・・・スゴイねッ、「研ナオコ」の生き方・・・すごいねッ!!「大谷」が「11本」・・・すごいねッ!熱中症でバッタ、」バッタとヤられている!・・・すごいねッ!!熱波の日々、名古屋で40度・・・夏の避暑地は火星がイイかも・・・すごいねッ!!過去の高校野球第99回目までの試合のエピソード・・・
スゴイねッ、国家高級官僚と企業を取り持つ「仲介人=a mediator・周旋人=agent・middleman・broker・intermediary・a go-between」?・・・
「コンサルタント(management consultant)」って?・・・私腹高級官僚と贈収賄で生活費を稼ぎ出すんだ・・・
「コンサルタント consultant(専門的相談を受ける職業)」?・・・「consult=誰かに情報や助言を求めたり、決断をする前に誰かの意見や許可を求めたりする意味」・・・
「consultant(コンサルタント)=相談役・顧問」?・・・裏口入学だけじゃなく、宇宙飛行士の裏口斡旋?・・・
スゴイねッ、「豆腐馬鹿=ミスター豆腐」・・・
スゴイねッ、「バトミントン日本選手」・・・
やったねッ、「日本ハム」が勝った・・・
ーーーーー
・・・
・・・「オデッセイ(odyssey・長期間の冒険、知的探求・原題: The Martian)」・・・生きて帰還する・・・何処に?・・・「イリ」・・・「相撲」、「首相夫人」、「モリカケ」・・・「アメリカン-フットボール」・・・今度は「アマチュア-ボクシング会長」・・・「文部省-事務次官」・・・ヤァッ!!、日本の政治屋っていうか、接待してもらうことは市民生活の「日常文化」、「おもてなし=客や大切な人への気遣いや心配り・心のこもった待遇・お+持て成し・饗応・供応」・・・「うらてあり=台所・調理場・庫裏(くり)・かまど(竈)場=穀物や食料品などを加熱調理する際に火を囲うための調理器、竃(かまど・釜戸)設備のある部屋・御勝手」?・・・「おもて=表・面」+「なし=為し・成し・生し・無し」、「うらて=裏手」+「あり=有り」?・・・モチロン、市民社会の「イデオロギーの私物化」も「階級身分文化」のウチ・・・ボクも接待される側の「身分」になりたいモノだが・・・組織的な権力機構の序列の最下層で生きているらしいから「自炊」で充分か・・・「自スイ」からカイホウされるヒはメデタイだろうナッ?・・・
「炊」って?・・・
炊=火+欠=火+丿+乛+人
=異体字は「𣣛」
=炊は火に息をふきかけ・・・
欠=あくび・ケツ・カク=欠伸・・・
欠片(かけら)
欠=缺=缶(午凵)+夬(ユ人)
=空気を送って火の勢いを得て食物を煮炊きすること
欠唇・欠損・欠員・欠陥・欠如
欠点・欠乏・残欠・不可欠
欠けている所・補欠
↓↑
吹=口+欠=ふく・スイ・・・吹奏楽団
次=冫+欠=氷+欠・・・・・・次点・目次・次第
欣=斤+欠
よろこぶ・キン・ゴン・コン
↓↑
欸・欹・欧・歌・款・歓・歛
欷・欺・歙・歔・欣・欽
欠=缺=ある物体の穴からでる空気(気体)の音
歇・歉・次・歠・歃・歎・歟
欲=谷+欠・・・欲望・私欲・欲求
資・・・資質・資本・資源
姿・・・姿態
恣・・・恣意
諮・・・諮問
茨・・・茨城・茨木
盗=次+皿=ぬすむ・トウ・・・盗賊
↓↑ ↓↑
炊=たく・かしぐ・スイ
めしをたく・煮たきをする
炊事・雑炊・一炊 (イッスイ)
自炊(ジスイ)・晨炊(シンスイ)・雑炊(ゾウスイ)・・・
炊ぐ(かし-ぐ)・炊煙ん(スイエン)
炊臼の夢(スイキュウのゆめ)
炊金
饌玉(スイキンセンギョク)
炊爨(スイサン)
炊事(スイジ)
炊飯(スイハン)
炊(た)く
い・かし・かしぎ・とぎ・とぐ
一炊之夢(イッスイのゆめ)
栄華之夢(エイガのゆめ)
邯鄲之夢(カンタンのゆめ)
黄粱之夢(コウリョウのゆめ)
盧生之夢(ロセイのゆめ)
ーーーーー
推古天皇(スイコ-テンコウ)・・・ふるきをおす-天工・転向・転校
↓↑ ↓↑
欽明天皇十五年(554年)・・・欽=金+欠
~
推古天皇三十六年三月七日(628年4月15日)
『古事記』は(三十七年戊子・三月十五日)
第三十三代天皇
在位
崇峻天皇五年十二月八日(593年1月15日)
~
推古天皇三十六年三月七日(628年4月15日)
最初の女帝(女性天皇)
諱は額田部皇女(ぬかたべのひめみこ・ガクデンブ)
↓↑ ↓↑
和風諡号は
豊 御食 炊 屋姫 尊
(とよみけ かしき やひめのみこと)
豊 御食 炊 屋比売 命
炊 屋姫 尊
ーーーーーー
大陸では
「男子は氏
女子は姓
を称した」・・・?
↓↑
推古天皇(すいこてんのう)
欽明天皇十五年(554年)
~
推古天皇三十六年三月七日(628年4月15日)
『古事記』は(三十七年戊子・三月十五日)
第三十三代天皇・・・サン拾サン
在位
崇峻天皇五年十二月八日(593年1月15日)
~
推古天皇三十六年三月七日(628年4月15日)
最初の女帝(女性天皇)
諱は額田部皇女・・・・・額(客の頁)田(た・デン)の部?
(ぬかたべのひめみこ)
和風諡号は
豊 御食 炊 屋 姫 尊
(とよ みけ かしき や ひめのみこと)
豊 御食 炊 屋 比売 命
炊 屋 姫 尊
↓↑
三輪 逆(みわ の さかう)
・・・ナンで「逆(さからう・さかさ)」?
纂話(三話・参話・讃和)は逆?・・・編纂の倭は逆?
姓は君・・・姓(女+生)は君(尹+口)=クン=訓?
三輪特牛(矢口)の子・・・特(牛+寺)の牛(𠂉+十)
敏達天皇(びだつてんのう)・別名、「他田天皇」?ナゼ、タダ?
(渟中倉太珠敷尊=沼名倉太珠敷命)
(ぬなくらのふとたましきのみこと)
の寵臣
↓↑
敏達天皇十四年(585年)六月
蘇我馬子が
敏達天皇に仏法を許され
仏舎を造り、仏像を迎えて供養した際に
三輪 逆は
物部守屋
中臣磐余と寺塔を焼き
仏像を廃棄しようと謀ったが
蘇我馬子に拒まれた
同年八月
敏達天皇が崩御し
殯宮で葬儀
三輪 逆は
「朝廷を荒らさぬよう
鏡のように浄めて平らかに治まるよう
臣は仕えます」
と誄を読み
隼人を集めて殯庭を警護
↓↑
用明天皇元年(586年)五月
穴穂部皇子は
炊屋姫(敏達天皇の皇后、後の推古天皇)
を犯さんと欲して、殯宮に押し入ろうとした
「三輪逆」は
兵衛を集めて宮門を閉じて侵入を拒んだ
穴穂部皇子は
七度開門を呼ばまわったが
三輪逆は入れなかった
穴穂部皇子は激怒
大臣の蘇我馬子
と
大連の物部守屋
に
三輪逆は不遜であると言った
馬子と守屋はこれに同意
穴穂部皇子は
物部守屋とともに兵を率いて
磐余の池辺を囲んだ
三輪逆は
三輪山に逃れ
その日の夜に山を出て
炊屋姫の後宮(海石榴市宮)へ隠れた
逆の一族の
三輪白堤と
三輪横山が
三輪逆の居場所を密告
穴穂部皇子は
守屋に遣いを出して
三輪逆と2人の子供を殺すことを命じた
物部守屋は三輪逆を討つべく兵を率いて
海石榴(つばき)・・・海石榴(カイセキリュウ)
・海の石の榴(ざくろ)=根は駆虫薬
市宮へ向かった
穴穂部皇子も
物部守屋と合流すべく自邸を出たが
蘇我馬子が
「王者は刑人に近づくべきではない」
と諫言して止めた
穴穂部皇子と馬子が待っていると
守屋が帰ってきて
三輪逆を斬ったことを報告
(穴穂部皇子が自ら射殺・・・)
馬子は「天下の乱は近い」と嘆き
守屋は「汝のような小臣の知るところではない」
と言った・・・
↓↑
三輪逆は敏達天皇に信任され
内外のことを悉く委ねられていた
このため
炊屋姫と馬子は
穴穂部皇子を深く恨むようになった
後
穴穂部皇子と物部守屋は
蘇我馬子によって滅ぼされた
↓↑
穴穂部皇子(あなほべのみこ)
?~用明天皇二年六月七日(587年7月17日)
欽明天皇の皇子
聖徳太子の叔父
物部守屋と結託したが
蘇我馬子に殺された
↓↑
欽明天皇の皇子
母は
蘇我稲目の娘
小姉君
異母兄に
敏達天皇・用明天皇
同母姉に
穴穂部間人皇女(用明天皇妃・聖徳太子生母)
同母弟に崇峻天皇
↓↑
穴穂部皇子は皇位を望み
敏達天皇十四年(585年)八月
兄・敏達天皇が崩御し
同年九月
大臣・蘇我馬子の推す
大兄皇子(用明天皇)が即位
これに対抗し
大連・物部守屋と結んだ
ーーーーー
中臣 勝海
(なかとみ の かつみ)
生年未詳~用明天皇二年(587年)四月
中臣勝海は
蘇我氏の家来(太子伝暦には太子舎人)
迹見赤檮によって殺された
↓↑
姓は連
出自は不明
父は中臣鎌子・・・中臣鎌足とは別人?
・中臣磐余・・・磐余?・・・神武天皇
磐余は黒田の子
常盤の弟に伊礼波とあり
同一人物の可能性・・・
・中臣真人・・・天武天皇?
の諸説がある
大夫(まえつきみ:議政官)の地位にあった。
中臣氏は舒明期の中臣御気から鎌足まで記録が無い
↓↑
・中臣-宮地-連-鳥麿呂
長屋王の謀叛を密告し
無位から外五位に取り立てたれ
後に長屋皇の家臣に殺された
↓↑
中臣氏は
・中臣黒田
・中臣塩屋連?・・・中臣枚夫?
・中臣鯯(コノシロ)=塩屋連(魚制)魚(コノシロ)
堺部鯯魚(コノシロ)
幼魚=ママカリ・つなし
有間皇子に味方し
鎌足と敵対し殺された
・中臣鯯より始まる
・中臣黒田から3代目
・中臣御気
子が
・中臣鎌足・・・?
↓↑
敏達天皇十四年(585年)三月
物部守屋と共に
疫病流行の原因が
蘇我氏の仏教信仰のせいと奏上
用明天皇二年(587年)四月
天皇が病床で仏教に帰依する旨を詔し
群臣にこのことを協議するように命じた
守屋と共に詔に反対し
後
守屋の挙兵に呼応し
自宅に兵を集め
押坂彦人大兄皇子の像
と
竹田皇子の像を作り呪詛
が、反乱計画の不成功を知って
彦人大兄に帰服
皇子の宮に行ったが
迹見赤檮(迹見首赤檮)に殺された
↓↑
迹見赤檮(迹見-首-赤檮)
(とびのいちい・とみのいちい)
首(おびと)
物部守屋の反乱
合戦で
迹見赤檮は
秦河勝とともに
物部守屋を
直接弓で射止めた
赤檮(イチイ)=イチイガシの別称
イチイ科の常緑針葉高木、園芸植物、薬用植物
ーーーーー
系図によると
勝海には
中臣若子
中臣古多比
中臣贄古
の三子があり
古多比からは
中臣宮処氏(中臣宮処氏連)が
贄古からは
中臣大家氏(中臣大家連)が出た
ーーーーー
菟道貝蛸(うじのカイダコ)皇女
大中臣安遊麻呂(おおなかとみのアユまろ)・・・鮎
中臣烏賊津連(なかとみのイカつのむらじ)
粟田入鹿(あわたイルカ)・・・・・・海豚
道公宇奈岐(みちのきみのウナギ)・・鰻
加茂小鮒(かものをブナ)
堺部鯯魚(コノシロ)・・・・鯯魚(コノシロ)
紀鯖麻呂(きのサバまろ)
大豆鯛麻呂(おおまめタイまろ)
尾張須受枳(おわりのスズキ)・・・鱸
粟凡鱒麻呂(あわおおしのマスまろ)
ーーーーー
ーーーーー
イシク・クル
(ウイグル語:Ysyk-Köl
キルギス語:Ысык-Көл
ロシア語: Иссык-Куль)
天山山脈の北
キルギスの北西に在る内陸湖
イシク湖、イシククル湖、イスィククリ湖などとも表記
同国最大の面積をもつ
イシク・クル州に位置しており
この湖の北岸はイシク・クル地区と呼ばれている
↓↑
古称は
熱海(呉音:ねつかい、漢音:ぜつかい)
唐代の詩人
岑参は
「側聞陰山胡児語、西頭熱海水如煮
海上衆鳥不敢飛、中有鯉魚長且肥」
と詠んでいる
↓↑
イシク・クルの湖底
多数の遺跡が水没している
湖畔の砂浜には陶器など
湖底遺跡から流れ着いたものが打ち寄せ
なぜ遺跡が存在するかは未だに謎
遺跡は1つではなく
様々な時代の遺跡が水没している事が判明
烏孫の
赤谷城が有る
↓↑
湖には少なくとも16世紀頃までは島が有り
更にその島には城が存在していた
↓↑
イシク湖には旧ソ連時代から魚雷の試験場があった
↓↑ ↓↑
イリ=Ili, ile ↓↑
イリ地方・イリ川・イリ
カザフ自治州・グルジャ市の別名
韓国全羅北道の地名 (Iri)=裡里市
↓↑
イリ・カザフ自治州
中華人民共和国新疆ウイグル自治区北部に位置する
カザフ族の副省級自治州
グルジャ市(伊寧市)を州都とし
全国で唯一
タルバガタイ(塔城)、アルタイ(阿勒泰)
の2地区を管轄する地区級行政単位
↓↑
民族構成は
カザフ族が25.5%
漢族が45.2%
ウイグル族が15.9%
を占める
自治区の中心部は
天山山脈
ボロホロ山脈
(天山山脈の支脈)に挟まれた
イリ盆地(イリ川上流部)
↓↑
唐代には
突厥旧属カルルク部の地
後に
カラハン王朝の領土
1124年
契丹貴族
耶律大石が
イリのカルルク部を臣服させて西遼を樹立
1211年
カルルク部はモンゴル帝国の支配下に入り
チャガタイ・ハン国に分封
1677年
オイラト・モンゴルの
ジュンガル部が南下して新疆に入り
イリ地方をその中心とした
1755年
清朝は
ジュンガル部との数十年にわたる戦いの後
イリを征服し
1762年
イリ将軍を置いた
イリ将軍が駐在した
恵元城は新疆の政治、軍事の中心ともなった
新中国成立後
1954年
イリ・カザフ自治州が成立
↓↑
1949年10月1日
中華人民共和国新疆省イリ専区が成立
↓↑
中華人民共和国 新疆ウイグル自治区
伊犁哈薩克自治州
↓↑
漢代、シルクロードの北に位置し
烏孫国の領土となり、
西域都護府の指揮に帰した
その後
西突厥に属すと同時に
唐の北庭都護府に臣従
南宋時は西遼、元代には
チャガタイ・ハン国
清初には
ジュンガル部に属した
↓↑
乾隆年間に
清朝がジュンガルを征服すると
グルジャは
イリ将軍の管轄下の新疆の一部となった
1871年
ヤクブ・ベクが
東トルキスタンに侵攻し
カシュガルで独立を宣言し
ロシア帝国は
グルジャ(固勒扎)すなわち
寧遠城を占領して
イリ地方を併合
清朝は
1881年
ロシアとの間でイリ条約を締結し、イリ地方を回復
光緒年間の
1884年
新疆省が設置され、県制が施行されると
グルジャは
寧遠県となった
中華民国成立後の
1913年に
伊寧県へ改称
↓↑
1944年
ウイグル人、カザフ人などの
テュルク系住民の間で独立運動が起こり
ソ連の支援の下で
東トルキスタン共和国が設立
グルジャは
1949年に
同政権が
中華人民共和国へ合流するまで
同政権の首都となっていた
↓↑
1952年
グルジャ市(伊寧市)が
伊寧県から分離され
1954年にイリ・カザフ自治州が設置されると
グルジャはその首府となった
↓↑
東トルキスタン共和国
1944年
グルジャ市内で起きた
ウイグル人の武装蜂起に
タルバガタイ、アルタイのカザフ人ゲリラ勢力が合流し
中華民国からの独立と東トルキスタン共和国の成立を宣言
同政権は
中国国民党の新疆省政府と対立し
ソ連の支援の下で
1949年まで独立を維持
国共内戦を終結させた
中国共産党とソ連の協議により
1949年8月
中華人民共和国に合流
9月
省政府の国民党勢力も中華人民共和国への服属を表明
東トルキスタンは
中国共産党の統治下に置かれた
↓↑
この後
国境に近い
イリ・カザフ自治州は
ロシア、ソ連からの影響を受け
中ソ対立が激しくなった
1960年代には
約6万人の
イリ・カザフ自治州在住の
ウイグル人
カザフ人
の農牧民がソ連へと脱出
グルジャは
東トルキスタン独立運動が活発な地方の1つ
1997年2月
大規模な騒動では、デモ隊が暴徒化
漢民族などの一般庶民に攻撃し
数人の死者と数百人の負傷者が出た
ーーーーー
・・・???・・・
・・・今日(8/2)は月が半月、火星はボクのカスミ目の視覚能力によって燃え残りのコークス、熔岩石が宙に浮いて、その塊まりの四点からオレンジ色の光が漏れ出ているように見える・・・「真逆=まさか=眞砂化=麻紗化・雅化・真佐加・真下」・・・「真砂土(まさつち・まさど・Decomposed granite)とは、花崗岩が風化してできた砂」・・・「崗(山+岡)=おか・コウ・上部が平らでかたく高い台地」・・・単に真砂(まさご)とも・・・「細かい砂・まなご・いさご・浜の真砂の数ほどもある事例・まさごじ(真砂路)・真砂を敷いた道・真砂の中の道」・・・
歌舞伎
河竹黙阿弥の作・・・黙(だまって)阿(おもねる)弥(彌・弓+爾・や・あまねし・ひさしい・わたる・つくろう・いよいよ・いや・ビ・ミ)・・・「つくろう(繕う)」・・・武(たけ=竹・建・猛・長・茸・岳・嶽・他家)内宿禰・・・
「木阿弥」を「黙阿弥」と書くのは誤り?・・・「阿=曲がったところ=曲がる」・・・アヤマリではない・・・
「筒井順昭の病死を隠すために、子の筒井順慶が成人するまで、声の似ていた木阿弥という男を寝所に寝かせて外来者を欺き、順慶が成人するや筒井順昭の喪を公表し、木阿弥は再びもとの身分にもどされた」・・・「元の木阿弥」・・・「本の目編み」・・・
『青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなの にしきえ)』
浜松屋の場での弁天の見顕し
「弁天小僧が武家娘に変装し強請(ゆすり)」をする
「浜松屋見世先の場(はままつやみせさきのば)」
↓↑
「雪の下浜松屋の場」
「白浪五人男
弁天小僧-菊之助の台詞(セリフ)」・・・
↓↑
「知らざあ
言って聞かせやしょう
浜の真砂
と
五右衛門が
歌に残せし・・・石川五右衛門が秀吉に
釜ゆでの刑に処せられる時に
歌った辞世の句
「石川や
浜の真砂は尽きるとも
世に盗人の種は尽きまじ」
盗人の
種は尽きねえ・・タネ(禾重・種子・太根・多根)は無限?
七里ヶ浜・・・・鎌倉の海浜・シチ理懸ハマ?
その白浪の・・・白浪=支那で盗人・・・新羅?
夜働き・・・・・盗賊・夜勤=やきん=冶金・野禽・矢琴
以前を言やあ
江ノ島で
年季勤めの
稚児が淵・・・・江ノ島の渕の名、昔、稚児の白菊が投身自殺
鎌倉相承院の稚児=相模江の島神社の小姓
白菊が建長寺の自休というお坊さんに恋をし
かなわぬ恋と知って投身自殺
それを知った自休も身投げした
「江の島物語」・稚児が淵=知語臥附字?
百味講で・・・・頼母子
散らす・・・・・チラス
蒔き銭を・・・・神仏、神社、神宮への参詣者が
蒔き米のかわりにまく銭
棟上げなどの際、施工主が祝いとして
参列者にまく銭
多くは鳩目銭(はとのめせん)を用いた
乞食などに投げ与える銭・・・こじき=古事記
巻き撰?
あてに
小皿の・・・・・こざら・ショウベイ
一文字・・・・一文子(博打)
百が二百と・・・・百済が「二百済」?
賽銭の・・・・・・賽銭=サイセン=再選・・・
くすね銭せえ段々に・・・クスネル
悪事はのぼる
上の宮・・・・江の島の中津宮・江ノ島中央の山の上
岩本院で・・・岩本院=ガンポンイン=元本韻=磐本韻
講中の
枕捜しも・・・枕もとに置いてある金品を盗み取ること
その盗み人
邯鄲師(かんたんし)=旅館で、寝ている客の
金品を盗む者
「邯鄲の夢」の故事
李泌作の『枕中記』の「盧生(ロセイ)の夢」
「人の栄枯盛衰は儚(はかなし・ボウ・モウ)」
度重なり
お手長講と・・・盗癖
札付きに・・・・常習犯
とうとう
島を・・・・・・島=しま=縞・志摩・四万・揣摩
追い出され
それから
若衆の
美人局(つつもたせ)・・・夫婦が共謀し行う恐喝、詐欺行為
筒(つぼ・つつ・トウ)は
いかさまサイコロ博打で使う細工した筒
丁半博打でサイコロに細工をすること使うことば
中国の元の頃、娼妓を妾と偽って少年などをあざむいた犯罪
ここやかしこの
寺島で・・・・・「寺島」=菊五郎家の苗字
寺島=ジトウ=持統・地頭・自答・字問・字答
小耳に聞いた
爺さん(音羽屋・とっつあん)の・・・七代目の菊五郎
おとわや=おとはや=音葉也
似ぬ
声色(こわいろ)で・・・俳優のせりふ回しの声や口調をまねること
他人の物まねをする事
古く元禄年間 (1688~1704) に始る
こゆすり・・・・・強請り
たかり・・・・・・タカリ・集り・炊かり・焚かり・倬り?
名せえ(さえ)
ゆかりの
弁天小僧・・・弁(わきまえる)天(あま)の小僧
建久三年(1190年)
北条時政が子孫繁栄を願いこの地に参籠
満願の夜に弁財天が現れ願いを聞き入れた後
龍となり鱗を3つ残していった(太平記)
弁財天の使いとして白龍王
菊之助たぁ・・・菊、之、助
俺がことだぁ」
↓↑
菊=艹(くさかんむり)+匊(すくう・キク)
日 下夢無理 救う・規矩
菊=キク=鞠=革+匊(すくう・キク)
鞠=革+匊(すくう・キク)
まり・やしなう・とりしらべる・かがむ・キク
まり・けまり・やしなう・そだてる・おさない
ただす・とりしらべる・かがむ・身をかがめる
ーーーーー
韋=なめしがわ・イ・「韦」の字旁「韋」・・・「韦=韋」?
↓↑
・・・「かき」と「こけら」との関係は「歌舞伎の台本・脚本」の「書き」と「歌舞伎座・演劇小屋・劇場」の小屋掛けの屋根を葺く柾(まさ)・・・柾(まさ)は国字・・・
「まさ・まさめ・木目がまっすぐに通ったもの・まさき・ニシキギ科の常緑低木」・・・「筋目がよく通って削ぎやすく、水に強い材木」
「鱗ら・コケら・木屑・破片・こけら(木屑)・こけら(苔ら)・こけら(鱗)・,こけらいた・こけらおとし・こけらずし・こけらぶき・板葺(いたぶき)・木材の薄板(杮板)で屋根を葺くこと」・・・「木っ端」、「木片」・・・「木の欠片(かけら・ケッペン)」・・・
・・・柿落し・柿葺落=こけらぶきおとし?
木𠂔
「柿(かき・シ)」
「柿=木+亠+巾」
「杮=木+十+冂=柹(古字)=枾(本字)」
と
「杮(こけら・ハイ)」
「肺」の右側は本来、
「肉+市(こけら)」と同じ形
↓↑
柿(かき)=木+市(亠+巾・いち・シ)
座頭市・十市
姉(あね・シ)=姊
かき=杮=柹(木𠂔)=枾=𣐈=シ
↓↑
杮(こけら)=木+十+儿=木+巿(ひざかけ・ハイ)
沛公(ハイコウ・劉邦・沛県の亭長)
肺病(ハイビョウ・ハイケッカク・肺結核)
↓↑ ↓↑
徐福=ジョフク=徐巿(ジョフツ)
徐福(別名 徐市)
巿=市=膝掛と帯
芾・𢂷
出身地
斉の国 琅邪(山東省)
江蘇省連雲港市かん楡(ゆい)県・・・贛楡区
1167年(大定七年)
懐仁県~金朝により贛楡県と改称
金山郷で
徐阜村(徐福=徐市村)発見・・・阜=市
(古来は琅邪郡)
職業
方士(呪術・祈祷・薬剤・占星術・天文学)
錬金術師
韋=そむく
毛を取り去って柔らかくした動物の皮
韋=ぐるぐるまわる意
足の速いと俗伝の韋駄天
緯(よこいと・イ)
竹簡の書物の綴じ糸
「韋」字は「違」の本字で
背きあう・背反・両足の交互の歩調・交互の歩調の両足
字形
圍は
背いた足の象形の
「舛」と
囲いの象形の
「囗」の合体
守衛が城壁の周囲を巡回している意味
↓↑
韋=毛をとりさって柔らかくなめした動物のかわ
なめしがわのように柔らかい
しなやか。そむく・行き違い
とりかこむ・めぐらす・まわりにめぐらした囲い
違・圍・衛・緯・偉・葦・諱
韋+α=韓・韜・韞・韌・𩎒・䪏・𩎓・𩎔・𩎕・𩎖・𩎗・䪐
「石の韋」=イワノカワ・ヒトツバ
「藜杖韋帯(レイジョウイタイ)」
きわめて質素なことの例え
「藜杖」はアカザの茎で作った杖
軽いので老人が用いる
「韋」はなめし皮=韦
藜の杖となめし皮の帯は共に粗末な物の形容
「韋編三絶(イヘンサンゼツ)」
一冊の書物を
なめし革の紐が何度も切れるほど
繰り返し繰り返し読むこと
読書や学問に熱心なことのたとえ
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「韓」=から・カン
いげた(井桁)・井戸の枠
中国、戦国時代の国名「韓」
朝鮮の三韓=馬韓・弁韓・辰韓・・・金官加羅国
韓=𠦝+韋
異体字は「韩」・・・𠦝(十日十)+韦
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三韓=馬韓・弁韓・辰韓
金官国=駕洛国・金官加羅・任那加羅
(韓国慶尚南道金海市)に有った
前身は『三国志』の
「狗邪韓国」
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田代島のネコ・・・・マリリン・ほくろ
田代島=たしろじま・宮城県石巻市に属す島
三陸海岸南端を構成する
牡鹿半島の先端近くの仙台湾(石巻湾)内にある島
江戸時代は流刑地
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