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「ワタシはカイになりたい」・・・?

2021-03-11 23:38:52 | 古事記字源

 東京裁判官の人類に対する「ゴボウ罪判決」は「有罪」
 「造反有理」に対する「造反無理」・・・造反武利・・・
 ・・・五感で感知出来ないと謂うコトは
 「有理」も「屁理屈」も、その前提になるモノが無い・・・
 最高級の「惣菜」を好意で食わされて命を繋いだ収監捕虜・・・
 戦後の「東京国際裁判」で・・・
 アメリカ合衆国、連合諸国は裁判で
 「無罪の日本人」に死刑宣告・・・執行・・・
 罪状は「ゴボウを食わせた罪」・・・
 「人道」に反する罪を犯した「裁判官」を
 「日本人」は、「人類」は、「宇宙人」は・・・
 許さない・・・?
 今回の
 米国大統領選挙の
 「不正投票」に対する「司法判事の執った立場」・・・
  何が「民主党」なんだか・・・
 日本議会政治の「内閣首班(腫犯?)選挙」のカン・・・
  何が「自由民主党」なんだか・・・
 中華人民共和国の人民議会
  何が「キョウサントウ」なんだか・・・
 DKM国の三権分立
  何が「トモに民主党」なんだか・・・  
 プチブル人間、プチブル人種はユルシちゃったぁ~
 ↓↑
 大雪とコロナで外出疎遠になっていた
 三笠の従姉と息子が久しぶりに来てくれた
 ボクの「便秘」を気遣って
 「キンピラごぼう(牛蒡)」を作って差し入れも・・・
 「金平ごぼう」・・・?
 「金平(きんぴら)」は、日本食の惣菜の一つ・・・
  ↓↑
  日本国だけの「ソウザイ」・・・「ソウサイ」ですか?
  ガイジンは食べないらしい・・・
  外国には、そんな調理法が抑々(そもそも)ないらしい
  ↓↑
 「繊切りにした野菜を砂糖・醤油を用い甘辛く炒めたもの
  特に繊切りまたは笹がきにしたゴボウを主に調理したものは
  金平ゴボウ(きんぴらごぼう)と呼ばれる」・・・
  カネをタイラにするって、金箔職人・・・「金の公平分配」・・・?
 「金(金・コン・ゴン・gold・羅: aurum)
  原子番号79の元素
  第11族元素に属する金属元素・・・
  遷移元素(transition element)
  周期表で
  第3族元素~第11族元素の間に
  存在する元素の総称
  3族元祖~11支族・・・?
  ↓↑
 失われた
 10支族(Ten Lost Tribes)
 古代イスラエル12部族のうち
 ユダヤ民族の直系の祖の
 ユダ族
 ベニヤミン族
 レビ族
 を除いたもの
 南王国ユダの2支族とは
 ユダ族・ベニヤミン族
 これに
 レビ族
 を加えた3部族がユダヤ民族の直系の祖
 ↓↑
 南王国には
 2部族でなく3部族が存在したが
 レビ族は数えないのが慣例で
 「2部族」と呼ぶ
 ヤハウェに仕える祭司職であるレビ族は
 領土が無く各地に分散して暮らし
 これを数えず
 12部族とする・・・
 旧約聖書の
 イスラエルの
 12部族の
 行方が知られていない10部族
 ルベン族
 シメオン族
 ダン族
 ナフタリ族
 ガド族
 アシェル族
 イッサカル族
 ゼブルン族
 マナセ族
 エフライム族
 北王国
 紀元前722年
 同じ
 セム語系民族である
 アッシリア
 により滅ぼされ
 10部族のうち指導者層は
 アッシリアに連行
 (アッシリア捕囚)
 南王国の2支族によって
 「失われた10支族」と呼ばれた
 広義には捕囚とならなかった
 北王国の住民を含む時もある
 捕囚とならなかった
 旧北王国の住民は
 他の周辺諸民族の中に埋没
 10部族としての
 アイデンティティを失った・・・
 周辺の異民族や、アッシリアによって
 他地域から
 旧北王国に
 強制移住させられた異民族と
 通婚し混血・・・
 ↓↑
 南王国ユダ
 紀元前586年
 セム語系民族の
 新バビロニアに滅ぼされ
 指導者層は
 バビロンなどへ連行され虜囚
 (バビロン捕囚)
 律法を心のよりどころとし
 異民族と結婚したものを
 ユダヤ人のコミュニティから排除する
 排他的な純血至上主義が信奉
 新バビロニアは
 イラン語系民族
 アケメネス朝
 ペルシア
 によって滅ぼされ
 解放され帰還した
 ユダヤ人と
 ペルシア帝国
 は良好な関係継続
 エルサレム神殿復興
 ペルシア人は
 彼らの支配下にある
 すべての民族の宗教を
 平等に扱い
 恩恵は
 サマリア人・・・イスラエル人
         と
         アッシリアから
         サマリアに来た移民との間に
         生まれた人々やその子孫
         サマリア教徒
 も受けていたが
 「ユダヤ人」は
 純血主義によって
 サマリヤ人を
 異民族との混血と蔑み
 北王国の末裔と認めず
 異教徒として扱い
 南北両王国時代の対立を
 民族的血統主義でヒキズッタ・・・
  ↓↑
  こがね・くがね
  光沢のあるオレンジがかった黄色、金色に輝く鉱物・・・
 「ミダース」王の願い
 「ディオニューソス」の養父
 「シーレーノス」が
 「ミダース王」のもとへ連れてこられ
 王は
 「シーレーノス」を
 10昼夜の間、歓待し
 「シーレーノス」は
 王を物語と歌で楽しませ
 「11日目」に・・・・・・・11・十一・壹壱・壹拾壱
 王は
 「シーレーノス」を
 「ディオニューソス」のもとに返した
 「ディオニューソス」は
 「ミダース」王にお礼として
 どんな望みも叶えてやると言い
 「ミダース」王は
 王が触れるもの全てが
 黄金に変わるよう頼んだ・・・

 「きんぴらごぼう
  ささがき、せん切りにしたゴボウを
  油で炒め、砂糖・醤油で煮て
  唐辛子で辛味をきかせた料理」・・・
 「きんぴら=金平」
 「江戸初期に流行した
  人形浄瑠璃
  「金平浄瑠璃」にちなむ
  金太郎で有名な
  坂田金時の子供として設定された
  坂田金平の武勇伝
  で、そこから丈夫で強く荒々しいものを
  「きんぴら」と呼ぶようになった
  唐辛子を利かせた
  ごぼう料理は精の付く食べ物と考えられ
  固くて辛いことから
  「きんぴら牛蒡」と呼ばれた」・・・?
 ・・・「金毘羅ごぼう」じゃないんだ・・・

 金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)
 ↓↑
 大江山の鬼退治
 源 頼光
 と
 頼光四天王
 坂田金時、渡辺綱、碓井貞光、卜部季武
 の次世代の話
 頼光の三番目の弟
 源頼信の長男で嫡男の
 源 頼義
 と
 頼光四天王の息子である
 坂田金平・渡辺竹綱・碓氷定景・卜部季春
 の「子四天王」が活躍
 坂田金時の息子である
 「金平」が人気であったため
 この名が付いた・・・

 侫人の讒言や反逆者の襲撃によって
 京を追われた
 源頼義が
 子四天王の活躍によって
 侫人や反逆者を倒し
 都の平和を回復させる
 ↓↑
 明暦年間
 江戸の
 「和泉太夫」
 が連作の軍記浄瑠璃を発展させ
 作家の
 「岡清兵衛」と組んで始めた
 大坂の
 「伊藤出羽掾」
 「井上大和掾」
 が続いた
 正本(上演台本)の
 「金平本」も登場
 ↓↑
 「金平」の豪快で正義漢溢れる性格
 「竹綱」の智謀など
 徳川氏の祖とされた
 「河内源氏」
 の皇室への
 忠誠ぶり
 天下秩序の擁護者としての位置づけが
 江戸幕府からも好意的に受け止められ
 「金平浄瑠璃」の盛行
 後の
 「浄瑠璃」の発展や
 「歌舞伎の荒事」などに影響を与えた
 ↓↑
 河竹黙阿弥
 弟子の
 河竹新七
 が明治に
 「極付幡随長兵衛」の序幕で
 「金平浄瑠璃」を
 劇中劇の形で復活させ
 今日に伝わっている
 by ウィキペディア(Wikipedia)

 アザミ(薊)・・・仇実・・・痣実・・・字見・・・悝巳?
 悝=忄+里
   カイ・リ
   たわむれる
   李悝=戦国時代
      魏の
      文侯(前4世紀初め)に仕えた
     「李克」ともいう(別人説?)
 ↓↑    ↓↑
      農業生産向上のため
      地力を尽くす政策を説き
      穀物価格を統制し
      飢饉に備えるために
      常平倉の先駆のような制度を考案
 ↓↑    ↓↑
      ・・・常平倉=穀物の価格の変動を防ぐために
             穀類を貯蔵した官営の倉
             日本
             奈良時代の759年(天平宝字3)
            「藤原仲麻呂」
             の建議により設置
             藤原仲麻呂=仲丸
             淳仁朝以降
             改姓・改名
            「藤原恵美押勝
            (ふじわらえみ の おしかつ)」
             大納言
             紫微中台の令(長官)
             中衛大将
             太保(右大臣)
             左大臣・藤原武智麻呂の次男
 ↓↑    ↓↑
             叔母 光明皇后(安宿媛)
             従妹 阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)
 ↓↑           ↓↑
             妻が数人と多いが、それらの中に
             妻  陽候(陽故)女王・・・陽侯?
                     隋王朝 煬帝の末裔?
 ↓↑           ↓↑  ↓↑        ↓↑
                陽侯 麻呂(やこ の まろ)
                姓 史
                大隅国守
                陽侯氏(陽侯史→陽 侯忌寸)
                隋の煬帝の子孫
                達率
                楊候・楊胡・陽候・陽胡とも記録
                阿子王の末裔の渡来系氏族
                文武天皇四年(700年)
                僧
               「通徳」が還俗し
               「陽侯史」の姓
               「久爾曾」の名を与えられ
               「勤広肆」に叙せられた
                序列「24位/諸臣48階・深緑」
 ↓↑           ↓↑  ↓↑
                大隅国守在任
                養老四年(720年)
                反乱の隼人に殺害された
 ↓↑           ↓↑
             陽候(陽故)女王
             ?~天平宝字八年(764年)
                新田部親王の王女
             八男 藤原 辛加知(?~764)
                  (しかち・からかち?)
            「陽侯女王
            (やこじょおう・やこのおおきみ)」
             天平十一年(739年)正月二十日
             従四位下
             天平宝字五年(761年)十月十一日以降
             臣籍降下(氷上真人姓)し
             氷上 陽侯(ひがみ の やこ)と称した
             氷上 真人(ひがみ の まひと)
             天武天皇の孫
             新田部親王の娘
             塩焼王の姉
             藤原仲麻呂の妻室
             官位 従三位・命婦
 ↓↑    ↓↑

      諸国の法を整理して《法経》6編を編纂
      秦の商鞅(しようおう)から
      漢の蕭何(しようか)へと継承された
      中国法典の原点・・・
     「《漢書》芸文志」に
     「李悝の書として《李子》32巻」が見えるが
      現存しない佚書(逸書)・・・
 ↓↑
 蒡=艹+旁
   艹+亠+丷+冖+方
   艹+亠+丷+冖+亠+勹
   艹+亠+丷+冖+丶+万
 ↓↑
 爾雅・釈草
 「蒡・隱荵なり」
 「隠荵」
 註に
 「蘇に似て毛有り」
  ・・・蘇我蝦夷(毛人)・入鹿(海豚)・馬子
       ・・・盲人=塙 保己一
 ↓↑
 武内宿禰─蘇我石川宿禰─蘇我満智
 ─
 蘇我韓子─高麗─稲目─馬子──善徳
           堅塩媛 蝦夷─入鹿
ー↓↑ーーー
 蘇定方(592年~667年)
 唐の軍人
 名 烈
 字 定方
 本貫 冀州武邑県
 蘇邕の子
 隋末に蘇邕は郷里の数千人を率いて叛乱の討伐にあたった
 ↓↑
 蘇邕死去後
 父の部衆を引き継ぎ
 劇県の叛乱軍の
 張金称・楊公卿らを撃破
 後
 竇建徳の麾下
 部将の
 高雅賢の養子となる
 高雅賢
 と
 劉黒闥が死ぬと
 定方は帰郷
 唐の貞観初年
 匡道府折衝
 李靖の下で二百騎を率いて
 突厥を攻撃する先鋒
 突厥の
 頡利可汗は逃亡し
 李靖が到着すると
 残兵の突厥一党は降伏
 凱旋後
 定方は左武候中郎将
 永徽年間
 左衛勲一府中郎将
 「程名振」
 とともに高句麗を攻撃し
 右屯衛将軍に任ぜられ
 臨清県公に封ぜられた
 ↓↑
 656年
 程知節に従って
 前軍総管となり
 「阿史那賀魯」を攻撃
 鷹娑川に到着
 「阿史那賀魯」が2万騎を率いて対陣
 定方は総管の
 「蘇海政」
 とともに連戦したが決着ができず
 突厥の別部の
 「鼠尼施」らが2万騎を率いて敵方に来援
 定方は騎兵の精鋭500を率いて
 山嶺を越えて
 敵陣に討ち入り
 1500人あまりを殺害し
 多くの武具や牛馬を鹵獲
 唐の軍中で
 副大総管の
 「王文度」
 が味方の疲労と士気の低下を見て
 深入りを諫め
 定方は追撃を主張
 「程知節」
 が
 怛篤城にいたり
 胡人を降伏させると
 「王文度」は
 「降胡」を殺して財貨を奪うことを主張
 定方はこれに反対
 王文度は聞き入れず
 財貨を分配
 高宗がこれを知り
 「程知節」らが帰還した後
 「王文度を」庶民に落とした
 ↓↑
 657年
 定方は
 伊麗道行軍大総管に抜擢
 再び
 「阿史那賀魯」を攻撃
 「任雅相」
 と回紇の
 「婆閏」が副大総管をつとめ
 定方は
 アルタイ山の北に出て
 処木昆部を撃破
 俟斤の
 「嬾独禄」を降した
 定方は
 麾下の1000騎と
 回紇の1万人を率いて
 「曳咥河」に進軍
 「阿史那賀魯」は大軍を率い
 定方の兵が少ないのをみて
 左右両翼を伸ばして包囲
 定方は歩兵に高所に拠らせ
 自らは精鋭の騎兵を率いて北原に陣し会戦
 「阿史那賀魯」の軍は
 崩れて潰走にうつり
 唐軍が追撃
 翌日、定方が兵を進軍させると
 五弩失畢が部族こぞって唐に降伏
 「阿史那賀魯」
 「処木昆の屈律啜」の数百騎は西方に逃走
 大雪にあって、軍吏に進軍の中止を求められたが
 定方は強引に兵を雙河まで進め
 「阿史那弥射」
 「阿史那歩真」
 の軍と合流し
 「阿史那賀魯」の陣に迫った
 「阿史那賀魯」は
 「石国」に逃れたが
 「阿史那弥射」の子の
 「阿史那元爽」が
 「蕭嗣業」と合流し
 「阿史那賀魯」を捕縛
 定方は
 左驍衛大将軍に任ぜられ
 邢国公に封ぜられた
 子の
 「蘇慶節」も
 「武邑県公」に封ぜられた
 ↓↑
 659年
 「思結闕俟斤都曼」が諸部を扇動し
 疏勒・朱倶波・渇槃陀
 の三カ国が唐に叛き
 定方は
 安撫大使となって討伐
 兵を率いて
 「葉葉水」にいたり
 「都曼」が
 馬頭川を守ると
 定方は歩兵の精鋭1万と騎兵3000を選抜し
 昼夜分かたず三百里を駆け抜け
 「都曼」の陣の前に現れ
 「都曼」は戦うこともなく城に逃げ込んだ
 唐軍がこれを攻めたてると
 「都曼」は自らを縛って降伏
 定方が捕虜を
 乾陽殿に献上し
 邢州鉅鹿の三百戸の食邑を加えられ
 左武衛大将軍に転じた
 ↓↑
 660年
 熊津道大総管
 百済征討にあたった
 城山から海をわたって
 熊津口に上陸
 沿岸の百済軍を撃破し
 真都城に進軍し勝利
 百済王
 「義慈」
 太子の
 「隆」は北方に逃走
 定方が
 泗沘城を包囲すると
 義慈の子の
 「泰」が王を称した
 「泰」は抗戦を続けようとしたが
 「義慈」は開門して降伏することを決意
 百済の将軍
 「禰植」
 「義慈」
 は唐軍に降り
 「泰」
 も捕らえられ
 百済王
 義慈
 隆
 泰
 らは
 東都洛陽に送られた
 ↓↑
 定方は
 三カ国を滅ぼし
 それらの王を捕らえ
 賞与の珍宝は数えきれず
 子の
 「蘇慶節」は
 尚輦奉御の位を加えられた
 定方は
 遼東道行軍大総管となり
 平壌道行軍大総管に転じた
 高句麗の軍を
 「浿江」で破り
 馬邑山の敵営を落とし
 平壌を包囲
 大雪に遭って、包囲を解いて帰還
 涼州安集大使に任ぜられ
 吐蕃
 吐谷渾
 とも戦った
 667年
 76歳で死去
 高宗は
 左驍衛大将軍・幽州都督の位を追贈
 諡 荘
ー↓↑ーーーー
 広韻
 「牛蒡=菜なり」
 集韻
 隱荵の本字「蒡=艹+旁」
 牛蒡の本字「𦾭=艹+片+旁」
 異体字「𦾭・𦱘=艹+亠+勹+方
         艹+亠+勹+丶+万」
 ↓↑
 謗=言+旁
   言+亠+丷+冖+方
   ホウ・ボウ
   そしり
   そしる
   責める・悪口をいう
   そしり
 ↓↑
 キク科アザミ属 (Cirsium)
 それに類する植物の総称
 アザミ(薊)の根=山牛蒡(やまごぼう)の漬け物される
 縄文時代の遺跡から
 炭化していない栽培種のゴボウの種子が出土
 ↓↑
 ゴボウ(牛蒡・牛旁・悪実・Burdock)
 キク科ゴボウ属の多年草.
 ↓↑
 牛蒡積み=石垣・城壁の石積み
 奥行きのある直方体に近い石を
 短辺面が外側になるように積んでいく工法
 石の積み方が「ゴボウの束」を積み重ねたよう
 大洲城・若松城
 彦根城・松江城
 ↓↑
 薬草
 発汗利尿作用のある根は
 牛旁根(ごぼうこん・Burdock Root)
 浮腫、咽頭痛、解毒に用いる種子は
 牛旁子(ごぼうし)
 日本では
 乳腺炎に
 種をそのまま食べるか
 煎じる使用法も有効
 ゴボウは解熱に強い薬草
 風邪や咳に効果
 ↓↑
 「牛蒡」の語源
 牛の尾に似ている
 「蒡」という草より大きかった
 食用とするのは日本だけ
 ↓↑
 牛蒡=中国では草木の大きなものを
   「牛」という字を当て字にした・・・
   「蒡」という草に似て
   「蒡」より大きな植物だった
    牛=大の比喩
    キク科の越年草「牛蒡(ごぼう)」
   「牛の尾」に似ているから「牛蒡」
    種子は漢方で浮腫の治療薬や解熱薬
    ごぼう=Burdock(イガ=棘のついた雑草)
 ↓↑
 新潟県
 直江津町(上越市)
 東京俘虜収容所
 第4分所の所長
 らが
 終戦後
 収容されていた
 オーストラリア人捕虜達から
 「木の根を食べさせられた」
 と告発を受け
 所長を除く8名が
 横浜裁判で絞首刑
 (直江津捕虜収容所事件)
 長野県
 下伊那郡
 天龍村
 東京俘虜収容所第12分所(満島捕虜収容所)
 勤務の警備員1名が無期懲役の判決
 裁判で
 ゴボウを食べさせたことが
 虐待として扱われた
 「相馬暁」は1996年の著書
 「アメリカ人捕虜に
  ゴボウを食べさせたために
  昭和21年
  横浜戦犯裁判で
  捕虜収容所の関係者が
  二人が死刑
  三人が終身刑
  二人が十後年以上の有期刑の
  判決を受けた」
 著述
 「村山有」
 が捕虜にゴボウを差し入れたことを理由に
 戦犯容疑者として
 GHQに逮捕された
 極東国際軍事裁判時の弁護団
 「清瀬一郎」は
 「ある捕虜収容所」のケースとして
 「牛蒡を
  オックス・テイル(牛の尾)
  豆腐を
  ロツン・ビーンズ(腐った豆)
  と誤訳したため
  捕虜から不満が出た」
 ・・・
 「ワタシはカイになりたい」・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
モウクンの目次は「干支歴」関連と「ウタ」のみが覗けます
http://meisiki.bake-neko.net/

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あ、づま、はや・・・「弟橘媛」、「吾嬬者耶(あづまはや)」

2021-03-10 22:39:12 | 古事記字源

 「根古(ねこ)岳」・・・「ネコ・ねこ・猫・根子」のツギ
 「ネコ・ねこ・猫・根子」のツギはウシ・・・ウシのツギはトラ
 トラのツギはウ・・・ダカラ、ナニ・・・
 ↓↑
 2018年(平成30年)9月6日3時7分⇔2時~1時
 戊┏ 戌(辛・丁・戊)
 庚┣ 申(己・壬・庚)┓
 辛┣ 丑(癸・辛・己)┃
 己┣ 丑(癸・辛・己)┃
 ~          冲己
 庚┗ 寅(己・丙・甲)┛
 ↓↑
 2021年3月12日01時~
 辛┏ 丑(癸・辛・己)┓
 辛┣ 卯(甲・ ・乙)冲己
   三合乙
 己┣ 未(丁・乙・己)┛
    冲己
 乙┗ 丑(癸・辛・己)
 ↓↑
 2016年4月14日21時26分
 丙┏ 申(己・壬・庚)┓  ┓
 壬┣ 辰(乙・癸・戊)冲己 ┃
 丙┣ 寅(己・丙・甲)┛  ┃
    合甲         害
 己┗ 亥(戊・甲・壬)   ┛
 ↓↑
支関係表
http://meisiki.bake-neko.net/kansireki14/sikankeix1.html
 ↓↑
命式「干支暦の計算」
http://meisiki.bake-neko.net/eigimesi33.htm
 ↓↑
「五行思想」
http://meisiki.bake-neko.net/zatubun5g.html
 ↓↑
 地震
 2021年3月9日 8時30分
 辛丑・辛卯・丙辰・壬辰
 震源地  宮城県沖
 最大震度 4
 マグニチュード 4.8
 深さ   80km
 北緯   38.8度
 東経   141.6度
ー↓↑ーー
 2016-12-05 04:17:46
 古事記字源
 日本地理上の
 「根古(ねこ)岳」
 は
 「熊本県・・・熊(くま・ユウ・能+灬)の
                能=ム月匕匕
                灬=炎・烈火
        本(もと・ホン・十+八+一)を
                十八=おはこ
                一=壹・壱・市・移置・位置
        懸(か・ケン・県+系+心)ける
               県=目+乚+亅+ハ
  阿蘇郡・・・阿(おもねる・ア・阝+可)
                 阝=おおざと(邑)右側の「α+阝」
                   こざと (阜)左側の「阝+β」
        蘇(よみがえる・ソ・艹+魚+禾)
        郡(こおり・グン・君+阝)
                 君=尹(イン)+口
                   尹=長官・監督
  高森町」
 「上田市(長野県東部・東信地方)・・・千曲川が横断
  真田(菅平高原)・・・旧上田市とは別の自治体の真田町
             神川(かんがわ)水系に位置
             菅平高原(すがだいらコウゲン)
             菅平湖
  須坂市の境界」
 にもある
 ↓↑
 戦国時代
 「福島正則」・・・福(ふく)の島(くに)の
          正(ただしい)則(のり・おきて・法則)
 が江戸幕府によって
 広島藩50万石から
 川中島藩2万石に減封された
 終焉の地・・・「福島原発」・・・
 ↓↑

 小布施・・・?
 幕末
 豪商
 「高井鴻山」が招いた
 「葛飾北斎」
 「佐久間象山」
 「小林一茶」
 ら当時の交流の地
 ↓↑
 群馬県
 吾妻郡
 嬬恋村(つまごいむら)
 「嬬恋」
 「日本武尊」
 が東征の帰路
 鳥居峠に立ち
 海の神の怒りを静めるために
 海に身を投じた愛妻の
 「弟橘媛」を
 「吾嬬者耶(あづまはや)」
 と追慕した地名
 (吾妻も同じ)
 ↓↑

 根子岳峰・四阿山峰
 ↓↑
 隣接自治体
 長野県上高井郡
 小布施町・・・小布施=おふせ=御布施?
 大字
 小布施
 ↓↑  「布施」の人名
    「阿倍御主人」
     阿倍 御主人(あべ の みうし)
     氏 布勢・普勢(ふせ)
     阿倍普勢(あべのふせ)
     の複姓で記録
     姓は臣のち朝臣
     左大臣
    「阿倍内麻呂」の子
     官位は従二位・右大臣
     672年7月24日~8月21日
    「壬申の乱」の
    「大海人皇子(天武天皇)」の功臣
     舒明天皇七年(635年)
     ~
     大宝三年閏四月一日(703年5月20日)
     従二位・右大臣
     主君 天武天皇→持統天皇→文武天皇
     氏族 布勢臣→布勢朝臣→阿倍朝臣
     父  阿倍内麻呂
     兄弟 小足媛
        橘娘
     子  広庭
        布勢人主
        布勢 人主
       (ふせ の ひとぬし)
        伏せ・臥せ・附せ・御布施
        匍匐前進・臥薪嘗胆
        (ホフクゼンシン)
        姓は朝臣
        官位は従五位上
        遣唐判官
        駿河守
        山陽道巡察使
        文部大輔
        上総守
        称徳朝
        神護景雲元年(767年)
        式部大輔
        神護景雲三年(769年)
        出雲守
 ↓↑      ↓↑
        阿部 正弘(あべ まさひろ)
        文政二年十月十六日
       (1819年12月3日)
        ~
        安政四年六月十七日
       (1857年8月6日)
        改名 剛蔵・正弘
           祐軒・学聚軒
        別名 四郎五郎・主計頭
           正一・叔道・叔卿
        備後国(広島県)
       「福山」藩の・・・⇔「福島」?
        第七代藩主
        江戸幕府
        老中首座
        天保改革の
        町奉行
        鳥居忠耀
        後藤三右衛門
        渋川敬直
        らを処分
        弘化二年(1845年)九月
        老中首座の
       「水野忠邦」
        を天保の改革失政理由で
        失脚させ
        老中首座に就任
        幕政を統括し
       「安政の改革」を断行
        嘉永七年一月十六日
       (1854年2月13日)
        ペリー再来
        三月三日(3月31日)
       「日米和親条約」締結
        阿部宗家
        第十一代当主・・・
      生涯
      数字「11」の「多発」関連者・・・?
      ・・・11・壹壱
           壱拾壱・・・
           壹が拾う位地
           位地は
           足(あし・たり・ソク)
           の移置
 ↓↑    ↓↑
   『日本書紀』 「大彦 命」
   『古事記』  「大毘古命」
    稲荷山古墳出土鉄剣銘文
   「意富比垝」
    第 八代孝元天皇の第一皇子
    第十一代垂仁天皇の外祖父
   「阿倍臣(阿倍氏)」などの諸氏族の祖
    四道将軍の1人で、北陸に派遣された
 ↓↑    ↓↑
    崇神天皇の時
   「大毘古命(大彦命)」は
    高志道に
   「建沼河別命」は
    東方十二道に派遣
    大毘古命と建沼河別命
    が出会った地が
   「相津(福島県会津)」
    と名付けられた
    埼玉県
    行田市
    埼玉古墳群の
    稲荷山古墳出土の
    鉄剣(稲荷山古墳出土鉄剣)の銘文
   「意富比垝(おほひこ)」=「大彦命」に比定
    意富比垝
    多加利足尼
    弖已加利獲居
    多加披次獲居
 ↓↑    ↓↑
      阿倍臣
     「大彦命」の子
     「建沼河命」の祖
     「孝元天皇」皇子
     「大彦命」の後
     「孝元天皇七年二月丁卯条(日本書紀)」
     「兄大彦命(孝元皇子)は
      是
      阿倍臣・膳臣
      阿閇(閉)臣
      狭狭城山君・筑紫国造・越国造
      伊賀臣・凡て七族の始祖なり」
      と記録
 ↓↑    ↓↑
      大化五年(649年)
      左大臣
      阿倍内麻呂 死亡
      阿倍の宗家が絶え
 ↓↑    ↓↑
      傍系出身の
     「阿倍比羅夫」
      が
      一族の氏上的な地位に就いた・・・?
 ↓↑    ↓↑
      斉明天皇四年(658年)四月
      ~
      斉明天皇六年(660年)五月
     「越国守」
          ・・・660年百済滅亡・・・
             663年10月4日~10月5日
             白村江の戦い
             錦江(クムガン・クマガン)
                キンコウ・にしきえ)
             で
             新羅と唐
             の連合軍に敗れる
 ↓↑    ↓↑
      天智天皇三年(664年)
      冠位二十六階の制定で
     「大錦上」に叙せられ
     「筑紫大宰帥」に任ぜられた
     (『続日本紀』)
      父 阿倍 目 or 阿倍 浄足
      次男 阿倍 宿奈麻呂(?~720)
         引田 広目
         阿倍 安麻呂
         阿倍 船守は
         ↓↑  ↓↑
         阿倍 仲麻呂
         阿倍 帯麻呂の父
      ↓↑
      阿倍 仲麻呂
      文武天皇二年(698年)
      ~
      宝亀元年(770年)1月
      遣唐留学生
      唐名
     「朝衡・晁衡」
      姓は朝臣
      筑紫大宰帥
      阿倍比羅夫の孫
      中務大輔
      阿倍 船守の長男
      弟 阿倍 帯麻呂

 寝そべったネコの耳に観えるらしい・・・
 で、「根古(ねこ)」の名前がつく「天皇」だが、
ーーーー↓↑ー
   七 大日本「根子(ねこ)」彦太瓊天皇
   八 大日本「根子(ねこ)」彦国牽天皇
   九 稚日本「根子(ねこ)」彦大日日天皇
 二十二 白髪武広国押稚日本
        「根子(ねこ)」天皇
 四十一 大倭 「根子(ねこ)」天之廣野日女尊
 四十二  倭 「根子(ねこ)」
        「根子(ねこ)」豊祖父天皇
 四十三 日本 「根子(ねこ)」天津御代豊国成姫天皇
 四十四 日本 「根子(ねこ)」高瑞浄足姫天皇
 五十  日本 「根子(ねこ)」皇統弥照尊
 五十一 日本 「根子(ねこ)」天推国高彦尊
 五十三 日本 「根子(ねこ)」天高譲弥遠尊
 五十四 日本 「根子(ねこ)」天璽豊聡慧尊

 ・・・「彦=びこ・ひこ・ゲン」だが
 「山彦(やまびこ)」は
 「こだま=木霊・木魂=こたま」
 「谺(谷+牙)=こたま・カ・ケ」で
 「反響音・音響」である・・・
 「こだま=兒玉・児玉」
 も嬰児、幼児の泣き声かも・・・英字の音声・・・?
 「彦根」も「彦音」だったカモ・・・
 ・・・多分、「長靴」を履いていた人物(根子)だろう・・・

ーーーーー
 ???・・・「彦根城」・・・「肥後の根のシロ」・・・熊本城?
 ↓↑
 彦根城(ひこね ジョウ)
 滋賀県
 彦根市
 にある城
 江戸時代には彦根藩の政庁が設置
 天守、附櫓
 及び
 多聞櫓
 は国宝
 琵琶湖
 国定公園第1種特別地域
 別名   金亀城
 城郭構造 連郭式平山城
 天守構造 複合式望楼型
      3重3階地下1階(1604年築)
 築城主  井伊直継
 築城年  1622年(元和八年)
 主な城主 井伊氏
 廃城年  1874年(明治七年)
 遺構   天守・櫓・門・塀・馬屋
      石垣・土塁・堀
 位置
 北緯35度16分35秒
 東経136度15分07秒

 「彦根」
 天照大御神と須佐之男命との
 誓約(うけい)で生まれた
 五男三女の男神
 天照大神が
 左手に巻いていた
 玉から生まれた
 ↓↑
 天津日子根命=天津彦根命=アマツヒコネノミコト
 と
 活津日子命=活津彦根命=イクツヒコネのミコト
 2柱のうち
 活津彦根明神として
 彦根山に祀られたことに由来
 ↓↑
 忍坂と住吉にの
 生根神社の祭神
 「少彦名命等」とされる
 生國魂神社の祭神とも同神
 他に
 天田郡生野神社
 養父郡
 伊久刀神社等の祭神
 ↓↑
 江戸時代初期
 滋賀県
 彦根市
 金亀町
 彦根山に
 井伊氏の居城として築かれた
 平山城(標高50m)
 異名 金亀城(コンキジョウ)
 井伊氏14代の居城
 ↓↑
 廃城令の破却を免れ
 天守
 附櫓(つけやぐら)
 多聞櫓(たもんやぐら)
 安土桃山時代~江戸時代の
 櫓・門など5棟が現存
 馬屋も重要文化財
 「大隈重信」
 の上奏により
 1878年(明治十一年)
 保存されることとなった・・・
 ↓↑
 徳川四天王の一人
 井伊直政
 1600年(慶長五年)
 「関ヶ原の戦い」後
 18万石で
 近江国北東部に封ぜられ
 西軍指揮官
 石田三成の居城
 佐和山城に入城
 佐和山城は名城であったが
 井伊直政はこれを嫌い
 琵琶湖岸に近い
 磯山(米原市磯)に居城移転を計画
 1602年(慶長七年)死去
 井伊直継が幼少であり
 直政の遺臣
 家老の
 「木俣守勝」が
 徳川家康と相談し
 1603年(慶長八年)
 琵琶湖に面した
 彦根山(金亀山)に
 築城を開始
 1606年(慶長十一年)
 2期までの工事が完了
 天守完成と同じ頃に
 直継が入城
 大坂夏の陣で豊臣氏滅亡後
 1616年(元和二年)
 彦根藩の手により
 第3期工事が開始
 1622年(元和八年)
 彦根城完成
 1633年(寛永十年)
 徳川譜代大名の最高の35万石
 筆頭家老
 木俣家は1万石を領し
 月間20日は
 西の丸三重櫓で執務
 1854年(安政元年)
 天秤櫓の大修理
 石垣の半分も積み直された
 ↓↑
 井伊直弼
 35歳で藩主
 城下町で過ごした屋敷は
 「埋木舎(うもれぎのや)」
 として現存・・・
 ↓↑
 彦根
 中山道と北陸道(北国街道)が合流
 水陸から京に至る東国と西国の結節点
 ↓↑
 壬申の乱・672年(白鳳元年)
 姉川の戦い・1570年(元亀元年)
 賤ヶ岳の戦い・1583年(天正十一年)
 関ヶ原の戦い・1600年(慶長五年)
 ↓↑
 の合戦がこの周辺で行われ
 織田信長は
 佐和山城に丹羽長秀を入れ
 長浜城を羽柴秀吉に与えた
 豊臣秀吉は石田三成
 徳川家康は井伊直政
 を配置
 ↓↑
 彦根城の建築物
 京極高次が城主を務めた
 大津城天守
 佐和山城から佐和口多門櫓と太鼓櫓門
 小谷城から西ノ丸三重櫓
 観音寺城から太鼓門
 材料移築
 通し柱を用いず
 各階ごとに積み上げられた天守
 3層3階地下1階の複合式望楼型で
 「牛蒡積み(ごぼうづみ)」
 といわれる石垣
 ↓↑
 彦根城の天守閣は
 明治元年
 700円で落札され解体寸前
 明治十一年十月
 明治天皇巡幸で彦根を通過し
 城の保存を命じた
 保存を奏上したのは
 「大隈重信」
 or
 天皇の従妹
 「かね子(住持攝専夫人)」
 という説・・・
 ↓↑
 by ウィキペディア(Wikipedia)
ーーーーー
 ・・・???・・・

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証空・・・摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)・色即是空・空即是色

2021-03-08 23:11:06 | 古事記字源

 奈良の都の八重桜・・・もえチャン、冴えてる・・・
 ↓↑
 ここ、一週間、暴風雪で除雪の日々だったが昨日も今日もガンガンの天気・・・
 だが、夕方は凍えるほどの寒冷・・・コロナワクチン・・・冷凍庫は無用な環境・・・
 厳寒・・・換言・・・寒厳・・・?
 体調、便秘と頻尿もそうだが、下痢と瓦斯・・・

 『いにしへの・・・・・・・意似詞屁之
  奈良の都の八重桜・・・・なんぞ、良いのか、譯の葉の重なる作覶カナ
  今日(けふ)・・・・・・化符
  九重に匂ひぬるかな』・・九拾爾、似於意塗る仮名
 ↓↑
 勹
 包=勹+己
 勺=勹+丶
 ↓↑
 勾=勹+ム=まがる・とらえる・かぎ形に曲がる
   斜めに傾く・勾配・勾欄
   とらえる=勾引・ 勾留
   勾玉(まがたま)
   ↓↑
   ム=よこしま=奸・邪・侫・左・姦・辟・違・慝・䜛・讒
          犯・冒・姦・漢
     菅(よこしま)・・菅(すが・カン)原(わら・ゲン)道真
              ↓↑
              カンゲン=換言・諫言・甘言
              ↓↑
              韓玄=魏の曹操が荊州を制圧したときの
                 長沙太守
                 後に金旋・劉度・趙範
                 らと共に
                 蜀漢の
                 劉備の軍勢に降伏
              ↓↑
              寛元=後嵯峨天皇

                 後佐賀・誤捜(捜査)
                 語(ゴ)性(さが)?
                    転向・天光・天候・典項?
                 後深草天皇・・・誤真相・語神宗(新装)?
                 の時の年号
                 1243年2月26日~1247年2月28日
                 干支 癸卯~
                 仁治四年=寛元元年二月二十六日~
                 皇紀1903年
                 南宋 淳祐三年
                 モンゴル帝国
                 脱列哥那皇后(ドレゲネ)称制二年
                 大理国 道隆五年
                 朝鮮
                 高麗 高宗三十年
        1243年
        干支 癸卯
           仁治四年・・・人事肆年(撚・念)?
           寛元元年二月二十六日~
        南宋 淳祐三年
        モンゴル帝国・・・・・・・文語留綴語句?
        脱列哥那皇后(ドレゲネ)・・・拿通列仮名咬合?
            称制二年・・・・・・・要請字撚?
        大理国 道隆五年
        ↓↑   ↓↑    ↓↑
        ・・・代理の語句 道隆(ドウリュウ)語撚
           雲南に興った
           後理国の
           段祥興の時代に使用された元号
           1239年~1251年
              ↓↑
          「藤原 道隆」
           天暦七(953)年~長徳一(995)年
           中関白
           藤原兼家の長男
           母は藤原中正の娘 時姫
           一条天皇の皇后 定子の父
           永延三 (989) 年 内大臣
           正暦一 (990) 年
           父に代って関白・摂政・氏長者
        ↓↑
        1243年
        干支 癸卯
           仁治四年
           寛元元年二月二十六日~
        千葉県・・・知の葉の懸け
        銚子市・・・兆詩誌・調音(素)詞
        常世田・・・情勢伝
        常灯寺の木造の
        薬師如来像
        通称 常世田薬師
        の中にある修理記録に
       「仁治四年」の記年銘
        ↓↑
        キプチャク・ハン国成立
        ↓↑
        誕生
        1243年生
        6月28日(寛元元年六月十日)
        第89代天皇(~1304年)
        後深草天皇
        ↓↑
        マンスール・アリー・・・萬素有留・有理?
        バフリー・マムルーク朝
        第3代スルターン
        ↓↑
        今川国氏・・・混選の國の氏?
        鎌倉時代の武将(~1282年)
        ↓↑
        ジャウメ2世・・・邪埋字施?
        マヨルカ王・・・・万與留化於有?
        モンペリエの領主(~1311年)
        チンキム
        モンゴル帝国の王族(~1285年)
        ↓↑
        死去
        1243年
        1月19日
       (仁治三年十二月二十七日)
     ・・・訊字纂撚・師走・念漆比?
        近衛家実
        鎌倉時代前期の公卿、関白(1179年~)
        ↓↑
        4月19日(寛元元年三月二十九日)
        諦子内親王・・・綴音名意審於得?
        順徳天皇の第二皇女、女院(1217年~)
        ↓↑
        8月13日(寛元元年七月二十六日)
        加地信実・・・華字眞實(真実)?
        鎌倉時代の武将(1176年?~)
        ↓↑
        10月15日
        シロンスクのヤドヴィガ
        ポーランド大公ヘンリク1世の妃
        カトリック教会の聖女(1174年~)
        ↓↑
        11月1日(寛元元年九月十八日)
        大炊御門麗子・・・大田記語文例音?
        土御門天皇の中宮(1185年~)
        インドラヴァルマン2世
        アンコール朝・・・Encore・・・案故於留調?
        第21代国王
        ↓↑
        李心伝・・・木之子(茸・[m:613]・記の音)の理、真(審)伝?
        南宋の歴史家(1166年~)
        ↓↑
        1244年
        干支  甲辰
            寛元二年
        ↓↑
        1245年
        干支  乙巳・・・645年・大化の改新
        寛元三年
        ↓↑
        1246年 丙午
        寛元四年
        ↓↑
        1247年
        干支  丁未
        寛元五年
        宝治元年二月二十八日~
        南宋  淳祐七年
        モンゴル帝国 定宗(グユク)二年
        大理国 道隆九年
        高麗  高宗三十四年
        ↓↑
        誕生
        1247年生
        イザベル・ダラゴン
        フランス王フィリップ3世の王妃(~1271年)
        一山一寧、鎌倉時代の元の渡来僧(~1317年)
        ジャン2世、エノー伯
        ホラント伯、ゼーラント伯(~1304年)
        熊谷直高、鎌倉時代の御家人(~1284年)
        死去
        2月16日
        ハインリヒ・ラスペ
        テューリンゲン方伯(1204年~)
        5月20日(宝治元年四月十四日)
        幸西
        平安時代、鎌倉時代の浄土宗の僧(1163年~)
        6月17日(宝治元年五月十三日)
        檜皮姫・・・比革(比較)秘め・比米・比瑪・鳹
        鎌倉幕府の第5代将軍
        藤原頼嗣の正室、北条一門の女性(1230年~)
        7月8日(宝治元年六月五日)
        宇都宮 時綱
        鎌倉時代の御家人
        三浦 光村
        鎌倉時代の御家人(1205年~)
        毛利 季光
        鎌倉時代の御家人(1202年~)
        7月9日(宝治元年六月六日)
        三浦 泰村
        鎌倉時代の御家人(1184年~)
        7月10日(宝治元年六月七日)
        千葉 秀胤
        鎌倉時代の御家人
        10月28日(宝治元年九月二十八日)
        土御門 定通
        鎌倉時代の公卿(1188年~)
        12月24日(宝治元年十一月二十六日)
        証空・・・摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)
             色即是空・空即是色
             平安時代、鎌倉時代の浄土宗の僧(1177年~)
             コンラト1世、マゾフシェ公、クラクフ公
            (1187年?~)
        ↓↑     ↓↑
              還元=カンゲン・元に返還する
          ↓↑   ↓↑
          横嶌・横嶋・横島
          ム(私)・己(おのれ)・自(みずから)
          横縞=緯度=酉卯線=東西線
          ボーダー=横縞
          ストライプ=縦縞
          横縞の服=アメリカ合衆国監獄囚人服
 ↓↑      ↓↑
 匂=勹+匕=臭う
 匃=勹+兦=匄 ・丐
   カツ・カチ・カイ
   こう・あたえる(与・與)
   兦=乚+人=死者・死体・死人
 匈=勹+凶=匈奴
 匊(すくう・掬う)
 訇=勹+言=大音響・轟音・衝撃音
   哼・𠣭・𧥻・𧥺
 匐(はらばう)
 句=勹+口
 勻=勹+二=等
 匇=勹+夕=匇匇(ソウソウ)=匆・怱
   悤忙(怱忙・ソウボウ)
   アワただしい⇔泡(沫・安和・阿波・安房・粟)正しい?
   悤=にわか(俄)
 匁(もんめ)・勿(なかれ・勿論)・苟(いやしくも)
 ↓↑
 眉唾もの・・・眉=𠃜+目・・・E+ヨ=𦥑・臼
 ↓↑
 臭いはしないが、トイレでの下痢の臭ささ・・・
 「匂い(薫)」ではない「臭い=自+大=汚臭」
 ↓↑
 便秘には「アンコ・餡子」がいいらしい・・・
 小豆(あづき)を
 餡(食+臽)や羊羹(ヨウカン)のように
 甘く煮詰めた食べモノ・・・
 「あづき・あつき」・「あずき・あすき」・・・東月、明日気・・・?
  异
  异=己+廾=オノレ(よこしま)の拱(こまぬ)き
    異なる・違う
    差异・立异・无异 ・日新月异・求同存异
    異体字「異・𢍀=㠯(イ)+廾」
            㠯=以(もって)・已(すでに)
    イ・あ-げる・止める
 ↓↑
 あ+「だ・ぢ・づ・で・ど」
 あ+「ざ・じ・ず・ぜ・ぞ」
 仇=あだ=讐・讎・徒・空・婀娜・冦
 味=あぢ=鰺・按司・阿字・阿路
 熱=あづ=暑・温・厚・篤・東・與・預・阿須
 艶=あで=当・中・充・宛・阿手・蛙怢
 跡=あど=迹・址・痕・後・阿戸・亜土

 あ=「あか・赤・紅・朱・銅・丹・緋」
    ・・・閼伽(みず・阿伽・遏伽)
       垢(十一后・拾位地の皇后=則天武后)・・・?
   スカーレット(scarlet)
   黄味の赤
   エカルラート(フランス語: ecarlate)
   スカーレットレッド
   ややくすんだ赤色
   本来は茜染めの高級織物
   濃く暗い 赤色を茜色
   最も明るい茜色を緋色

  『緋色の研究(A Study in Scarlet)』
  「医学博士
   元陸軍軍医
   ジョン・H・ワトスン・・・倭都州亡・和譯素毋
   の回想録の翻刻」
   ↓↑
   上杉 鷹山(治憲)
   寛延四年七月二十日(1751年9月9日)
   ~
   文政五年三月十一日(1822年4月2日)
   出羽国米沢藩9代藩主
  「日向国
   高鍋藩6代藩主
   秋月種美の次男
   母は
   筑前国
   秋月藩4代藩主
   黒田長貞の娘
   春姫
   母方の祖母の
   豊姫
   が
   米沢藩4代藩主
   上杉綱憲の娘
   10歳で
   米沢藩8代藩主重定
  (綱憲の長男・吉憲の四男で、春姫の従兄弟)の養子」
  「秋月の乱・明治九年
   1876年10月27日~11月14日
   福岡県秋月
  (筑前・福岡県朝倉市秋月)で起こった
   豊津側の連絡を受け
   乃木希典
   率いる
   小倉鎮台が秋月党を攻撃
   秋月側は死者17名を出し
   江川村栗河内(朝倉市大字江川字栗河内)へ退却
   10月31日
   秋月党解散」
 ↓↑
 天津小豆(てんしんしょうず)・・・天神の照唐?
      天津=隋王朝の宮殿内の天津川と天津橋
      清水(しょうず)・小図・招ず 
 ア=赤・・・?
 ツキ・ズキ=溶ける・解ける・融ける・梳ける・?
 ↓↑
 あきづき? 
 秋月=秋月藩=福岡藩の支藩
    元和九年(1623年)
    黒田長政の三男
    黒田長興が福岡藩より
    5万石を分知されて立藩
    支藩として一時
    東蓮寺藩(直方藩)があった
 ↓↑
 他の豆より調理時間が短い
 アズ・アヅ=崩れやすいという意味・・・?
       煮崩れしやすいアズキ・・・?
 赤粒木(あかつぶき)→アズキ
 平安時代の『本草和名』
 「赤小豆」を
 「阿加阿都岐(アカアツキ)」と記述
 『古事記』
 オオゲツヒメの鼻から小豆が生じた
 『万葉集』2580・2582・2899
 「あづきなく(不当に・あじきなし)」の
 「あづき」に「小豆」の漢字をあててる
 ↓↑
 赤飯
 赤米で炊いたご飯
 少量のアズキ入りの
 もち米の飯が一般的な赤飯
 小豆は水に浸して戻すための
 浸漬時間を長くするほど
 加熱中に割れる「胴切れ」
 関東地方では
 「切腹に通じる」
 とし
 赤飯に小豆ではなく
 皮が破れにくい
 「ササゲ」を用いる地域がある
 ↓↑
 祝事の席で食す料理
 白米と小豆で作った
 小豆粥(あづきがゆ)がある
 1月15日(小正月)
 小豆粥を食する年中行事がある
 ↓↑
 和菓子
 中華菓子
 原料
 餡(あん)にして
 饅頭・最中・どら焼き・たい焼き・今川焼き
 あんパン
 などの中に入れる
 牡丹餅の材料で
 節句行事で使用
 ↓↑
 煮てから
 寒天などを加えて
 羊羹(ようかん)にする
 煮て小豆汁にし
 餅などを入れて汁粉にする
 煮た餡状ものに
 餅を入れ
 善哉(ぜんざい)にする
 地域によって
 アズキと他のものを一緒に煮た
 「いとこ煮・煮ごめ」という郷土料理
 味噌や醤油を作るのに
 大豆の代わりに用いることもある・・・
ーーーーー
 ???・・・明日気・・・あすか・・・
 アスカ・・・安宿=飛鳥=奈良=斑鳩・・・
 ↓↑
 2021年03月07日 21時44分頃
 福島県沖 M4.3
 ↓↑
 辛丑・辛卯・甲寅・乙亥
        ┗合 ┛
 ↓↑
 ニュージーランド
 北方のケルマデック諸島沖
 2021年2月5日午前8時28分
 (日本時間同4時28分)
 M8・1 地震
 辛丑・庚寅・甲申・戊辰
     ┗冲 ┛
 ↓↑
 2021年2月11日午前0時20分
 辛丑・庚寅・庚寅・丁亥
 (日本時間10日午後10時20分)
 辛丑・庚寅・己丑・乙亥
 フランス領ニューカレドニア沖
 M7・7 地震
 ↓↑
 2021年2月13日23時7分
 福島県沖
 M7・3 地震
 辛丑・庚寅・壬辰・甲子
        ┗三合┛
 ↓↑
 ニュージーランド
 カンタベリー地震
 2011年2月22日12時51分
 M6・3 地震
 辛卯・庚寅・戊申・戊午
     ┗冲 ┛
 ↓↑
 2011年3月11日14時46分
 東日本大震災が発生
 辛卯・辛卯・乙丑・癸未
        ┗冲 ┛
 ↓↑
 2021年03月04日22:27頃
 ニュージーランド北島東方M7.3
 辛丑・庚寅・辛亥・己亥
     ┗合 ┛
 ↓↑
 2021年03月05日02:41頃
 南太平洋
 ケルマデック諸島M7.4
 辛丑・庚寅・壬子・辛丑
        ┗合 ┛
 ↓↑
 2021年03月05日04:28頃
 南太平洋
 ケルマデック諸島M8.1
 辛丑・庚寅・壬子・壬寅
ーーーーー
 ・・・???・・・

 

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カエル(蛙・替える)の一種 ・ヒキガエル(蟾蜍・引き換える)

2021-03-06 22:53:28 | 古事記字源

 タマゴを割らなければ「卵掛け・玉子掛け」ご飯にならない
 タマゴをワラなければ「タマゴカケ・ギョク詞懸け」語判にならない
  (You can't make an omelette without breaking eggs.)
 (Chicken and egg question.
  Chicken or the egg)
 卵を盗む者は牛も盗む
  (He that will steal an egg will steal an ox.)
 コロンブスの卵

 ↓↑
 申命記 22:6
 ベーツァー(בֵּיצָה bēytzāh)
 卵を意味するヘブライ語
 巣から母鳥と雛を
 同時に採らないことが
 人間的な
 「ミツワー」・・・三ツ輪・三輪山?
 ミツワー(ヘブライ語: מצוה‎, mitzwāh
      複数形 mitzwōth・英: mitzvah)
 ユダヤ教
 ミクラー本文・・・御蔵?
 (成文トーラー)・・・虎?
 口伝トーラー
 ラビ(律法学者)による・・・覶備(尾・彌・美・日)?
 「戒律」
 神からノユダヤ人への「命令」
 「ミツヴァ」・・・三つ葉?
 「善行・慈善行為、気前の良い行動」
 敬虔なユダヤ人文化
 「ミツワー」
 狭義には
 肯定的なミツワー(613のミツワー)のみを指す
 否定的なミツワーは
 「アベーラー・・・阿部等(蓏)・阿毎・阿武?
 (עֲבֵרָה ăbhērāh・逸脱・罪)」
 が使用
 「アベーラー」・・・阿部等(蓏)?
 「トーラー」によって罪にナルわけでない
 「ミツワー」を実行しないことは罪である
 ↓↑
 「613のミツヴァ」・・・三つ葉?
 「613のミツヴォット」
 「613の戒律(ヘブライ語: תרי"ג מצוות‎
        ローマ字化ヘブライ語
        Taryag mitzvot
        タルヤグ (TaRYaG)
        ・・・「足・樽・多留」夜具?
        の頭字語は
        「613」という数値)
        トーラーの神からの
        「戒律の一覧表」
 ユダヤ教で「トーラーが
       613のミツヴォット(戒律・指針)」
       を意味する「מצוה(ミツヴァ)」
       の複数形
      「命令=צוה(tzavah)」から派生
 ↓↑
 「613の戒律」のうち
 「248」は
 「ミツヴォット・アセー
  (積極的戒律・行動を促す命令)」
 「365」は
 「ミツヴォット・ロー・タアセー
  (消極的戒律・行動を慎む命令)」
 「365」は一年の日数に対応し
 「248」は古代ヘブライ人が
  人体の骨と重要な器官の数であると信じた

 ↓↑
 卵(ラン)=玉子=たまご
 動物の卵細胞や
 それが未受精、受精し胚発生が進行した状態で
 体外(外環境)へ産み出される
 雌性の生殖細胞と付属物の総称
 外部に放出(産卵)される卵
 その多くが周辺環境と内部を隔てる構造を持ち
 恒常性を保つ機能を持つ
 ↓↑
 卵=は横に割るのが普通
 卵=卯+丶+丶
   𠂎+卩+丶+丶
   𠂎・・・・字形ハ「斤・斧・柳・氏・卿=𠂎+良+卩」
    +卩・・・セツ・割符の片方
        叩(たた)く
       「敲・啄・扣・搉」く
  卯=𠂎+卩・・・ノ+𠄌(レ)+丿
    ⺁+𧘇=𠂢=永
  卬=ノ+𠄌(⊥)+卩
  卯=半分に割る
  印=E+卩=印鑑
  殷(白勹几又)=雷鳴・獅子の咆哮
    +
    卩・・・セツ・割符の片方
        叩(たた)く
       「敲・啄・扣・搉」く
 ↓↑
  戼・夘・𫑗・𫝁・卬
  丣・邜・𢨯・𤕰・𦕔
  𩇦・𩇧・𩇨(古字)

 ↓↑
 𪓑=黽
   ベン・メン・ビン・ミン
   モウ・ミョウ・ボウ
   黽黾𪓙𪓖𪓝𪓕𦊣𦋍=丿匚コL乚Eヨ黽=𪓑
   カエル(蛙)の一種
   ヒキガエル(蟾蜍、ヒキガエル科)
   アオガエル(青蛙、アオガエル科)
   に似て水に棲み腹が大きい
   爾雅注疏:釋魚・鼁𪓰蟾諸
  (似 蝦蟆 居陸地 淮南謂之去蚥)在水者 黽
  (耿黽也 靑蛙 大腹一名 土鴨)
  (狀似 靑蛙 而腹大 爲異陶
   注本草云 大而靑春者俗名 土鴨
        其鳴甚壯卽此 黽也)
   「鼁𪓰・蟾諸」はヒキガエル
   「去蚥」は「蜛蚥」=ヒキガエル
   ひたすら勉(つと・免+力)める
            兔=免+丶=御免
   励(はげ)む、「黽勉(ビンベン)」
   同「僶・勔」・・・蠅・蝿・・・八重・映え
            亀・龜・・・咬め
 ↓↑
 乁=イ・キュウ・ゴウ
   ヘへ乙=乁
  移(うつ)ろう・ものの位置が変わる
  時が流れる・同「移」
  「𠂆=エイ・こちらに移って来る」
  のではなく、逆に
  「乁=向こうに移って行く」

 タマゴ=「球・多摩・但馬」語・・・球磨・埼玉?
 ↓↑
 区=匚+㐅
   ク・オウ
   區=匚メ㐅=区
   仕切る、細かく仕切る
   仕切られた所、仕切られた範囲
   行政上の地域の単位
   小さいさま、細かいさま
   戦国時代(前5世紀~前221年)
   齊(セイ)国の容量の単位
   1区=4豆=1斗4升
   乁・乀
ーーーーー
 ・・・???・・・尻尾・・・
 球磨児を「和蓏」なければ・・・埼玉=さいたま・さきたま=差異玉
 和氏の璧(カシのヘキ・カシのタマ)
 春秋時代・戦国時代の名玉
 『韓非子』(和氏篇十三)
 『史記』
 に記録
 「連城の璧(レンジョウのヘキ)」とも
 ・・・

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「兎=うさぎ・莵・菟・兔・兎・🐰」のツキ・・・根子のツキ?

2021-03-04 15:42:11 | 古事記字源

 卯月・三月・弥生・虎耳草、虎芽草・・・雪割草は未だ蝦夷
 トラ(寅・虎・彪・斗羅・tiger)去って
 ウサギ(卯・兎・rabbit・hare・bunny・buck・cony)来る・・・?
 ・・・ネコ(猫・根子・Cat)がくる・・・

 ↓↑
 2021/03/08/06:00
 辛丑・辛卯・乙卯・巳卯
 虎耳草=雪の下・雪の下紅梅
 芽虎耳草=つぼみユキノシタ・・・流通エリア 陝西省の眉県(太白山)
                       宝鶏(ミャオワン山)
 虎列剌茸(コレラタケ)=毒茸・ドク木之子
 ↓↑
 卯=𠂎+卩
   異体字「戼・夘・𫑗・𰻟・卬
       丣・邜・𢨯・𤕰・𦕔
       𩇦・𩇧・𩇨・𫝁
   ボウ
   う・あきら・しげ・しげる
   さく・ころす
   ほぞあな=臍(枘・鈉)穴(孔)
   冒(おほ=覆・被・蓋・蔽)ふ
   冒=日+目
  感冒=カンボウ
     官房・間貿・神房・観望・監房
     冒(おか)す=犯・侵・姦・奸
      奸=女+干(一十・壹拾)
            市足・位置拾
        女+二+丨
        一+乚(乙・L)+丿+二+丨
        女+丅+一・・・丅=下
          丅=𠄟の古字(篆文)
      丅字形・丅定規
      丅witter
      丅wice
     オンナのヒデリ(旱)
         日干り=日照り
             天照大神
         十干(ジュツカン・えと)
          干=(+)+(-)=兄弟・姉妹
         陽        陰
       +(甲丙戊庚壬) -(乙丁己辛癸)
         干支(カンシ・えと)
        陽         陰
      +(子寅辰午申戌) -(丑卯巳未酉亥)
    60干支・納音・奇数は「陽・+」、偶数は「陰・-」サイクル
                空亡
    01 甲 子(壬・ ・癸)戌亥
    02 乙 丑(癸・辛・己)戌亥
    03 丙 寅(己・丙・甲)戌亥
    04 丁 卯(甲・ ・乙)戌亥
    05 戊 辰(乙・癸・戊)戌亥
    06 己 巳(戊・庚・丙)戌亥
    07 庚 午(丙・ ・丁)戌亥
    08 辛 未(丁・乙・己)戌亥
    09 壬 申(己・壬・庚)戌亥
    10 癸 酉(庚・ ・辛)戌亥

    11 甲 戌(辛・丁・戊)申酉
    12 乙 亥(戊・甲・壬)申酉
    13 丙 子(壬・ ・癸)申酉
    14 丁 丑(癸・辛・己)申酉
    15 戊 寅(己・丙・甲)申酉
    16 己 卯(甲・ ・乙)申酉
    17 庚 辰(乙・癸・戊)申酉
    18 辛 巳(戊・庚・丙)申酉
    19 壬 午(丙・ ・丁)申酉
    20 癸 未(丁・乙・己)申酉

    21 甲 申(己・壬・庚)午未
    22 乙 酉(庚・ ・辛)午未
    23 丙 戌(辛・丁・戊)午未
    24 丁 亥(戊・甲・壬)午未
    25 戊 子(壬・ ・癸)午未
    26 己 丑(癸・辛・己)午未
    27 庚 寅(己・丙・甲)午未
    28 辛 卯(甲・ ・乙)午未
    29 壬 辰(乙・癸・戊)午未
    30 癸 巳(戊・庚・丙)午未

    31 甲 午(丙・ ・丁)辰巳
    32 乙 未(丁・乙・己)辰巳
    33 丙 申(己・壬・庚)辰巳
    34 丁 酉(庚・ ・辛)辰巳
    35 戊 戌(辛・丁・戊)辰巳
    36 己 亥(戊・甲・壬)辰巳
    37 庚 子(壬・ ・癸)辰巳
    38 辛 丑(癸・辛・己)辰巳
    39 壬 寅(己・丙・甲)辰巳
    40 癸 卯(甲・ ・乙)辰巳

    41 甲 辰(乙・癸・戊)寅卯
    42 乙 巳(戊・庚・丙)寅卯
    43 丙 午(丙・ ・丁)寅卯
    44 丁 未(丁・乙・己)寅卯
    45 戊 申(己・壬・庚)寅卯
    46 己 酉(庚・ ・辛)寅卯
    47 庚 戌(辛・丁・戊)寅卯
    48 辛 亥(戊・甲・壬)寅卯
    49 壬 子(壬・ ・癸)寅卯
    50 癸 丑(癸・辛・己)寅卯

    51 甲 寅(己・丙・甲)子丑
    52 乙 卯(甲・ ・乙)子丑
    53 丙 辰(乙・癸・戊)子丑
    54 丁 巳(戊・庚・丙)子丑
    55 戊 午(丙・ ・丁)子丑
    56 己 未(丁・乙・己)子丑
    57 庚 申(己・壬・庚)子丑
    58 辛 酉(庚・ ・辛)子丑
    59 壬 戌(辛・丁・戊)子丑
    60 癸 亥(戊・甲・壬)子丑

             干戈(カンカ)
            甘干(あまぼし)
            梅干(うめぼし)
            若干(そこばく)
            射干(ひおうぎ)
             干潟(ひがた)
             干潮(カンチョウ)
             干葉(ひば)
             干物(ひもの)
             干飯(ほしいい)
             干渉(カンショウ)
       ↓↑    ↓↑
     三国干渉⇔臥薪嘗胆
     明治二十八年(1895)
     日清戦争の講和条約
     (下関条約)
     締結後
     ロシア (露・露西亜)
     フランス(仏・仏蘭西)
     ドイツ (独・独逸)
     3国が
     日本に干渉
     下関条約で
     日本が得た
     遼東半島を
     清国に返還
     遼東半島=哈大線(哈爾浜=ハルビン
             ~大連間の
             旧東清鉄道支線)の終点
          哈=口+合(𠆢一口)
          爾=丅+ハ+冂+爻+爻
          浜=氵+兵(丘ハ)
            ヒン
            ヒョウ
            ホウ
            はま
            みぎわ・なぎさ・ほとり
            水ぎわ
            かぎり・辺境の地・地の果て
            ぎりぎりまでせまる
            接する・近づく
            沿う・水辺にそう
            横浜(よこはま)」の略
            船を通行させるための水溝
          濱=氵+賓
            氵+賓
            氵+宀+一+少+貝
            氵+宀+一+小+丿+貝
          濵=氵+賔
            氵+宀+眉+ハ
            氵+宀+乛+丿+亠+目
            氵+宀+巴+貝
            眉=尸+丨+目=眉毛
    水に伏せる巴形の貝が立ち昇った形象=UFO?
    「欧羅巴(ヨーロッパ)」って、渦、碓、磑?
    「巴里(パリ)」って刀の無い共恵の里?
     三竦み・・・第三市民って?
     第一身分の聖職者
     第二身分の貴族
     ・・・「平民」って・・・平家の人々か?
    「色」は
    「赤・紅・Japanese red=朱色・丹・茜色」
    「朱=鮮やかな黄みの赤」
    「赤橙=あかだいだい」
    「銀朱=ヴァーミリオン(Vermilion)」
    「朱=赤色硫化水銀」
    「辰砂=シナバー(cinnabar)」
    「以色列(イスラエル)」だが・・・

          眉⇔㞒=尸+自
              コ+丿+自
              カイ・キ
              コ丿尸目自=㞒
            鼾(いびき)をかく
            同「屓」
            力強いさま・同「屭」
            力(りき)む、踏ん張る
            贔㞒(ひき)
            カメ(亀)に似た想像上の動物
            龍生九子
            リュウセイキュウシ
            龍が生んだ九頭の子)の一頭
            重いものを背負うことを好み
            石碑・石柱などを
            支える姿に彫られる
            同「贔屓、贔屭」
            重いものを背負い
            力強く踏ん張るさま

          滨=氵+宀+兵
            氵+宀+丘+ハ
            讃瑞(簒隋・纂隋)で
            卯(兎・鵜・烏)の下の
            丘(斤一)を捌(さばく)
            岡宮=日並皇子・草壁皇子
               (ひなめし)
            追号
            岡宮 御宇 天皇
           (おかのみやに
            あめのしたしろしめす
            すめらみこと)
            岡宮天皇
            長岡天皇
     岡宮天皇陵=束明神古墳から南300mの
           高取町大字森に所在
           1862年(文久二年)
       宇都宮藩が
           岡宮陵の修陵が行われ
           宇都宮藩による
           山陵修補関係図に
           岡宮帝御陵之図があり
       この時期に比定された・・・
           束明神古墳
          (つかみょうじんこふん)
           が草壁皇子の墳墓との説が有力
           奈良県
           高市郡
           高取町
           森字森谷の円墳
      ↓↑   ↓↑
     春秋時代 燕
         (前1100年頃~前222年)
          祖 召公奭
          元の國名は
         「匽=匚+妟
           =匸+妟
            匚+日+女
            異体字「郾=匽+阝
                偃=イ+匽」
           =エン・ふせる(伏せる)
            かくす
            ふす(臥)・・・臥薪嘗胆
            なびく(靡)・・邪靡堆國
            はこ(匣・函・凾・箱)
            どぶ(溝・渠・漊
               灌漑用水路・運河
               堤防)」
           「匚=ホウ
              はこがまえ」
           「匸=ゲ・ケイ
              かくしがまえ」
            匚(Γ一)≠匸(一乚∟L)
            の
           「日=ニチ・ジツ
              ひ・か」の
           「女=ジョ・ニョ
              おんな・おうな」
          燕の領土・首都は薊(ケイ)
          秦に滅ぼされた
     後漢末
          公孫氏が支配
          魏に滅ぼされた
     ↓↑    ↓↑
     1898年
     ロシアが不凍港を求めて租借
     明治三十七~八年
     1904年2月6日~1905年9月5日
     日露戦争
     1904年2月23日
     開戦前「局外中立宣言」の
     大韓帝国における
     軍事行動を可能にするため
    「日韓議定書」を締結
     開戦後8月
    「第一次日韓協約」締結
     だが
     高宗や両班
     旧李朝支配者層は
     日露戦争中にロシアに密書を送り
     密使が日本軍艦により海上にて捕獲され
     大韓帝国は条約違反を犯した     
        ↓↑    ↓↑
        よこしま=奸・邪・横嶋
        横縞=東西線=緯度
          =酉卯線
        カン=毌=貫・菅
           毌丘(カンキュウ)
           毋丘(ブ キュウ)
           母丘(ボ キュウ)
      冃=帽子・頭巾・被り物
        余呉島
        余呉町=滋賀県最北端に存在した町
            長浜市余呉町
            小谷城跡
            石田三成出生地
            姉川
            妹川(高時川)
           「姉川の合戦」地
            元亀元年六月二十八日
           (1570年7月30日)
        余呉湖=「羽衣伝説・菊石姫伝説」
            の湖、1周約6,4Kmの湖畔
            山口誓子
            斎部路通
            などの句碑がある
           「伊香小江・鏡湖」とも
       「横山岳(よこやまだけ)」
        伊吹山地の標高1,132 mの
       「双耳峰」の山
        姉川
        滋賀県内に81の天井川
        最長が「姉川」で
       「天井川」部分の長さは8.1kmと
       「姉川」全体の4分の1以上が「天井川」
   東方
   西暦を12で割って余りが7の年
   中国暦で二(寅)月=如月(きさらぎ・木皿儀)
   日本 で三(卯)月=彌生(やよい・弥生)
   時刻は朝5時~7時
 ↓↑    ↓↑
 卜辞
 「祖乙に羌十又五を侑(すす)め
  羊を卯(ころ)し
  一牛を侑めんか」
  牛や羊の犠牲にする意味で使用
 「肉を両分するところの象形」
 説文解字・巻十四
 「冒(おほ)ふなり
  二月、萬物地を冒ひて出づ
  開門の形象
  故えに
  二月 天門を爲す」
 金文、甲骨文の字形は開門の形と異なる・・・
 ボウ(漢音)
 さく、ころす、う
 しげる
 ↓↑    ↓↑
 貿・貿易・昴・昂(すばる)
 「柳・留」の
 「卯」は「丣」が変化したもの・・・
 ↓↑    ↓↑
 卯飲・卯眼・卯月・卯酒
 異体字
 戼=〔説文〕の本字・丣とは別
 𩇨=〔説文〕に「古文卯」とある異体字
 𩇧=〔集韻〕に「古、𩇧と作(な)す」
   〔康煕字典〕に「卵」の本字
 𤕰=〔字彙補〕に「古文卯字」とある異体字
 𦕔=〔字彙補〕に「古文卯字」とある異体字
 夘=〔俗書刊誤〕にある異体字
   「夗」の異体字
   「外」の異体字
 ↓↑
 𩇨
 戼
 𦕔
 𤕰
 𩇧
 夘
 ↓↑
 『漢書』律暦志
 「卯」は「冒」
 『史記』律書
 「茂」(ボウ・しげる」の意味)
  草木が地面を蔽うようになった状態
 ↓↑
 動物の
 「兎=うさぎ・莵・菟・兔・兎・🐰」
 兜=かぶと=冑
 冃=づきん=頭巾
   月 母・・・くらげ=海月・水母
 フランス・中国の一部・
 チベット・タイ・ベトナム・ベラルーシ
 では
 「猫」が十二干支の「莵・卯」の場所を占拠しているらしい
ーーーーー
 ・・・???・・・

干支歴と未完成なHPの目次
http://meisiki.bake-neko.net/

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