高・・・タカイ・たかい・多回・他界・高居・他階・高橋
カミサシをトク・・・神武帝・・・高の歓喜・・・?
高斉=北斉(550年~577年)
南北朝時代に
高氏によって建国
高歓(神武帝)~547年に高歓が死没~高澄
~~~幼主(高恒・在位577年)
高+α・・・
「高橋・高野・高木・喬木・高階・高村・高里・高井・高城」
・・・高麗・高句麗・・・難民?
高木の神=高御産巣日神(タカミムスビノカミ)=高皇産霊尊
高皇産霊神
(コウコウサンレイシン)
後 項 「纂・簒・篹・讃」例新
↓↑ ↓↑
高木兼寛
↓↑ ↓↑
薩摩藩郷士
高木喜助兼次
の長男
日向国
諸県郡
穆佐郷(宮崎県宮崎市高岡町)
で誕生
通称 藤四郎
号 穆園
18歳
薩摩藩
蘭方医の
「石神良策」・・・石の神の良い策
に師事
戊辰戦争・・・・・戊辰=土の兄の龍
で
薩摩藩兵軍医で従軍
明治二年(1869年)
開成所洋学局に入学
明治三年(1870年)
鹿児島医学校に入学
教授に抜擢
↓↑ ↓↑
「高木岬」・・・高は壹の葉知のミサキ
タカイの記はサンコウ
岬=山甲=参 考
南極大陸
南緯65度33分
西経64度14分
高木、彼の名に因んで付けられた
↓↑ ↓↑
高木兼寛
↓↑ ↓↑
・・・高い木を兼て寛(ひろげる)
寛=宀+艹+見
寬=宀+萈(艹+見+丶)
ひろい・心がひろい・ゆとりがある
「寛恕・寛大・寛容・寛座」
くつろぐ・のんびり
寛=宀+萈=寬
萈=体の丸いヤギ
家中に余裕があるさま
カン
ひゆ・・・比喩・脾兪・譬喩・日比
日向(ひゅ-うが)
草の名・ヒユ科の一年草
莧陸(カンリク)
植物の名
やまごぼう=山牛蒡
↓↑ ↓↑
高木兼寛
嘉永二年九月十五日
1849年10月30日
~
大正九年
1920年4月13日
↓↑
大運1916年12月(67歳)~1926年
丁卯 偏印
┏己酉┓(庚 辛)比肩・食神長生⇔庚申 傷官
┣甲戌┫(辛丁戊)正官・劫財 養⇔庚辰 傷官
┗己酉┛(庚 辛) ・食神長生⇔辛丑 食神
庚午┃(丙 丁)傷官・偏印建禄⇔甲午
壬申┛(戊壬庚)15~17:00?
寅卯空亡 1920年4月13日
方合辛局・・・食神
↓↑
明治十四年(1881)5月1日
「成医会講習所」・・・「東京慈恵会医科大学」
脚気について栄養欠陥説を提唱
愛称「麦飯男爵」
日本海軍から脚気を撲滅
「ヴィタミン(Vitamin・ビタミン・維生素・維他命)の父」
「日本の疫学の父」
海軍軍医総監
↓↑
高良大社の背後に
高良山
筑紫平野
吉野ヶ里遺跡
↓↑
・・・ナゼ、「長孫」で「無忌(ムキ)」なのか?
忌=己の心は無し=無私
忌(い)む
イム(医務・異夢・任)
むき=剥き・剝き
無季=季語が無い
木之子が無い?
・・・「鮮卑」・・・天孫(天津)族?
アザヤカで卑しい?・・・癒しさが鮮やか・・・
卑しい=いやしい
=癒やし意(彙・委・慰)
癒=疒+愈
疒+兪+心
疒+俞+心
疒+入+一+月+巜+心
疒+亼+刖+心
疒+人+一+月+刂+心
いえる・いやす
なおす・病気が治る
慰=尉+心
尸+示+寸+心
なぐさめる
悲しみや苦しみなどをいたわり
心を安らかにさせる
なぐさむ・気が晴れる
心がおだやかになる
もてあそぶ
↓↑ ↓↑
卑=鄙賤者・田舍漢・鄙賤?
・・・陋=阝+𠃊+丙
傖=イ+倉
俚=イ+里
倀=イ+長=チョウ・トウ・ジョウ
くるう・たおれる
倀鬼(チョウキ)・虎倀(コチョウ)
長=尹(おさ)=酋(おさ)=譯田
=太郎=長男の・・・
孫(まご・孑+一+幺+亅+八)
馬子・・・・蘇我馬子
馬子=まご・めご=目子・・
太郎・・・何太郎・・・次郎
長男
小太郎・・・何小太郎・・小次郎
長男の子・孫?
↓↑
郎子(いらつこ・いらつきみ)
継体天皇=450年?〈允恭天皇三十九年〉
↓↑ ↓↑ ~
531年3月10日?〈継体天皇二十五 年二月七日〉
第二十六代天皇
507年3月3日?〈継体天皇元年2月4日〉
~
531年3月10日?〈継体天皇25年2月7日〉
↓↑ ↓↑ 諱はヲホド・大迹王(日本書紀)
の曾祖父
応神
の孫
↓↑
大郎子(オホイラツコ)
又の名
意富々将王(オホホト王)
意富々杼王=意富富等王=大大迹王
↓↑
若野毛-二俣(わかぬけふたまたの)王
稚野毛-二派皇子
と
百師木-伊呂弁(ももしきの-いろべ)
の子
乎非王
彦主人王(26)
継体天皇
古事記 では袁本杼命(ヲほどのみこと)
日本書紀では男大迹王(ヲほどのおホきみ)
↓↑
郎女 (いらつめ) =以良都女
大郎女(おホいらつめ)=貴人の長女
大郎女=大娘=大嬢(おホいらつめ)
↓↑
郎=秦・前漢の官位
郎中令の属官の一
郒=𨝥=郎の異体字
良+邑=葛+阝・・・葛
=艹+日+兦+阝
=良+阝
↓↑
𣌣=白+兦=良の本字
亾 聲
亾=人+乚=𠃊+人=亾
ボウ・モウ
ない・なくなる・ほろびる
逃亡⇒流亡
異体字「亡・兦」
㤀(わす)れ
亾(あやう)き
譌(なまる・訛り・カ・ガ)=言+爲(為)
爲=爪を立てる烏?
爲=爪+象?
爪+尸+勹+灬+丶
爳=爲+了?
𥭣 字上原似卄作,如 𨝥 字所从
↓↑ ↓↑
𠆦=人+一+𠃊
サ・ジャ
ながら=乍
人𠆢一亼L乚𠃊𠆦
急に、突然に
乍~乍~
~するかと思えば急に~する
~であるかと思えば急に~である
ながら
~ではあるが
~しつつ
幾つかの動作を同時に行うこと
↓↑
郎(ロウ・いらつこ・お)
清らかな男子
妻が夫を呼ぶことば
女性が恋人の男を呼ぶことば
男子の美称
中央官庁の中級の役人
春秋時代
魯ロの近郊の邑
山東省にあった
ーー↓↑ーー
・・・ナゼ、「長孫」で「無忌(ムキ)」なのか?
忌=己の心は無し=無私
忌(い)む
イム(医務・異夢・任)
・・・「撫忌」ならば・・・己の心は孫を愛撫?
撫=なでる
=𢻲=攴+亾
フ・ブ・なでる・・・・名出留?
ブ=撫・𢸮・𢺌・抚・𢻬
漢字構成
人L乚𠃊亾ト卜⺊ヌ又攴=𢻲
「乚=乙」の人⇔ト・卜・⺊
人が占う=事象の先読み・予測
手を滑らすようにして
軽く摩(さす)る
摩るようにして
愛(いと)おしむ・愛撫
摩るようにして
優しく労(いた)わる・慰撫
物の上に手を置く
手で軽く押える
軽くぽんぽんと叩(たた)く・拊
手本をなぞって書く・描く
手本とするものに
倣(なら)って書く・描く・摸
↓↑ ↓↑
長=おさ=酋=おさ=訳語・通事
=おさ=筬=竹+成
機織機の操作で
経 (たて) 糸の位置を整え
打込んだ緯 (よこ) 糸を押して
さらに密に定位置に
打働きをするモノ(部品道具)
竹の薄片を
櫛の歯のように並べ
枠をつけたもの
織物の幅とたて糸を整え
杼(ひ)で打ち込まれたよこ糸を押さえ
織り目の密度を決める道具
金属製のものもある
タテ糸を揃え、ヨコ糸を押し詰めて、
織り目を整えるための織り道具
↓↑ ↓↑
『魏書(官氏志)』
献帝(拓跋鄰)のとき
兄を
拔拔氏
とし、後に
漢化して
長孫氏に改めた・・・
↓↑
鮮卑に由来しない長孫姓?
『漢書(儒林伝)』
『韓詩』を伝えた
長孫順・・・長の孫の順?
?~?
淄川人
王吉 將《韓詩》傳 授給
長孫順
官 至 博士
豐部刺史
《韓詩》 從此分 為 王氏
食氏 和 長孫氏 三個學派
長孫順
又 將《韓詩》傳授 給 東海人 髮福
髮福也 位 列高官
「髮福=富を築く」
???
御髪神社の福髪守
主祭神
藤 原 采 女 亮 政 之 公
(ふじわらのうねめのすけまさゆきこう)
「福髪守=櫛とハサミが入ったお守り」
㐱=シン=鬒
人𠆢ノ丿彡=㐱
髪が多い
髪が黒く美しい
???「韓詩外伝」=前漢の韓嬰 ( カンエイ) の著
十巻
『詩経』の章句に関連して
故事・逸事・伝承を記述した書物
韓嬰は生没年未詳
燕の人
前漢の
文帝、景帝に仕えた・・・
↓↑
長孫皇后・・・「観音の婢」?
文徳皇后 長孫氏
(601年~636年)
唐の
太宗
李世民
の皇后
↓↑
兄は
鮮卑
拓跋の
長孫無忌
↓↑
小字 観音婢・・・観る音(おと)の婢?
↓↑
本貫 河南郡
洛陽県
↓↑
李世民との間に
高宗
李治 第九子
↓↑
承乾 長男
泰 次男
↓↑
四女
長楽公主
城陽公主
晋陽公主
新城公主
↓↑
父親 右驍衛将軍
↓↑ 長孫晟・・・晟=日+成(なる・セイ)
・・・戌(いぬ・ジュツ)
戊(つちのえ・ボ)
戍(おの・ジュ)
戉(おの・ヱツ)
晟=セイ・あきらか・さかん
日が照って明るい
↓↑ ↓↑
日晟(ニチセイ)
↓↑
室町時代の
連歌師
伊勢国司
北畠教具(のりとも)の家臣
↓↑ ↓↑
浅野長晟(あさのながあきら)
安土桃山時代~江戸時代前期の大名
備中
足守
紀伊
和歌山藩
安芸
広島藩
などの歴任藩主
大坂夏の陣で
徳川方
松平
↓↑ ↓↑
三河国(愛知県)
庄屋
松平太郎左衛門信重
に婿養子
時宗の遊行僧
徳阿弥
清和源氏系
河内源氏
義国流
得川氏
(徳川氏、世良田氏)の末裔
浪人となり
大浜
称名寺
で開かれた
連歌会での出会いで
養子に入る
父祖の
地上野国新田郡徳川郷の
時宗寺院
徳川満徳寺は後に縁切寺)
還俗して
松平親氏
と名のった
↓↑ ↓↑
吉良上野介・・・
高家旗本(高家肝煎)
「高家」=役職の名称
江戸幕府における
儀式や典礼を司る役職
↓↑ ↓↑
慶長十三年(1608年)十二月二十四日
従五位下・侍従・左兵衛督に叙任
後
従四位下・左少将に昇進
この日に
吉良義弥
と
大沢基宿
は
「高家職」に就任
朝鮮や琉球からの使者の
謁見に際しても
披露の役割を担当
↓↑ ↓↑ ↓↑
長孫皇后・・・「観音の婢」
の
母親 高氏・・・高麗(高句麗)系?
↓↑
高夷族
『呂氏春秋』勿躬篇・・・呂の氏・・・背骨?
口と口を繋ぐだろう・・・
ハナシをツナグ・・・?
「高元作室」
↓↑・・・高い丘の元に
作る室(家)
作=人+乍
乍=サ
たちまち
ながら
急に・俄かに・さっと・ふと
重ねて
~したり~したり
~したかと思うと~する
~ではあるが
~にもかかわらず
~しつつ
・・・平行動作の進行形・・・?
怎=乍+心
シン・ソ・ソウ
いかで・・・烏賊手=十本・拾本?
いかでか・・如何でか
なんぞ・・・何ぞ・奈・胡・蓋・烏
どうして・・ドウシテ=同詞氐(弖・𠂤)
・・・疑問、何故かを表わす・・・
・・・「乍=𠂉+ㅑ
㇀+一+ㅑ」
𠂉=髪挿し
・・・毎=𠂉+「毋・毌・母」
カミ挿しでカミを梳くハハ?
カミ挿しを挿すハハ?
カミ挿しを抜いてカミオロスって?
髪を切って仏門に入る
剃髪する
ではなくて
結って束ね止めてある髪挿しを外して
or
髪を結って束ねた紐を切って
垂らす・・・
相手のオトコに身体を許す・・・?
↓↑ 「乍」
・・・櫛(くし)の歯
・・・鋸(ノコギリ)の
ギザギザの歯並び
鑿(ノミ)の刃
刺青(入墨・文身・黥)の
鍼(はり)の形象
↓↑ ↓↑
乍作昨詐酢窄鮓柞胙炸祚咋・・・詐称・搾取
齚鈼阼迮笮舴蚱痄砟怍拃㸲・・・鈼=釜・蒸籠・甑
妰飵䩆苲䞢泎䋏岝鲊㡸厏・・・・妰=靜妰・婦貌
泎=水落地聲・灂
䋏=bulky cables
spoilt silk
䟭秨䝫 岞=岞山=山東省の山
↓↑
高元が
黄帝
のために家屋を発明
穴居時代を終了させた
↓↑
姜姓
高氏
斉の
文公(姜赤)の子が
高(河南省禹州市の西南)に封ぜられ
「公子高」と名乗った
公子高の孫である
「高傒」
は大臣として
「桓公」
が覇を称えるのを補佐
末裔である
「高洪」が
建安十二年(207年)
渤海太守
脩県(河北省景県)におり
末裔の多さから
渤海
を郡号とした
「渤海高氏」
↓↑
子孫に
島津氏
に仕えた
福建
漳州府生まれの
医師
「高寿覚」
その子の
高大誦は
寛永二十年(1643年)
唐通事となり
渤海(ふかみ、後に深見)
を名乗り日本へ帰化
以後代々の幕臣
↓↑
改姓
『北斉書』
「北斉 文宣帝 姓 高名洋。
当時 有 元景安
元 文遥 本鮮卑 族人
改 漢姓
元 因有功于北斉
高洋 賜姓 高
其後遂為 高姓」
↓↑
『魏書』
「後 燕皇帝 慕容雲
本鮮卑族
自称 高陽氏後裔
遂 改姓 高
名 高雲」
↓↑
北魏
孝文帝が洛陽に遷都後
鮮卑の二字姓である
是楼氏を
高氏に改めた
↓↑
北斉の重臣
高隆之は
元の姓を
徐氏
といったが
高氏に育てられ
高氏との交歓が厚かったので
高姓へ改称
後に
望姓に改姓
↓↑
少数民族
少数民族中
十数民族で
「高姓」
白族・・・・
と
土家族・・・
では最大
↓↑
済州高氏が大宗
横城高氏を除いて
皆
済州高氏の分宗
梁氏・夫氏
とともに
耽羅民族
の
耽羅開闢説話
三姓神話に伝わる三神人の
「高乙那」
が始祖
始祖から45世まで
耽羅君を世襲し
46世末老が高麗に入朝し
高氏の中始祖になった。
↓↑
高麗の王族
開城高氏で
高氏は朝鮮時代に
総数77人の
文科
及第者を輩出
この中長興が29人
済州が28人
開城が8人
ーーーーー
高辛氏
嚳(コク)
上古中国神話上の帝王
名は夋・[夒-巳]
辛に封じられ
高辛氏と称した
五帝の一人
顓頊(センギョク)
の後を継いで
帝位に就く
↓↑
『史記』
「五帝本紀」
嚳の父は
蟜極
蟜極の父は
黄帝の子
玄囂(少昊)
嚳は黄帝の曾孫
娵訾氏の娘をめとって
摯
をもうけ
陳鋒氏の娘をめとって
放勲(堯)をもうけた
彼らは
嚳
の死後に
順に帝になった
↓↑
『三国史記』
高句麗・本紀第六
『三国史記』
百済・本紀第六
高句麗王は
自分たちは
黄帝の孫の
高陽氏
黄帝の曾孫の
高辛氏の子孫・・・と称した
ー↓↑ーーーー
660年
干支 庚申
日本
斉明天皇 六年
皇紀1320年
中国
唐 顕慶五年・・・顕慶⇔慶応
↓↑
1865年
干支 乙丑
日本(天保暦)
元治元年十二月四日
~
元治二年四月六日
慶応元年四月七日
~
慶応元年十一月十四日
皇紀 2525年
清 同治三年十二月四日
~
同治四年十一月十四日
朝鮮
李氏朝鮮 高宗二年
↓↑
慶応元年
1865年 乙丑=慶応元年
↓↑
サルタナ号・・・・猿田名?
シンシナティ・・・清支那綴?
造船所で
建造された・・・・建(たける)
造(つくる)
最新式の
豪華貨客船
1863年 癸亥・・・水の弟・猪・猯
就航
両舷に
外輪を持つ・・・・外輪山
木製の蒸気船
サルタナ・・・・・猿田名?
(SS Sultana)・・・猿田彦?
アメリカ合衆国
ミシシッピ川
(米西西皮・密士失比)
に就航
ニューオリンズ
(細哈連・新疴勒安・新阿爾列盎斯)
と
セントルイス
(聖路易)
の間を運行
1865年4月27日午前2時頃
爆発・火災
死者1450人以上
↓↑
1866年丙寅
1867年丁卯
1868年戊辰=慶応四=明治元年
己巳
庚午
辛未
1872年壬申=明治五年
↓↑ ↓↑
660年
干支 庚申
日本
斉明天皇 六年
5月
中大兄皇子
飛鳥に
漏刻台を造る・・・漏古句(故句)戴
7月
新羅からの
唐軍救援要請
百済が滅亡
唐は百済の旧領を
郡県支配
百済遺民反抗運動
唐
高宗に代わり
則天武后が権力を握る
↓↑
誕生
山上憶良(~733年?)
御名部皇女(~?不詳)
↓↑
死去
義慈王=百済の第31代国王(599年~)
↓↑ ↓↑
663年
干支 癸亥
日本
天智天皇 二年
皇紀1323年
中国
唐 龍朔三年
↓↑
3月
阿倍比羅夫ら、新羅征討出発
6月
百済の
余豊璋
鬼室福信を斬り首級を塩漬け
↓↑
10月5日(天智天皇2年8月28日)
白村江の戦い
(唐・新羅連合軍
対
百済・日本連合軍)
日本敗北
↓↑
10月13日(天智天皇2年9月7日)
百済が降伏
百済難民が日本へ
唐が
単于都護府
雲中に設置
↓↑
誕生
大津皇子
天武天皇の皇子(~686年)
ーーーーー
・・・???・・・
カミサシをトク・・・神武帝・・・高の歓喜・・・?
高斉=北斉(550年~577年)
南北朝時代に
高氏によって建国
高歓(神武帝)~547年に高歓が死没~高澄
~~~幼主(高恒・在位577年)
高+α・・・
「高橋・高野・高木・喬木・高階・高村・高里・高井・高城」
・・・高麗・高句麗・・・難民?
高木の神=高御産巣日神(タカミムスビノカミ)=高皇産霊尊
高皇産霊神
(コウコウサンレイシン)
後 項 「纂・簒・篹・讃」例新
↓↑ ↓↑
高木兼寛
↓↑ ↓↑
薩摩藩郷士
高木喜助兼次
の長男
日向国
諸県郡
穆佐郷(宮崎県宮崎市高岡町)
で誕生
通称 藤四郎
号 穆園
18歳
薩摩藩
蘭方医の
「石神良策」・・・石の神の良い策
に師事
戊辰戦争・・・・・戊辰=土の兄の龍
で
薩摩藩兵軍医で従軍
明治二年(1869年)
開成所洋学局に入学
明治三年(1870年)
鹿児島医学校に入学
教授に抜擢
↓↑ ↓↑
「高木岬」・・・高は壹の葉知のミサキ
タカイの記はサンコウ
岬=山甲=参 考
南極大陸
南緯65度33分
西経64度14分
高木、彼の名に因んで付けられた
↓↑ ↓↑
高木兼寛
↓↑ ↓↑
・・・高い木を兼て寛(ひろげる)
寛=宀+艹+見
寬=宀+萈(艹+見+丶)
ひろい・心がひろい・ゆとりがある
「寛恕・寛大・寛容・寛座」
くつろぐ・のんびり
寛=宀+萈=寬
萈=体の丸いヤギ
家中に余裕があるさま
カン
ひゆ・・・比喩・脾兪・譬喩・日比
日向(ひゅ-うが)
草の名・ヒユ科の一年草
莧陸(カンリク)
植物の名
やまごぼう=山牛蒡
↓↑ ↓↑
高木兼寛
嘉永二年九月十五日
1849年10月30日
~
大正九年
1920年4月13日
↓↑
大運1916年12月(67歳)~1926年
丁卯 偏印
┏己酉┓(庚 辛)比肩・食神長生⇔庚申 傷官
┣甲戌┫(辛丁戊)正官・劫財 養⇔庚辰 傷官
┗己酉┛(庚 辛) ・食神長生⇔辛丑 食神
庚午┃(丙 丁)傷官・偏印建禄⇔甲午
壬申┛(戊壬庚)15~17:00?
寅卯空亡 1920年4月13日
方合辛局・・・食神
↓↑
明治十四年(1881)5月1日
「成医会講習所」・・・「東京慈恵会医科大学」
脚気について栄養欠陥説を提唱
愛称「麦飯男爵」
日本海軍から脚気を撲滅
「ヴィタミン(Vitamin・ビタミン・維生素・維他命)の父」
「日本の疫学の父」
海軍軍医総監
↓↑
高良大社の背後に
高良山
筑紫平野
吉野ヶ里遺跡
↓↑
・・・ナゼ、「長孫」で「無忌(ムキ)」なのか?
忌=己の心は無し=無私
忌(い)む
イム(医務・異夢・任)
むき=剥き・剝き
無季=季語が無い
木之子が無い?
・・・「鮮卑」・・・天孫(天津)族?
アザヤカで卑しい?・・・癒しさが鮮やか・・・
卑しい=いやしい
=癒やし意(彙・委・慰)
癒=疒+愈
疒+兪+心
疒+俞+心
疒+入+一+月+巜+心
疒+亼+刖+心
疒+人+一+月+刂+心
いえる・いやす
なおす・病気が治る
慰=尉+心
尸+示+寸+心
なぐさめる
悲しみや苦しみなどをいたわり
心を安らかにさせる
なぐさむ・気が晴れる
心がおだやかになる
もてあそぶ
↓↑ ↓↑
卑=鄙賤者・田舍漢・鄙賤?
・・・陋=阝+𠃊+丙
傖=イ+倉
俚=イ+里
倀=イ+長=チョウ・トウ・ジョウ
くるう・たおれる
倀鬼(チョウキ)・虎倀(コチョウ)
長=尹(おさ)=酋(おさ)=譯田
=太郎=長男の・・・
孫(まご・孑+一+幺+亅+八)
馬子・・・・蘇我馬子
馬子=まご・めご=目子・・
太郎・・・何太郎・・・次郎
長男
小太郎・・・何小太郎・・小次郎
長男の子・孫?
↓↑
郎子(いらつこ・いらつきみ)
継体天皇=450年?〈允恭天皇三十九年〉
↓↑ ↓↑ ~
531年3月10日?〈継体天皇二十五 年二月七日〉
第二十六代天皇
507年3月3日?〈継体天皇元年2月4日〉
~
531年3月10日?〈継体天皇25年2月7日〉
↓↑ ↓↑ 諱はヲホド・大迹王(日本書紀)
の曾祖父
応神
の孫
↓↑
大郎子(オホイラツコ)
又の名
意富々将王(オホホト王)
意富々杼王=意富富等王=大大迹王
↓↑
若野毛-二俣(わかぬけふたまたの)王
稚野毛-二派皇子
と
百師木-伊呂弁(ももしきの-いろべ)
の子
乎非王
彦主人王(26)
継体天皇
古事記 では袁本杼命(ヲほどのみこと)
日本書紀では男大迹王(ヲほどのおホきみ)
↓↑
郎女 (いらつめ) =以良都女
大郎女(おホいらつめ)=貴人の長女
大郎女=大娘=大嬢(おホいらつめ)
↓↑
郎=秦・前漢の官位
郎中令の属官の一
郒=𨝥=郎の異体字
良+邑=葛+阝・・・葛
=艹+日+兦+阝
=良+阝
↓↑
𣌣=白+兦=良の本字
亾 聲
亾=人+乚=𠃊+人=亾
ボウ・モウ
ない・なくなる・ほろびる
逃亡⇒流亡
異体字「亡・兦」
㤀(わす)れ
亾(あやう)き
譌(なまる・訛り・カ・ガ)=言+爲(為)
爲=爪を立てる烏?
爲=爪+象?
爪+尸+勹+灬+丶
爳=爲+了?
𥭣 字上原似卄作,如 𨝥 字所从
↓↑ ↓↑
𠆦=人+一+𠃊
サ・ジャ
ながら=乍
人𠆢一亼L乚𠃊𠆦
急に、突然に
乍~乍~
~するかと思えば急に~する
~であるかと思えば急に~である
ながら
~ではあるが
~しつつ
幾つかの動作を同時に行うこと
↓↑
郎(ロウ・いらつこ・お)
清らかな男子
妻が夫を呼ぶことば
女性が恋人の男を呼ぶことば
男子の美称
中央官庁の中級の役人
春秋時代
魯ロの近郊の邑
山東省にあった
ーー↓↑ーー
・・・ナゼ、「長孫」で「無忌(ムキ)」なのか?
忌=己の心は無し=無私
忌(い)む
イム(医務・異夢・任)
・・・「撫忌」ならば・・・己の心は孫を愛撫?
撫=なでる
=𢻲=攴+亾
フ・ブ・なでる・・・・名出留?
ブ=撫・𢸮・𢺌・抚・𢻬
漢字構成
人L乚𠃊亾ト卜⺊ヌ又攴=𢻲
「乚=乙」の人⇔ト・卜・⺊
人が占う=事象の先読み・予測
手を滑らすようにして
軽く摩(さす)る
摩るようにして
愛(いと)おしむ・愛撫
摩るようにして
優しく労(いた)わる・慰撫
物の上に手を置く
手で軽く押える
軽くぽんぽんと叩(たた)く・拊
手本をなぞって書く・描く
手本とするものに
倣(なら)って書く・描く・摸
↓↑ ↓↑
長=おさ=酋=おさ=訳語・通事
=おさ=筬=竹+成
機織機の操作で
経 (たて) 糸の位置を整え
打込んだ緯 (よこ) 糸を押して
さらに密に定位置に
打働きをするモノ(部品道具)
竹の薄片を
櫛の歯のように並べ
枠をつけたもの
織物の幅とたて糸を整え
杼(ひ)で打ち込まれたよこ糸を押さえ
織り目の密度を決める道具
金属製のものもある
タテ糸を揃え、ヨコ糸を押し詰めて、
織り目を整えるための織り道具
↓↑ ↓↑
『魏書(官氏志)』
献帝(拓跋鄰)のとき
兄を
拔拔氏
とし、後に
漢化して
長孫氏に改めた・・・
↓↑
鮮卑に由来しない長孫姓?
『漢書(儒林伝)』
『韓詩』を伝えた
長孫順・・・長の孫の順?
?~?
淄川人
王吉 將《韓詩》傳 授給
長孫順
官 至 博士
豐部刺史
《韓詩》 從此分 為 王氏
食氏 和 長孫氏 三個學派
長孫順
又 將《韓詩》傳授 給 東海人 髮福
髮福也 位 列高官
「髮福=富を築く」
???
御髪神社の福髪守
主祭神
藤 原 采 女 亮 政 之 公
(ふじわらのうねめのすけまさゆきこう)
「福髪守=櫛とハサミが入ったお守り」
㐱=シン=鬒
人𠆢ノ丿彡=㐱
髪が多い
髪が黒く美しい
???「韓詩外伝」=前漢の韓嬰 ( カンエイ) の著
十巻
『詩経』の章句に関連して
故事・逸事・伝承を記述した書物
韓嬰は生没年未詳
燕の人
前漢の
文帝、景帝に仕えた・・・
↓↑
長孫皇后・・・「観音の婢」?
文徳皇后 長孫氏
(601年~636年)
唐の
太宗
李世民
の皇后
↓↑
兄は
鮮卑
拓跋の
長孫無忌
↓↑
小字 観音婢・・・観る音(おと)の婢?
↓↑
本貫 河南郡
洛陽県
↓↑
李世民との間に
高宗
李治 第九子
↓↑
承乾 長男
泰 次男
↓↑
四女
長楽公主
城陽公主
晋陽公主
新城公主
↓↑
父親 右驍衛将軍
↓↑ 長孫晟・・・晟=日+成(なる・セイ)
・・・戌(いぬ・ジュツ)
戊(つちのえ・ボ)
戍(おの・ジュ)
戉(おの・ヱツ)
晟=セイ・あきらか・さかん
日が照って明るい
↓↑ ↓↑
日晟(ニチセイ)
↓↑
室町時代の
連歌師
伊勢国司
北畠教具(のりとも)の家臣
↓↑ ↓↑
浅野長晟(あさのながあきら)
安土桃山時代~江戸時代前期の大名
備中
足守
紀伊
和歌山藩
安芸
広島藩
などの歴任藩主
大坂夏の陣で
徳川方
松平
↓↑ ↓↑
三河国(愛知県)
庄屋
松平太郎左衛門信重
に婿養子
時宗の遊行僧
徳阿弥
清和源氏系
河内源氏
義国流
得川氏
(徳川氏、世良田氏)の末裔
浪人となり
大浜
称名寺
で開かれた
連歌会での出会いで
養子に入る
父祖の
地上野国新田郡徳川郷の
時宗寺院
徳川満徳寺は後に縁切寺)
還俗して
松平親氏
と名のった
↓↑ ↓↑
吉良上野介・・・
高家旗本(高家肝煎)
「高家」=役職の名称
江戸幕府における
儀式や典礼を司る役職
↓↑ ↓↑
慶長十三年(1608年)十二月二十四日
従五位下・侍従・左兵衛督に叙任
後
従四位下・左少将に昇進
この日に
吉良義弥
と
大沢基宿
は
「高家職」に就任
朝鮮や琉球からの使者の
謁見に際しても
披露の役割を担当
↓↑ ↓↑ ↓↑
長孫皇后・・・「観音の婢」
の
母親 高氏・・・高麗(高句麗)系?
↓↑
高夷族
『呂氏春秋』勿躬篇・・・呂の氏・・・背骨?
口と口を繋ぐだろう・・・
ハナシをツナグ・・・?
「高元作室」
↓↑・・・高い丘の元に
作る室(家)
作=人+乍
乍=サ
たちまち
ながら
急に・俄かに・さっと・ふと
重ねて
~したり~したり
~したかと思うと~する
~ではあるが
~にもかかわらず
~しつつ
・・・平行動作の進行形・・・?
怎=乍+心
シン・ソ・ソウ
いかで・・・烏賊手=十本・拾本?
いかでか・・如何でか
なんぞ・・・何ぞ・奈・胡・蓋・烏
どうして・・ドウシテ=同詞氐(弖・𠂤)
・・・疑問、何故かを表わす・・・
・・・「乍=𠂉+ㅑ
㇀+一+ㅑ」
𠂉=髪挿し
・・・毎=𠂉+「毋・毌・母」
カミ挿しでカミを梳くハハ?
カミ挿しを挿すハハ?
カミ挿しを抜いてカミオロスって?
髪を切って仏門に入る
剃髪する
ではなくて
結って束ね止めてある髪挿しを外して
or
髪を結って束ねた紐を切って
垂らす・・・
相手のオトコに身体を許す・・・?
↓↑ 「乍」
・・・櫛(くし)の歯
・・・鋸(ノコギリ)の
ギザギザの歯並び
鑿(ノミ)の刃
刺青(入墨・文身・黥)の
鍼(はり)の形象
↓↑ ↓↑
乍作昨詐酢窄鮓柞胙炸祚咋・・・詐称・搾取
齚鈼阼迮笮舴蚱痄砟怍拃㸲・・・鈼=釜・蒸籠・甑
妰飵䩆苲䞢泎䋏岝鲊㡸厏・・・・妰=靜妰・婦貌
泎=水落地聲・灂
䋏=bulky cables
spoilt silk
䟭秨䝫 岞=岞山=山東省の山
↓↑
高元が
黄帝
のために家屋を発明
穴居時代を終了させた
↓↑
姜姓
高氏
斉の
文公(姜赤)の子が
高(河南省禹州市の西南)に封ぜられ
「公子高」と名乗った
公子高の孫である
「高傒」
は大臣として
「桓公」
が覇を称えるのを補佐
末裔である
「高洪」が
建安十二年(207年)
渤海太守
脩県(河北省景県)におり
末裔の多さから
渤海
を郡号とした
「渤海高氏」
↓↑
子孫に
島津氏
に仕えた
福建
漳州府生まれの
医師
「高寿覚」
その子の
高大誦は
寛永二十年(1643年)
唐通事となり
渤海(ふかみ、後に深見)
を名乗り日本へ帰化
以後代々の幕臣
↓↑
改姓
『北斉書』
「北斉 文宣帝 姓 高名洋。
当時 有 元景安
元 文遥 本鮮卑 族人
改 漢姓
元 因有功于北斉
高洋 賜姓 高
其後遂為 高姓」
↓↑
『魏書』
「後 燕皇帝 慕容雲
本鮮卑族
自称 高陽氏後裔
遂 改姓 高
名 高雲」
↓↑
北魏
孝文帝が洛陽に遷都後
鮮卑の二字姓である
是楼氏を
高氏に改めた
↓↑
北斉の重臣
高隆之は
元の姓を
徐氏
といったが
高氏に育てられ
高氏との交歓が厚かったので
高姓へ改称
後に
望姓に改姓
↓↑
少数民族
少数民族中
十数民族で
「高姓」
白族・・・・
と
土家族・・・
では最大
↓↑
済州高氏が大宗
横城高氏を除いて
皆
済州高氏の分宗
梁氏・夫氏
とともに
耽羅民族
の
耽羅開闢説話
三姓神話に伝わる三神人の
「高乙那」
が始祖
始祖から45世まで
耽羅君を世襲し
46世末老が高麗に入朝し
高氏の中始祖になった。
↓↑
高麗の王族
開城高氏で
高氏は朝鮮時代に
総数77人の
文科
及第者を輩出
この中長興が29人
済州が28人
開城が8人
ーーーーー
高辛氏
嚳(コク)
上古中国神話上の帝王
名は夋・[夒-巳]
辛に封じられ
高辛氏と称した
五帝の一人
顓頊(センギョク)
の後を継いで
帝位に就く
↓↑
『史記』
「五帝本紀」
嚳の父は
蟜極
蟜極の父は
黄帝の子
玄囂(少昊)
嚳は黄帝の曾孫
娵訾氏の娘をめとって
摯
をもうけ
陳鋒氏の娘をめとって
放勲(堯)をもうけた
彼らは
嚳
の死後に
順に帝になった
↓↑
『三国史記』
高句麗・本紀第六
『三国史記』
百済・本紀第六
高句麗王は
自分たちは
黄帝の孫の
高陽氏
黄帝の曾孫の
高辛氏の子孫・・・と称した
ー↓↑ーーーー
660年
干支 庚申
日本
斉明天皇 六年
皇紀1320年
中国
唐 顕慶五年・・・顕慶⇔慶応
↓↑
1865年
干支 乙丑
日本(天保暦)
元治元年十二月四日
~
元治二年四月六日
慶応元年四月七日
~
慶応元年十一月十四日
皇紀 2525年
清 同治三年十二月四日
~
同治四年十一月十四日
朝鮮
李氏朝鮮 高宗二年
↓↑
慶応元年
1865年 乙丑=慶応元年
↓↑
サルタナ号・・・・猿田名?
シンシナティ・・・清支那綴?
造船所で
建造された・・・・建(たける)
造(つくる)
最新式の
豪華貨客船
1863年 癸亥・・・水の弟・猪・猯
就航
両舷に
外輪を持つ・・・・外輪山
木製の蒸気船
サルタナ・・・・・猿田名?
(SS Sultana)・・・猿田彦?
アメリカ合衆国
ミシシッピ川
(米西西皮・密士失比)
に就航
ニューオリンズ
(細哈連・新疴勒安・新阿爾列盎斯)
と
セントルイス
(聖路易)
の間を運行
1865年4月27日午前2時頃
爆発・火災
死者1450人以上
↓↑
1866年丙寅
1867年丁卯
1868年戊辰=慶応四=明治元年
己巳
庚午
辛未
1872年壬申=明治五年
↓↑ ↓↑
660年
干支 庚申
日本
斉明天皇 六年
5月
中大兄皇子
飛鳥に
漏刻台を造る・・・漏古句(故句)戴
7月
新羅からの
唐軍救援要請
百済が滅亡
唐は百済の旧領を
郡県支配
百済遺民反抗運動
唐
高宗に代わり
則天武后が権力を握る
↓↑
誕生
山上憶良(~733年?)
御名部皇女(~?不詳)
↓↑
死去
義慈王=百済の第31代国王(599年~)
↓↑ ↓↑
663年
干支 癸亥
日本
天智天皇 二年
皇紀1323年
中国
唐 龍朔三年
↓↑
3月
阿倍比羅夫ら、新羅征討出発
6月
百済の
余豊璋
鬼室福信を斬り首級を塩漬け
↓↑
10月5日(天智天皇2年8月28日)
白村江の戦い
(唐・新羅連合軍
対
百済・日本連合軍)
日本敗北
↓↑
10月13日(天智天皇2年9月7日)
百済が降伏
百済難民が日本へ
唐が
単于都護府
雲中に設置
↓↑
誕生
大津皇子
天武天皇の皇子(~686年)
ーーーーー
・・・???・・・
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