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コジキジゲン

「古事記」は新島襄の愛読書だったのか?八重のお嬢さんに訊く・・・

2013-05-04 14:31:53 | 古事記字源
 明治の「文の明、文の化」、「文明の開化」・・・「文の明」の「カイカ・カイか」→「解・歌意・界・買・貝・魁・会・改・蟹・繪・楷・桧・届・戎・堺・芥・絵・街・介・灰・偕・械・晦・潰・拐・懐・皆・檜・諧・恢・悔・廻・壊・塊・隗・誡・怪・下意・櫂・階・戒・飼い・快・回・下位・海・甲斐・Χ(ギリシャ語のカイ)・蝦夷」化・・・「化異化・化烏賊・掛意仮」・・・
 「開化天皇(かいかてんのう、孝元天皇七年~開化天皇六十年四月九日)は、「古事記」、「日本書紀」に記される第九代天皇(在位孝元天皇五十七年十一月十二日~開化天皇六十年四月九日)・稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおびびのみこと)・若倭根子日子大毘々命(古事記)・・・「開化天皇」・・・鳥居のない「調(つき)神社」を創建したらしい・・・「調べれ」だろうッ・・・
ーーー↓ブログ記事を調べてみると・・・

  調神社

  浦和駅の南西約五百米、旧中仙道東側に鎮座。旧県社で御祭神は天照皇大神、豊宇気姫命、素戔鳴尊の三柱を祀る。社名を調(つき)神社。地元では「つきのみやさま」と愛称されている。 『調宮縁起』によれば、第十代崇神天皇の勅命により創建

 両脇には狛兎。 調神社(つきじんじゃ) は、埼玉県さいたま市浦和区にある神社。式内社で、旧社格は県 ... また「ツキ」を「月」にかけたことによる月待信仰が古来よりあり、狛犬ならぬコマウサギがいる神社として有名である。

 社名を調(つき)神社と云い、地元では「つきのみや」と愛称されています。鳥居のない神社として有名で、狛犬ではなく兎が置かれているのも全国的に珍しいものです。 <御祭神> 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 豊宇気毘賣神(とようけひめのかみ) ...兎スポット「調神社」

 調神社について. 埼玉県の浦和にある兎好きには有名な神社の一つです。「つきじんじゃ」と読みます。「つきのみや」と云う呼び名で親しまれてもいます。 調神社: 境内入り口を大きな画像で見る · 社殿を大きな画像で見る · 朱印を大きな画像で ...調神社 (さいたま市)

 京浜東北線浦和駅の南700mほどの岸町に鎮座。 調宮(つきのみや)とも称される神社 で、 調(つき)の名称から月待信仰・二十三夜と関連され月の宮、月待の宮、月読大明神とも呼ばれ、 また、月のウサギを愛する神と考

 武蔵国延喜式内社:調神社神社名:調神社(つきじんじゃ) 祭 神:天照皇大神 豊宇気姫命 素戔鳴尊鎮座地:埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25 御朱印:あり由緒書:あり. さいたま市浦和区調神社御朱印 さいたま市浦和区調神社由緒書

 「調神社」とは - 概要 旧社格 県社、式内社 御祭神 天照皇大神、豊宇気姫命、素戔嗚尊 御利益 幸運を授かる、必勝祈願、月待信仰 地元では「つきのみやさま」と愛称されている。 『調宮縁起』によれば、第十代祟神...

 浦和にあります調(つき)神社のご案内です。この神社はウサギづくしの神社でも知られています。

ーーー↓

 開化天皇

 「ヤマトネコ」という称号は

   七代孝霊

   八代孝元

   九代開化

 二十二代清寧

 (「古事記」)

 「持統・文武・元明・元正」天皇の「記紀・続日本紀」の称号に記録されている。

ーーー↓ネコ・猫・音呼・寝拠

   にゃんこ→姑娘(gūniang)→娘娘→niangniang?

   ・・・「姑+娘=若い娘・お嬢さん」が何で「姑=女(おんな・音納)+古(ふるい・振意)」だからであろう・・・「那位(Nèi)」は「姑娘・小姐(xiǎojie)」を兼ねるコトバで「漢字音」であるらしい・・・「嬢=女+襄=女+亠+ハ(口口)+甘(廿一)+衣」=「孃(むすめ・ジョウ・ニョウ)=女+襄(ショウ・ジョウ)」も「娘」と異字同義であるらしいが「爺嬢=耶嬢」が「父母」とある。ならば「文字道理」ならば「爺・耶」=「父」で、「嬢」が「母」なのか?

ーーー↓襄(のぼる・あがる・たすける・はらう・成す・する)

   六(亠ハ・亠口口)+甘(廿一)+衣・・・「亠+巽」?

  新島襄(Joseph Hardy Neesima)

  天保十四年一月十四日(1843年2月12日)

  ~

  明治二十三年(1890年)一月二十三日)

  本名

  七五三太(しめた)

  改名

  敬幹(けいかん)

  元治元年(1864年)

  「快風丸」に乗って開港地の箱館へ

  箱館潜伏中、ロシア領事館付の司祭

  ニコライ・カサートキンと会う

  カサートキンに

  日本語と

  日本の書物(古事記)などを教える

  七五三太のアメリカ行きに

  カサートキンは

  坂本龍馬の従兄弟である

  沢辺琢磨や

  福士卯之吉と

  共に

  密航を協力

  箱館港から米船ベルリン号で出国

  上海で

  ワイルド・ローヴァー号に乗り換え

  船長ホレイス・S・テイラーに「Joe(ジョー)」と呼ばれてた

  以後、「譲」のちに「襄」と名乗った

  慶応元年(1865年)

  七月

  ボストン到着

  ワイルド・ローヴァー号の船主

  A.ハーディー夫妻の援助を受け

  フィリップス・アカデミーに入学

  出身校

  アマースト大学

  アンドーヴァー神学校

  同志社英学校設立(同志社大学)

  福澤諭吉等の

  明治

  六大教育家の一人

  「宋襄之仁」

  無益な哀れみをかけること

  愚かな情けのタトエ(例・譬・喩・仮令・諺)

  不必要に情けをかけ自分が痛い目に遭うこと

  「宋襄」は中国春秋時代の宋国の王襄公

  「仁」は情け

 ・・・なるほど、「八重さんの夫の立場」かも・・・

 兎(ト・うさぎ)に角(カク・つの・かど)、「ニャンコ」で・・・「吾(我)輩は猫」でアルカナ・・・「にゃんこ=似病む呼・二夜夢呼」・・・

 夏目漱石の「夢十夜」の「第二夜・こんな夢を見た」である・・・

ーーー↓部分抜粋の添付

 ・・・和尚(おしょう)の・・・襖(ふすま)の画(え)は蕪村(ぶそん)の筆である。黒い柳を濃く薄く、遠近(おちこち)とかいて、寒(さ)むそうな漁夫が笠(かさ)を傾(かたぶ)けて土手の上を通る。

 ・・・床(とこ)には海中文殊(かいちゅうもんじゅ)の軸(じく)が懸(かか)っている隣の広間の床に据(す)えてある置時計が次の刻(とき)を打つまでには、きっと悟って見せる。

 ・・・懸物(かけもの)が見える。行灯が見える。畳(たたみ)が見える。和尚の薬缶頭(やかんあたま)がありありと見える。鰐口(わにぐち)を開(あ)いて嘲笑(あざわら)った声まで聞える。怪(け)しからん坊主だ。

 ・・・ただ好加減(いいかげん)に坐っていたようである。ところへ忽然(こつぜん)隣座敷の時計がチーンと鳴り始めた。

 はっと思った。右の手をすぐ短刀にかけた。

 時計が二つ目をチーンと打った」

  ↓ねこ 

ーーー

 孝元天皇の

 第二子

 母は

 欝色雄命の妹

 欝色謎命(うつしこめのみこと)

 皇后

 伊香色謎命(いかがしこめのみこと)、

 物部氏の祖

 大綜麻杵の女

 もと

 孝元天皇の妃、

 彦太忍信命の母

 第二皇子

 御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりびこいにえのみこと、崇神天皇)

 皇女

 御真津比売命(みまつひめのみこと、観松姫命)

 妃

 丹波竹野媛(たにわのたかのひめ。丹波大県主由碁理の女)

 第一皇子

 彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと、比古由牟須美命)

 妃

 姥津媛(ははつひめ、意祁都比売命。和珥氏の祖・姥津命の妹)

 第三皇子

 彦坐王(ひこいますのみこ。景行天皇の曾祖父、神功皇后の高祖父)

 妃

 鸇比売(わしひめ。葛城垂見宿禰の女)

 皇子

 建豊波豆羅和気王(たけとよはづらわけのみこ、武豊葉列別命・武歯頬命)

 『帝王編年記』、『本朝皇胤紹運録』など

 中世編纂の史書には、

 以上の后妃のうち

 鸇比売の記録なし

 吉備津彦命の女

 包媛(色媛?)が記録されている

 都

 春日率川宮(かすがのいざかわのみや)

 奈良県奈良市本子守町の率川神社が伝承地

 「古事記」は「春日之伊邪河宮」とされている

 事績の記載が記録されていない

 孝元天皇二十二年正月に立太子

 孝元天皇五十七年十一月に即位

 在位

 六十年で崩御

 「古事記」は

 六十三歳

 「日本書紀」は

 百十五歳

 (百十一歳?)

 陵墓

 春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)

 「古事記」は

 伊邪河之坂上

 奈良県奈良市油阪町の

 念仏寺山古墳(前方後円墳・全長約100m)に比定

ーーーーー 

 明治

 「散切り頭を叩いて見れば文明開化の音がする」・・・って、散切り頭とは、ちょんまげ(丁髷)を切り洋風の散髪にした男子の髪型のことで、明治に入り西洋人の真似をした髪型のため、文明開化の象徴であった。

 ・・・「纂説理、等を多々意出、視例葉、文名改化の音がスル」・・・

 不平等条約を改正を求めに行った岩倉使節団が、アメリカで「頭にピストルを載せた野蛮人」と云われた・・・

ーー↓

 「岩倉使節団(いわくらしせつだん)」

 1871年12月23日

 明治四年十一月十二日

   ~

 1873年9月13日

 明治六年まで、

 日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国に派遣した大使節団

 岩倉具視を正使

 政府首脳陣や留学生を含む

 総勢

 107名

 岩倉は髷と和服という姿で渡航

 アメリカに留学していた子の

 岩倉具定らに「未開の国と侮りを受ける」と説得され、

 シカゴで断髪。以後は洋装

 目的は

 1872年七月一日(明治五年六月二十六日)

 欧米十五カ国との修好条約が改訂の時期で

 明治政府は

 不平等条約の改正を図った

ーー↓

 文明開化

 「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」

  散切物と呼ばれる歌舞伎芸能の新形態発生

 「仮名垣魯文」の

 「安愚楽鍋」にある

 「牛鍋食わぬは開化不進奴」

 1871年(明治四年)八月九日

 明治政府は

 太政官布告を以て丁髷(ちょんまげ)を落とすことを認めた

 「散切り頭のお嬢さん 急ぎ足でどこへ行く さらば末世の手見上げは赤い花柄のかんざしで. 西洋かぶれのお兄さんハットでめかしどこへ行く されど末世の置き土産、和装姿には似合わず」

 「はいからさん」

 「散切頭(ざんぎりあたま)をたたいてみれば文明開化の音がする」

 「散髪脱刀勝ってたるべし」と布告

 ・・・洋行・・・海路・・・海外派遣である・・・「うみ・ウミ」の苦しみである・・・

ーーーーー↓

 枕草子

(一六段)

 海は

 水うみ。・・・・・ミズウミ→視ずウミ・瑞ウミ・密ウミ

               満ウミ・充ウミ・御津ウミ

               褌(ふんどし・ネ+軍)ウミ

           (産み・生み・膿・宇美・倦み・熟み・績み)

 與謝の海。・・・・京都府北部の宮津湾奥にある阿蘇海(あそかい)

 かはぐちの海。・・埼玉県南東部の市・江戸時代から鋳物(いもの)工業

          川の水が海や湖に流れ込む所。川じり。河口

          河口(かはぐち) 河海の喉口にして両所あり。

ーーーーーーーーーー↓

          一は安治川といふ。大川肪・土佐堀・蜆川等の下流なり。

          一は木津川といふ。

 長堀・道頓堀、および西の方諸流ここに帰会す。諸国の廻船ここにつどひて碇石を卸し、これより行李船三枚船を以て五穀雑貨を問屋へ運送す。

 千石二千石の大船水上に町に路を作りたるごとく、桅竿は北斗を指さし上下は欄紋をもって自在し、舳首には船の名・家々の紋付けてその国々をしらせ、風威の順不順・潮時の満干を考へて出帆あり着船あり、両河口共に官家の監船所ありて海舶の出入を改めらる。

 そもそも初春の乗初より晩船の甲乙あるは新艘の船おろしの祝ひまでもみな両河口の賑ひなり。その連船の中を尖頭舟漕ぎつれ漕ぎつれ酒肴麺類野菜の物までも売りありく、その声喧し。

 また、その船に遊女・土妓を乗せて三弦をかしく弾かせ何やら声を発て喚くあり。これを土俗伽遺船といふ。むかしの川末の江口なり。

難波津大湊となれるはこの河口の泊船の連なるにてしらるべし

 川口(かわぐち) 木津川・安治川両流の分岐点に位置したことから川口と呼ばれる。

 元和六年(1620)に幕府の川口御舟手とともに、徳川水軍の東西二大鎮守府になっていた。

ーーーー↑

  ブログ記事の

 ”「摂津名所図会」は寛政8年から10年(1796~98)に刊行された摂津国の観光案内書です。”

 からの抜粋添付デス・・・断りも無く、ゴメン・・・

ーーーーーーーーーー↓

 伊勢の海。・・・・伊勢湾・伊勢志摩鳥羽、愛知

ーーー↓ウイッキペデアから抜粋デス

 江戸時代から続く伝統を持つ部屋であったが、大正末期には衰退していた。

 尾車部屋分裂の際には、当時の師匠であった柏戸宗五郎が、関脇・三杉磯と彼に従っていた弟子たちを伊勢ノ海部屋に預かっていたが、1929年(昭和4年)に三杉磯が引退して花籠部屋を興したため、本家の伊勢ノ海部屋から所属力士が一気に抜ける事態となってしまった。

 その後、

 1933年(昭和八年)1月場所限りで幕内・雷山を始めとする弟子たちを錦島部屋に預ける形で、伊勢ノ海部屋は消滅した。

 その後、春日山部屋の幕内・藤ノ川が独立を志し、

 1942年(昭和十七年)五月場所から柏戸と改名して、伊勢ノ海親方と共に伊勢ノ海部屋を再興した。しかし、伊勢ノ海親方が1946年8月に亡くなったため、柏戸たちは再び錦島部屋に所属した。柏戸は1949年1月に引退して10代伊勢ノ海として伊勢ノ海部屋を継承し、横綱・柏戸や関脇・藤ノ川といった関取を育て上げた。

ーーーーー

 ・・・うみ、いと、をかし・・・マクラのソウシ、ジテン・・・

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淤迦美之女、名日河比賣、生子、深淵之水夜禮花

2013-05-03 06:56:48 | 古事記字源
 ・・・ふち・フチ=「不知」は「無知」で「厚顔無恥」・・・不知火・・・「不治」の病・・・「付置」=あるものに付属させて設置すること・・・「布置」=物を適当な所に置き並べること・「何の因果関係もないにも関わらず、それが同時に起きるということから、あたかも関連があるかのような言い方、因果関係のない複数の事柄が殆ど必ずといっていいほど同時に又は連続して起きる現象を「布置(constellation)」という・全てが因果関係の糸でつながれている訳ではないのではないか(ユングの考え)・・・と言うモノらしい・・・
ーーー↓以下はスベテ、「ウイッキペデア」からのカリモノです・・・ 

 「コンプレックス(感情複合)の現象を研究したユングは、言語連想実験等を通じて深層心理の解明を志向し、当時、精神分析を提唱していたウィーンのジークムント・フロイトから大きな影響を受けた。しかし、ユングは「リビドー」の概念を、従来よりはるかに幅の広い意味で定義し直してフロイトと訣別し、「集合的無意識」の存在を提唱し、元型の概念において、神話学、民俗学、文化人類学等の研究に通底する深層心理理論を構成した」

 ユングは、このような、無意識にある「観念」と「感情」の複合体を「コンプレックス(Complex)」と名づけた。分析心理学は、別名、コンプレックス心理学(独語:Komplexe Psychologie)とも呼ぶ。

 「コンプレックス概念」はユングの分析心理学の基本で

 「ユング心理学」においては、

 外的世界の物質の運動を主として規定する「因果性」と共に、

 因果性とは

 独立して、

 「意味」や「イメージ」の

 「類似性・類比性」によって、

 外的世界の事物や事象、

 個人の精神内部の事象等が互いに

 同時的な相関性を持つ

 「共時性(シンクロニシティ)」が存在するとされる・・・

 「布置(Constellation)」とは、

 個人の精神が困難な状態に直面したり、発達の過程において重要な局面に出逢ったとき、

 個人の心の内的世界における問題のありようと、

 ちょうど(関連)対応するように、

 外的世界の事物や事象が、

 ある特定の配置を持って現れてくることを、

 「布置(コンステラツィオーン、独語:Konstellation)」という。

 「布置」は、共時性の一つの現れであると考えられる。

 ・・・どうやら、カンジパラノイヤのボク自身の脳ミソ機能の「形態」らしい・・・

ーーー↓

 フチ・・・「扶持」は武士の給料・・・「縁」は因縁、縁故、縁談・・・「渕」は「淵」の略字・・・ナルほど、「小渕恵三(1937年(昭和十二年)6月25日~2000年(平成十二年)5月14日)・位階正二位。勲等は大勲位。学位は政治学修士(早稲田大学)・衆議院議員(12期)、総理府総務長官(第二十九代)、沖縄開発庁長官(第十代)、内閣官房長官(第四十九代)、外務大臣(第百二十五代)、内閣総理大臣(第八十四代)、自由民主党幹事長、自由民主党副総裁、自由民主党総裁(第十八代)などを歴任」の「2千札」である・・・

 「淵=潭=渊=渕」で同意、同義異字である。

 英語では

 「deep pool・ abyss・ the depths」

   ↓

 「deep [diːp・ディープ] (色が)濃い・(色に関して)深い・深遠な・奥の・深さがある・深刻な・深く」

   ↓

 「pool [puːl・プール] 水たまり・小さな池・ため池・貯水池・生産連合・企業連合・合同資金・共同投資・チーム対抗・たまった液体・プール・共同出資・出し合う」

   ↓

 「abyss [ə'bɪs・アベィス→阿倍主(州・諏)] 深い淵・深淵・底知れない穴・地獄・底無し地獄・奈落の底・・・

 ・・・「婣(イン・marriage connections, bride・姻の古字)」=姻族とは一方の配偶者と他方の配偶者の血族の関係のことをいう。 血族(けつぞく)・・・

 血族とは出生による血のつながりのある者・・・

 法において血縁の繋がっている者(血縁関係にある者)を血族という。

 日本の旧民法では「血統ノ相連結スル者ノ関係」と定義されていた(旧民法人事編19条1項)。

 血族には自然血族と法定血族とがある。

 なお、

 「血族」の概念はあくまでも

 法的な観点から決定される点に注意を要する(自然の血縁関係がなくとも養子縁組は血族を擬制し、他方、生物学上の血縁関係があっても非嫡出子は父や父の血族との関係を生じるためには父の認知が必要となる(民法第779条)・・・

 「親等の数え方」・・・日本の民法上の親族の具体的範囲は次の通り(本人を基準とし数字は親等を表す)。

ーーー↓

6親等内の血族

1.父母、子

2.祖父母、孫、兄弟姉妹

3.曽祖父母、曽孫、伯叔父母、甥姪

4.高祖父母、玄孫、兄弟姉妹の孫(姪孫、大甥・大姪)、従兄弟姉妹(いとこ)、祖父母の兄弟姉妹(大おじ・大おば)

5.五世の祖、来孫(五世の孫)、兄弟姉妹の曽孫、従兄弟姉妹の子(父母の大甥・大姪)、父母の従兄弟姉妹(祖父母の甥姪)、曽祖父母の兄弟姉妹

6.六世の祖、昆孫(六世の孫)、兄弟姉妹の玄孫、再従兄弟姉妹(はとこ)、従兄弟姉妹の孫(伯叔父母の曾孫)、祖父母の従兄弟姉妹(曽祖父母の甥姪)、高祖父母の兄弟姉妹

 日本の民法が

 血族を

 六親等内としているのは

 江戸時代の慣行に由来する

ーーー↓

 「淵・婣」は「氵」と「女」を省いた「鼎(かなえ)」にも見えるが・・・「爿(かた・ショウ・ソウ)」・・・爿部(しょうぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。

 康熙字典

 241部首では

 90番目に置かれる

 (四画の三十番目、巳集の六番目)

 「爿の字は木を裂いて二つにしたものの左半分を意味する。

  大徐本の

  『説文解字』には

  この字が存在しないが、

  『六書故』引く

  唐本『説文解字』では

  爿部があったという。

 「牀」(寝台の意)字についての

 徐鍇の注で

 爿は

 牀の省略であるとしている。そうだとすると、この字の本来の音は qiáng ではなく、「牀」の chuáng ということになる。甲骨文字を見ても寝台を縦にした形であり、本来の意味は寝台で、後に左半分の木切れの意味が生じたと考えられる。

 「木切れ」の意味については『新加九経字様』雑辨部に

 「鼎」字の下は木を裂いて炊くことに象り、左が爿で右が片であるとしている。

 「偏旁」としてはもっぱら「音符」として使われ、ショウ(壯・牆・將など)やジョウ(狀など)といった音を表している。

 「爿」を偏旁にもつ漢字はもっぱら

 「旁(かたわら・ボウ)」に従って分類されており、

 「爿部」はそれらに分類しづらかった少数のものだけを収めている。

 ・・・「淵・婣」の「氵」と「女」を省いた造りは「丱(くさ・カン・ケン)」の部首を内向きに4っ上下に組み「一」で繋いだようにも・・・

ーーー↓フチのブログ記事からの抜粋アラカルト・・・

 ふち(淵・潭)

 底が深く水がよどんでいる所

 容易に抜け出られない苦しい境遇。苦境。

 「絶望の―に突き落とされる」

 「淵に臨みて魚を羨むは退いて網を結ぶに如かず・(漢書・董仲舒伝)

  岸辺に立って魚が欲しいとただ眺めているよりは、

  家に帰って魚を捕る網を編んだほうがいい。

  具体的に努力すべきであるという戒め。

ーー

 淵(ふち)

 河川の流水が緩やかで深みのある場所。

 川の深み

 淀み

 対語は、水深が浅い

 急流部を示す瀬(せ)

 渕は俗字

ーー

 淵が川の「深い」部分であることを示す

 「筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる」

  陽成天皇、後撰和歌集(小倉百人一首)

 「吾が宿の 菊の白露 今日ことに 幾世積もり 淵となるらん」

  清原元輔、拾遺和歌集

ーー

 淵が川の「澱み」であることを示す

 「山河は 木の葉流れず 浅き瀬を 急けば淵とぞ 秋はなるらん」

 壬生忠岑、拾遺和歌集

ーーーー↓

 ・・・「かしこいヤツ」だな・・・

(一)

【畏し】

もったいない。恐れ多い。

出典更級日記 竹芝寺

「かしこくおそろしと思ひけれど、さるべきにやありけむ」

[訳] もったいなく恐ろしいと思ったけれど、そうなる運命だったのだろうか。

ーー

恐ろしい。恐るべきだ。

出典万葉集 一二三二

「大海の波はかしこし」

[訳] 大海の波は恐ろしい。

ーー

高貴だ。身分が高い。貴い。

出典源氏物語 薄雲

「かしこき御身のほどと聞こゆる中にも」

[訳] 高貴なご身分と申し上げる中でも。

(二)

【賢し】

賢い。賢明だ。分別がある。

出典源氏物語 桐壺

「世に知らず、聡(さと)うかしこくおはすれば」

[訳] (源氏は)世間に比類がないほど、聡明(そうめい)で賢くいらっしゃるので。

ーー

すぐれている。立派だ。

出典源氏物語 若紫

「北山になむ、なにがし寺といふ所にかしこき行ひ人侍(はべ)る」

[訳] 北山の、何とか寺という所に、すぐれた行者がおります。

ーー

上手だ。大変よい。巧みだ。

出典枕草子 ねたきもの

「とみの物縫ふに、かしこう縫ひつと思ふに」

[訳] 急ぎの仕立て物を縫うときに、上手に縫ったと思ったのに。◇「かしこう」はウ音便。

ーー

都合がよい。ありがたい。

出典源氏物語 若菜上

「風吹かず、かしこき日なり」

[訳] 風も吹かず、(蹴鞠(けまり)には)都合がよい日だ。

ーー

〔「かしこく」の形で〕盛大に。大いに。非常に。

出典竹取物語 かぐや姫の生ひ立ち

「男はうけきらはず呼び集(つど)へて、いとかしこく遊ぶ」

[訳] 男はだれかれの区別なく呼び集めて、たいそう盛大に管弦の遊びをする。

参考

「かしこし」と「ゆゆし」の違い 「かしこし」が畏敬(いけい)という肯定的な気持ちを持っているのに対し、類義語の「ゆゆし」は、不吉・不浄な物を忌み避ける否定的な気持ちを持っている。

ーーーー↓

 ・・・ボクのモンダイは「淵=潭=渊=渕」の探索であった・・・どうやら「同時的な相関性を持つ共時性(シンクロニシティ)」であるらしい・・・「布置」の「精神構造」・・・「精神構造」というより、コトバとしては漢字的には「存在(患者)」対象である「人間の脳ミソ」の機能的で動的な「精神形態」・・・「認識主体」である「医者・研究者・心理学者」の「存在機能=認識」としての「精神形態」の方がイイ・・・だろう・・・

ーーーーー↓

 枕草子

 (一五段)・・・・・十五段・壱拾五段・壱五段・拾伍段・・

 淵は

 かしこ淵、

 いか

 なる

 底の心を

 見えて、

 さる名を

 つけけんと、

 いとをかし。

 な

 いり

 そ

 の淵、

 誰に

 いか

 なる

 人の

 教へし

 ならん。

 青色の

 淵こそ

 また

 をかしけれ。

 藏人などの

 身に

 しつべくて。

 いな淵。

 かくれの淵。

 のぞきの淵。

 玉淵。

ーーーーー

 ・・・いと、おかし・・・ふちぶち・・・

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アッラー以前はキリスト、キリスト以前は「旧約」。場所は金字塔

2013-05-01 23:57:44 | 古事記字源
 「ほこり」の国・・・「誇(言+夸→大+一+丂)=ほこり=埃(十+一+ム+ノ一+一+人)・塵(鹿+十+一)・芥(丱+∧+リ)」・・・「絵字附図」・・・「埃及(エジプト)」・・・金字塔=ピラミッド(Pyramid、アラビア語: هرم‎ハラム)・・・ギリシア語で三角形のパンを指すピューラミス(πυραμίς; pyramis; ピラミス、ピラムスとも)に由来。古代エジプト語ではギザのピラミッドに「昇る」という意味の「メル(ミル、ムルとも。ヒエログリフでは△と書く)」・・・「誉田(譽田=與+言)別」・・・「応神天皇(仲哀天皇九年十二月十四日・200年1月5日)~(応神天皇四十一年二月十五日・310年3月31日)、生地は「宇美町」、母は「神功皇后」、父は「仲哀天皇」、諱は「誉田別尊(ほむたわけのみこと)」、「大鞆和気命(おおともわけのみこと)」・・・「胎中天皇」、「品陀和氣命(ほむだわけのみこと・古事記)」・・・「品陀天皇・品太天皇」・・・そして、似た様な名前が「垂仁天皇」の「品牟都和氣命・本牟智和氣御子(古事記では天皇位についた人物だけが御子と記録されるが本牟智和気命、倭建命は天皇位に就いていない)」しかも、同じ「古事記」の記録の場所で「品牟都和氣命」と「本牟智和氣御子」が同一人物の記録とされている」、「日本書紀」には「誉津別命(ほむんつわけ)」と記録・・・
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 垂仁天皇

 崇神天皇二十九年一月一日~垂仁天皇九十九年七月十四日)

 第十一代天皇

 在位は垂仁天皇元年一月二日~垂仁天皇九十九年七月十四日)

 活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこと)

 活目尊

 「古事記」は「伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)」

 「常陸国風土記」は「伊久米天皇」

 「令集解・所引・古記」は「生目天皇」

 「上宮記・逸文」は「伊久牟尼利比古(いくむにりひこ)大王」

 父は「崇神天皇」

 子に「倭姫命」・・・大和秘めの名

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 古事記原文

 亦

 天皇、命詔

 其后言、

 凡

 子

 名、

 必

 母名、

 何稱

 是子之御名。

 爾

 答白、

 今當

 火燒

 稻城

 之

 時而、

 火中所生。

 故、

 其

 御名

 宜稱

 本牟智和氣御子。

ーーー↑

 何故、「火中所生」が「本牟智和氣御子」の名前と関連するのか?・・・これは前文の

 「稻城・・・・・イナギ→異名義・伊名義・否義

  之・・・・・・シ→詞、史、師、士、死・氏・至・・・市

  時而」・・・・時(とき・ジ)・而(しこうして・しかも・ジ・ニ)

               ジジ=時事・次次・次々・爺

 が、その「理由」である・・・「伊藤博文」である、カナ・・・

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(一四段)・・・十四段・壱拾四段・壱四段・壱拾肆(長+聿)

 市は

 辰(たつ)の市。・・・辰刻(七~八時)・龍→劉・隆・留・立

 椿市は、・・・・・・・つばき→通葉記・・・唾(口+垂)

 大和に・・・・・・・・ダイワに→拿意話似

 數多・・・・・・・・・スウタ→数他・崇多

                   ↓

            崇神天皇・大多田根子(大三輪氏の祖)

                 大田田根子命

                 意富多々泥古命

 ある中に、

 長谷寺に・・・・・・・「長国事・兆国次・超克時・帳国字」似

 まうづる人の、・・・・毎鶴の人

 かならず・・・・・・・掛名等事

 そこに

 とど・・・・・・・・・トド・鯔・椴・百々

 まり・・・・・・・・・真理・万理・鞠・毬・麿・麻呂

 ければ、・・・・・・・仮例葉

 觀音の・・・・・・・・観れ音を

 御縁ある・・・・・・・音宛

 にやと、・・・・・・・似也止

 心・・・・・・・・・・シンの同音漢字のスベテ

 こと・・・・・・・・・異

 なる・・・・・・・・・鳴る

 なり。・・・・・・・・名理

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 おふさの市。・・・・・負ふさ埜一

            おふさ観音バラまつり

            春と秋に開催

            イングリッシュ・ローズ等の薔薇市

            おふさ観音=火寺のある地名と合わせて

            「小房(おふさ) 観音」と呼ばれている

            正式名は高野山真言宗別格本山観音寺

            本尊は

            十一面観音

            奈良県

            橿原市

            小房(おうさ)町の寺院通称名

            山号は

            十無量山

            正式名称は高野山

            真言宗

            別格

            本山

            十無量山

            観音寺

            英国薔薇(イングリッシュローズ種)が

            境内に咲き乱れる寺院

            ーーー↓

            大和

            七福八宝めぐり

            三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、

            當麻寺中之坊、安倍文殊院、

            おふさ観音、談山神社、久米寺の一つ

            創建年

            1650年(慶安三年)4月

            開基

            妙円尼

            別称

            積の観音さん

ーーー↓

 餝摩の市。・・・・・・餝摩(しかま)=食+芳+麻+手

      消滅直前の時点では

      姫路市を南北に挟む形で、

      内陸部に位置する

      夢前町と沖合いに位置する

      家島町(家島諸島)との

      二町で構成されていた

      飾磨郡(しかまぐん・しかまのこおり)は、

      播磨国の郡の1つ。

      また、

      1896年~2006年まで

      兵庫県の南部にあった郡。

ーーー↓

 飛鳥の市。・・・・・・飛鳥(あすか・ヒチョウ→秘帳)

      奈良県

      高市郡

      明日香村

      大字

      飛鳥

      ---↓

      大阪府

      羽曳野市

      及び

      太子町あたりの地域名

      ---↓

      二つの飛鳥を区別

      河内国(大阪府)の飛鳥は

      「近つ飛鳥」・「河内飛鳥」

      大和国(奈良県)の飛鳥は

      「遠つ飛鳥」・「大和飛鳥」と

      よばれた・・・

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  「いち・シ」は、いと、をかし・・・幕末明治の「こつじき」・・・推してしるべし・・・「こじき」カナ・・・

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