・・・気儘(気侭)にコトバと文字に混乱・・・コンフューズ(confuse)・・・ダレかが?「You have me confused with someone else.」・・・唐黍(とうきび・corn)?・・浮遊厨(柚子)?・・・「コーン. cone(koun・コウン)・円錐・錐(きり)・道路や工事現場などの規制や区分けを目的として置かれる円錐形の物・ロードコーン(Road cones)=パイロン(Pylons)」・・・
「三角帽子」・・・アイスクリームのコーンか?・・・
・・・荒唐無稽・・・唐が荒廃し、会稽(会計)すること無し・・・塊茎、快慶、海景・・・?・・・運慶・・・
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唐黍・・・唐=から=漢・韓・加羅・空・殻・蚊等・化螺
漢国?・・・カンコク? or からくに?
漢=氵+𦰩(カン)
汉(簡体字)・漢(旧字体, 繁体字)
・・・又(右手・また)=𦰩(乾・渇・干)・・・?
又=叉=交叉=こうさ=考査・黄沙・黄砂・交差
甲佐・公差
おとこ・から・よこしま・カン
漢水・漢口・漢中・漢江=長江の最大の支流
天の河
雲漢・星漢
おとこ
悪漢・凶漢・暴漢・痴漢=チカン=置換・知館
中国王朝の名
漢=乾く
火などで炙(あぶ)った動物の革
水の流れない乾いた川=天の川
𦰩(カン)=渇く・乾く・炙(あぶ)る
𦰩+α=漢・嘆・難・灘・儺・・・
難しいが「𦰩+隹」?・・・焼き鳥?
堇(キン)=日照り・饉と通じて飢饉
𦰩は日照りの神
𦰩は巫祝で巫祝を焼く字・・・亀甲、甲骨文字
(説文解字・巻十三)
火矢の意=鳥を火矢で射る儀式や呪い
𦰩=艹+口+夫(二人)・草加(日下・久坂)の
口は仁(丹)の人?
浦嶋(嶼・揣摩)子=高橋虫麻呂?
島の児(子)=武寧王・蘇我蝦夷?
漢の国号・・・紀元前206年~220年
皇帝であった
劉氏の姓と密接に結びつき
前漢・後漢の両漢王朝以後も
劉姓の王朝によってたびたび使われた
劉姓の王朝において
「漢」を号しなかったものは
匈奴系の
夏
と
南朝の宋のみ
漢中市=漢中盆地にほぼ一致
漢中郡=古代中国に存在した郡
後に漢中は
郡の役所が置かれた
南鄭(陝西省漢中市)
一帯の名称
劉邦が興した
漢王朝や、「漢民族」、「漢字」
などの名称の由来となる地名
漢中郡
古くは
梁州に属し
後には独立した国家になった
戦国時代に
秦に併合・・・秦=𡗗+禾
・・・𡗗(mǒu)=三+人=ダイ、だいかんむり、だいかしら
紀元前325年
漢中郡と命名され
南鄭県に
郡治(郡の役所、及びその所在地)が設置
一時楚に奪われるが
紀元前312年に回復
秦滅亡後
劉邦が漢中の地に封じられた
漢中で
韓信を見出し
劉邦は「漢王(漢中王)」を名乗り
帝位に就き
国号を「漢」とした
前漢代
益州に属し
西城、旬陽、南鄭、褒中、房陵、安陽
城固、沔陽、鍚、武陵、上庸、長利
の12県を治めた
↓↓
韓国
韓=𠦝+韋
𠦝+韦・・・「キ+𠃌」・「丰+亅」
から・いげた(井桁)・カン
韋(なめしがわ)+幹(カン)
異体字は韩・𡋶・㙔・𩏑
乾いて丈夫な板、強い、強大
古代朝鮮の国名・三韓
李氏朝鮮の国名
中国戦国時代の国名
魏(ギ)・趙(チョウ)とともに
晋(シン)から分立し
河南・山西両省の一部を領土とした
後に
秦(シン)に滅ぼされた
戦国七雄の一(前403年-前230年)
朝鮮半島南部の
部族(馬韓・辰韓・弁韓)
朝鮮半島の古代
三国(新羅・百済・高句麗
李氏朝鮮(1897年~1910年)
ーーーーー
韓=𠦝+韋
呂不韋=呂 不韋(リョ フイ)
?~紀元前235年
戦国時代の秦の政治家
荘襄王を王位につける事に尽力
秦で権勢
荘襄王により
文信侯(ブンシンコウ)・・・・文信侯=書記長?
に封じられた
始皇帝の実の父親との説も・・・
ーーーーー
↓↓ ↓↓
呂 不韋・・・・・呂(せぼね)は 不韋(なめさず)?
出身地は二説
衛の濮陽(戦国策)
or
韓の陽翟(史記)
商人の子
各国を渡り歩き
商売で富を築いた
↓↓
趙の人質となっていた
秦の公子
異人(後に子楚と改称・秦の荘襄王)
を
「これ奇貨なり。居くべし
(これは、掘り出し物だ。手元におくべきだ)」
と
陽翟に帰った呂不韋は父と相談し
将来のために「異人(子楚・荘襄王)」
に投資することにし
呂不韋は再び趙に赴き
公子の「異人(子楚・荘襄王)」と会見
↓↓
異人は
秦王、昭襄王の太子
安国君(孝文王)の子とはいえ
20人以上の兄弟が居た
生母の夏氏が既に父からの寵愛を失ってい
母国にとっては惜しくない人質
趙との関係が悪化
趙での異人の待遇は悪く
生活費にも事欠くほどであった
↓↓
呂不韋は
異人に金を渡し
趙の社交界で名を売る事を指導し
自身は秦に入って
安国君の寵姫
華陽夫人の元へ行った
呂不韋は
華陽夫人に
異人は賢明で
華陽夫人のことを
実の母親のように
慕って日々を送っていると吹き込んだ
さらに華陽夫人の姉にも会って
自身の財宝の一部を贈って彼女を動かし
この姉を通じて異人を
華陽夫人の養子とさせ
安国君の世子とするよう説いた
華陽夫人は
安国君に寵愛されていたが未だ子が無く
この話に乗り
安国君もこの話を承諾し
異人を自分の世子に立てる事に決めた
↓↓
趙に帰った
呂不韋が
異人にこの吉報をもたらし
異人は呂不韋を後見とした
異人はこのとき
養母となった
華陽夫人が
楚の出身だったので
名を子楚と改めた
↓↓
呂不韋は
趙の芸妓(趙姫)を寵愛していたが
子楚は女を子楚に譲った
彼女は既に
呂不韋の子を身籠っていたが
子楚にはこれを隠し通し
生まれた子は
子楚の子とした
これが
政(始皇帝)・・・
『史記』に記録・・・
↓↓
秦の宰相
紀元前252年
秦で高齢の
昭襄王が在位55年で逝去
次男の
孝文王が立つと
子楚は秦に送り返され
太子となった
孝文王が50代で逝去し
太子の子楚が即位し
荘襄王となった
呂不韋は丞相(相邦)となり
文信侯と号し
洛陽の10万戸を領地として授けられた
呂不韋は秦の丞相として権勢を振るった
↓↓
紀元前246年
荘襄王が若くして死に
太子の
政が王となった
呂不韋は
仲父(尊称)の称号を授けられた
↓↓
一字千金
この時期
孟嘗君
信陵君
などが食客を集めて天下の名声を得ていた
呂不韋は
3000人の食客を集め
呂不韋家の召使は1万
この客の中に
李斯がおり
その才能を見込んで王に推挙
更に客の知識を集めて
『呂氏春秋』と言う書物を作った
(思想的には中立で百科事典のような書物)・・・?
呂不韋はこの書物を自慢し
市の真ん中にこれを置いて
「一字でも
減らすか
増やすか
出来る者には
千金を与える」
と触れ回った・・・
↓↓
「以呂氏春秋
布咸陽市門
縣千金其上
延諸侯游士賓客
有能筯損一字者
予千金
『史記(巻八五 呂不韋列伝)』
呂不韋は
政の生母である太后と密通・・・?
↓↓
荘襄王の死後
太后からの誘いで
太后は
呂不韋の元愛人
今や国母となった太后との
不義密通を
危険と感じた呂不韋は
嫪毐(ロウアイ)
という巨根の男を太后に紹介し
男性の入れぬ後宮へ
宦官に偽装して送り込んだ
嫪毐は息子を2人生んだ・・・
↓↓
後の嫪毐は
太后の寵愛を背景に
長信侯に封じられた
太后との密通が発覚すると
嫪毐は
政へ謀反するが、すぐに鎮圧、車裂きの刑で誅殺
太后と嫪毐の2人の息子も処刑
呂不韋へも波及し処刑されるところだったが
功績を重んじた政によって
丞相職の罷免と蟄居に減刑
↓↓
呂不韋は蟄居後も客との交流を止めず
諸国での名声も高かく
紀元前236年
客や諸国と謀って反乱を危惧した
政からの詰問状を受け
蜀地域への流刑を追加
翌年
呂不韋は服毒自殺
↓↓
劉邦の妻
呂雉(呂后)は
呂不韋の一族だったと
郭沫若
佐竹靖彦
らは示唆・・・
三国時代に
呂不韋の名に因んだ
永昌郡
不韋県
出身で
蜀漢に仕えた豪族の
呂凱は
呂不韋の後裔(『三国志(蜀書呂凱伝)』)
ーーーーー
↓↓
帯方郡の滅亡
泰始元年(265年)・・・泰始⇔秦始(皇帝)
泰=𡗗+氺⇔秦=𡗗+禾
泰≠秦
魏の重臣であった
司馬炎(懿の孫、後の晋の武帝)が
魏の
曹奐(元帝)から
禅譲を受けて
晋朝(西晋)を興す
永康元年(300年)
身内の
八王の乱で
混迷状態
帯方郡に属する県は
帯方・列口・南新・長岑、提奚、含資、海冥
の七県であった(『晋書地理志』)
↓↓
建興元年(313年)
遼東へ進出した
高句麗が南下して楽浪郡を占領
朝鮮半島南半に孤立した
帯方郡は
晋の手を離れ情報も途絶
元の
帯方郡や楽浪郡南部に残された
漢人の政権や都市は
東晋を奉じて5世紀初頭までの存続
5世紀前半
百済によって征服
5世紀後半
高句麗が百済を駆逐
↓↓
倭
帯方郡の滅亡後
404年
倭から百済征伐の形で北侵し
帯方界(帯方郡の境界)に進入し
高句麗と戦ったが敗北
ーーーーー
燕国・・・常世の国・・・常陸=ひたち=日立
・・・常盤・日常・常識・尋常(小学校)
↓↓
常世の国へ渡航
少彦名神
御毛沼命
田道間守
が
「常世の国」に渡った・・・
浦島子(浦島太郎)の伝承も、常世の国
↓↓
田道間守
『古事記』
垂仁天皇が
多遲麻毛理に
時じくの香の木の実
『日本書紀』
垂仁天皇が
田道間守を常世国に遣わし
「非時香菓」を求めさせたが
その間に天皇は崩御
「非時」は、時を定めずということから
「いつでも香りを放つ木の実」
「今の橘なり」
橘は葉が常緑で
「永遠性・永続性」の象徴
「非時香菓」は不老不死の霊薬
↓↓
浦嶋子
『万葉集(巻九・1740)』
高橋虫麻呂作
浦嶋子
を詠んだ歌で
浦島子が漁に出て
七日帰らず海を漕いで
常世に至り
海若(わたつみ)の
神の宮に
神の乙女とともに住んだ
神の宮では老いも死にもせず
永世にわたって生きることができた
浦嶋子は帰郷し
自分の家が既に無くなっていることを知って
開けてはならぬ
玉笥を開けて老人になる
『日本書紀(雄略天皇二十二年)』
『丹後国風土記』逸文
にも同様の話
海中の「蓬莱山」に至った・・・
↓↓
高橋(連) 虫麻呂(たかはし の むしまろ)
ーーーーー
𡗗=大+二・・・三+人・二+大・一+夫=𡗗
実=宀+𡗗
み・みのる・まことに・げに・シツ・ジ゙チ・ジツ
實𡪲实𡾍・・・宀+三+人・宀+二+大・宀+𡗗=実
宀+毌+目+八=實
備蓄充満
詰まった中身
誠に、本当に、事実を強調する言葉
㤗=心+𡗗・・・
タイ・・・泰𣳾・・・三+人+心・二+大+㣺・𡗗+小+丶=㤗
大きくゆったり・安らかな
驕る、高慢で自分勝手
贅沢なさま
甚だしい、非常に、極めて
あまりにも~過ぎる
「太、太」は「泰」の略字
春=日+𡗗・・・
はる・シュン
旾萅𦸬𣊨𣈤𣇸㫩𣆊・・・三+人+日・二+大+日・一+夫+日=春
四季(春夏秋冬)の第一
陰暦一月から三月・草木が芽生える季節
瑞々しい・生気に満ちているさま
男女間の情欲
泰=水+𡗗・・・
タイ
泰・・・三+人+氺・二+大+氺・一+夫+冫+く・𡗗+水=泰
ゆったり・安らかな
驕る、高慢で自分勝手なさま
贅沢なさま
甚だしい
𥘿=示+𡗗・・・
はた・シン・ジン
秦𥠼𥢮𣜈𥣠・・・三+人+示・二+大+示・一+夫+示
𡗗+示・二+大+二+小・𡗗+一+𡭕=𥘿=秦
周代後期の戦国時代(前475年~前221年)
に諸国を統一して建った王朝
五胡十六国時代の国名
前秦・後秦・西秦
中国陕西省の別称
秦=禾+𡗗・・・
はた・シン、ジン
𥘿𥠼𥢮𣜈𥣠・・・三+人+禾・二+大+禾=秦=𥘿
周代後期の戦国時代(前475年~前221年)
に諸国を統一して建った王朝
五胡十六国時代の国名
前秦・後秦・西秦
中国陕西省の別称
舂=臼+𡗗・・・
つく・ショウ・シュ
㫪𣇃𦥴𦦓𦥽・・・三+人+臼・二+大+臼・一+夫+臼
𡗗+臼・𡗗+E+ヨ=舂
穀物を臼などに入れて搗(つ)く
撞(つ)く、突く
𧉾=虫+𡗗・・・
うごめく・シュン
・・・三+人+虫・二+大+中+ム
一+夫+虫・𡗗+口+I+ム
𡗗+虫=𧉾
𧉾=蠢
ーーーーー
・・・荒唐無稽・・・
荒唐=根拠がなく、取り留めのないこと
無稽=考え方に根拠がなく出鱈目なこと
「荒唐之言」+「無稽の言」
「荘周その風を聞きてこれを悦び
謬悠の説、荒唐の言、端崖の無きの辞を以てす
(荘子はその説を学んで共鳴し
実情を伴わない広遠な説
判断できない根拠のない説
糸口がとらえられない言葉を使って述べた・荘子)」
「無稽の言は聴くこと勿れ
(根拠のない話には耳を傾けるべきではない・書経)」
ーーーーー
・・・???・・・