不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

gooブログはじめました!キリヤ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
コジキジゲン

「フォックス(fox)」って?・・・キツネ・・・乎音、呼音、コォォ~ン・・・

2017-09-15 16:28:49 | 古事記字源

 ・・・『ディア・ハンター』(The Deer Hunter)・・・1978年公開のアメリカ映画、監督マイケル・チミノ・脚本デリック・ウォッシュバーン・主演ロバート・デ・ニーロ・・・『タクシードライバー』(Taxi Driver)は、1976年公開のアメリカ映画、監督マーティン・スコセッシ・脚本ポール・シュレイダー・主演ロバート・デ・ニーロ・・・「フォックス(fox)」って「20世紀フォックス映画・Twentieth Century Fox Film Corporation・20th Century Fox Film Corporation・20th Century Fox」、何故「20th Century Fox」を社名にしたんだか・・・

ーー↓↑ーー
 「1934年12月28日
  フォックス・フィルム
 (1915年にウィリアム・フォックスにより設立)
  と
  20世紀映画(1933年にダリル・F・ザナックにより設立)
  が合併し、
  20世紀フォックス映画として設立
  1935年
  フォックス・フィルム
  と
  20世紀映画社が合併し、つけられた社名」・・・
  ↓↑
 「ウィリアム フォックス
 (Fox William
  本名は
  Wilhelm Fried Vilmos(フリード・ヴィルモス)
  1879/01/01~1952/5/8
  1879生年 戊寅(己・丙・甲)
  0001生月 甲子(壬・ ・癸)
  0001生日 甲申(己・壬・庚)午未=空亡
  ↓↑
  生後9カ月のときにアメリカに渡り
  姓を母方の
  フックス(Fuchs)
  とし、さらに英語化して
  ウィリアム・フォックス(William Fox)
  と名を変えた
  米国、ハンガリーの映画事業家・ハンガリー生まれ
  ユダヤ系ハンガリー人
  1906年
  ニッケル・オデオンを開設
  1915年
  フォックス・フィルム・コーポーレッション設立
  「愚者ありき」
  を製作」・・・
  ↓↑
 「超大国(super power)
  極超大国(hyperpower)
  戦争を支援する国家」
  の
 「ウィリアム・フォックス
 (William Thornton Rickert Fox」
 でも、
 「Xファイル」の
 「フォックス・ウィリアム・モルダー(特別捜査官)
  1961年10月13日生まれ」
  1961生年 辛丑(癸・辛・己)
  0010生月 戊戌(辛・丁・戊)
  0013生日 己卯(甲・ ・乙)申酉=空亡
  じゃぁ、なか、とォ、ネッ・・・
  ↓↑
 「狐狩り」・・・
  ↓↑
 「女狐(めぎつね・The Fox)」は、
 「1967年製作のカナダの映画
  原作D・H・ローレンスの小説『狐』」・・・
 「女狐=悪女の別称
  メアリー・ウェッブの小説
  Gone to Earth
  女狐 (1950年の映画・Gone to Earth)
  イギリス映画
  ウェッブの小説の映画化」
 「女狐(1950)・Gone to Earth
  1952年11月17日公開のイギリス映画
  マイケル・パウエル
  エメリック・プレスバーガー
  製作・脚色・監督」・・・
  ↓↑
 「権狐(ごんぎつね)
  新美南吉作の児童文学
  『赤い鳥(1932年1月号)』
  1943年9月30日、刊行の童話集
  『花のき村と盗人たち』に収録」・・・
  ↓↑
 キツネ・・・
[
 ↓↑
 オオミミキツネ(大耳狐)属
 毛衣は灰褐色や黄褐色
 腹面は淡褐色
 眼から吻端にかけてや
 耳介外側、四肢下部、尾先端の
 毛衣は黒や濃褐色
 瞳孔は縦長
 耳介は11.3~13.5センチ
 属名 Otocyon=古代ギリシャ語で「耳のイヌ」
   オトキオン・・・於訳起音・音記(紀・企)音?
 種小名 megalotis=古代ギリシャ語で「大きな耳」
    メガロティス・・・目臥露呈素?
 歯列は門歯が上下6本
 犬歯が上下2本
 臼歯が上下8本
 大臼歯が上顎6~8本
 下顎8~10本
 で計46~50本
 臼歯の数が多い(イヌ科他種は計42本以下)
 下顎に段状の突起
 顎二腹筋を支えて
 素早く咀嚼できる
 本種のみで
 オトキオン・・・於訳起音・音記(紀・企)音?
 (Otocyon megalotis)
 亜科
 を構成する説・・・
 ハイイロギツネ(灰色狐)
 に近縁・・・説・・・
 2亜種
 Otocyon megalotis megalotis (Desmarest, 1822)
 Otocyon megalotis virgatus Miller, 1909
 模式産地は英領東アフリカ
 乾燥したサバンナや開けた茂みに生息
 採食域は重複
 群れ同士の遭遇で
 無干渉、あるいは激しく争う
 夜行性
 気温の低い日に日中活動
 ペアもしくは家族群を形成
 巣穴を掘ったり
 ツチブタ
 トビウサギ
 などの古巣を利用
 チーター、ヒョウ、ライオン、
 リカオン、カッショクハイエナ
 セグロジャッカル
 アフリカニシキヘビ
 にも襲われ、捕食されることがあり
 妊娠期間は60~70日
 巣穴で1回に2~5匹の子供を産む
 ↓↑
 日本人とキツネと稲・・・稲荷=いなり=稲成・意名理?
 渡来の秦氏族によって・・・秦→はた=機・幡・旗・傍
 ↓↑           服部→忍者の元締め
                 もとじめ=素字目
              網元(あみもと)→編元
              網主(あみぬし)→編主
              は
              漁網や漁船を所有する
              漁業経営者
              網子(あみこ)は
 ↓↑           労力を網元に提供する漁労者
 ↓↑           まな=魚(まな)=真名=漢字
 キツネは         魚名=空海=俗名(幼名)は
↓↑           佐伯 眞魚(さえき の まお)
 稲荷神の眷属になった・・・
 「日本書紀・斉明記三年(657年)」
 石見に現れた
 白狐の記事
 「日本霊異記・欽明天皇・540年~571年」
 の記事
 キツネが
 騙す、化ける妖怪というのは
 仏教の
 フロク(付録・附録)伝来
 中国の
 九尾狐・・・九尾狐(キュウビコ)=九尾狐狸(キュウビコリ)
       9本の尻尾をもつ狐の霊獣
       中国の各王朝の史書で
       九尾の狐はその姿が確認されることが
       泰平の世、明君のいる代を示す瑞獣とされた
       妲己(冀州侯、蘇護=有蘇氏の娘)の願いなら
       帝辛(紂王)は何でも聞いたらしい・・・
       妲己は九尾狐に憑依された・・・?
 の伝説
 に影響された・・・
 ↓↑
 「アカギツネ(赤狐、Vulpes vulpes )」
 ネコ (猫)目
 イヌ (犬)科
 キツネ(狐)属
 に属する哺乳動物
 目は金から黄
 ネコ科動物のような
 縦に裂けた瞳
 その素早さは
 アカギツネは
 「猫のようなイヌ科」とされ
 長いフサフサとした尾は
 跳躍のバランスに役立
 走る速度は時速50km・・・
 日本生息の
 ホンドギツネ
 と
 キタキツネ
 を比較すると
 ホンドギツネの毛色が
 より暗褐色で体長がやや小さい
 足先が黒くなく、
 キタキツネが
 大陸のアカギツネと
 同じ頭骨を持つのに対し
 ホンドギツネの頭骨は微妙に異なる
 体の特徴や行動がネコに似ている・・・
 コミュニケーション
 身体言語
 発声
 鳴き声は多様で変化に富
 ↓↑
 オスからメスへ捕えた
 小動物をプレゼントをする・・・
 口を開けて大きさを比べあい優劣を決定
 キツネの鳴き声
 音域はおよそ5オクターブ
 強弱を組み合わせて様々な
 バリエーション
 古い研究では
 20の分類例がある・・・
 記憶力
 キツネは食べきれないネズミを
 埋める習性があり
 飼いならされた複数の個体の実験で
 翌日90%の確率で掘り出す・・・
 ことに成功したことが確認・・・
ーーーーー
  ↓↑
 「旁阝(おおざと)」
 と
 「阝偏(こざとへん)」
 なので、実際上
 「左右に分かれる漢字」の
 「左側にあるもの」=「偏(へん)」
 「右側にあるもの」=「旁(つくり)」
 と呼ぶ
 「偏(ヘン)=左側」
 「旁(ボウ)=右側
  ↓↑
 左にある「こざと (阜=)偏=阝+α」を「ひだりざと」
 右にある「おおざと(邑)旁=α+阝」を「みぎざと」
  ↓↑
 「おおざと(邑)」は、
 「□(領地)+人の屈服したさま」?
 ・・・ではなく、
 「口+巴=口(言葉)の巴(混合)
      異言語の集まった場所
      言葉の渦・言葉の喧騒、喧噪な場所」
 で、
 民(人々)の集まる場所(市場)で、
 「中にふさぎこめるの意」
 ・・・ではなく、
 「物の交換、交易」で
 人々が集(つど)う場所・・・だろう・・・
  ↓↑
 「邑(ユウ)」は
 のち「阝(おおざと)の形」となり、
 町や村、または地名に関する漢字の部首となった
  ↓↑
 「こざと(阜)」は、
 「阜=𠂤+十」・・・「追=𠂤+辶」
 もと、
 ずんぐりとした形に
 土を積み重ねたさまを描いた象形文字
 「𠂤+十(あつめる・交わる)」で、
 まるくふくれる意を含み
 ずんぐりとした形に
 膨(ふく)れた丘の意味
   ・・・岐阜=永禄十年(1567年)
         井口、稲葉山城を攻略
         その地名を
         天正三年(1575年)
         織田信長が「岐阜」と改名・・・
        「岐阜陽・岐山・岐陽」の地名は
         既にあった・・・
   ・・・曲阜=中華人民共和国
             山東省
             済寧市に位置
         隋になって
        「城の東に阜(おか)有り
         委曲して長さは七八里」
         という由来から
         曲阜の地名         
         魯国の故地
         孔子の生地
  ↓↑
 「𠂤(フ)」=土を積み重ねた象形文字
    「十」=重(かさ)ねる・累(かさね)る
        襲(かさ)ねる
        土手・つつみ=堤・坡・塘・陂
               堤防・防波堤
 「阜=𠂤+十=丿+㠯+十」
 「追=𠂤+辶=丿+㠯+辶」
 「官=宀+㠯」
 「管=竹+宀+㠯」
 「菅=艹+宀+㠯」
 「耜=耒+㠯」・・・耜(すき)
       「耒=古代の農具の鋤、鋤の柄の部分
          農地を耕すため土を
          掻(かき)起こし
          草を刈る農具
          鋤(くわ)の柄」
       「㠯=上述、耒(柄)を踏まえれば
          㠯は鋤の刃の部分」
 「以・㠯=已と同じ字を起源とする字・・・以←似=イ+以
  ↓↑  以=ある時・ある場所での
        自然、人物の行為、変化の事象、事件を
        起点とし、
        それより
        以遠・以往・以下・以外・以後・以降
        以上・以西・以前・以東・以内・以来
        などのプロセスを説明
       「過去現在未来の~完了形」を示す文字
        已然形=既でに~した
        未然形=未だに~していない
        仮定形=已然形、未然形を含む「もし、~ば~」
      もつ(持つ)=人が物を携(たずさ)える象形
      厶(シ・私)・・・「ム」は
  ↓↑  ↓↑       「ワ」の
               上下の左右反転の逆字・・・
               クワ=鍬
               スキ=鋤・鉏・犂・耒
      ↓↑       の形象に似る
      ↓↑       ム=む→七(匕)+◦+ヽ
      と似ていることから
      「耜(すき)の象形
      卜文では率いる意
      「反巳に從ふ(説文)
      「巳」を
       農具の「すき」を象ったもの
      「㠯」、「厶(以)」など
      「已める・止める」
      「既に・素手に・已(すでに)」
      の意は音を仮借したもの
      類似字は「己(おのれ)・巳(へび)」
      止む・止める・辞める・既に
      限定の「~のみ」
  ↓↑  形容詞の「はなはだしい」
 「おおざと(邑=口+巴)=大きな村里」
 「こざと(阜=丿+㠯+十)=並ぶ丘・小丘」
  ↓↑
 「阝の部首、旁=立+冖+方(亠勹)=つくり・ボウ
       偏=イ+扁=かたよる・ヘン
  の漢字構成の部首の位置関係ではない」
  ↓↑
  のではなく、漢字構成そのモノの部首(部品)の
 「邑(むら・くに)の中の位置関係」なのさ・・・
ーーーーー
 ・・・「𠂤」は「自(おのずから・みずから・ジ)」に類字し
    「自」の漢字から
     目の右の「l」に穴を開け
         「¦」をアテタような漢字にも視える    
 「㠯(シ)」は「呂(ロ)」にも類字しているが・・・
  ↓↑
 呂尚(リョショウ)
 紀元前11世紀ごろ
 周の軍師
 斉の始祖
 姓は姜
 氏は呂
 字は子牙、牙
 諱は尚
 師尚父
 謚は太公、斉太公、姜太公
 殷代の甲骨文
 呂尚の領国である斉の名前が存在
 「史記・斉太公世家」で
 東海のほとりの出身
 祖先は四嶽の官職
 治水事業で
 禹を補佐
 一族の本姓は
 姜氏
 支族は
 呂(河南省南陽市西部)
 申(陝西省と山西省の境)
 の地に移住
 呂姓を称した
 元は
 人・・・
 あるいは
 飲食業・・・
 周に仕える以前は
 殷の
 帝辛 (紂王) に仕えたが・・・・辛=立+十
                紂=糸+寸
 帝辛は無道であるために辞職
 諸侯を説いて遊説し
 西方の
 周の
 西伯昌 (文王)に仕えた
 周の軍師として
 昌の子の発 (武王) を補佐
 殷の諸侯である
 「方」の進攻を防いだ
 殷を牧野の戦いで打ち破り
 軍功によって
 営丘(山東省淄博市臨淄区)・・・営=ツ+冖+呂
                 丘=阜(ノ+㠯+十)
 を中心とする
 斉の地に封ぜられた
 営丘に赴任後
 隣接する
 莱の族長の攻撃を防いだ
 呂尚は営丘の住民の習俗に従い
 儀礼を簡素にした(史記)
 営丘が位置する
 山東は・・・・山東省?・・・魯
 農業に不適地
 漁業と製塩によって
 斉は国力を増した
 斉は
 成王から
 黄河、穆棱(湖北省)、無棣(河北省)
 に至る地域の諸侯が
 反乱を起こした時に
 反乱者を討つ権限を与えられ
 死後、
 「丁公」が跡を継いだ
 呂尚は長生きで100歳を超えていた・・・
 周と連合し
 殷を滅ぼした
 周軍の指揮官
 呂尚が属する
 姜氏は
 周と婚姻関係があった・・・
 春秋初期
 斉
 呂尚の著書
 「六韜・三略」
 731年
 玄宗(唐王朝)によって
 呂尚
 と
 前漢の
 張良を祀る
 太公廟が各地に建立
 760年
 粛宗から
 武成王を追贈
 太公廟は
 武成王廟と呼ばれ
 文宣王孔子とともに
 文武廟に祭祀された
  ↓↑
 呂尚が
 文王に仕えた経緯
 文王は猟に出る前に占いをした
 獣ではなく人材を得ると出た
 狩猟で
 渭水で釣りをしていた呂尚に出会い
 文王は
 「吾が太公が待ち望んでいた人物である」
 と
 呂尚は文王に軍師として迎えられ
 太公望と号した
 陝西省
 宝鶏に
 太公望が釣りをしたという
 釣魚台がある・・・釣魚台・・・尖閣列島
  イチャモン中国、釣魚群島・・・場所が異なる違う
 呂尚は殷に仕えていたが
 帝辛の悪行に反発して殷を出奔
 諸侯を遍歴した後
 文王に仕えた
 呂尚は東方の海浜に隠棲
 周の臣下で旧知の仲である
 散宜生
 閎夭
 の誘いで
 羑里で拘禁されていた
 文王に会おうとした
 呂尚は
 帝辛に
 美女と財宝を贈ることを提案し
 文王を釈放させた後
 周に仕官
 兵法書
 『六韜』は呂尚の著書・・・とされたが
 『六韜』は後代の人間による著作で
 書かれた時期は
 戦国末期以降・・・・?
 『三略』の著者・・・?
 後秦の
 王嘉が編集した
 『拾遺記』に
 呂尚が斉に封ぜられた時に
 昔別れた妻が
 よりを戻そうと来たが
 これを拒んだ・・・・体力の問題?
 (覆水盆に返らず)
 明代の学者
 謝詔の
 「風月夢・第十回」に
 「姜太公釣魚願者上鉤」という句がある・・・?
 「封神演義」
 明代の娯楽小説で
 「姜子牙」と称し
 殷周革命を指揮する
 周の軍師
 崑崙山の闡教の道士として登場
 澎湖県
 馬公市に・・・馬の公も市・・・
 呂尚は
 封神の儀式を行った後に
 自分が封ぜられる地位が無くなったため
 石敢當という・・・石(いし)を敢(あえて)當(あてる)?
 魔除けの神様に変化した・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・「石(いし)を敢(あえて)當(あてる)」・・・「馬与懸」・・・
 「殺生石=九尾狐」の変りはて・・・?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義の理・切の利・錐の利・桐の里・姫の理・鬼の里

2017-09-14 00:22:42 | 古事記字源

 ・・・「義理と人情」の「義」の「理」も、「人」の「情」も・・・なんだか、エゴなボクには「理解困難」な「カンジ」ではあるカナ・・・それに「義=羊+我(手+戈)」と、「羲=羊+禾+丂+戈」は異なる漢字だが、今現在、眼が悪くなってしまったボクには同じ漢字に視えてしまう・・・音を聴いたら「義=ギ=魏・疑・戯・伎・祁・祇・偽・欺・宜・着・妓・嬀(女+為=わるがしこい・name of a river in Shanxi(山西省=サンセイショウ=纂所為章?),=crafty)」・・・
 「陳国の息嬀(ソクギ・息姫)=春秋時代、大国の楚に隣接する小国の「息国」の君主は、陳国から息嬀を夫人として迎えたが、その花嫁が輿入れの途中、蔡国で足止めされ無礼を受けた・・・美貌の彼女は楚の文王の夫人となった?」・・・理由・・・「擬音」の「祗園」・・・「義の理」・・・
ーーーーー
 「息侯」は、
 盟主である
 「楚の文王」に策謀で
 「我を伐て。
  我、救いを蔡に求めて、之を伐たんか」と。
 (楚が我が国を攻めてくれれば、
  我は
  蔡に助けを求め
  楚は、改めて蔡を伐っことができる)
 魯の荘公十九年(前684年)九月
  文王は
  蔡を討ち
  「辛の戦い」
  でこれを破り
  蔡侯を捕虜にした
  蔡侯はその後
  帰国を許され
  蔡侯は
  息嬀への想いは止まらず
  魯の荘公十四年
  息侯を怨み
  文王に
  息嬀の美貌を語った
  文王は堪らず
  今度は息国を攻略し
  息君を殺し
  息嬀を奪った。

  文王は
  息嬀に愛情を注いだが
  彼女は笑わず
  喋らずになったが
  文王を拒むわけではなく、
  決して
  恨み言
  泣き言
  も言わず、
  只々
  沈黙した
  そして
  数年後
  堵敖(トゴウ・荘敖)
  と
  頵(イン)
  という二人の子を
  文王との間に産んだ
  ある日
  文王は
  息嬀に問うた
  「なぜ話さないのか」と。
  息嬀は口を開き、
  「私の一人の女の身で
   二人の夫に仕えました。
   譬え死ぬことが出来なくても
   どうして口が利けましょう」
  と言って、再び口を閉ざしてしまった。
   ↓↑
   息嬀は前夫(息君)との
   「義」を重んじた・・・?
   文王は
   息嬀の沈黙の真相は
   蔡侯こそに
   因縁があると
   この年
   蔡に攻め込んで滅ぼした
   時の君子、曰く、
   「商書に謂う、
    悪の蔓延る様は
    火の原を焼くが如し、
    面を向くべからず。
    ましてや打ち消さむは難し
    とは、
    蔡の哀侯のようなものだ」
   と。
   「春秋左氏伝
    荘公十年、十四年、二十八年」
   楚の文王は
   前677年・・・紀の元の前の「六七七・陸百漆拾漆」
   に没し
   息嬀の産んだ
   「荘敖=艹+丬+十+一+土+方+攵=ソウゴウ
      =堵敖(十+一+者+土+方+攵)=トゴウ」
          攵=攻撃・叩き・強制を示す?
          攵=「ノ一(かみさし)」+「乂」
   が即位(在位は前674~672)
   荘敖 若死の後は
   「頵(君+頁・イン)」が即位・・・訓のページ
   諡号
   成王(在位は前671~626)
ーー↓↑ーー
 「義=羊+我(手+戈)」は
    羊のような我・羊(の肉)を
    手に持った
    戈(包丁・小刀)で
    捌(さば)く」・・・
 「羲=羊+禾+丂+戈」は
    羊の角のような禾(のぎ)の
    丂(曲がった穂)を
    戈(包丁・小刀)で
    刈り取る」・・・
 「丂=さまたげられる・妨(さまた)げる」
 「气(気体・瓦斯・湯気・息)の
  舒(の)び、出でんと欲し、
  𠃑上、
  一に礙(さまた)げらるるなり(説文解字)」
 「气=雲气なり・象形は一に曰く息なり・気(氣)の初文
    甲骨文の字形は乞
    金文では希求の意味
    古代、雲気を見て吉凶を卜う
    望という儀礼があり
    卜辞に見られる
    求めるなり(玉篇)」
 で、例の如く、以前に何回も書き込んだものだが、再三度、インターネットで「義」を検索し、添付・・・
ーーーーー
 義=𦍌+我
   人としてふみ行うべき道
   利欲を捨て、道理にしたがって行動すること
   「義人・信義」
   わけ・義解・字義
   血縁のない者が結ぶ親族関係・義父
   実物の代わりになる物・義歯
   異義(イギ)・意義(イギ)・奥義(オウギ・オクギ)
   恩義(オンギ)・疑義(ギギ)
   教義(キョウギ)・講義(コウギ)
   字義(ジギ)
   主義(シュギ)・信義(シンギ)・仁義(ジンギ)
   正義(セイギ)・大義(タイギ)・忠義(チュウギ)
   定義(テイギ)
   道義(ドウギ)・徳義(トクギ)
   不義(フギ)
   本義(ホンギ)・名義(メイギ)・類義(ルイギ)
   義捐金・義援金
   義挙
   義俠・義兄弟・義士
   義肢・義歯
   義絶
   義賊・義太夫
   義憤・義民(ギミン)
   義務・義勇・義理・義烈
   義を見て為(せ)ざるは勇無きなり
   義(よ)い
  ↓↑ 
 同じ部首・・・義・羲・羌・群・羔・羹
        羞・羨・羶・着・羝・美
        羊・羸・羚
  ↓↑
 義=羊+我
  =羊+手+戈
  =羊+豕・・・
  =羊+弗
  ↓↑
 羲=羊+禾+丂+戈・・・・「丂=万」?「丂=方」
      丂=一+㇉
       「字統・初版」では
       「曲刀」
       小刀(ナイフ)
       声符「丂(コウ)」=号・考・朽・巧・㱙・攷
       かんがえる=考
       たくみ・たくみなさま=巧
       亏=一+丂=ああ・感嘆をあらわすことば
         ウ・ク・ゆく・いく
         「ここに」と読み、語調を整える意を表わす
         「~に」「~を」「~より」と読み
         場所や動作の対象、比較などを表す
         訓読では読まずに送りがなをつける
         于・亐・・・亍(たたずむ・チョク)
         迂回・汚れる・汚濁
  ↓↑
  「羲和(ギカ・ギワ)」
   義和団=当初は義和団を称する秘密結社の
       排外運動
       1900年(光緒二十六年)
       西太后がこの叛乱を支持し
       清国が6月21日に欧米列国に
       宣戦布告
       宣戦布告後2か月、
       欧米列強国軍は首都北京及び紫禁城を制圧
       清朝は莫大な賠償金を支払った
  「王羲之(オウギシ)」
  「伏羲(フッキ)」
  ↓↑
 女媧(ジョカ)
 古代中国神話に登場する人類を創造した女神
 三皇の一人
 姓は風
 伏羲
 とは兄妹、夫婦
 女媧=中国古代神話上の女神
    人首蛇体
    伏羲(フッキ)と夫婦、兄妹
    人類の創造主
    三皇の一人
    泥をこねて人間をつくり
    天が崩れそうになったとき
    5色の石を練って天を補修した
  ↓↑ 
 義和(ギワ)は、元号
 義和 (北涼)(431年~433年)・五胡十六国時代の北涼
 義和 (高昌)(614年~619年)
  ↓↑
 中国神話の羲和
 羲和(ぎわ)
 中国古代の地理書『山海経』に記載のある太陽の母神
 炎帝に属し東夷人(日本人)の先祖にあたる帝箞の妻
 羲和が天照大御神を指している・・・
 東海の海の外、
 甘水のほとりに・・・甘水=あまみず=「海部(贏)」みず
              阿毎王朝?
 羲和の国
 そこに生える
 世界樹・扶桑(扶桑はかつて日本にあったとされる巨木)
 の下に住む
 女神である羲和は、
 子である
 「十の太陽たち」を世話し
 天を巡ってきた
 太陽を湯谷で洗って
 扶桑の枝にかけて干し
 輝きを蘇らせた・・・
 子孫に
 中国五帝の一人の
 東夷人の領主
 少昊・・・
 羲和から生まれた十日の子孫
 「日氏」や「湯姓」があり
 羲和の和に因む
 「和氏」は天地四時の官になった(『通志』)
  ↓↑
 「ぎか」とも
 中国,古代の伝説上の人物で
 太陽の御者とか太陽を生んだ母といわれる
 のちに
 東南西北のそれぞれの地の
 天文に関する任務を担当する
 羲仲 (ぎちゅう)
 羲叔 (ぎしゅく)
 和仲
 和叔
 の4人兄弟の総称・・・
  ↓↑
 中国古代神話の中の太陽神
 「山海経(センガイキョウ)・大荒南経」によれば
 東南海のかなたに
 羲和の国があり
 そこでは
 羲和という女性が
 生まれたばかりの
 太陽に
 産湯(うぶゆ)を使わせている
 羲和は
 帝俊の妻で
 十個の太陽を産んだのだ
 天には
 十個の太陽があり
 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
 の
 十干の日付けに従い
 毎日1個ずつ太陽が昇り
 10日で一巡
 その太陽を産んだのが
 羲和で
 「山海経」の註釈者
 郭璞(カクハク)によれば
 羲和は天地創造のはじめから存在し
 日月をつかさどってきた・・・
  ↓↑
 『山海経(センガイキョウ)』
 中国東南の海にある
 羲和の国に住むという
 女神羲和
 女神は
 俊帝(シュンテイ)と結婚し
 十個の太陽を生み
 毎朝子供であるそれらの太陽を
 甘淵(カンエン)という
 みぎわ(水際・渚・汀・瀕)で
 水浴させる
 「太陽の母」である・・・
  ↓↑
 中国神話ぼ太陽神
 「山海経」に
 帝俊の妻
 羲和(ギカ)は
 十日を生み
 常羲(ジョウギ)
 嫦娥(ジョウガ)
 は十二月を生んだ
 その妻
 娥皇(ガコウ)は
 三身の国を生んだが
 姚(ヨウ)姓で
 四鳥
 を使者とした
  ↓↑
 中国の「淮南子(エナンジ)・天文訓」によると
 羲和(ギカ)という女が
 六頭の駿馬のひく馬車を御し
 この馬車に太陽を乗せて天空を運行する・・・
  ↓↑
 ギカ=羲和
 中国古代伝説上の人物、
 羲氏
 と
 和氏
 ともに尭帝の下で
 暦象をつかさどる官
 太陽の馬車の御者=転じて、日月をいう
  ↓↑
 「羲」
 伏羲
 中国神話中人類的始祖
 和、女祸
 神农
 并称太古的三皇
 简称
 羲
 如
 羲皇
 羲炎(伏羲和炎帝・炎帝即神农)
 羲轩(伏羲和轩辕)
 羲黄(伏羲和黄帝)
 羲经(即、易经、传说《易经》八卦为伏羲所作)
 羲文(伏羲和文王)
  ↓↑
 羲和(ギカ)=人物の名・日月を表す
  ↓↑
 羊
 シンメトリー(左右対称形)な字形状
 美しいもの
 美=羊+大
   うつくしい=大きなヒツジ=「羊」+「大(一人)」
ーーーーー
 義(よろしい・ギ)
 ↓↑
 儒教
 五常の一
 人として守るべき正しい道
 道義
 「仁・義・礼・智・信」
 道理・条理
 「読書百遍義、自(おのずか)ら見(あらわ)る」
 教え・教義
 血縁上のものでない義理の関係
 義を結ぶ
  ↓↑
 人のふみ行うべき正しい筋道
 義務・義理・恩義・信義・仁義
 正義
 大義・忠義・道義・徳義・不義
 私欲を捨て公共のためにすること
 義塾・義倉・義捐金(ぎえんきん)
 意味・主旨
 意義・奥義・疑義・教義・原義・語義
 広義・講義・字義・多義・定義・本義
 名義
 血縁でなく約束でつながった関係
 義姉・義父・義兄弟
 実物のかわり・仮の
 義眼・義歯・義足・義手・義肢
 名のり
 あき・いさ・しげ・たけ・ただし・ちか
 つとむ・とも・のり・みち・よし・より
  ↓↑
 「ただしい」
 「筋目だった」
 意を持つ会意形声文字
  ↓↑
 儀: 筋目だった人の行為
 羲:
 犠: 正しく分けられた家畜。
 議: 正しい言説
  ↓↑
 意義
 ただしい。心や行状が良い。
 正義、義理(日漢異義)
 類義字:宜、誼
 対義字:奸(よこしま。心や行状が悪い)
 儒教における、「仁」と並ぶ徳目。
 言葉に含まれる意味。
 意義、類義語
 本来のものではないが、
 社会的約束によりそのようになったもの。
 義兄
 本来のものではないが、仮にそのようになったもの。
 義歯、義肢
  ↓↑
 義=ただしい・よい・よし・ギ
  ↓↑
 儒教の徳目のひとつ
 孔子が重視した
 「仁」に次ぐもの
 孟子により強調
 仁が社会一般における
 普遍的な道徳観
 義は個別具体的な行為に対して
 正しく報むくいること
 恩義、恩に対し正しく報いること、義務等)
 を重視
  ↓↑
 キリスト教の概念
 「罪」に対立する概念
 ギリシア語
 ディカイオシュネー(Δικαιοσυνη)
 ラテン語ユスティティア(justitia(iustitia)
 の訳・・・
  ↓↑
 幸福なるかな、
 義に飢ゑ渇く者。
 その人は飽くことを得ん。(マタイによる福音書)
 ↓↑
 義捐
 義侠
 義訓
 義憤
 義務
 義理
 ↓↑
 人のふみ行うべき正しい筋道
 「義務・義理・恩義・信義・仁義
  正義・大義・忠義・道義・徳義
  不義」
  ↓↑
 私欲を捨て公共のためにすること
 「義塾・義倉・義捐金」
  ↓↑
 意味・主旨
 「意義・奥義・疑義・教義・原義・語義
  広義・講義・字義・多義・定義・本義
  名義」
  ↓↑
 血縁でなく約束でつながった関係
 「義姉・義父・義兄弟」
  ↓↑
 実物のかわり・仮の
 「義眼・義歯・義足」
  ↓↑
 義理
 羊と我
  ↓↑
 「良い・よろしい・正しい」
 「のり(法律、規範・手本・おきて=掟
     決まり・法則・制度)」
 「人の行うべき正しい道(順序)」
 「人として守り行うべき道(順序)を常に意識し
  行動する事」
 「わけ(理由)」
 「意味(中身、内容)」
 「仮(かり)」
 「実物の代わり」
 「本物でないのに、
  同じようにみなすもの」
 「文体の一種
  物事の正しい
  順序に基づいて
  説明するもの」
  ↓↑
 象形から、羊を生贄(いけにえ)として
 刃物で殺す事を意味し、
 厳粛な、真剣な
 「作法」、「ふるまい」
 を意味
  ↓↑
 「羊・𦍌
  ⺶(ひつじ・ひつじへん(羊偏)」
 「羊・𦍌・⺶」
  ↓↑
 正しい・よろしい・道理にかなっている
 道・人の行うべき正しい道
 人道のために尽くすこと
 意味・わけ(理由)
 実物の代わり・仮
 道理に基づいて説明するもの
 由来
  ↓↑
  義の理
 「羊」+「我=手+戈」
      戈(ほこ・カ)=刃物
 「羊を小刀で捌き、生け贄とし神に捧げる」の形象
  仕方
  義理人情の義
 「仁・義・礼・智・信」
  ↓↑
 義(ギ)
 人間の行動・志操・道徳で
 「よい・ただしい」
 とされる概念
 義人
 堅く正義を守る人
 我が身の利害をかえりみず
 他人のために尽くす人
 対義語は
 行動・志操・道徳が
 「わるい・よこしま」
 を意味する概念は
 「奸(カン)」
 「義」
 本来
 「外から来て固有ではないもの」
 という意
 「義手・義足・義父母・義兄弟」など
 後には血縁関係にない
 仲間同士を結び付ける
 倫理を意味するようになった
 後漢末期には
 「他者と共同で行う第三者のための事業」
 という意味にもなり
 義舎・義学・義田
 などの
 無償の施設などを指す言葉として使用
ーーーーー
 義務
 人がそれぞれの立場に応じて
 当然しなければならない務め
 義務を果たす⇔権利
 倫理学で
 人が道徳上、普遍的・必然的になすべきこと
 法律によって人に課せられる拘束
 法的義務はつねに権利に対応して存在
 「納税の義務」で・・・生きる権利を得る・・・?
 倫理学的に
 絶対的に必然性と普遍性をもった
 法則
 規範
 の存在が前提とされ
 それの人間への
 命令、強制が義務である・・・
 義務の根拠
 理性、道徳・倫理、宗教、
 法制度(法令・契約など)、慣習など
 義務に反した場合に
 制裁がある
 制裁には
 内面的・物理的・社会的
 なものがある・・・
ーーーーー
 儒教の義
 五常(仁・義・礼・智・信)の一
 正しい行いを守ること
 人間の
 欲望を追求する
 「利」と対立する概念(義利の辨)
 孟子は
 羞悪の心が
 義の端であると説いた
 「羞悪の心」とは
 「わるく・劣り・欠け・ほしいままに振舞う心性」を
 「羞(は)じる心」・・・
ーーーーー
 仏教の義
 中国における義の観念と結びついた
 事業を指す語として用いられた
 後漢末期から南北朝時代
 多くの人々が故郷を離れて流浪し
 それまでの
 血縁・地縁による結合が解体
 仏教の中国伝来で
 大乗仏教が持つ
 利他思想と他者と
 「結びつく・救済する」という
 中国の義の観念が融合し
 同じ仏教徒の間で
 血縁や地縁を越えて共同し
 造寺・造仏・慈善事業が行われた
 こうした集団を
 「法義」や「邑義」と称し
 朝鮮半島や日本では
 「知識」と称された
ーーーーー
 キリスト教の義
 ギリシア語でΔικαιοσυνη
       dikaiosynee ディカイオシュネー
 罪の対立概念
 これは他者に対して
 義(ただ)しい、誠実な、偽りのない態度で臨むこと
 またそのような態度が可能である
 魂の状態をいう
 義しい人を義人
  ↓↑
 福音書
 パウロ書簡の主題
 神によって「義とされる」
 義とする(ディカイオオー)
 真に義であるのは神のみで
 「義人はいない」が
 人間は神を信じることにおいて
 義さに近づくことができる
 信じないことは不義と同義
 「ヤコブの手紙」
 義しさは
 神への信仰を表明することのみならず
 他の人間に対する行為において現れる
  ↓↑
 ルター
 人が行動において義とされること
 (行為義認)を否定し
 信仰によってのみ
 人が義とされる
 (信仰義認)と考え
 それまでのキリスト教で行われていた
 苦行、断食などを否定

 諱(いみな)の「義」
 「義の字」を受けようとする者は
 室町幕府に
 500貫以上の献金を要し
 諱の下の文字は
 300貫とされた・・・
ーーーーー
 義民(ギミン)
 飢饉などで人々が困窮しているときに
 一揆の首謀者などとなって
 私財や生命を賭して活躍した
 百姓
 転じて幕末の
 尊皇攘夷運動において
 私財を賭して国のために奔走した
 町民・商人なども呼ばれる・・・
  ↓↑
 義人
 江戸時代初期を中心に
 各地の郷土史には
 義民伝説が残る・・・
  ↓↑
 伊東 長実(いとう ながざね)
 戦国時代から江戸時代前期にかけての
 武将、大名(外様大名)
 備中国
 岡田藩初代藩主
 永禄三年(1560年)
 尾張国
 岩倉の国人
 伊東長久の長男として生まれ
 日向国
 飫肥藩の
 伊東氏と遠祖を同じ
 天正元年(1573年)
 小谷城攻めから
 織田氏に仕え
 羽柴秀吉配下につけられ
 大母衣衆に抜擢され
 別所氏攻めで功績を残し
 織田信長より脇差を与えられた
 その後も
 秀吉配下として各地を転戦
 黄母衣衆24人の一人に列せられた
 天正十八年(1590年)
 小田原征伐に従軍
 山中城攻めの際には一番乗り
 天正十九年(1591年)
 備中川辺
 1万300石を与えられ大名
 文禄・慶長の役
 肥前国
 名護屋に駐屯
 慶長五年(1600年)六月十六日
 会津征伐に向かうため
 下野国小山にいた
 徳川家康にいち早く
 石田三成の挙兵を知らせた
 大坂の陣では豊臣方として入城
 大坂七手組頭の一人として
 家康に敵対したが
 青木一重と共に
 大名として存続することを許された
 殆どの豊臣方の大名が領地を取り上げられる中
 この処置は異例であり、
 密偵的な活動を行っていた・・・?
 晩年に剃髪し
 宗徳と号
 寛永六年(1629年)二月十七日
 死去・享年七十
 家督は次男
 伊東長昌が継いだ。
  ↓↑
 岡田藩
 備中国
 下道郡
 岡田(岡山県倉敷市真備町岡田)
 岡田陣屋に藩庁を置いた
 江戸時代初期から廃藩置県まで
 伊東氏
 一貫して10代にわたり藩主
 石高は1万石余
 陣屋は幾度かの移転を経て
 元禄年間には
 西国街道
 川辺宿(倉敷市真備町川辺)
 に陣屋を置き
 川辺藩とも呼ばれる
  ↓↑
 新本義民騒動(しんぽんぎみんそうどう)
 備中国下道郡(総社市)の
 農民一揆
 民衆騒動
 この事件で犠牲となった
 4人の村民を
 新本義民四人衆
 と呼ぶ
  ↓↑ 
 慶長二十年七月(1615年)
 岡田藩
 初代藩主
 伊東長実
 が藩領の
 備中国十か村にある村民の
 共有林である
 入会山を順次取り上げ
 藩有林としていった
 岡田藩領であった
 下道郡新庄村・本庄村(総社市新本地区)
 1661年(万治四年・寛文元年)頃
 より
 入会山の藩有化が行われ
 藩側は山を造林し
 「留山」として村民の入山を禁じた
  ↓↑
 1716年(正徳六年・享保元年)頃
 残されていた共有山であった
 新庄村の大平山
 本庄村の春山の大部分を取り上げ
 造林を伐採し、割り木・用材とし、
 それを藩庁のある
 岡田村(倉敷市真備町岡田)まで
 運搬することを
 村民に命じ
 村民に支払われる運賃は
 1駄(約42貫)4分5厘という低い額であった
  ↓↑
 低賃金
 重労働
 農作業
 その他生活の時間が奪われ
 生活に支障を来す事態となり
 新庄・本庄両村民(203人)は会合を開き
 留山とされた山の返還と割り木・用材運搬の中止を
 嘆願
 それらを主な内容とした
 三箇条の嘆願書を作成し
 享保二年(1717年)
 藩側へ提出したが藩と村民の意見は対立
  ↓↑
 川辺村の
 蔵鏡寺住職など識者が仲裁を行い
 数度にわたる藩側と村民側との話し合いが行われ
 結果、一部の山を開放し、下草を取ることが許可
 同年三月十五日
 村民側は会合を開き
 開放に制限があることに不満があるも譲歩し
 村民は全留山の開放を求めることを誓い
 神文誓書を作り、
 鎌で切った指の血で署名し
 本庄村にある稲荷山の大岩の下に埋めた・・・
 四月十四日
 住職等の協力の下
 藩と村民の間に正式に調停が成立
 享保三年(1718年)
 藩側が開放許可された山において
 許可していない
 木々の伐採行為が行われていることを疑い、取り締まりを強化
 十二月三十日
 盗伐発覚
 藩は盗伐調査を行い、盗伐者の出頭を命令
 藩と両村民は激しく対立
 庄屋が投獄
 村民は江戸の屋敷にいる藩主
 伊東長救に直訴を決め
 松森六蔵(まつもり ろくぞう)
 荒木甚右衛門(あらき じんえもん)
 森脇喜惣治(もりわき きそうじ)
 川村仁右衛門(かわむら にえもん)
 の4人を村民代表として選出
 要求書を持たせ
 二月十三日
 江戸の藩主の元へと派遣
 数日後、4人は無事江戸へと到着し
 藩主への要求書提出を成功
 嘆願要求は
 ほぼ内容通り実現
 それと引き替えに
 4人の村民代表は反上の罪により処刑
 その家族は国外追放
 財産没収
 家屋取り壊しとなった
 享保三年六月七日(1718年7月4日)
 新本川の飯田屋河原で
 村民の目前で4人は打ち首
 六蔵77、甚右衛門44、喜惣治36、仁右衛門44
 罪に問われた者は多く、60名弱に及んだ・・・
  ↓↑
 村民は四人を
 義民と呼び
 それぞれの出身地
 仁右衛門は本庄村稲井田集落
 他の3人は
 新庄村小砂集落内(西明寺)
 に墓を建てた
  ↓↑
 慶長二十年(1615年)七月
 岡田藩が領内の共有林・入会山を藩有(留山)化
 万治四年/寛文元年(1661年)頃
 新庄・本庄両村内の入会山の留山化
 正徳六年/享保元年(1716年)頃
 新庄・本庄両村の大部分の入会山が留山
 留山を伐採して用木とし
 岡田村まで運搬する賦役が始まる
 享保二年(1717年)一月
 会合で三箇条の嘆願書を作成
 藩へ提出
 後日、村民と藩の間で会合
 3月15日 - 神文誓書を稲荷山の巨岩下へ埋める。
 4月14日 - 村民と藩の間で制限付きで留山が
      一部開放する調停が成立する。
 4月24日 - 引き渡された山と留山の境界に杭が打たれる。
 4月25日 - 村民一同で祝いをする。
 9月15日 - 藩が留山の取り締まりを強化。
 12月30日 - 村民が藩の指示を守らず、相当数の立ち木を伐採。
 享保3年1月15日(1718年2月14日)藩の役人が村の状態を調べる。
 2月8日 - 盗伐の疑いがある村民51人に出頭が命じられる。
 2月9日 - 村民は誰一人として出頭せず。
 2月10日 - 庄屋が投獄される。
 2月12日 - 村民は会合を開き、江戸の藩主への直訴を決める。
 2月13日 - 逃散を装って、代表者4人が江戸へ向かう。
 2月14-17日 - 村民一同が、庄屋の帳面につく。
 2月29日 - 代表4人が江戸へ到着。
 3月4日 - 藩主へ直訴を成功させる。
 3月19日 - 村民15人が投獄される。
 5月29日 - 代表4人が有井村の牢に投獄される。
 6月7日 - 村内の川原にて、代表4人の処刑が実行される。
 6月16日 - 代表4人の親族が国外へ追放される。
  ↓↑
 義民社
 新本義民騒動で犠牲になった
 義民四人衆に深い感謝と哀悼の意を示し
 その霊を手厚く弔うために、
 騒動後に
 新庄・本庄両村民が建立した
 祠・神社
  ↓↑
 義民碑
 総社市新本地区
 薙田
 にある石碑・記念碑
 字は犬養毅
  ↓↑
 起誓岩
 新本の稲荷山にある岩
 享保二年三月十五日(1717年4月26日)
 岡田藩の提示した制限付きの御留山開放を
 新本村民が会合を開き
 不満があるも譲歩しこれを受け入れた際に
 将来の全留山返還を目指すことを決意し
 神文誓書を作成し
 鎌で切った指から流れる血で署名し
 これをこの岩の下に埋めた
  ↓↑
 佐倉惣吾(木内惣五)
  江戸時代初期の下総国佐倉藩領の名主。義民伝説が伝わる
 松木庄左衛門
  小浜藩領承応元年一揆(1652年、若狭国小浜藩)の義民
 杉木茂左衛門
  磔茂左衛門一揆(1681年、上野国沼田藩)の義民
 鈴木三太夫
  相模国海老名郷大谷村(旗本領)の名主。1684年刑死
 多田加助
  貞享騒動(1686年、信濃国松本藩)の指導者
 新本義民四人衆
  新本義民騒動(1717年、備中国岡田藩)の指導者
 鈴木源之丞
  籾摺騒動(1753年、下野国宇都宮藩)の指導者
 清水半平・中沢浅之丞
  宝暦上田騒動(1761年、信濃国上田藩)の指導者
 忍足佐内
  西領騒動(1770年、安房国勝山藩)の義民
 本間辰之助
  天保義民事件(1840年、出羽国庄内藩)の指導者
  前代未聞だった藩主擁護のための直訴を企てる
  ↓↑
 死罪とされたのは直訴の行為そのものが理由ではなく
 村落共同体内部で事前に話し合いを持ったことが
 幕府や藩が禁じる
 「徒党の禁止」に該当したため
  ↓↑
 義民
 飢饉などで人々が困窮しているときに
 一揆の首謀者などとなって
 私財や生命を賭して活躍した百姓のこと
 転じて幕末の尊皇攘夷運動において
 同様に私財を賭して国のために奔走した
 町民・商人などもこう呼ばれる
 義人とも言うが
 江戸時代初期を中心に
 各地の郷土史には
 義民伝説が残っている
  ↓↑ 
 義
 人間の行動・志操・道徳
 「よい・ただしい」とされる概念
 義人
 「堅く正義を守る人・わが身の利害をかえりみず
  他人のために尽くす人」
  ↓↑
 中国北朝
 「邑義・法義」という名称が用いられ
 朝鮮半島や日本では
 「知識」の名称が用いられた
 仏教が伝来した
 魏晋南北朝時代
 戦乱によってそれまでの
 血縁・地縁集団が解体されて
 人々が移住を余儀なくされ
 そうした中で大乗仏教が持つ
 利他思想と他者と結びつく
 救済するという
 中国の義の観念が融合し
 仏教徒の間で
 血縁や地縁を越えて共同して
 造寺・造仏・慈善事業が行われた
 仏教奨励と廃仏政策の間で揺れ動いた
 北魏の
 邑義・法義の願文などには
 皇帝を称賛する文言を入れることで
 仏教徒が国家への忠誠を示す場としても用いられた
 朝鮮半島や日本では
 「知識」の語が用いられ
 現存する仏像の願文に記された文言などから
 6世紀の
 高句麗で
 「知識」という語が生まれて
 百済・新羅・倭国(日本)に伝えられた・・・
  ↓↑
 ユダヤ教,キリスト教においては
 「神の義」の意味で用いられる
 義は普通の倫理的な意味における
 「正義」とは異なり
 唯一神の属性で
 それにのっとることこそ
 人間の義なる正しき生活の規範とされた
  ↓↑
 旧約聖書での神の義
 神ヤハウェの
 動的啓示的行為
 ユダヤ民族はそこに示された神の意志に服従し
 律法を遵守するとき民が救われる
  (イザヤ書 45・8,51・5~7など)
 新約聖書での義
 ユダヤ教の義の延長上にあるが
 パウロにより徹底的に深化され
 律法によらず
 キリストを信じることにより
 恩恵的に与えられるもの (ローマ書4・11,13など)
 この信仰による義においては
 人間の生は
 「義の武器として神にささげ られた(同6・13)」
 信仰によって義とされることを
 義認
 あるいは
 義化(dikaiosis,justificatio)・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トリ」の同音異字漢字・・・訳理・止利・・・

2017-09-11 22:52:41 | 古事記字源

 ・・・2017/09/11・・・「カッシーニ、今日9月11日に土星衝突軌道に突入。ラストコールは9月15日・・・」、「同時多発テロから16年目」、「不妊治療の体外受精件数 過去最多42万件超」、
ーーーーー


2017年 丁酉(庚・ ・辛)
0009月 己酉(庚・ ・辛)
0011日 辛丑(癸・辛・己)辰巳=空亡
   酉-丑-巳=三合会局辛
ーーーーー
 ・・・だから、ナニ?・・・地球の上では人間どもが「縄張り争い」・・・これって、「ヤクザの抗争」と何処が異なるんだか・・・
 昨夜の「ダーウインが来た」では「井の頭公園の水鳥アイドル・カイツブリ」の夫婦が縄張り争いで、子育てしていた場所を奪われてしまったが・・・蛇や異種のカラスや、大きな鳥を追いだしていたのに・・・カイツブリ同種の争いで居場所を追われた・・・
 カイツブリ=鳰(にお)
       鸊鷉(ヘキテイ)
       「鸊=辟+鳥」
          辟=さける・きみ・めす・まねく
            よこしま・かたよる・ひらく
            しりごみする
            つみ
            きみ(君)・天子
            よこしま(邪)
            ヘキ・さける
            罪・重い刑罰
           「大辟」
            避ける
           「辟易」
       「鷉=虒+鳥」
          虒=厂+虎
            シ・チ・つのとら(角虎)
            虎(トラ)に似た
            角のある
            想像上の獣の名
           「委虒(イシ)」に用いられる漢字
            「虒」は虎皮を
            剝 (は)ぎ取る意
       琵琶湖=鳰海(にほのうみ)
       鳰(にお)は
       「息長川=天野川(あまのがわ)」の
       枕詞で、
       「息長(おきなが
        ↓↑ いきなが?)川=あまのがわ」
           神功皇后=神功元年から
           ↓↑   神功69年4月17日
                まで政事を執る
                仲哀天皇の皇后
                父は
                開化天皇玄孫の
                息長宿禰王
                母は
                天日矛(あめのひぼこ)裔の
                葛城高顙媛
                天日矛(あめのひぼこ)は
                古代朝鮮からの渡来人
               「天日槍(日本書紀)
                天之日矛(古事記)
                天之日桙
                海檜槍」
               「新羅の王子」
            ↓↑  ↓↑
            応神天皇の母
        ↓↑      ↓↑
                気 長 足  姫  尊
               (おきながたらしひめのみこと)
                息 長 帯  比売 命
               (おきながたらしひめのみこと)
                大 帯  比売 命
               (おおたらしひめのみこと)
        ↓↑      大 足  姫  命
       は
       滋賀県の琵琶湖に注ぐ
       一級河川の一
       大阪市平野区
       喜連(きれ)町に
       古墳時代(2~3世紀)
       古代豪族の
       「息長(おきなが)」氏が居住
       奈良時代
       この地に居住していた
       「馬史国人(うまのふひとくにひと)」
       が
       大伴家持を招き
       歌宴を開いた時に
       「馬国人」が詠んだ歌に
       息長川が詠み込まれている・・・

       「鳰(にお)」は国字
      =足は歩くためではなく
       櫂の役割のためにある
       足が生えている位置も
       他の水鳥とは違い
       尻付近にある
       カエルの後ろ脚のように使って泳ぐ
       潜水して獲物を捕食
       鳴き声
       キリッ、キリッ、キリリリ・・・?
       と鳴き、繁殖期には雌雄が鳴き交わす
       「カイツブリ」は
       「カイ」は水を
       「掻(カキ)ツ」
       「ツブリ」は
       「潜(ムグ)リ」の転から
       「水を掻いて潜る(掻きつ潜りつ)」
       が転じたか、
       「カイ」は、たちまちの意で
       潜る時の水音が
       「ツブリ」に転じた・・・?
       瓢箪のような体の形などから
       「櫂(かひ)と瓢(つぶる)」との説?
       繰り返し頭から潜る
       「掻き頭潜(つぶ)り」などの説?
       「かいつぶり」の和名は室町時代以降
       古名の「ニオ(にほ)」
       水に入る鳥が転じたのが由来?
       奈良時代には
       「にほどり」、「みほとり」と称されていた
ーーーーー
 ・・・「似保トリ」、「視補録り」・・・トリ・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太陽フレア・2011年7月7日

2017-09-08 18:14:50 | 古事記字源

 太陽フレア・2011年7月7日

ーーーーー
 太陽フレア・2011年7月7日
 米航空宇宙局(NASA)・9月7日
 太陽の表面の「太陽フレア」を
 日本時間6日午後8時ごろ
 2回観測したと発表
 フレアは通常の1000倍以上
 11年ぶりの規模・・・・・・十一年・壱拾壱ネン
 ↓↑
 通常の1000倍規模の
 太陽フレアの発生
 コロナガスが
 8日15時~24時に地球に到達
 数日間~1週間に渡って
 通信やGPSなどに影響が出る・・・
 ↓↑
 太陽表面の爆発現象「フレア」
 6日午後9時ごろ発生
 2006年12月以来の大きさ
 米気象衛星は
 通常より1000倍以上強い
 エックス線を観測
 ↓↑
 6日18時(世界時6日9時)
 太陽の南西の2673黒点群で
 X2.2の大規模フレアが発生
ーーーーー
 ↓↑
 「彪尾=豹尾神(ヒョウビジン)
     陰陽道における
     方位神(八将神)の一
     暦本によっては
    「へうび(ひょうび)」とも
 本地は三宝荒神
 豹尾神は、
 天宮神という女神を伴う
 豹尾神=計都星の精・・・気性が激しい
  ↓↑
 豹尾神の位置(位地)
 子・辰・申→戌
 丑・巳・酉→未・・・2017年・ 09月・ 07日
           丁酉年・戊申月・丁酉日・・・未=南西
 寅・午・戌→辰・・・2017年・ 09月・ 08日
           丁酉年・戊申月・戊戌日・・・辰=南東
 卯・未・亥→丑
  ↓↑
 「炎の計都星=豹尾
  暦注の八将神の一
  計都星 (ケイトセイ) の精」
  ↓↑
 「太歳神(たいさいじん)
  大将軍(だいしょうぐん)
  大陰神(だいおんじん)
  歳刑神(さいぎょ うしん)
  歳破神(さいはしん)
  歳殺神(さいせつしん)
  黄幡神(おうばんしん)
  豹尾神(ひょうびしん)
  金 神(こんじん)・・・巡金神・大金神・姫金神」
  ↓↑
 「神道と習合して
  素戔鳴尊ともなり、・・・素の戔の鳴を見る事
  仏教と習合して
  牛頭天王」・・・・・・・語亠(音)点(典)応
 「大将軍八神社が
  素戔嗚尊を祭祀とする」
 ・・・「太歳神
     大将軍
     太陰神
     歳刑神
     歳破神
     歳殺神
     黄幡神
     豹尾神」
 は明治の神仏分離令の際、
 「牛頭天王と習合していた
  スサノオと天照大神との
  誓約(うけい)で
  化生した五男三女神に変えられた」・・・
ーーーーー
  ↓↑
 「太陽フレア(Solar flare)
 太陽の爆発現象=太陽面爆発
 太陽系で最大の爆発現象
 多数の波長域の電磁波の増加によって観測」
  ↓↑
 「コロナ=太陽表面の爆発で
      高温のプラズマが
      磁力線に沿って 降り注ぐように見える
      「コロナの雨」
  ↓↑
 「黄幡神(オウハンジン・オウバンシン)
  九曜の1つで
  羅睺(ラゴウ)
  集落の境や村の中心、
  村内と村外の境界や道の辻、
  三叉路などに
  石碑の形態で祀られる
  現在は道祖神の様に村の守り神
  元々は
  インドの神=ラーフ (Rāhu)」
  インド神話に登場する
  4本の腕
  1本の尾
  をもつ
  アスラ(阿修羅)=「捕らえる者」の意味
  ラーフは、
  インド天文学上の
  ナヴァ・グラハ
  という9つの惑星(九曜)の1つの
  「羅睺(ラゴウ)」
  ↓↑
 文字黄幡神
 碑石に
 羅睺(黄幡)に関する
 漢字や梵語が刻まれた黄幡神
  ↓↑
 蛇頭黄幡神
 不動明王の様に憤怒、
 頭には原型である
 ラーフを表す
 九頭の蛇が刻まれた黄幡神
  ↓↑
 日月黄幡神
 羅睺(黄幡神)の左右、上下に
 太陽と月を表す文字や絵が刻まれた黄幡神
 習合したスサノオの性質を継承
  ↓↑
 日食(月食)黄幡神
 羅睺(黄幡神)に
 日食、月食を表す
 黒円(円の一部が黒い場合もあり)が刻まれた黄幡神。
 日食・月食を引き起こす
 羅睺星の性質を表したもの
  ↓↑
 蛇形黄幡神
 羅睺(黄幡神)の姿が
 完全に蛇と化している黄幡神
 ラーフを表したものとも、
 半身である
 ケートゥを表したもの
  ↓↑
 「蛇形黄幡神=Jakei Ohanjin」
  コーパス・蛇を神とあがめたもの
  the worship of snakes」
 不動明王の様に憤怒を表しており、
 頭にラーフを表す
 九頭の蛇が刻まれた黄幡神
 「黄韮(キニラ)」
  (Alliumtuberosum)
  Chinese leek
  羅睺(黄幡神)の姿が
  完全にヘビと化している黄幡神。
  express anger
  不動明王の様に憤怒、
  頭にはラーフを表す九頭の蛇が刻まれた黄幡神
  オウバン=大判・黄幡・大幡・大番・大伴・小番
  ↓↑
 黄幡
 葬儀のときに用いる黄色の旗
 暦注の八将神の一
 軍陣の守護神
 弓始めに、この神のいる方角に射れば吉
 門を建てたり土を掘ったりするは凶
  ↓↑
 「豹尾神(ヒョウビシン)
  豹尾神=計都星の精で、黄幡神の反対側に位置」
  ↓↑
 「七曜・九曜の尊名
  星曼荼羅に配される方位
 羅ゴ星(黄幡星・蝕神頭・太陽首)→東南
 計都星(彗星・豹尾星・蝕神尾・月勃力)→西南
 胎蔵曼荼羅で
 最外院の四方にそれぞれ配す
 東方(上) → 日曜・計都星
 南方(向かって右)→羅ゴ星・木曜・火曜
 西方(下)→土曜・月曜
 北方(向かって左)→金曜」
ーーーーー
 太陽に対する相対速度
 太陽系での地球の公転平均速度
 秒速約29.8km
 時速約10万7280km
  ↓↑
 銀河系内では太陽系は
 秒速217km
 時速781,200km=マッハ638
  ↓↑
 太陽系は、
 時速約864,000km(秒速約240km)
 で
 天の川銀河(Milky Way)の中を移動
  ↓↑
 宇宙を移動する太陽系は
 時速約86万4千km(416JKI11) 
  ↓↑
 太陽の移動速度
 秒速217km、220km、230km、232kmなど諸説・・・
  ↓↑
 銀河系は
 時速約2,160,000km(秒速約600km)
 で
 宇宙空間を移動
 全宇宙の中心点のような
 天の川銀河の運動の基準となるような
 特別な慣性系は存在しない・・・?
 この値は
 毎秒約
 130km~1,000km
 の諸説がある・・・
 毎秒約600kmで運動しているとすると、
 地球人は
 1日に
 5,184万kmほど移動
 1年間に
 189億km以上移動・・・
  ↓↑
 天の川銀河や他の銀河も、
 宇宙全体が加速度的に膨張しているなら
 時速約3,600.000kmで移動・・・
ーーーーー
 ・・・女王「モモちゃん」の怒り・・・猪狩・伊刈・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「不倫は文化」で、「憲法違反」ではないらしい・・・

2017-09-08 00:11:19 | 古事記字源

 ・・・「不倫は文化」って?・・・前回は「ジミン党」、今回は「ミンシン党」を「離党=リトウ=理訳得・理問」?だった女性国会議員の「日本死ね」と「W不倫」の「思想」はどのように関連するんだか?・・・「不倫」は「日本国憲法違反」、「法律違反」なのか?・・・「男女平等」は「不倫」での「平等な女性の社会進出」と云うコトか・・・「結婚」と云う社会的な法的契約って「戸籍の記録上の契約書の問題」なんだか、「家族形成での権利と義務の問題」なんだか、「遺産相続のルールの問題」なんだか、「夫婦平等の問題」なんだか・・・単なる「男女の愛人関係」、「男女の恋人関係」なら問題はないのか・・・「不倫の平等」は無理だと思うが「不倫の公平」は金次第、体力次第、信念次第かも・・・「倫理」じゃぁなくて、「不倫理」って、元々が「不平等、不公平」だけれど・・・「淋理(孤独で淋しい理窟)」?、「淋漓(水、汗、血などが、した たり流れるさま・勢いなどが表面にあふれ出るさま・ぬれて滴るさま・大雨、鮮血、大汗、墨汁、涙などが)あふれ滴り落ちる、ぽたぽたと垂れ落ちる様子」・・・
 淋漓=「痛快・慷慨・酣暢・悲壮」
    などと共に用いて四字句を作る
 ↓↑
 悲壮淋漓=悲しみの中でも気概を漲らせている
 鮮血淋漓=負傷で傷口から鮮血が滴り落ちている
 喜泪淋漓=喜びで涙(泪・涕)が溢れ出している
 流汗淋漓(大汗淋漓)=運動で大汗が滴り落ちている
 墨痕淋漓=書筆の墨跡が凛々しくなっている
 ↓↑
 「倫理
 (ethics・エチカ)=人として守り行うべき道
           善悪、正邪の判断において
           普遍的な規準」?
 「倫=仲間を意味し・・・イ(人)+侖(そろえる・順序)
  ↓↑         順序だてる・筋道をたてる
             整える・まとめる
             侖・倫・論・綸・崙
             輪・淪(ロン)・崙
             論
  ↓↑         倫敦(ロンドン・London)
  人倫=畜生や禽獣のあり方との
     対比において
     人間特有の共同生活の
     種々のあり方を意味」?
  ↓↑
 ・・・なんか、意味不明・・・具体的な説明がサレテいない・・・
 道徳は「外面的な行為、表現に於いてマモルべきもの」
 で、
 倫理は「内面的な精神の意識に於いてマモルべきもの」
 だろう・・・
 それら双方の
 「マモルベキもの」は、
 社会的な人間関係で
 自分自身の私欲の為に
 「盗むな・騙すな・殺傷するな・差別するな」
 である・・・
  ↓↑
 「日本国憲法
  第十一条
  国民は、
  すべての基本的人権の・・・・・基本的人権って?
  享有を妨げられない。
  この憲法が・・・・・・・・・・憲法で
  国民に
  保障する基本的人権は、・・・・保障される基本的人権は
  侵すことのできない
  永久の権利として、・・・・・・永久の権利として
  現在
  及び
  将来の国民に与へられる。・・・保障される
  ↓↑
  第十二条
  この憲法が国民に・・・・・・・行政的に
  保障する自由及び権利は、・・・保障する自由、権利は
  国民の不断の努力によつて、・・不断の努力がなければ
  これを
  保持しなければならない。・・・保持できない
  又、国民は、
  これを
  濫用してはならない・・・・・・私欲に濫用してはならない
  のであつて、
  常に
  公共の福祉のために・・・・・・公共の福祉のために
  これを利用する責任を負ふ。・・利用する
                 責任(義務・権利)を負ふ
  ↓↑
  第十三条
  すべて国民は、
  個人として尊重される。・・・・個人として尊重
  生命、自由・・・・・・・・・・個人の生命、自由
  及び
  幸福追求・・・・・・・・・・・個人の幸福追求
  に対する
  国民の権利については、
  公共の福祉に反しない限り、・・公共の福祉に反しない限り
  立法
  その他の国政の上で、・・・・・国政=行政
  最大の尊重を必要とする。
  ↓↑
  第十四条
  すべて国民は、
  法の下に
  平等であつて、
  人種、・・・・・・・・・・・・人種って?
  信条、・・・・・・・・・・・・信念・行動規範
  性別、・・・・・・・・・・・・男女
  社会的身分・・・・・・・・・・家族序列構成も含む?
  又は
  門地により、・・・・・・・・・過去的な身分序列
  政治的、・・・・・・・・・・・権力秩序
  経済的・・・・・・・・・・・・金銭、財産私有の多寡
  又は
  社会的関係において、・・・・・雇用関係、上司部下関係
  差別されない。」・・・・・・・差別されない
  ↓↑
 は「法」であるから
 「法の違反」には「罰則の制裁」があり、
 「道徳・倫理」には
 マモル、マモラナイでの
 「法的な罰則の制裁」が無い・・・法であっても
                「罰則規定」がないモノもある
 個人の「自由」として
 「内面(倫理)的な信条、信念、想像、妄想、空想」
 「外面(道徳)的な行動、行為、表現、創造」
 に於いて
 禁止されない。
 だが、これらの
 「自由を妨げるモノを法的に禁止」
 する
 「法に違反するモノは罰則を受ける」
  ↓↑
 日本以外
 あるいは
 「家父長的リンチ(私刑)」として
 「地域的な掟」として
 「宗教(旧約聖書系を信仰している教義)」
 には「罰則の制裁」があり
 「社会的な慣習としての掟」には
 「罰則の制裁」がある・・・
ーーーーー
 ・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする