何故、「俀國傳」の漢字をを選択したのか・・・?
・・・「鸚鵡(鸚䳇・Psittacidae・true parrots)返し」・・・
↓↑
鸚=嬰+鳥
鵡=武+鳥
↓↑
・・・「九官鳥返し」・・・
↓↑
・・・何故、「俀國傳」の漢字をを選択したのか・・・
既に隋の時代日本に「俀=イ+妥」の漢字記録使用の「俀國」が存在した・・・
編纂者は「俀=イ+妥」の漢字記録表記に
「妥協・妥当・妥結」
した・・・技調=魏徴・・・
儀長=長孫無忌
ーーーーー
翰苑・・・・・餧(ヰ・ダイ)=餒(ダイ)
𩙿+委 𩙿+妥
飠+委 飠+妥
異体字「𫗪・喂・餒・餵」
簡体字「𫗪・喂」
食+委
倭人字磚・・・餧(ヰ・ダイ)・餒(ダイ)?
↓↑
隋書=唐の魏徴 撰
↓↑
唐の二代目
太宗(李世民)
貞観二年(628)
バラバラになっていた
四部書(経・史・子・集)
を校訂
旧唐書
魏徴伝
↓↑
新唐書は
貞観三年
「隋書」編纂
「魏志倭人伝」の
「壹(壱)與(与)を・・・他意?
臺(台)與(与)と記す
梁書
(姚思廉 撰)」
↓↑
の編纂にも
「魏徴」
「長孫無忌」が関与
ーーーーー
「長孫無忌」・・・高宗(晋王治)の伯父
↓↑ ・・・太宗(李世民・突厥)の
長孫皇后の兄
唐朝の外戚
字 輔機
本貫 河南郡洛陽県
黔州
鮮卑系貴族
永徽(エイキ)六年十月十三日
655年
武昭儀が立后
↓↑
顕慶四年
659年
則天武后によって
無忌は流刑
自殺を命ぜられた
↓↑
顕慶五年
660年
百済滅亡
↓↑
龍朔三年(天智天皇二年)
663年
白江村海戦
↓↑
麟徳元年
664年
廃皇后発覚
則天武后の垂簾政治
↓↑
弘道元年
683年
高宗失明
十二月崩御
皇太子哲=中宗即位
皇后韋(い)氏の父
韋玄貞・・・韋の玄を貞める?
門下省
侍中任命事件で
廃帝
弟の予王旦(タン)が
睿宗(エイソウ)即位
↓↑
光宅元年十一月
684年
李勣の孫
李敬業(ケイギョウ)
その弟の
李敬猷(ケイユウ⇔猶太)
詩人
駱賓王(ラクヒンオウ)
らが揚州で反乱挙兵
↓↑
光宅二年
685年
武后は売薬商人の
馮小宝(フウショウホウ)を
僧懐義と名のらせ
白馬寺の主とした
↓↑
則天文字
甥の
宗秦客・・・宗は秦の客?
に命じて作らせた
新十七字(説)を発明
日本の「国字」の発祥・・・?
↓↑
「照=曌
天=𠑺
空=𠀑
地=埊
日=囗+乙= 𡆠
月=囗+子= 囝・𠥱
星=〇
誕=𠤵
君=丅+冖+一+舎
臣=𢘑
載=士+几+車+灬=𡔈
初=一+ㇵ+几+賏+土=𡔈
年=千+ヵ+ヵ+二
正=千+凵=𠙺
國=圀」
↓↑
載初元年九月
690年
国号を「周」
年号を「天授」
みずからは「聖神皇帝」
「金輪聖神皇帝」
↓↑
武則天 退位
神龍元年
705年3月3日
↓↑
神龍元年十一月二十六日
死没
↓↑
中宗
韋后
の末娘の
安楽公主は
武三思
の子の
武崇訓
に嫁し
則天皇帝の娘の
太平公主は
武攸曁(ユウキ)に嫁していた
↓↑
韋号を中心の
女性群
武氏一族
中宗は傀儡子(くぐつ)
↓↑
景龍元年
707年
皇太子
重俊が
武三思
武崇訓
を殺したが
謀叛の軍とされ
皇太子は捕えられて殺された
↓↑
安楽公主は
武崇訓の死んだのち
武延秀
に嫁し、専横
上官氏とともに売官
安楽公主
上官氏
太平公主
専横
↓↑
中宗が
韋号と
娘の
安楽公主に
毒殺
↓↑
景雲元年
710年
叡宗(えいそう)の三男
隆基(玄宗)が挙兵し
韋号・安楽公主・上官氏
を殺し
睿宗が帝位に復し
隆基(玄宗)が皇太子
位を太子にゆずり
玄宗が帝位に就く
↓↑
先天二年
713年
太平公主は
玄宗に対して立ちあがったが
敗北
ーーーーー
太宗(突厥)の皇子
↓↑
承乾(ショウケン)貞観十七年四月
承乾の謀叛密告で
廃太子
↓↑
泰(タイ)・・貞観十年・魏王
太宗は泰のため
文学館を開き
学士を置く
泰は
『括地志(五百五十巻)』
地理書を編纂
↓↑
治(チ)・・・高宗⇔王皇后
蕭淑妃
武照儀(則天武后)
ーーーー↓↑ー
「泰(タイ)」
の弟の
晋王
「治(ジ・チ・ヂ)=高宗」
・・・武照儀(則天武后)
を太子に立てることを主張
長兄
「承乾(戌亥を継承)」も
「泰(タイ)」が
太子となることに反対
貞覬二十三年(六四九)
「治は二十二歳で高宗」
↓↑
永徽(エイキ)六年十月十三日
655年
王皇后
蕭淑妃
は位を剥奪され
武昭儀が皇后
王皇后を擁護した
褚遂良(チョスイリョウ)は地方に左遷
著 推 慮 迂(鵜・鸕)?
ーーーーー
ニュウ・キャッツ?
王皇后・・・猫(グリザベラ
Grizabella)?
蕭淑妃・・・猫(ジェリーロラム
Jellylorum)?
武昭儀・・・鼠(ジェニエニドッツ
Jennyanydots)?
ーーーーー
安帝
「倭國王 帥升等」
宋本通典
「倭面土國王 師升」
翰苑の後漢書引用
「倭面上國王 師升」
↓↑
隋書
「邪靡堆(ヤビタイ)」
・・・靡=なびく
・・・堆=つつみ・どて
魏志の言うところの
「邪馬臺(ヤバタイ)」
魏志 は「邪馬壱(壹)国」
後漢書は「邪馬台(臺)国」
↓↑
漢
光武時 遣使 入朝 自稱 大夫
安帝時 又遣使 朝貢 謂 之 俀奴国
↓↑
妥協・妥当・妥結
↓↑
妥=爪+女・・・「瓜女」じゃない
「爪女」って?
ダ・タ
やすらか・おだやか
手で女をさする?
・・・爪で掻くオンナ・・・ガリガリ?
我利がり?
安んじる意を表す
妥協(ダキョウ)・妥結(ダケツ)・妥当(ダトウ)
妥当性・妥協案・妥協点
↓↑ ↓↑ ↓↑
妥・・・俀=人+妥・・・ 拿
↓↑
桜=「木+⺍+女」=櫻=「木+嬰(賏+女)」
ツ+女=嬰(賏+女)
⺍=賏
爪≠⺍=賏
ソウ≠⺍=エイ・ヨウ・オウ
つめ≠⺍=くびかざり
異体字「覞」
「偽客・やらせ・おとり」
「木花咲耶比女」
桜=木+⺍+女
異体字「櫻・樱」
オウ
さくら
⺍=つ・つ冠(かんむり)
旧字体の一部を簡略化したもの
単(單⇔吅)
巣(巢⇔巛)
営(營⇔炏)
厳(嚴⇔吅)
労(勞⇔炏)
学(學⇔𦥯+子⇔𦥯=E+爻+ヨ+冖)
挙(擧⇔與+手⇔E+𠃑+ヨ=兴+手)
與=与
栄(榮⇔炏)
蛍(螢⇔炏)
覚(覺⇔𦥯)
誉(譽⇔與+言⇔E+𠃑+ヨ+六+二+口
=誉⇔⺍+一+八+言)
「ツ」を含む
異体字には以下の1字が存在する
「鼡=ねづみ・ねずみ=鼠・子」
↓↑
桵=「木+妥(爫+女)」
「木+妥(爪+女)」
ずい
木の名・バラ科の落葉低木
タラノキ(楤木・桵木・Aralia elata)
ウコギ科の落葉低木
新芽を「たらのめ(楤芽)・タランボ」
などと呼び
スプラウト(Sprout)の食用販売
天婦羅(テンプラ)等に調理
「タラ(楤、桵)」と呼ばれることも
地方によって呼び名があり
オニのカナボウ・タラッペ・タランボ
樹皮の部分は
刺老鴉(シロウア)ともよばれる
↓↑
妥+α
俀
↓↑
鵎・鮾・骽・餒・鞖・鋖・荽
脮・綏・浽・桵・挼・娞・哸
䧌・䕑・𫏙・𫌽・𫄑・𫄌・𫃸
𪸯・𩳕・𩭏・𩣧・𩟼・𩝺・𩗔・䅑
𨁡・𧞥・㼏・𦷪・𦵭・𦄫・𥷓・𥱮
㱣・𤕇・𤃠・𣮄・𢼻・㟎・㞂・𢚶
𢓰・𡲾・𡖲・𡃲
↓↑
賏=貝+貝
貝をつなげた形
首飾り
賏・嬰・桜・瓔・纓
「あかご(嬰・嬰児)」
「鸚=嬰+鳥=鸚鵡」
「罌」
「嚶」
「瓔」
貝をつなげた呪具の首飾り
新生児の女児の首にかけて
魔除けの呪いとした
乳飲児
みどりご・乳のみご
嬰児=エイジ・みどりご
嬰児が抱かれ動かない
消極的
退嬰(タイエイ)
退いて消極的・退嬰的な
めぐる・めぐらす
桜=さくら・オウ=櫻
木(き)+嬰(女の賏(首飾り)
首飾りのようにつらなう
ユスラウメ
サクラ
ゆすらうめ(桜桃・梅桃)
バラ科の落葉低木
朱桜=シュオウ
バラ科サクラ属の落葉樹
桜花(オウカ)・観桜(カンオウ)
↓↑
瓔=王(たま)+嬰(賏=首飾り)
ヨウ・エイ
玉をつないだ首飾り
瓔珞(ヨウラク)
宝石を連ねて
仏像の頭・首・胸などを飾るもの
瓔も珞も玉をつないだ首飾り
瓔珞は寺院や仏壇、天蓋などの荘厳具
↓↑
纓=糸(ひも)+嬰(賏=首飾り)
エイ
首飾りのように
首にかけて垂らす飾りひも
首の上部で結ぶ冠のひも
日本では
冠の後ろに垂らす帯状の付属具(巾子)
立纓(リュウエイ)の冠を付けた男雛
かざりひも・冠のひも
冠纓(カンエイ)=冠のひも
纓紳(エイシン)=冠のひもと大帯
冠の後ろに垂らす付属具
立纓(リュウエイ)=冠の後ろの
纓が立っているもの
江戸以降、天皇が使用
立纓(リュウエイ)の冠
垂纓(スイエイ)=纓が垂れた冠・文官が使用
↓↑
あかご
↓↑
鸚=鳥(とり)+嬰(あかご)
オウ・イン
嬰児が母親の言葉をまねるように
人の言葉をまねる鳥
鸚鵡(オウム)
オウム科の鳥
人の言葉や他の動物の鳴き声をまねる
鸚鵡返し
鸚鵡貝(オウムがい)
↓↑
罌=缶(かめ)+賏
オウ・ヨウ・かめ
罌粟の花と果実(ケシ坊主)
かめ(罌)・もたい
腹が大きく口のつぼんだかめ
罌粟(オウゾク・けし)
ケシ(芥子)科の二年草
五月ごろ開花し
花弁が落ちた果実の
乳液からアヘンを採取
実がかめの形をしている
罌(オウ)=果実のなかに
粟のように小さい種子がある
罌粟=けし=芥子
↓↑
嚶=口(くち)+嬰(オウ)
オウ・なく
オウという声を出す
嚶鳴(オウメイ)=鳥の鳴く声
なく(嚶く)・鳥が声を合わせて鳴く
鳥が鳴き声を交わすさま
嚶鳴(オウメイ)
鳥がたがいにさえずり合う
友人がむつまじくかたり合う
嚶鳴社=自由民権運動に参加した結社
1982年政府の命令により解散
嚶嚶(オウオウ)=鳥が声を合わせて鳴く
ーーーーー
・・・???・・・
・・・「鸚鵡(鸚䳇・Psittacidae・true parrots)返し」・・・
↓↑
鸚=嬰+鳥
鵡=武+鳥
↓↑
・・・「九官鳥返し」・・・
↓↑
・・・何故、「俀國傳」の漢字をを選択したのか・・・
既に隋の時代日本に「俀=イ+妥」の漢字記録使用の「俀國」が存在した・・・
編纂者は「俀=イ+妥」の漢字記録表記に
「妥協・妥当・妥結」
した・・・技調=魏徴・・・
儀長=長孫無忌
ーーーーー
翰苑・・・・・餧(ヰ・ダイ)=餒(ダイ)
𩙿+委 𩙿+妥
飠+委 飠+妥
異体字「𫗪・喂・餒・餵」
簡体字「𫗪・喂」
食+委
倭人字磚・・・餧(ヰ・ダイ)・餒(ダイ)?
↓↑
隋書=唐の魏徴 撰
↓↑
唐の二代目
太宗(李世民)
貞観二年(628)
バラバラになっていた
四部書(経・史・子・集)
を校訂
旧唐書
魏徴伝
↓↑
新唐書は
貞観三年
「隋書」編纂
「魏志倭人伝」の
「壹(壱)與(与)を・・・他意?
臺(台)與(与)と記す
梁書
(姚思廉 撰)」
↓↑
の編纂にも
「魏徴」
「長孫無忌」が関与
ーーーーー
「長孫無忌」・・・高宗(晋王治)の伯父
↓↑ ・・・太宗(李世民・突厥)の
長孫皇后の兄
唐朝の外戚
字 輔機
本貫 河南郡洛陽県
黔州
鮮卑系貴族
永徽(エイキ)六年十月十三日
655年
武昭儀が立后
↓↑
顕慶四年
659年
則天武后によって
無忌は流刑
自殺を命ぜられた
↓↑
顕慶五年
660年
百済滅亡
↓↑
龍朔三年(天智天皇二年)
663年
白江村海戦
↓↑
麟徳元年
664年
廃皇后発覚
則天武后の垂簾政治
↓↑
弘道元年
683年
高宗失明
十二月崩御
皇太子哲=中宗即位
皇后韋(い)氏の父
韋玄貞・・・韋の玄を貞める?
門下省
侍中任命事件で
廃帝
弟の予王旦(タン)が
睿宗(エイソウ)即位
↓↑
光宅元年十一月
684年
李勣の孫
李敬業(ケイギョウ)
その弟の
李敬猷(ケイユウ⇔猶太)
詩人
駱賓王(ラクヒンオウ)
らが揚州で反乱挙兵
↓↑
光宅二年
685年
武后は売薬商人の
馮小宝(フウショウホウ)を
僧懐義と名のらせ
白馬寺の主とした
↓↑
則天文字
甥の
宗秦客・・・宗は秦の客?
に命じて作らせた
新十七字(説)を発明
日本の「国字」の発祥・・・?
↓↑
「照=曌
天=𠑺
空=𠀑
地=埊
日=囗+乙= 𡆠
月=囗+子= 囝・𠥱
星=〇
誕=𠤵
君=丅+冖+一+舎
臣=𢘑
載=士+几+車+灬=𡔈
初=一+ㇵ+几+賏+土=𡔈
年=千+ヵ+ヵ+二
正=千+凵=𠙺
國=圀」
↓↑
載初元年九月
690年
国号を「周」
年号を「天授」
みずからは「聖神皇帝」
「金輪聖神皇帝」
↓↑
武則天 退位
神龍元年
705年3月3日
↓↑
神龍元年十一月二十六日
死没
↓↑
中宗
韋后
の末娘の
安楽公主は
武三思
の子の
武崇訓
に嫁し
則天皇帝の娘の
太平公主は
武攸曁(ユウキ)に嫁していた
↓↑
韋号を中心の
女性群
武氏一族
中宗は傀儡子(くぐつ)
↓↑
景龍元年
707年
皇太子
重俊が
武三思
武崇訓
を殺したが
謀叛の軍とされ
皇太子は捕えられて殺された
↓↑
安楽公主は
武崇訓の死んだのち
武延秀
に嫁し、専横
上官氏とともに売官
安楽公主
上官氏
太平公主
専横
↓↑
中宗が
韋号と
娘の
安楽公主に
毒殺
↓↑
景雲元年
710年
叡宗(えいそう)の三男
隆基(玄宗)が挙兵し
韋号・安楽公主・上官氏
を殺し
睿宗が帝位に復し
隆基(玄宗)が皇太子
位を太子にゆずり
玄宗が帝位に就く
↓↑
先天二年
713年
太平公主は
玄宗に対して立ちあがったが
敗北
ーーーーー
太宗(突厥)の皇子
↓↑
承乾(ショウケン)貞観十七年四月
承乾の謀叛密告で
廃太子
↓↑
泰(タイ)・・貞観十年・魏王
太宗は泰のため
文学館を開き
学士を置く
泰は
『括地志(五百五十巻)』
地理書を編纂
↓↑
治(チ)・・・高宗⇔王皇后
蕭淑妃
武照儀(則天武后)
ーーーー↓↑ー
「泰(タイ)」
の弟の
晋王
「治(ジ・チ・ヂ)=高宗」
・・・武照儀(則天武后)
を太子に立てることを主張
長兄
「承乾(戌亥を継承)」も
「泰(タイ)」が
太子となることに反対
貞覬二十三年(六四九)
「治は二十二歳で高宗」
↓↑
永徽(エイキ)六年十月十三日
655年
王皇后
蕭淑妃
は位を剥奪され
武昭儀が皇后
王皇后を擁護した
褚遂良(チョスイリョウ)は地方に左遷
著 推 慮 迂(鵜・鸕)?
ーーーーー
ニュウ・キャッツ?
王皇后・・・猫(グリザベラ
Grizabella)?
蕭淑妃・・・猫(ジェリーロラム
Jellylorum)?
武昭儀・・・鼠(ジェニエニドッツ
Jennyanydots)?
ーーーーー
安帝
「倭國王 帥升等」
宋本通典
「倭面土國王 師升」
翰苑の後漢書引用
「倭面上國王 師升」
↓↑
隋書
「邪靡堆(ヤビタイ)」
・・・靡=なびく
・・・堆=つつみ・どて
魏志の言うところの
「邪馬臺(ヤバタイ)」
魏志 は「邪馬壱(壹)国」
後漢書は「邪馬台(臺)国」
↓↑
漢
光武時 遣使 入朝 自稱 大夫
安帝時 又遣使 朝貢 謂 之 俀奴国
↓↑
妥協・妥当・妥結
↓↑
妥=爪+女・・・「瓜女」じゃない
「爪女」って?
ダ・タ
やすらか・おだやか
手で女をさする?
・・・爪で掻くオンナ・・・ガリガリ?
我利がり?
安んじる意を表す
妥協(ダキョウ)・妥結(ダケツ)・妥当(ダトウ)
妥当性・妥協案・妥協点
↓↑ ↓↑ ↓↑
妥・・・俀=人+妥・・・ 拿
↓↑
桜=「木+⺍+女」=櫻=「木+嬰(賏+女)」
ツ+女=嬰(賏+女)
⺍=賏
爪≠⺍=賏
ソウ≠⺍=エイ・ヨウ・オウ
つめ≠⺍=くびかざり
異体字「覞」
「偽客・やらせ・おとり」
「木花咲耶比女」
桜=木+⺍+女
異体字「櫻・樱」
オウ
さくら
⺍=つ・つ冠(かんむり)
旧字体の一部を簡略化したもの
単(單⇔吅)
巣(巢⇔巛)
営(營⇔炏)
厳(嚴⇔吅)
労(勞⇔炏)
学(學⇔𦥯+子⇔𦥯=E+爻+ヨ+冖)
挙(擧⇔與+手⇔E+𠃑+ヨ=兴+手)
與=与
栄(榮⇔炏)
蛍(螢⇔炏)
覚(覺⇔𦥯)
誉(譽⇔與+言⇔E+𠃑+ヨ+六+二+口
=誉⇔⺍+一+八+言)
「ツ」を含む
異体字には以下の1字が存在する
「鼡=ねづみ・ねずみ=鼠・子」
↓↑
桵=「木+妥(爫+女)」
「木+妥(爪+女)」
ずい
木の名・バラ科の落葉低木
タラノキ(楤木・桵木・Aralia elata)
ウコギ科の落葉低木
新芽を「たらのめ(楤芽)・タランボ」
などと呼び
スプラウト(Sprout)の食用販売
天婦羅(テンプラ)等に調理
「タラ(楤、桵)」と呼ばれることも
地方によって呼び名があり
オニのカナボウ・タラッペ・タランボ
樹皮の部分は
刺老鴉(シロウア)ともよばれる
↓↑
妥+α
俀
↓↑
鵎・鮾・骽・餒・鞖・鋖・荽
脮・綏・浽・桵・挼・娞・哸
䧌・䕑・𫏙・𫌽・𫄑・𫄌・𫃸
𪸯・𩳕・𩭏・𩣧・𩟼・𩝺・𩗔・䅑
𨁡・𧞥・㼏・𦷪・𦵭・𦄫・𥷓・𥱮
㱣・𤕇・𤃠・𣮄・𢼻・㟎・㞂・𢚶
𢓰・𡲾・𡖲・𡃲
↓↑
賏=貝+貝
貝をつなげた形
首飾り
賏・嬰・桜・瓔・纓
「あかご(嬰・嬰児)」
「鸚=嬰+鳥=鸚鵡」
「罌」
「嚶」
「瓔」
貝をつなげた呪具の首飾り
新生児の女児の首にかけて
魔除けの呪いとした
乳飲児
みどりご・乳のみご
嬰児=エイジ・みどりご
嬰児が抱かれ動かない
消極的
退嬰(タイエイ)
退いて消極的・退嬰的な
めぐる・めぐらす
桜=さくら・オウ=櫻
木(き)+嬰(女の賏(首飾り)
首飾りのようにつらなう
ユスラウメ
サクラ
ゆすらうめ(桜桃・梅桃)
バラ科の落葉低木
朱桜=シュオウ
バラ科サクラ属の落葉樹
桜花(オウカ)・観桜(カンオウ)
↓↑
瓔=王(たま)+嬰(賏=首飾り)
ヨウ・エイ
玉をつないだ首飾り
瓔珞(ヨウラク)
宝石を連ねて
仏像の頭・首・胸などを飾るもの
瓔も珞も玉をつないだ首飾り
瓔珞は寺院や仏壇、天蓋などの荘厳具
↓↑
纓=糸(ひも)+嬰(賏=首飾り)
エイ
首飾りのように
首にかけて垂らす飾りひも
首の上部で結ぶ冠のひも
日本では
冠の後ろに垂らす帯状の付属具(巾子)
立纓(リュウエイ)の冠を付けた男雛
かざりひも・冠のひも
冠纓(カンエイ)=冠のひも
纓紳(エイシン)=冠のひもと大帯
冠の後ろに垂らす付属具
立纓(リュウエイ)=冠の後ろの
纓が立っているもの
江戸以降、天皇が使用
立纓(リュウエイ)の冠
垂纓(スイエイ)=纓が垂れた冠・文官が使用
↓↑
あかご
↓↑
鸚=鳥(とり)+嬰(あかご)
オウ・イン
嬰児が母親の言葉をまねるように
人の言葉をまねる鳥
鸚鵡(オウム)
オウム科の鳥
人の言葉や他の動物の鳴き声をまねる
鸚鵡返し
鸚鵡貝(オウムがい)
↓↑
罌=缶(かめ)+賏
オウ・ヨウ・かめ
罌粟の花と果実(ケシ坊主)
かめ(罌)・もたい
腹が大きく口のつぼんだかめ
罌粟(オウゾク・けし)
ケシ(芥子)科の二年草
五月ごろ開花し
花弁が落ちた果実の
乳液からアヘンを採取
実がかめの形をしている
罌(オウ)=果実のなかに
粟のように小さい種子がある
罌粟=けし=芥子
↓↑
嚶=口(くち)+嬰(オウ)
オウ・なく
オウという声を出す
嚶鳴(オウメイ)=鳥の鳴く声
なく(嚶く)・鳥が声を合わせて鳴く
鳥が鳴き声を交わすさま
嚶鳴(オウメイ)
鳥がたがいにさえずり合う
友人がむつまじくかたり合う
嚶鳴社=自由民権運動に参加した結社
1982年政府の命令により解散
嚶嚶(オウオウ)=鳥が声を合わせて鳴く
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