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コジキジゲン

石上の宅嗣の藝・・・七竈の木・・・

2014-11-17 16:16:45 | 古事記字源

 ・・・「カツドン」が大好きだが、随分と食っていないなぁ~・・・ボクの妄想回帰・・・「石上宅嗣」・・・は実在したのか?・・・「いそのかみ の やかつぐ・いわのうえのタクシ・遺志の状、託す詞(ことば)」・・・「石の上に託し嗣ぐ?」・・・「イシのウエにタクのシ」、「イシのジョウのタクのシ」・・・医師の帖(讓→高野長英→通称は悦三郎、諱は譲(ゆずる)。号は瑞皐(ずいこう)。実父は後藤実慶。養父は叔父・高野玄斎)・・・文化元年五月五日(1804年6月12日)~嘉永三年十月三十日(1850年12月3日)・・・「安藤昌益・元禄十六年(1703年)~宝暦十二年十月十四日(1762年11月29日)→号は確龍堂良中」はズレるが・・・陸奥国八戸の櫓(やぐら)横丁で居住し、医者として開業・・・「暦大意(歳変)」、「自然真営道」を執筆・・・「後、出羽国大館に帰郷。弟子の神山仙庵は八戸藩主の側医」・・・「後世方別派?」の医師である「味岡三伯」に師事・・・
 以下、「ウイッキペエア」などが原文・・・
ーーーーー
 後世派(ごせいは)=後世方派(ごせいほうは)
 漢方薬で
 唐・宋以降の
 書籍をよりどころにする一派
 「古方派」の原典である
 「傷寒論」、
 「金匱要略」の
 生薬の調合薬草は簡単調合
 「後世方」では、
 東南アジア・インド、中東やヨーロッパなどから輸入した
 牛黄(牛の胆石)、
 熊胆(くまのい)、
 麝香(じゃこうじかの性腺)
 など、希少な動物性の高貴薬など[要出典]もしばしば使われ、それぞれの薬味(生薬)に、気味と呼ばれる温感(寒・涼・平・温・熱)の別と、五味(酸・苦・甘・辛・鹹)が配当され、また、経絡との関係や、薬方の中での働きの重要性によって、君・臣・佐・使の区別がある・・・
 日本では
 主として
 「金・元の医学」を奉じる人々を
 後世派と称し、
 戦国時代の
 田代三喜
 及びその門人
 曲直瀬道三(『啓迪集』)
 曲直瀬玄朔(『医学天正記』)親子を祖
 江戸時代には
 岡本玄治
 古林見宜
 長沢道寿
 堀正意
 饗庭東庵
 味岡三伯
 香月牛山
 岡本一抱
 堀元厚
 らの名医がいた・・・
 田代三喜や
 曲直瀬道三が
 「金元四大家」のうち
 李杲・朱震亨の説を主体にしたのに対して、
 饗庭東庵・味岡三伯・岡本一抱・堀元厚らは
 劉完素・張子和の説を重んじた
 堀元厚の門人である国学者
 本居宣長も医学的にはこの流れを汲む・・・
  ↓
 これに対して思弁的傾向が強いとする批判が現れ、
 『傷寒論』などの
 唐以前の古典と実証主義を重んじる
 名古屋玄医
 後藤艮山
 らの古方派が台頭・・・
  ↓
 ・・・で、?
 1976年
 「三宅正彦」とは、・・・・ダレ・・・?
  ↓
 「三宅正彦」氏が
 「安藤昌益の社会変革論は
 尊王論の系譜に入れるべき・・・」・・・?
 それを受けて
 早川雅子は、
 「私法神書巻」
 (稿本『自然真営道』巻九)の分析によって
 安藤昌益の
 尊王攘夷論を立証・・・?・・・「ブンセキ(文石)」で、ですか・・・?
 ・・・コレって、「実証」じゃないよなッ・・・
  ↓
 「H(ハーバート)・ノーマン」
 1957年4月4日に赴任先の
 カイロで飛び降り自殺・・・暗殺された・・・?
  ↓
 駐日カナダ大使であった
 「H(ハーバート)・ノーマン」の手により、
 『忘れられた思想家―安藤昌益のこと』
 原書名
 「Ando Shoeki and the Anatomy of Japanese Feudalism(大窪愿二訳・上下、岩波新書・1950年)」で、ノーマンは世間の一部に知られるようになった・・・
 ノーマンは
 「昭和天皇
  と
  マッカーサーの
  GHQ側の
  通訳を担当」・・・
 ・・・レーニンはとにかく、
 カール・マルクスが
 「安藤昌益」の思想を知っていた・・・とはネッ?
 ・・・で、ナンジャイ、この記事にある人物の「名前」・・・?
 「三宅正彦」氏は同姓同名の異人、ベツ人か?、同一人物か?・・・多数の「同姓同名」の人物が存在したとしても不思議ではないが・・・別人だろう・・・
   ↓
 「日本のファッション界」・・・
 「1940年代~1970年代創成期に続く成長期に活躍した大物経営者としては、
 オンワードホールディングスの
 馬場彰・名誉会長(77)、
 東京スタイルの
 故
 高野義雄・前社長(享年75)、
 そして現在
 TSIホールディングスの会長兼社長と
 サンエー・インターナショナル会長を兼務する
 三宅正彦氏(77)」
 ななかまど(七竈)の木・・・花言葉は「慎重・賢明・用心・怠りない心」・・・「私と一緒にいれば安心」ですか・・・安心していても危険かも・・・

 ・・・?・・・「馬場」と「高野」と「三宅」・・・ですか・・・
  ↓
 「三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日(万延元年5月19日) - 1945年(昭和20年)11月26日)は、日本の哲学者、評論家。
 加賀国
 金沢(石川県金沢市)生まれ。
 加賀藩
 家老
 本多家の
 儒医
 三宅恒の子として生まれる
 本名は雄二郎
 1888年
 志賀重昂・杉浦重剛らと政教社を設立し、
 国粋主義の立場を主張
 『日本人』を創刊
 (後に『日本及日本人』に改題)
 後も、個人雑誌として
 『我観』を創刊」・・・?
 ・・・「我観(ガカン・われカン)」ですか・・・我々でなく、「我」の一人称だから「私(ム)観」と言う訳だ・・・
 「フランス使節団の随員の一人に
  金山佐輔(かながみさすけ)という
  会津人がいた。
  金山は会津若松の馬場町に生まれたが(天保7年・1836)、
  会津藩士ではなく、当時、
  正使
  池田
  筑後守に学問の賓師として迎えられていた人で、
  池田の従者の資格でこの旅行に同行していた」
  「金山は明治になってから
   佐原盛純(さわらもりずみ)と改名し、
   会津中学校などで教鞭をとり、有名な
   「少年団結す白虎隊」の
   漢詩の作者として知られる。
   そして金山は
   明治37年10月に、このときの
   旅行日記を出発から帰国まで克明に謄写し、
   「航海目録」(全4巻)と名づけて
   子孫に遺した(現在、会津図書館蔵)」
    ↓
 「金山の目録によると、この日、
  カイロのホテルに居残って
  ピラミッド(三角山)見物に
  行かなかったのが
 副使の
 河津伊豆守と
 「田辺太一」、
 それに
 金山自身も含めて
 七名だった・・・
 スフインクス(首石)の前で
 写真を取った
 日本人サムライは
 二十七名、
 それに
 ブレックマン(写真家)の計
 二十八名」・・・
 「田辺太一」の娘
 竜子(たつこ)は
 三宅雪嶺に嫁ぎ、
 三宅花圃(かほ)の
 ペンネームで作家・歌人として知られた。
 三宅立雄は
 雪嶺・花圃夫妻の
 孫であり、
 「田辺太一」からは會孫・・・?
  ↓
 「国際法の権威で
  幕末維新史の研究に
  大きな
  足跡を遺した
  尾佐竹猛(おさたけたけき)博士が、
  その著
 「夷狄(いてき)の国へ
 (幕末遣外使節物語)」の中で、
 「この
  スフインクス
  (首石)の下にて
  一行の撮影した写真を
  三宅雪嶺氏が所蔵せられて居る、
  古来
  スフインクス(首石)の付近を通過したものは
  無数にあるが、
  陣笠のサムライの通ったのは
  空前にして絶後であろうとの
  三宅氏の言は面白く感ぜられる」・・・
 ・・・「三宅雪嶺」が所蔵の写真・・・?
   ↓
ーーーーー
 石上 宅嗣
 (いそのかみ の やかつぐ)
 天平元年(729年)
  ~
 天応元年六月二十四日
 (781年7月23日)・・・?
   7月23日・・・弘文天皇・・・明治
 奈良時代後期の公卿・文人
 姓は石上朝臣、
 物部朝臣、石上大朝臣
 左大臣石上麻呂の孫
 中納言石上乙麻呂の子
 官位は正三位・大納言。贈正二位
 天平勝宝三年(751年)
 正六位下から従五位下に昇叙・治部少輔
 天平勝宝九年(757年)
 従五位上
 相模守・・・?
 天平宝字三年(759年)
 三河守
 天平宝字五年(761年)
 上総守
 同年遣唐使の副使に任命されたが、
 唐に渡ることなく、翌
 天平宝字六年(762年)
 藤原田麻呂に交代して辞任
 天平宝字七年(763年)
 文部大輔・・・?
 藤原宿奈麻呂
 大伴家持
 佐伯今毛人・・・今蝦夷
 とともに、
 当時の権力者である
 太師(太政大臣)
 恵美押勝を除こうとして失敗、
 天平宝字八年(764年)正月
 大宰少弐に左遷
 同年九月に発生した
 藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱により
 恵美押勝が失脚すると、
 宅嗣は復権し
 同年十月
 正五位上
 常陸守・・・
 道鏡政権下では
 天平神護元年(765年)
 従四位下・中衛中将
 天平神護二年(766年)
 参議
 同年
 正四位下に昇叙
 神護景雲二年(768年)
 従三位
 宝亀元年(770年)
 称徳天皇の崩御
 参議として
 藤原永手らとともに
 光仁天皇を擁立
 宝亀二年(771年)
 中納言
 宝亀十一年(780年)
 大納言
 右大臣
 大中臣清麻呂
 内大臣
 藤原魚名に次いで、
 太政官で第三位の地位を占めた
 この間。
 大宰帥・式部卿・中務卿・皇太子傅を歴任
 宝亀六年(775年)
 物部朝臣、
 宝亀十年(779年)
 石上大朝臣に改姓
 天応元年(781年)四月
 正三位
 同年六月に死没
 その後
 正二位の位階を贈られた
 淡海三船・・・?
 と並んで文人の筆頭と称され、
 作品が
 『経国集』に収められている・・・?
 仏道にも通じ、
 『浄名経讃』
 『念仏五更讃』を著し
 旧宅に
 阿閦寺(あしゅくじ)を建立
 その片隅に書庫を設け、これを
 芸亭と名付け、
 主として仏教経典以外の
 外典(げてん)を一般に公開した
 (『続日本紀』巻36
  天応元年(781年)6月辛亥24に
  伝記あり・書影)
 この芸亭は
 日本最初の
 公開型の図書館・・・?
  ↓
 父:石上乙麻呂
 母:不詳
 妻:不詳
 男子:石上継足・・・継足?
 女子:藤原雄友の室
ーーーーー
  ↓
 日本最初の公開図書館
 幕末から明治維新まで
 仙台藩が設置していた
 青柳文庫だといわれている
 しかし、
 一部には奈良時代にあった
 芸亭院を、
 最初、もしくは最古のものとする説もある。
 (桑原蓼軒『芸亭院―日本最初の公開図書館』芸亭院創始千二百年記念会 1962年)
 石上宅嗣が自宅に設けた個人図書館
 鎌倉時代に
 北条実時が設けた
 金沢文庫を公開図書館とする・・・
 これは利用には厳しい条件があった・・・
 1875年-81年
 浅草に官立で設置された
 浅草文庫というものもある・・・
ーーーーー
 ・・・江戸城内には「紅葉山文庫」があった・・・
 「紅葉山文庫(もみじやまぶんこ)」
 江戸時代、幕府将軍のために
 江戸城内
 紅葉山に設けられた文庫(図書館)である。
 「紅葉山文庫」の名称は
 明治時代以降に用いられたもので
 (現存する蔵書印も明治以降に押印されたもの)、
 江戸時代には単に
 「御文庫」と呼ばれ、
 あるいは
 「楓山(ふうざん)文庫」
 「楓山秘閣」
 などと呼ばれることもあった・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・図書館長はダレ・・・


 

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ジライヤ・字覶意也

2014-11-16 21:19:58 | 古事記字源

 ・・・字覶意也(じらいや・ジライイ也)・・・字を覶(楽しげに見る)意なり・・・「自来也→児雷也→爾来也→而来也」への変身・・・カエル・・・まさかの「地雷也」・・・
 クメールのアンコールワット、「シハヌーク」、「クメール・ルージュ」の「カンボジア(カンプチャ・柬埔寨・柬蒲塞・高棉)」の思想改造の名の下で虐殺、数100万人。「アウンサンスーチー」女史の「ミャンマー(ビルマ・緬甸・旧首都はヤンゴン)」などのジャングル、国境地帯には「地雷」蔓延・・・
 ウイッキペデアで調べたら・・・
ーーーーー
 「自来也」
 「感和亭鬼武」による読本
 「自来也説話(文化三年・1806年刊)
 義賊
 正体は
 三好家の浪士
 尾形周馬
 「蝦蟇」の妖術使い
  ↓
 感和亭 鬼武(かんわてい おにたけ)
 宝暦十年(1760年)
  ~
 文化十五年二月二十一21日(1818年3月27日)
 戯作者
 1806年刊の
 「自来也説話」で知られる
 本名は
 前野曼七(まえのまんしち)
 前野曼助とする説もあり
 剣術
 「神道無念流」の使い手
 元々
 一橋家の
 勘定方幕臣
 武士をやめ隠居
 飯田町に住んだのち
 浅草へ転居、
 画を
 谷文晁に、
 戯作を
 山東京伝に弟子入りして学んだ
 交流のあった文人に
 十返舎一九らが挙げられ・・・
 北宋の説話集
 「諧史」に登場する盗賊の物語を翻案し、
 1806年に
 「報仇奇談自来也説話
 (かたきうち
  きだん
  じらいや
  ものがたり)」を刊行
 葛飾北斎によって
 描かれた挿絵もあいまって評判となり、
 1807年に物語を基にした
 歌舞伎舞台が大阪で上演し
 鬼武は一躍著名な戯作家となる
 「近世物之本江戸作者部類」
 (滝沢解作)によれば、
 鬼武は
 梅毒に冒されて死亡したとされる・・・
ーーーーー
 「文字」は・・・乞食(こつじき)、コジキの重なり・・・です・・・?

 

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乙女(処女・生娘・オサラ)の兵士、ジャンヌ・ダルク

2014-11-15 16:47:30 | 古事記字源

 ・・・外は「白い雪」の世界です・・・「雪」は「雪辱(セツジョク)」の「雪(そそ)ぐ」ですか・・・「雪」は「雪ぐ(そそぐ)」、「すすぐ」、「洗(濯)い清める→洗濯→選択」・・・「恥(耳+心)をソソグこと」・・・「はじ=羞(羊+ノ+丑)・慙(斬+心)→(車+斤)・愧(忄+鬼)→(心+甶+心)」・・・

 現在、14日の零時過ぎ・・・オルレアンの少女(乙女・処女)・・・以前にも書き込んだョなッ・・・居留例案(尾留例案?・緒婁例行?→古事記)・・・「ジャンヌダルク(17歳)」の作戦はオルレアン城を囲むイギリスの九砦の個別軍隊を個別撃破・・・「王家=王族=領主一族」ではなく「フランス国家=フランス国民」を救え・・・?・・・「カミは人間の解放ではなく、フランスの民族主義(国家主義)」を煽った?・・・「くろだかんべい」の「天下」とはナンなんだったのか・・・捕虜となったジャンヌ・・・パリを領有していたイギリス(ヘンリー6世)が「保釈金」・・・ルーアン城に監禁・・・宗教裁判・・・2年後、男装、短髪・・・異端者・・・終身刑・・・ユリウス暦1431年5月30日(西暦1431年6月8日グレゴリオ暦)水曜日・・・火刑・・・
ーーーーー
 ジャンヌ・ダルク
 ユリウス暦 1412年頃1月6日?
(西暦1412年1月15日水曜日
 庚寅年・己丑月・己酉日?)
 ~
 ユリウス暦 1431年5月30日
(西暦1431年6月8日水曜日
 辛亥年・甲午月・癸丑日)
ーーーーー
 ・・・19歳「火炙り」・・・フランス王シャルル7世・・・
 ジャンヌが
 庚寅(己丙甲)年・傷官(比肩・印綬・正官)
 己丑(癸辛己)月・比肩(偏財・食神・比肩)
  |三合辛
 己酉(庚X辛)日」比肩(傷官・XX・食神)
 生まれ(?)なら・・・
 「三合辛食神格」→「沖剋比肩」
 火炙りの当日は「癸丑の日で三合辛」、その前日は「壬子の日」で、「生日酉支と破」、「生月丑支と支合己」・・・?・・・それよりも、
 「暦の年月日」の「数字」の意味である・・・
ーーーーー
 100年戦争(1337年11月1日~1453年10月19日)、ばら(薔薇)戦争(1455年~1485-1487年)・・・
 ・・・「辱(はじ・恥・葉字)を雪(すすぐ・濯ぐ・洗ぐ・漱ぐ・啌・湔)こと」で、「試合・勝負などで前に負けた相手に勝ち、前に受けた恥をソソグ(除きさる)」・・・「雪ぐ(すすぐ・そそぐ)」が、「晴らす(はらす)」と意味が重なる・・・
 ・・・「間違いに対して復讐する報復・御返し・竹蓖返し・返礼・しっぺい返し・ 復仇・竹蓖返・お返し・復讐・仕返し・竹篦返し・仇討・復讎・竹篦」・・・
 「恥や汚名を消す」・・・「侮辱・恥辱・屈辱=面目を失い恥ずかしい思いをすること」、「汚名挽回(汚名返上=新たな成果を挙げて、悪い評判をしりぞけること)≠名誉挽回」・・・?・・・「挽回」、「撤回」・・・
ーーーーー
 「ヤフーの知恵袋」によれば・・・
  ↓
 「凌辱(凌辱)する」は他動詞・・・?
 「恥辱する」、「屈辱する」とは言わない
 ・・・では、
 「恥辱される」、「屈辱される」ですか・・・
  ↓
 「恥辱」、「屈辱」は近い意味に使われる
 「恥辱」は
 「はじ」そのもので、純然たる名詞
 「屈辱」は
  本来は、
 「力関係などの理由により、
  不本意ながら屈服して辱しめを受け入れる」
  という意味合いの言葉
  ↓
 ・・・受身的ですか・・・「屈辱」も「純然たる名詞」だろう・・・「恥辱」も受身的だろう・・・自分自身に能動的に悔やむ、と言うことなのか?・・・日本語(?)では「主客」がハッキリしていれば「名詞」は「する・される」の動詞になちゃうのさ・・・
  ↓
 「強制的、強圧的に受け入れさせられた辱しめ」
  というニュアンス・・・
 「屈辱的」と言うが、
 「恥辱的」とは言わない
   ↓
 ・・・云っちゃぁダメって、コトはないだろう・・・?
 「恥」は「耳の心」で「耳でコトバをキク(キカない)の心(学習能力・教養能力・内面態度・心構え)」で「恥(はじ・チ)→知」なのだろう・・・「屈」は「尸の出(山山)」で「屍(しかばね)が出る」が「屈(かがむ・かがみ・クツ)」なのだろう・・・「かがみ=鏡・鑑・加賀見・各務」→「郭務悰」→「書く夢想(武想・武装・ム双)」・・・

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大門未知古・イシス・石州・岩国・磐の国・三陸・女医・看護婦

2014-11-14 00:11:05 | 古事記字源

 ・・・スゴイ風です・・・雪です・・・竜巻ですか・・・「苫小牧・胆振管内・安平町・遠浅(とあさ)地区柏原地区」・・・落雷、停電・・・雷、雷光、雷鳴・・・雷神(ゼウス・古希=ΖΕΥΣ, Ζεύς, Zeus・ユーピテル・ジュピター・木星・雷霆(ケラウノス)が武器)・・・「天空神として、全宇宙や雲・雨・雪・雷などの気象を支配」・・・
 「雷霆万鈞」
 他の比ではないほどの激しい勢いや力
 「雷霆」は雷が轟き
 「鈞」は重さの単位・・・=イン・キン
               ひとしい・ととのう
 「万鈞」は非常に重いこと・・・万=萬=マン・バン
                  よろず
 であるらしいが、漢字分解では、
 「雷=雨+田(□十)・・・アメのタ・ウのデン
 「霆=雨+廷(壬廴)・・・アメのニワ・ウのイン
 である・・・
 「天照大神」がナゼ「女(おんな・おうな・め)」の神として権力を握ったのか?・・・コタエは・・・「幕末、明治」の「日本的事情」・・・エジプト(埃及)、ギリシャ(希臘)・・・神々の「カミがみ(噛み咬み)」・・・
 以下、例のごとく原文は「ウイッキぺデア」から、抜粋参考にしたモノ・・・少々改作・・・
ーーーーー
 雷霆(ケラウノス)と言う武器は
 キュクロープス
  (Κύκλωψ)
 ギリシア神話の
 単眼の巨人・・・一つ目・隻眼→伊達政宗
 下級神である
 鍛冶屋の・・・・「もり(森・杜)の鍛冶屋」
  ↓       ↓
  ↓      作詞者・作曲者ともに不詳
  ↓      初出は
  ↓      1912年(大正元年)12月
  ↓      「尋常小学唱歌(四)」
  ↓      歌詞は書き換えられながら、
  ↓      全国の小学校で愛唱
  ↓      1942年(昭和17年)3月刊の
  ↓      「初等科音楽(二)」収録の際には、
  ↓      平和を歌う三番以降の歌詞の後半が
  ↓      戦時下の国策に不適当として
  ↓      教科書から削除され。
  ↓      また、
  ↓      一番の
  ↓      「しばしもやまずに」が
  ↓      「休まず」へ、
  ↓      「飛び散る火の花」が
  ↓      「飛び散る火花よ」へ、
  ↓      二番の
  ↓     「あるじは名高きいつこく老爺」が
  ↓     「あるじは名高いいっこく者よ」
  ↓      などと変更された
  ↓     「いっこくもの:一刻者」は
  ↓     「一徹者」と同義。頑固おやじの意)
  ↓     戦後の昭和22年には
  ↓     文語調が子供には難しいと
  ↓     題名が
  ↓     「村のかじや」と
  ↓     平仮名表記にされるとともに、
  ↓     「刃物」が「鋤鍬(すきくわ)」と
  ↓     変更され、さらに手が加えられた
  ↓
 神が造った
  ↓
 キュクロプスとも表記
 英語読みは
 サイクロプス (Cyclops)
  ↓
 ギリシア語 Κύκλωψ の原義
 「κύκλος=kyklos=円・丸」
 と
 「ωψ=ōps=眼・丸い眼」
 額の中央に丸い眼が一つ
 ラテン語
 「Cyclops=キュクロープス)
 英語の「Cyclops (サイクロプス)」は
 「cyclo- 」からの派生語
 フランス語では
 「cyclope(スィクロプ)」
 ドイツ語では
 「Kyklop (キュクロープ)」
 中国語では
 「独眼巨人」
 「音訳で
  基克洛普斯」・・・
 キカツラクシンシ
 鬼滑落(活楽)神詞・・・?
  ↓
 キュクロプス
  ↓
 天空神ウーラノスと
 大地母神ガイアの息子たちで、
 アルゲース (Arges) 、
 ステロペース (Steropes) 、
 ブロンテース (Brontes)
  の三兄弟から構成
 いずれも雷に関連する名前
 彼らは父神に嫌われ、兄弟族の
 ヘカトンケイル族とともに
 奈落タルタロスへ落とされた。
 弟族の
 ティーターン神の
 クロノスが権力を握ったあとも、
 拘禁されたままであっ
 ティーターノマキアーの時、
 ゼウスらによって解放
 キュクロプス達はその礼として、
 ゼウスには雷霆を、
 ポセイドーンには
 三叉の銛を、
 ハーデースには
 隠れ兜を造った
 以後は
 ヘーパイストス・・・・ビーナスの夫
 のもとで
 鍛冶業を続けた
 息子
 アスクレーピオス・・・
 (古希= Ἀσκληπιός, Asklēpios)
     名医で
     アポロンと
     コローニスの子
     ケイローンのもとで育てられ
     医学に才能を示し発揮
 (ラテン語=アイスクラーピウス
       Æsculapius・Aesculapius)
 を
 死んだ人間
 アテーナイ王
 テーセウスの息子
 ヒッポリュトスを蘇(生き返)らせたと
 雷霆をもって
 アスクレーピオスを撃ち殺した
 怒った親の
 アポローンは「雷霆」を造った
 キュクロプスを
 殺した・・・
 「蛇使い座=アスクレーピオス」・・・蛇使い座になった・・・杖にヘビの巻きついたモチーフは「アスクレーピオスの杖」(蛇杖)と呼ばれ、医学の象徴・・・彼の後裔は「ヒポクラテス」・・・「シーボルト」・・・「高野長英」・・・「高木(の神?)」・・・「楠本 イネ(くすもと いね、文政十年五月六日(1827年5月31日~明治三十六年(1903年)8月26日)・シーボルトの娘」・・・
 「森鴎外(陸軍軍医)」、
 「高木兼寛(海軍軍医・石神良策に師事)→高木(の神?)」は「ヴァイタミン(ビタミン)の父」で「脚気予防、撲滅」の人物・・・明治15年(1882年)には芝の天光院に、貧しい患者のための施療病院として有志共立東京病院を設立、院長には当時の上官である戸塚文海海軍医務局長を迎え自らは副院長となった。
 そして徳川家の財産管理をしていた元海軍卿
 勝海舟の資金融資などを受け、払い下げられた愛宕山下の東京府立病院を改修し有栖川宮威仁親王を総長に迎えて
 明治十七年(1884年)移転、
 明治二十年(1887年)には総裁に迎えた
 昭憲皇太后から「慈恵」の名を賜り、
 東京慈恵医院と改称し院長に就任
 ナイチンゲール看護学校を擁する
 聖トーマス病院で学んだ経験から、
 医療におけるその担い手となる
 看護婦の育成教育にも尽力
 大山巌夫人の
 「捨松」ら「婦人慈善会」の後援も得、
 明治十八年(1885年)
 日本初の
 看護学校である
 有志共立東京病院
 看護婦教育所を設立
 米国宣教師リードらによる看護教育を開始
 明治二十一(1888年)年
 昭憲皇太后臨席のもと
 第1回卒業生5名を送り出した
「篤姫」は・・・「勝海舟」の恋人?
ーーーーー
 岩手県の前身にあたる地域
 伊達藩北部と
 南部藩南東部
 「岩手」の名
 「みちのくから都に献上された
  鷹を、帝がたいそう気に入り、
  鷹に慣れた大納言に預けたが、
  取り逃がしてしまった(大和物語)」
  の一説の
 「鷹の名」が
 「岩手」
 帝は、岩手を失った悲しみを
 「言わないことが
  言うことより気持ちが勝る」の意味で、
 「岩手=言はで」に掛け
 「いはでおもふぞいふにまされる」と詠じた・・・
  ↓
 イスィス(Isis)
  ↓   いしす・・・石州→岩国→山口県の最東部
  ↓           →東北岩手県
               三陸地方
               宮城県,岩手県,青森県
               の三陸海岸、
               その内陸部の
               北上高地を含めた地域
               陸前・陸中・陸後
  ↓            陸奥・岩代・磐城
  ↓            蝦夷→阿部氏→清原氏
 イスィス(Isis)=イシス
 エジプト神話の女神
 イスィスはギリシア語
 古代エジプトでは
 アセトと呼ばれた
 ヘリオポリス神話では
 ゲブと
 ヌトの子供で、
 オシリスの
 妹であり妻、
 セト、
 ネフティス
 の姉
 である
 九柱神の一
 セトの妹とされることもある
 ホルスの母・・・「ホルス」は「鷹」
 別の神話では
 ラーの娘
 外見は
 トビ・・・・・・「鳶(とび)も鷹(たか)」も禽獣
 あるいは
 背中に
 トビの翼を持った女性として描かれる
 後に
 ハトホル女神・・・・・「鳩(はと・キュウ)」
  ↓          葉賭→斑鳩・鳩首
 に代わって信仰を集める
 頭部にハトホル女神から受け継いだ
 牛の角と
 太陽円盤を持った女性とし描かれる
 名前は玉座の象徴
 セト・・・・・・「河馬の神」
 に殺されバラバラにされた
 オシリスの遺体を集めて
 (ただし男根は見つからなかった)
 繋ぎ合わせて復活させる
 共和政末期にローマへ持ち込まれて発展
 200年頃にはほぼローマ帝国全域で崇拝
 イスィスは永遠の処女であり、
 オシリスの死後、
 処女のまま神(ホルス)を身ごもった
 「天上の聖母」「星の母」「海の母」
 などさまざまな二つ名を持っ
   ↓
 イシス単体を祀る神殿や町は初期には存在せず、
 常に夫
 オシリスの陪神として扱われた
 ピラミッド・テキストには
 既に名前が繰り返し登場
 役割は死者の復活
 農耕の神、また死と再生の神
 人間の姿だが、夫
 オシリスが死んで嘆く姿の際には
 トンビ・・・・・「鳶」も禽獣
 に化身
 妹ネフティスと
 二人セットで扱われることも多い
 頭の上に乗っているモノが違う
 姉イシスは「玉座」(夫オシリスの玉座)
 妹ネフティスは「祠堂」(死後・儀礼的な権威)
 常に夫オシリスの陪神
 ホルス神の母としての
 母性を付け足されて
 王権に関わるようになっていった
 (王母という属性は
  ハトホル女神のほうが古い
  ホルス神は元々は
  イシスの息子ではなかった)・・・
   ↓
 イシスは息子ホルスが成長するまで守り、
 ホルスの成長後は、
 セトに奪われた
 地上の王位を息子が取り戻した
 オシリスとともに
 豊穣の女神としても扱われ、神話の中では、かつてオシリスとともに民に農耕を教えたともされる。
 ナイルの氾濫の始まりを象徴する星
 ソティス(シリウス)・・・・知臼・堆・有珠・渦
              大臼・小堆→日本たける
 は、彼女の象徴
 ソティス自体はのちに神格化
 別個に独立した女神として存在
 が、
 ソティスと
 夫
 サフはそれぞれ
 イシスとオシリスになぞらえられ、
 「天のイシス」
 「天のオシリス」と呼ばれる
 祖父や甥などの親族が設定されいてるのは、
 イシス・オシリス神話の周辺だけ・・・
 彼らの両親は、基本的に
 天空の神ヌトと
 大地の神ゲブだった
 セトとイシスが父の違う姉弟だったという話もあり(セトがイシスに「片親違い」と呼びかける)・・・
 兄弟は五人
 イシス・ネフティス・オシリス・セトの四人は
 兄弟姉妹で、夫婦
 もう一人、
 ホルスという名を持つ神が兄弟として生まれた
 これはイシスとオシリスの息子としての
 ホルスとも、
 そのホルスの叔父にあたる
 別のホルス(大ホルス)とも言われている
 天の女神ヌトと
 地の神ゲブは
 ラーの家系に連なる「孫」とされるようになり、
 イシスは
 ラーの
 「ひ孫・曾孫」とされることがあった

         アトゥム(原初)
           |
           ラー(太陽)
           |
     ゲブ(大地)┬ヌト(天)
           |
       シュウ(大気) ┬テフネト(湿気)
           |
    オシリスーイシスーセトーネフティスーホルス
       ┕-┬-┘
        ホルス

 神々の王である
 太陽神ラーに
 イシスは、
 太陽の船がゆききする通り道に立って、
 船からこぼれ落ちる
 ラーの
 よだれ(涎)を拾い、・・・涎=氵+廴+ノ+止
               =氵+延
 これを
 土とまぜて
 泥の・・・・・泥=氵+尼
 蛇を・・・・・蛇杖は医学の象徴
 つくり
 命を与え、
 太陽(ラー)の船にけしかけ
 蛇はラーに咬み付き(喰らいつき)
 毒に感染
 太陽の船を守るのは
 セトの役目だが
 蛇は「神聖な蛇」とされ、
 ラーは蛇の毒で苦しみ
 ラーはイシスを連れてこいと命じる
  イシスは
 「この毒は、
  あなたの隠された
  真の名によってしか、・・・本名
  癒すことは出来ない」・・・隠された名前
  ↓           「名を漏らせり」
  ↓           「欠名・欠字」
  ↓           「ケツ=欠・厥
  ↓               蕨(わらび)」
 と
 万物・・・・・・・・萬のモノ(万葉集・太安万侶)
 の父とされる
 太陽神の
 真の名を知ることは、
 万物を支配できる
 その名を
 自らの口で、・・・・暗誦・暗唱・暗証・暗礁
  ↓        稗田阿礼→太安万侶
 イシスに教える
 彼女はその名を使い、
 太陽神の体を浄化
 ラー・・・・・・・・らぁ=等亜・等阿・羅鴉
 の真の名・・・・・・螺(にな)蛙(かえる)
 とともに、
 偉大なる力を手に入れた
  ↓
 太陽神ラーの血統外の神々
 原初の水から
 自然発生した
 蛇のアポピス
 太陽の誕生以前から世界を創造していた
 八柱神や、
 不死鳥のベヌウ、
 自らを創造した
 クヌム、
 プタハ、
 トト、・・・狒々・朱鷺(鴇)・イビス
  ↓    ジェフティ(エジプト語:ḏḥwty)
  ↓    記録、書記の神・・・記紀
  ↓    記紀=古事記・日本書紀
 タテネンなどの神
 アメン神の
 エジプト語名は
 「イメン」
 名前の意味は
 「隠されたもの」とか
 「見えないもの」と訳
ーーーーー
 ・・・  

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野次馬のファン心理だってキョウカン、キョウメイする・・・

2014-11-12 17:38:19 | 古事記字源

 ・・・書き込みが「消えた」・・・「保存」のキイを押したハズなんだけれど、単純な手違い?・・・おバカを無意識にしてしまう・・・ボクの記憶能力の範囲では同じ文章を書き込むのは難しい。その「文・文字・文章」のホトンドがコンピュータのキイを叩くと出てくる、と言う便利さに依存しているからだ。「記憶」は「脳ミソの埒外」にある。だが、ピアニストの指先自体が、体自体が曲を覚え込んだモノとは雲泥の差がある・・・「時間は不可逆」だし・・・それでも「脳ミソの記憶」をたどって・・・NHK・TV「あさイチ・まさか!うちの子が犯罪?・尾木直樹、青木さやか」・・・
 ・・・書き込んだコトは・・・
 ボクが名古屋にいた時から
 「青木さやか」さんのファンだったコト
 「青木さやか」さんが「おかぁさん」になっていたコト
 当時、TVに映し出されていた
 彼女の「頑張っているキャラ」が
 チョット前の
 「イモト」の
 「頑張り」と「危うさ」に似ていると思ったコト
 番組中、
 「栃木」で「地震」があったコト・・・
  ↓↑
 ・・・「たよれる人」、「ほめてくれる人」、「怒っ(注意して)てくれる人」、「みとめてくれる人」、先ずは一番に「きいてくれる人」・・・
 当時の「青木さやか」さん、「頑張っていた」けれでど、その「キャラ」がボクには「純粋(潤粋・醇酔)」、「純朴(淳朴・醇朴)」で、「純心(順信)」、「純信(順信)」で、「危うく」見えたのが、今現在のチョット前の「イモト」の「ガンバリ」と「アヤウサ」に重なっているように思えた・・・「フアン=ファン」の理由・・・
 「純朴・醇朴・淳朴」
   ↓
 「かざりけがなく素直なこと
  人情が厚くて素朴なこと」
 「ういういしい・危うさ・単純・人がよい・お人よし・うぶな・無防備な・極楽トンボの・緊張感がない・田舎くさい・ダサイ・ナイーブ過ぎる・ばか正直な・融通がきかない」
 「simple and honest・unspoilt・Unsophisticated
  simple・naive・plain」
 「自分の意見などというものは
  持ち合わせない純朴な好好爺
  (善良そうな性格の表現・描写・類語)」
 ・・・ジジイ・ババァにかかわらず、だろう・・・
 類似語には
 「念入りに仕上げていない、または仕上げられていないさま何の変哲もない・プレイン・質素・歴然たる・素朴・判然たる・単純・簡易・簡略・飾り気のない・明白」
 「純粋
  まじりけのないこと
  雑多なものがまじっていないこと
  邪念や私欲のないこと
  気持ちに打算や掛け引きのないこと
  ひたすらなこと」
 「pure・genuine・real」
 「innocent・clear」
 「spitefulは意地悪・impurityは不純」
 ・・・未だ、経験的に判断力のない幼稚児、低学年の子供達には「イイも、ワルイも」、「大丈夫も、アブナイも」、「賢いも、狡いも」、「ダマスも、ダマされるも」、「ウソもホントも」、「イジメも、イジメるも」、「クスグッタイも、イタイも」、「アツイも、ツメタイも」・・・子供の親たち、近所のオバサン、オジサン、オニイサン、オネエサンたち、その子供たちに、その生活環境で、養育過程で、同時にそれらの「二面性・表裏性」を教えていく必要があるのは当然である。この「人間社会」は「純粋無垢」なモノはなく、「単純さが絡まった複雑な社会」でアルコトを・・・この人間社会では幼児であろうと、なかろうが、「コタエは二つ」である。一つのコタエを選択するのには「経験的な出来事の遭遇の時間」が必要だ・・・殆どが「自分自身のイタイ目」にあってからの「選択」である。「イイ目」にあっても「左か右かの選択」はする。「イイ目の報酬の理由の裏をも」の納得次第である。
 「オギ」先生、「コトバの技術的な使い方の問題」にしてしまったら子供たちは、その「意図」を旣に見破っているかも・・・TVでは、その「コトバ」は誤解されるかも・・・幼児、子供達は自己存在、自分の生命存在の維持として本能的に自分自身に接する「大人たちのコトバ・コウイ」と「現実」があまりにも「乖離」しすぎているのを敏感にカンジているから・・・水曜日の「あさイチ番組」は「悩んでいる大人たち」だけが見ているとは限らない・・・大人は自分自身の「幼児時期・少年、少女の時期」のイイも、ワルイも、アイマイであった実体験、経験を、その立場でハナシテヤルべきではあるが・・・子供、幼児たちの「実存的維持=狡(ヅル)さ?=エゴ?」は決して甘くはない・・・その本質は動物としての「食える=排便できる」の「生理的存在」である・・・
 そして、養育されるプロセスで意思表示出来るようになった幼い子供の「問題意識」は「ナゼなの?どうしてなの?」の連発で・・・その「答え」を知りたい、憶えた範囲のコトバとその思考で「理屈」として自己納得したい存在なのである・・・
 なにもコレは幼児だけであるとは限らない。成人した老若男女の社会的な人間諸関係でも問題次元は異なれ、「ナゼなの?どうしてなの?」である・・・
 「人間諸関係」、そのホトンドが悲しいかな「ダマし、ダマされる社会」、「ヌスミ、ヌスマれる社会」、「殺傷の加害、被害の社会」である。モチロン、「自然界の生物の本質」である。だが、「人間」は「自然界からの解放」をココロザシたのだ・・・「社会の人間」は「自然界の動物とは異なる」のだ、と、「理屈」で、「コトバ」で・・・今のところ、人間界の人間と自然界の動物は多少の差はあれ、「ムリ」である・・・「自然の枠内の社会」である・・・
 ボクはダマされるのが大嫌いであるが・・・「ウソとホント」での舞台に立つお笑い芸人のコトバ、作家の文章、手品師の技、諸々の芸術家の表現、造作されたモノを除外して。彼らの表現の中には示唆、暗示された危険の警告、発信があると同時にウソの扇動、プロカバンダもある・・・だが、ダマされるのは享受者、観客、受け取る側の「勝手自由」である・・・職業的詐欺師の蔓延する社会だから・・・
 純粋無垢、純朴・・・TV番組の「はじめてのおつかい」に登場する子供達の「ガンバリ」と「アヤウサ」には毎度ハラハラ、ドキドキ、シワクチャの頬に流れるのは泪・・・なんで、「涙」の異字漢字があるんだか・・・泣かされるが、ボクの顔の表情は笑ってんだか、怒ってんだか・・・ダレにって・・・TVを見ている自分自身にだろう・・・
 「愛憎」・・・純粋無垢、素朴・・・「ストカーの心情?」は「親の心情?」の本質に重なっていく・・・先ずは「愛」が先行し、「憎」が追っかけていく・・・そして、「理屈」が・・・「愛憎愛」とサンドイッチになるのかな・・・もしかして「憎愛憎」のサンドイッチかも・・・「理屈」でないから・・・
 ・・・なんか、消したブンショウとは異質なモノになってしまった・・・ボケ・・・ナニを書き込んでいるのか・・・
 この社会では「コタエ」は「ふたつ」どころか、「たくさんアル」ようだ・・・だが、最後に選択するの「ひとつ」・・・「たくさん選択」出来るヤツは欲張りなヤツなんだろ・・・欲張りも余裕しだいだから・・・

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