士+冖+豆+冫+丿+乛+人+心
壹+α・・・イチ
噎㙪㦉殪曀㱅皼䊦豷饐鷧
壹・・・臺=吉+冖+至
吉+冖+一+ム+土
士+口+冖+一+ム+十+一
十+一+口+冖+一+ム+十+一
=台・坮・㙵・䑓
↓↑
懿懿(イイ)=非常にすぐれている・芳しい様子
懿戒(イカイ)=すぐれた教え・立派な戒め
懿軌(イキ)=すぐれた見本・立派な手本
懿筐(イキョウ)=深さのある竹の籠
懿業(イギョウ)=立派な仕事
懿訓(イクン)=立派な教え・すぐれた教訓
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懿公喜鶴(イコウキカク)
大切にすべきものを軽く扱い
くだらないものを大切にして
身を滅ぼすこと
「懿公」は人名
衛の国の懿公
家臣や国民を大切にせず
鶴を好んで爵位を与えて大切にしていたが
戦争になると
兵隊は鶴に戦わせればよい
と言って協力せず
懿公は身を滅ぼした
「懿公鶴を喜む」
「懿公好鶴(イコウコウカク)
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卯=冒=昴=日+卯=昂=日+卬=ボウ
昴流(すばる)
冒=よこしま=邪・・・横島・横嶌・横縞
卜辞に犠牲を「卯す(ころす)」意
説文に「冒(ボウ)なり」と同声
卜文と金文の字形は
牲牛の「肉を両分」する形
肉=ジク=字句
肉=にく=弐句・似句・邇句・爾句
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康熙字典 《丑集中》《士字部》
壹 〔古文〕夁=𡔾=𡕋=𡕍
專一也
《孟子》志壹則動氣・氣壹則動志
《左傳・昭二十年》若琴瑟之專壹・誰能聽之。 又合也
《前漢・董仲舒傳》有所統壹・爲羣儒首(孔子)
羣=群=むれる
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ボクが自分の文章内で使用してきた記号「~」は
「・・・から(~)・・・まで」
の意味で、特に「年号~年号まで」で使用してきたが・・・
検索ブログを調べたら
↓↑
「~、≅、≈、≃」
これらの記号は
論理学や幾何学においては
「同値、同型、同相、漸進的に等しい」
「ホモトープである」・・・?
の意味
「≒」の上下の点の位置を逆にした
「≓」 という記号は
「≒」と同じく「ほとんど等しい」という意味
「≑」
上下の点の位置を真中に揃えた記号は
「幾何学的に等しい」という意味で使用・・・
との記録があったけれど・・・
それに
「ホモトープ」・・・
まったく、ボクには理解不能な「説明」だった・・・
「保模問う附」・・・?
ボクには「設問自体・質問自体」が「?」で
「理解」出来ないことが多い・・・
そして
「自分が記録」した文字、文章「その意味自体」が
コレって
「ナンでココに書き込んだの?」
である・・・自分の「ブログ日記」なのに・・・
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前回、記録した「円珍」・・・
本当は「慈円」を書き込みたかったのに・・・
愚図・・・愚観・・・
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慈円(じえん・慈圓)
久寿二年四月十五日(1155年 5月17日)
~
嘉禄元年九月二十五日(1225年 10月28日)
平安時代末期~鎌倉時代初期の
天台宗の僧
諡号 慈鎮和尚(じちん かしょう)
通称 吉水僧正(よしみず そうじょう)
『小倉百人一首』では
前大僧正慈円
(さきの だいそうじょう じえん)
父 摂政関白・藤原忠通
母 藤原仲光の女、加賀
兄 摂政関白・九条兼実は同母兄
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歴史書
『愚管抄』の著者
全7巻
「承久の乱」
の直前、朝廷と幕府の緊張の
承久二年(1220年)頃成立し
乱後に修訂・・・
「初代・神武天皇~第84代・順徳天皇まで
の歴史を
貴族の時代~武士の時代への転換と捉え
末法思想と「道理」の理念とに基づいて
仮名文で述べたもの
慈円は朝廷側の一員であるが
源頼朝の政治を道理にかなっていると評価
慈円自身の父
藤原忠通が
祖父の
藤原忠実と不仲であった事を批判したり
同母兄弟の
九条家流を持ち上げて
異母兄弟の
近衛家流を非難するなど
摂関家の一員としての
慈円本人の複雑な事情を
垣間見る事の出来る記事も存在する」・・・
↓↑
『愚管抄』の内容
三部分
巻1~巻2まで
神武以来の天皇年代記
巻3~巻6まで
道理の推移を中心とする歴史述叙
巻7は
道理についての総括
一切の法は
道理であり
其の道理に基づいて
世の直し方の方法を
論述している・・・
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「道理」って、ナニ・・・?
ーーーーー
・・・???・・・
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源) + (表紙・画像・音楽)」の 移転先・・・
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ボクの「古事記字源」の発端・・・
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干支歴
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追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/user/merikiri
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モウ君の総合目次 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606133825/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/kkmokuji.htm
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コジキ姫赤い絨毯に乗る(m) (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090609174025/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm
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古事記と虎関師錬 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606191156/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kokan/kokansiren.htm