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コジキジゲン

オンナの生き様・・・にほんゴコロ・・・

2023-01-15 00:25:38 | 古事記字源

 『雪の進軍』 『雪の進軍』・・・歌詞は反戦歌です・・・マギレモなく瑕疵・・・

雪の進軍 - YouTube

 女性の生き様・・・にほんゴコロ・・・
 「山本八重(同志社創立者の新島襄の妻)」
 「山川捨松(大山 巖(巖・巗))の後妻」
 ・・・
 「緒方貞子」
 八重
 捨松
 貞子
  コイシイなつ=小石異名通・・・小石川診療所・・・
  「赤ひげ」・・・小石=磐の欠片=磐余彦=神武天皇

 大岩に載りたい「石舞台」・・・おおいわ=多いわ
  岩倉具視
  磐井の乱
  527年
   磐井
  筑 紫 國  造
 (つくしのくにのみやつこ)
  土筆=付くし・着くし・尽(盡)くし・悉くし・殲くし
     突くし・搗くし・就くし・憑くし
     都久志・津久志
  築 紫=知久氏・矗氏・築志・・・建築を志す
  ↓↑
  築=筑+木
    ・・・筑=楽器・琴に似る
      悲筑(ヒチク)=琴に似た竹の楽器の
              悲しそうな音色
      京 へ=京都へ・・・「ヘ」
      筑紫に=九州に・・・「に」
      坂東さ=関東さ・・・「さ」
      方向を示す助詞の地方方言
      地名
      小筑紫町石原 (高知県宿毛市)
      朝妻筑摩 (滋賀県米原市)
      上志筑 (茨城県かすみがうら市)
      筑波 (茨城県つくば市)
      筑紫 (福岡県筑紫野市)
      筑波 (埼玉県熊谷市)
      筑波 (埼玉県鴻巣市)
  築=竹+巩+木
    竹+工+卂+木
    竹+工+凡+木
    竹+工+⺄+十+木
    竹+工+几+丶+木
    チク
    きずく・つく
    建てる・建物を造る
    きね=杵・土をついて固める道具
    築山(つきやま)
    ・・・築山御前=駿河御前
       徳川家康の正室
       子女
       徳川信康
       亀姫
       母は
       今川義元の妹
       姉妹
       大谷元秀室
       北条氏規 室?
      「瀬名」?・・・築山殿の実名は不明
      源頼朝・・・
    築地(つきじ)
    築地町(つきじちょう)
    築港(ちっこう)・・・小樽築港
    築山(つきやま)
    杵築(きずき)
  ↓↑
  何故、「造=辶+告
        辶+吿
        辶+⺧+口
        辶+牛+口
        辶+𠂉+丄+口
          ・・・𠂉=カミ挿し・櫛
            丄=上
        辶+丿+土+口
        辶+丿+十+一+口」
  が「みやっこ」と訓字るのか?
  造=ゾウ=艁=䒃・・・造船
    つくる
    いたる・行く・到達する
    なる・出来上がる
    はじめる・始める
    みやつこ
    宮っ子・都子・看奴・・・嬴通子?
    こしらえる・たてる・なす
    はじめる・初め・最初
    にわか・あわただしい
  ↓↑
  造=みやつこ=渡来系技術者・・・創造・造反有理
    豪族が朝廷によって派遣
       朝廷に帰順して
    国造に任命
    その多くは
    允恭朝に
    臣・連・君(公)・直(凡直)などの姓が贈られた
    朝廷直轄領の
    県主(あがたぬし)と異なり
    軍事権・裁判権など広い範囲で自治権を認められた
 ↓↑
 大山 巌(おおやま いわお)・・・
    巌=山+厳
     山+⺍+厂+敢
     山+⺍+厂+丆(丅)+耳+攵
     山+⺍+厂+一+ノ+耳+攵
 大山 巖(巖・巗)・・・
    巖=山+嚴
     山+吅+厂+敢
     山+口+厂+丅+耳+攵
     山+口+厂+一+丨+耳+攵
 天保十三年十月十日
 1842年11月12日
 ~
 大正五年
 1916年12月10日
   大運1911年6月(68歳)戊午正財
 壬┏寅(己丙甲)印綬・正財帝旺⇔丙辰傷官
  冲己
 辛┗亥(戊甲壬)偏官・正財 死⇔庚子正官
 乙 酉(庚 辛)  ・正官 絶⇔辛巳偏官
 丁 丑(癸辛己)食神・偏印 衰⇔己丑偏財
   午未空亡
 ↓↑
 陸軍大臣(初代・第3代)
 陸軍参謀総長(第4・6代)
 大警視(第2代)
 文部大臣(臨時兼任)
 内大臣(第4代)
 元老
 貴族院議員
 称号・階級
 元帥陸軍大将
 栄典
 従一位大勲位功一級公爵
 号 赫山・瑞岩
 字 清海
 従兄弟
 西郷隆盛
 西郷従道
 ↓↑
 薩摩国
 鹿児島城下
 加治屋町
 柿本寺通(下加治屋町方限)出生
 薩摩藩士
 大山綱昌(彦八)の次男
 幼名 岩次郎
 通称 弥助
 家紋 佐々木源氏大山氏
    「丸に隅立て四つ目」
 ↓↑
 「有馬新七」
 らに影響されて過激派に属した
 文久二年(1862年)
 「寺田屋騒動」で
 公武合体派に鎮圧され
 帰国謹慎処分
 薩英戦争に際して謹慎を解かれ
 砲台に配属
 西欧列強の軍事力に衝撃
 幕臣
 「江川英龍」の塾で
 「黒田清隆」
 らとともに砲術を学ぶ
 ↓↑
 戊辰戦争
 新式銃隊を率いて
 「鳥羽・伏見の戦い」
 「会津戦争」
 各地を転戦
 12ドイム臼砲
 四斤山砲
 の改良設計し
 「弥助砲」と称され
 日露戦争まで長く使用
 ↓↑
 会津戦争
 薩摩藩二番砲兵隊長
 鶴ヶ城攻撃初日
 土佐藩部隊の援護に出動し
 弾丸が右股を内側から貫通
 狙撃者は
 「山本八重(同志社創立者の新島襄の妻)」
 後の妻となる
 「山川捨松」
 とその家族が籠城していた
 ↓↑
 明治二年(1869年)
 渡欧
 普仏戦争などを視察
 明治三年(1870年)~六年(1873年)
 ジュネーヴ留学
 ロシアの革命運動家
 「レフ・メーチニコフ」
 と知遇
 メーチニコフは
 東京外国語学校に教師として赴任
 ↓↑
 西南戦争
 西南戦争、相次ぐ士族反乱を鎮圧
 西南戦争では
 攻城砲隊司令官
 明治十三年(1880年)
 陸軍卿
 第1次
 伊藤内閣の陸軍大臣
 ↓↑
 1884年2月16日
 陸軍卿
 「川上操六」
 「桂太郎」
 大佐らをしたがえ
 欧州兵制視察のために横浜を出発
 1885年1月25日
 帰国
 ↓↑
 日清戦争(1894年~1895年)
 直前には右目を失明
 日清戦争
 陸軍大将
 第2軍司令官
 明治三十二年(1899年)5月16日
 参謀総長に就任
 元帥
 ↓↑
 1903年6月22日
 参謀総長として
 朝鮮問題解決の意見書を内閣に提出
 ↓↑
 日露戦争(1904年~1905年)
 元帥陸軍大将
 満州軍総司令官(1904年6月20日)
 同郷の
 「東郷平八郎」
 と並んで
 「陸の大山
  海の東郷」
 ↓↑
 陸軍を代表し
 元老
 大正四年(1915年)4月23日
 内大臣
 ↓↑
 大正五年(1916年)
 大正天皇に供奉
 福岡県で行われた
 陸軍特別大演習を参観した帰途
 胃病から倒れ
 胆嚢炎を併発
 12月10日
 薨去・享年75
 死ぬ間際まで
 「永井建子」作曲の
 『雪の進軍』を聞いてい・・・
 ↓↑
 大山の死は
 「夏目漱石」
 の死の翌日のこと
 12月17日
 国葬
 参列する
 駐日ロシア大使とは別に
 ロシア大使館付武官
 「ヤホントフ」少将
 大山家を訪れ
 「全ロシア陸軍を代表して」弔詞を述べ
 花輪を自ら霊前に供えた
 敵国の軍人から弔意を受けたのは
 大山
 と
 「東郷平八郎」
 の2人だけ
 ↓↑
 墓所
 栃木県
 那須
 塩原市
  ↓↑
  小石川   養 生  所
 (こいしかわ ヨウジョウショ)
 北緯35度43分11.3秒
 東経139度44分40.5秒
 ↓↑
 江戸幕府が
 江戸に設置した無料の医療施設
 享保~幕末まで
 140年あまり
 貧民救済の医療施設
 ↓↑
 享保六年(1721年)七月
 将軍
 「徳川吉宗」は
 日本橋に高札を立て
 和田倉御門近くの
 評定所前に
 毎月2日、11日、21日の月3回
 目安箱を設置の公示
 12月
 漢方医
 「小川笙船」は
 目安箱を利用して
 施薬院の設置を嘆願投書
 ↓↑
 享保七年(1722年)正月
 吉宗は笙船の上書を取り上げ
 「有馬氏倫」に
 施薬院の設立を命令
 「有馬氏倫」の命を受け
 町奉行の
 「中山時春」
 と
 「大岡忠相」は
 「小川笙船」の意見を聴取
 ↓↑
 両奉行は
 中山
 出雲守
 組与力
 の
 「満田作左衛門」
 と
 大岡
 越前守
 組与力
 の
 「吉田十郎兵衛」
 を設立の事務方に当たらせた
 ↓↑
 設立計画書
 建築費
 金210両
 銀12匁
 経常費
 金289両
 銀12匁1分8厘
 人員
 与力2名
 同心10名
 中間8名
 を配置
 与力は
 入出病人の改めや
 総賄入用費の吟味を行い
 同心のうち
 年寄同心は
 賄所総取締
 諸物受払の吟味
 平同心は
 部屋の
 見回り、薬膳の立ち会い、錠前預かり
 中間は
 朝夕の
 病人食や看病
 洗濯や門番などの雑用を担当
 女性患者は
 女性の中間が担当
 ↓↑
 小石川養生所の井戸
 享保七年(1722年)十二月十三日
 小石川薬園(小石川植物園)内に開設
 建物
 柿葺の長屋で
 薬膳所
 2カ所
 収容人数
 40名
 ↓↑
 小石川養生所は
 町奉行支配
 「小川笙船
    丹治」が
 肝煎を務め
 満田と吉田が
 養生所与力に付いた
 ↓↑
 医師
 本道(内科)のみ
 小川ら7名が担当
 設立時の
 養生所医師として
 「岡丈庵」
 「林良適」
 が任命され
 夜間急病の医師
 「木下同圓」
 「八尾伴庵」
 「堀長慶」
 が任命された
 ↓↑
 寄合医師
 小普請医師
 などの幕府医師の家柄の者が治療
 天保十四年(1843年)
 町医者に切り替えられ
 養生所勤務の年功により
 幕府医師に取り立てられるものもあった
 ↓↑
 当初
 薬草の効能を人体実験すると風評
 利用者が滞り
 享保八年二月
 入院基準を緩和
 身寄りのない貧人だけでなく
 看病人があっても貧民であれば
 収容
 十月
 行倒人
 寺社奉行支配地の
 貧民も収容
 七月
 町名主に養生所の見学をさせ
 風評払拭
 患者も増え
 医師の増員を随時行った
 ↓↑
 幕末
 蘭方医の
 「医学所」と「医学館」が対立
 蘭方医の権威が低下
 ↓↑
 明治維新
 廃止されたが
 「医学館」の管轄に移り
 「貧病院」と改称存続
 漢方医廃止の方針により閉鎖
 ↓↑
 1870年
 薬園
 養生所施設は
 文部省の管轄に移行
 1877年
 東京帝国大学に払い下げられ
 理学部に組み込まれた
 ↓↑
 2012年(平成24年)9月19日
 「小石川植物園(御薬園跡及び養生所跡)」
 国の名勝および史跡に指定
 ↓↑
 小石川植物園
 (東京大学大学院理学系研究科附属植物園)
 内に
 「井戸」
 が保存され
 関東大震災の
 被災者の飲料水と利用された
 ↓↑
 by 『ウィキペディア(Wikipedia)』
 ↓↑
 今(2023/01/12・㊍)は
 ここ
 蝦夷地は
 氷雪の世界・・・
 今日は薄曇りだが空が眩しく、気温が穏やか・・・
 二階の窓に斜めに迫る
 煌めく氷柱(つらら)
 その雫(しずく)の音・・・
 寒い冬は嫌いだ・・・
 灯油備蓄タンク目盛り半分の灯油代金
 請求金額「2.3000円也」・・・
 物価が安く、公共料金も安かった名古屋の大須4
 戀しいのは
 夏の日のポプラ並木の蝉の声・・・
 大須の那古野山古墳の大木・・・
  那古野山 古墳
 (なごややまこふん・なごのやまこふん)
 愛知県名古屋市中区大須
 那古野山古墳公園(旧那古野山公園)
 北緯35度09分35秒
 東経136度54分04秒
 ↓↑
 6世紀頃 築造
 江戸時代
 清寿院の後園が造営
 ↓↑
 1879年(明治12年)浪越公園として開放
 1910年(明治43年)浪越公園が閉園
 1914年(大正 3年)那古野山公園が開園
 2022年(令和 4年)那古野山公園が
          那古野山古墳公園
  ↓↑
 「柳下水」の井戸
 清寿院の境内
 尾張名古屋の三名水
 明治初期に清寿院が廃寺になった後も
 生活用水として使用
 昭和50年代に埋め立てられ
 跡地にモニュメント設置
 2020年(令和2年)3月
 モニュメントが取り壊され
 公園内に移設
  ↓↑
  本 居  宣 長
 (もとおり のりなが)
 享保十五年五月七日
 1730年6月21日
 ~
 享和元年九月二十九日
 1801年11月5日
     大運1796年1月(65歳) 己丑正財
 庚戌(辛丁戊)偏官・偏財 養⇔辛酉正官
 壬午(丙己丁)偏印・正財 死⇔戊戌偏財
 甲戌(辛丁戊)  ・偏財 養⇔癸卯印綬
 乙丑(癸辛己)劫財・正財冠帯⇔癸丑印綬
  申酉空亡
 ↓↑
 国学者
 文献学者
 言語学者
 医師
 名  栄貞
 姓  平氏
 通称 弥四郎・健蔵
 号  芝蘭・瞬庵・春庵
 自宅の鈴屋(すずのや)で門人に講義し
 「鈴屋大人(すずのやのうし)」
 と呼ばれた
 荷田春満
 賀茂真淵
 平田篤胤
 とともに
 「国学の四大人(しうし)」
 「伊勢松坂」
 豪商
 小津家の出
  ↓↑
 「契沖」の文献考証
 「賀茂真淵」の古道説を継承
 『古事記』研究
 約35年を費やし
 『古事記』研究の
 注釈書
 『古事記伝』を著
  ↓↑
 『源氏物語』の
 「もののあはれ」が
 日本固有文学の情緒で本質とし
 儒教を自然に背く考えであると非難
 中華文明の
 「荻生徂徠」を批判
 ↓↑
 儒教仏教流の
 「神典を解釈」を批判
 「言挙げ」をしない真の道があったと主張
 儒教の
 「天命論」
 「易姓革命」
 を批判
 「朱子学の理気二元論」
 についても空論と批判
 世界を理屈で解釈することは
 さかしらの
 「からごころ」
 であり
 神々に対する不敬であるとした
 そうですか、
 兎に角
 ・・・「古事記」は
    「漢字」で記録されていたのだ
 ↓↑
 by 『ウィキペディア(Wikipedia)』
 ↓↑
https://www.youtube.com/watch?v=PQSVkD9rT0U

ーーーーー
 ・・・???・・・
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)  + (表紙・画像・音楽)」の  移転先・・・
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/user/merikiri/videos
 ↓↑
 モモちゃん

 ↓↑
 モウ君の総合目次 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606133825/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/kkmokuji.htm
 ↓↑
 コジキ姫赤い絨毯に乗る(m) (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090609174025/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm
 ↓↑
 古事記と虎関師錬 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606191156/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kokan/kokansiren.htm

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絵に歌を貼り付けてみた・・・

2023-01-13 23:56:21 | 古事記字源

 蹴りたい石ころも無い吹雪に翳む道
 振り返るコトもできなくなる・・・記憶の蒸発・・・

https://www.youtube.com/watch?v=Ud59-ge3FO8


ーーーーー
 ・・・???・・・
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)  + (表紙・画像・音楽)」の  移転先・・・
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/user/merikiri/videos

 ↓↑
 モモちゃん

 ↓↑
 モウ君の総合目次 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606133825/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/kkmokuji.htm
 ↓↑
 コジキ姫赤い絨毯に乗る(m) (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090609174025/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm
 ↓↑
 古事記と虎関師錬 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606191156/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kokan/kokansiren.htm

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異常な自然災害、人事災害、戦争、飢餓・・・慣れれば日常・・・

2023-01-12 13:17:10 | 古事記字源

 凍った路で滑って、初コロビ、一番・壹番・・・後遺ショウ・・・



 ↓↑
 壹=壱=一=いち=位置・市・意知
          位地・移置・仲地・・・仲間の地=故郷
          意知       人は中大兄皇子
                逸(イチ・イツ
                     いつ=何時・乙)
                     乙巳の変(645年)
                     大化の改新
 ↓↑
 㦤=㦉=㱅
 ↓↑
 懿=壹+恣
   士+冖+豆+次+心
   士+冖+豆+冫+欠+心
   士+冖+豆+冫+丿+乛+人+心
   懿徳天皇
   第四代 天皇
   大 日本 彦 耜 友  天皇
   おほやまとひこすきとものみこと(日本書紀)
   大 倭  日子鉏 友   命
   おほやまとひこすきとものみこと(古事記)
   ↓↑
   磯城津彦玉手看天皇(安寧天皇)の第二皇子
   ↓↑
   母は
   鴨王 ( 事代主神 の孫)の娘の
   渟名底仲媛命 (日本書紀)
   阿久斗比売(古事記)
   ↓↑
   皇后は
   天豊津媛命(日本書紀)
   賦登麻和訶比売命(古事記)
   ↓↑
   子
   観松彦香殖稲尊(孝昭天皇)
   御間津日子訶恵志泥命
  (みまつひこかえしねのみこと)
   多藝志比古命
  (たぎしひこのみこと)
   武石彦奇友背命
   ↓↑
   兄弟 同母兄 息石耳命(常津彦某兄 )
      同母弟 磯城津彦命
   ↓↑
   父帝が崩御した翌々年の一月に即位
   即位二年一月
   軽 之 境  岡  宮
  (かるの さかいおかのみや・古事記)
   軽  曲  峡 宮
  (かるのまがりおのみや・日本書紀)
   に遷都
   二月
   息石耳命 の娘の
   天豊津媛命 を皇后とし
   観松彦香殖稲尊(孝昭天皇 )を得た
 ↓↑
 懿=壹+恣+士+冖+豆+次+心
   士+冖+豆+冫+欠+心
   士+冖+豆+冫+丿+乛+人+心
 壹+α・・・イチ
 噎㙪㦉殪曀㱅皼䊦豷饐鷧
   壹・・・臺=吉+冖+至
         吉+冖+一+ム+土
         士+口+冖+一+ム+十+一
         十+一+口+冖+一+ム+十+一
        =台・坮・㙵・䑓
 ↓↑
 懿懿(イイ)=非常にすぐれている・芳しい様子
 懿戒(イカイ)=すぐれた教え・立派な戒め
 懿軌(イキ)=すぐれた見本・立派な手本
 懿筐(イキョウ)=深さのある竹の籠
 懿業(イギョウ)=立派な仕事
 懿訓(イクン)=立派な教え・すぐれた教訓
 ↓↑
 懿公喜鶴(イコウキカク)
  大切にすべきものを軽く扱い
  くだらないものを大切にして
  身を滅ぼすこと
  「懿公」は人名
   衛の国の懿公
   家臣や国民を大切にせず
   鶴を好んで爵位を与えて大切にしていたが
   戦争になると
   兵隊は鶴に戦わせればよい
   と言って協力せず
   懿公は身を滅ぼした
  「懿公鶴を喜む」
  「懿公好鶴(イコウコウカク)
 ↓↑
 卯=冒=昴=日+卯=昂=日+卬=ボウ
     昴流(すばる)
   冒=よこしま=邪・・・横島・横嶌・横縞
 卜辞に犠牲を「卯す(ころす)」意
 説文に「冒(ボウ)なり」と同声
 卜文と金文の字形は
 牲牛の「肉を両分」する形
     肉=ジク=字句
     肉=にく=弐句・似句・邇句・爾句
 ↓↑
 康熙字典 《丑集中》《士字部》
 壹 〔古文〕夁=𡔾=𡕋=𡕍
 專一也
 《孟子》志壹則動氣・氣壹則動志
 《左傳・昭二十年》若琴瑟之專壹・誰能聽之。 又合也
 《前漢・董仲舒傳》有所統壹・爲羣儒首(孔子)
                羣=群=むれる
 ↓↑
 ボクが自分の文章内で使用してきた記号「~」は
 「・・・から(~)・・・まで」
 の意味で、特に「年号~年号まで」で使用してきたが・・・
 検索ブログを調べたら
 ↓↑
 「~、≅、≈、≃」
 これらの記号は
 論理学や幾何学においては
 「同値、同型、同相、漸進的に等しい」
 「ホモトープである」・・・?
 の意味
 「≒」の上下の点の位置を逆にした
 「≓」 という記号は
 「≒」と同じく「ほとんど等しい」という意味
 「≑」
 上下の点の位置を真中に揃えた記号は
 「幾何学的に等しい」という意味で使用・・・
 との記録があったけれど・・・
 それに
 「ホモトープ」・・・
 まったく、ボクには理解不能な「説明」だった・・・
 「保模問う附」・・・?
 ボクには「設問自体・質問自体」が「?」で
 「理解」出来ないことが多い・・・
 そして
 「自分が記録」した文字、文章「その意味自体」が
 コレって
 「ナンでココに書き込んだの?」
 である・・・自分の「ブログ日記」なのに・・・
 ↓↑
 前回、記録した「円珍」・・・
 本当は「慈円」を書き込みたかったのに・・・
 愚図・・・愚観・・・
 ↓↑
 慈円(じえん・慈圓)
 久寿二年四月十五日(1155年 5月17日)
 ~
 嘉禄元年九月二十五日(1225年 10月28日)
 平安時代末期~鎌倉時代初期の
 天台宗の僧
 諡号 慈鎮和尚(じちん かしょう)
 通称 吉水僧正(よしみず そうじょう)
    『小倉百人一首』では
    前大僧正慈円
   (さきの だいそうじょう じえん)

 父 摂政関白・藤原忠通
 母 藤原仲光の女、加賀
 兄 摂政関白・九条兼実は同母兄
 ↓↑
 歴史書
 『愚管抄』の著者
 全7巻
 「承久の乱」
 の直前、朝廷と幕府の緊張の
 承久二年(1220年)頃成立し
 乱後に修訂・・・
 「初代・神武天皇~第84代・順徳天皇まで
  の歴史を
  貴族の時代~武士の時代への転換と捉え
  末法思想と「道理」の理念とに基づいて
  仮名文で述べたもの
  慈円は朝廷側の一員であるが
  源頼朝の政治を道理にかなっていると評価
  慈円自身の父
  藤原忠通が
  祖父の
  藤原忠実と不仲であった事を批判したり
  同母兄弟の
  九条家流を持ち上げて
  異母兄弟の
  近衛家流を非難するなど
  摂関家の一員としての
  慈円本人の複雑な事情を
  垣間見る事の出来る記事も存在する」・・・
  ↓↑
 『愚管抄』の内容
 三部分
 巻1~巻2まで
 神武以来の天皇年代記
 巻3~巻6まで
 道理の推移を中心とする歴史述叙
 巻7は
 道理についての総括
 一切の法は
 道理であり
 其の道理に基づいて
 世の直し方の方法を
 論述している・・・
  ↓↑
 「道理」って、ナニ・・・?
ーーーーー
 ・・・???・・・
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)  + (表紙・画像・音楽)」の  移転先・・・
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/user/merikiri
 ↓↑
 モウ君の総合目次 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606133825/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/kkmokuji.htm
 ↓↑
 コジキ姫赤い絨毯に乗る(m) (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090609174025/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm
 ↓↑
 古事記と虎関師錬 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606191156/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kokan/kokansiren.htm

 

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明日・九日・成人の日・月曜日

2023-01-08 17:14:12 | 古事記字源

 1月6日が「癸丑月節入り」の正月
 この年月日に誕生した赤ん坊・・・
            大運2033 壬子偏印沐浴 立運十年
            年運2023 癸卯印綬帝旺
 壬 寅(己丙甲)偏印・偏財 建禄⇔
 癸┏丑(癸辛己)印綬・印綬 冠帯
  支合己
 甲┣子(壬 癸)  ・偏印 沐浴
  支合己
 乙┗丑(癸辛己)劫財・印綬 冠帯
   戌亥空亡
   印綬 強旺格
 ↓↑
 本日・正月八日目・日曜日・・明日・九日成人の日・月曜日
 2023年1月8日16時日曜日
 2023年 干支39 壬寅(己・丙・甲)年
 0001月 干支50 癸丑(癸・辛・己)月
 ↓↑
 0006日 干支01 甲子(壬・ ・癸)日
 0007日 干支02 乙丑(癸・辛・己)日
 0008日 干支03 丙寅(己・丙・甲)日
 0009日 干支04 丁卯(甲・ ・乙)日
 ↓↑
https://www.youtube.com/watch?v=Ez6Ke9jSMfY

 ↓↑

 ↓↑
ーーーーー
 ・・・???・・・
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)  + (表紙・画像・音楽)」の  移転先・・・
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/user/merikiri
 ↓↑
 モウ君の総合目次 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606133825/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/kkmokuji.htm
 ↓↑
 コジキ姫赤い絨毯に乗る(m) (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090609174025/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm
 ↓↑
 古事記と虎関師錬 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606191156/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kokan/kokansiren.htm

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ウサギは何故、許されるのか・・・?

2023-01-07 19:30:05 | 古事記字源

 卯=うさぎ=兎・菟・兔・偊・夘・于
 ↓↑
 卵=卯+丶+丶=たまご
       =玉子=egg=エッグ・🥚
        王+丶+子
        一+土+丶+子
        一+十+一+丶+了+一
   卬+丿+丶+丶

 ↓↑
 卯⇔卬(ゴウ・ギョウ・あおぐ=仰ぐ)
   卬=鉈や鉞で真っ二つに叩き切る
   ↓↑
   印=币=ノ+巾⇔帀(めぐる・ソウ)
   印=爪(ソウ・つめ)+卩(わりふ・セツ・セチ)
     爪+卩
     印璽=爪で抑えて押捺(オウナツ)の意
        爪は指先、手で人を上からおさえる形
        抑(手+)の初文=抑圧・抑制
        おさえる、支配する
        印璽をおす・しるし・はん(判子)
        しるしをつける、そのあと
 ↓↑
 兔=免+丶⇔免・・・免除・免責・免皆?・・・免許皆伝
        免荷・免訴・免租
        減免(ゲンメン)・赦免(シャメン)
        任免(ニンメン)
        罷免(ヒメン)・放免(ホウメン)
 ↓↑
 免=ゆるす・免許・免罪
   まぬかれる・のがれる・免疫・免責
   やめさせる・免職・罷免
   二ブン=うむ・子を産む・・・分娩
       婉娩聴従(エンベンチョウジュウ)
       人に優しく素直で逆らわずに従うこと
      「聴従」は言われたことに素直に従うこと
       女性への教えの一つ
      「婉娩として聴き従う」
   ↓↑
   巳⇔巴(口口乚)⇔色=⺈+巴=巴・三つ巴
              ⺈=頭・頭部
              乚=イン=乙=イツ・乙
       ⺈=「立刀・⼑(トウ)」の新字形における書体
       吅=口+口=吅(やかましい・騒然)
         かまびすしい(喧しい)
         うるさい(煩い・五月蝿い)
         叫び声・悲鳴
   口+口=脣=唇=吻・・・陰唇
 ↓↑
 会意・「儿(ノ+乚)+人+臀(しり=刀+口+口?)」
     刀(ク・ヶ・ケ・冖・冂=勹)=⺈
     + 刀=丿+𠃌
       勹=ノ +𠃌
       𠃌
    「口+口=唇・💋・吻・脣=くちびる」
    母体から生児を取り出す=分娩
    ぬけ出る意・・・自分で呼吸、息をする
 ↓↑
 免相(めんあい)=免合
         江戸時代の
         貢租率、貢租額
         石高に対する
         年貢高(領主取り分)の割合
         免一つ=壱分壱厘壱毛
             11.11%
 ↓↑
 夘=卯=戼=丿+匚+「+コ
   兔=免+丶=うさぎ=菟・兎・莵
   兔=免+丶⇔免=免=刀+口口+儿
   ↓↑
   兎唇(いぐち)
   兎(うさぎ)
   兎を見て犬を呼ぶ
   兎馬(うさぎうま)
   兎の毛(うのけ)・・・鵜の目鷹の目
   兎角(トカク)
   兎起鶻落(トキコツラク)
   兎走
   烏飛(トソウウヒ)
   兎に角(トにカク)

 ↓↑
 うさぎ=ウサギ科の哺乳類
     脱兎
     月の異名=烏兎(ウト)=玉兎
 ↓↑
 烏兎(ウト)・玉兎(ギョクト)・狡兎(コウト)・脱兎(ダット)
 ↓↑
 兎・兔(うさぎ)=ウサギ目の動物の総称
          小型で耳と後ろ足が長く
          飛び跳ねるように移動する
 兎跳び(うさぎとび)
 兎の毛(うのけ)うさぎの毛
 占め子の兎(しめこのうさぎ)
  物事が思い通りになったときに発する言葉・しめた
 とにかく=兎に角=色々な事情があるにしても
      いずれにしても・ともかく
      兎も角(ともかく)
      いずれにせよ
 ↓↑
 烏兎匆匆(ウトそうそう)
  歳月が慌しく過ぎていくことのたとえ
  太陽には烏が
  月には兎が住んでいる中国の伝説
  「烏兎」=月日
  「匆匆」=慌しい様子や忙しいこと
  「烏兎怱怱」
 ↓↑
 鳶目兎耳(エンモクトジ)
  情報を集める能力の高い人
  鳶のように遠くのものまで見分ける目と
  兎のように小さな音を聞き分ける耳
 ↓↑
 亀毛兎角(キモウトカク)
  存在するはずのないもの
  亀の甲羅に毛が生え
  兎の頭に角が生える
  戦争が起こる前触れを言った言葉
  「兎角亀毛」
 ↓↑
 金烏玉兎(キンウギョクト)
  太陽と月
  歳月や時間
  「金烏」=太陽にいるとされる足が三本の烏
  「玉兎」=月にいるとされる兎
 ↓↑
 玉蟾金兎(ギョクセンキント)
  月の別名
  「玉蟾」=月に住む蟇蛙・蝦蟇
  「金兎」=月に住む兎
 ↓↑
 玉兎銀蟾(ギョクトギンセン)
  月の別名
  「銀蟾」は月にいる蟇蛙(ひきがえる)
 ↓↑
 兎の罠に狐がかかる=思いがけない幸運や収穫を得ること
 兎も七日なぶれば噛みつく=おとなしい人でも
      たびたび辱めを受けるとついには怒る
      おとなしい兎でも七日もいじめられれば
      噛みつく
 ↓↑
 兎を見て犬を呼ぶ=事を見極めてから
  対策をしても遅くないということ
  一見手遅れに見えても
  対策次第で間に合うこともあるので
  あきらめてはいけない
  兎を見つけてから猟犬を呼ぶ
  兎を見つけてから猟犬を呼んでも遅すぎる
  手遅れのたとえにも
 ↓↑
 兎(う)の毛で突いたほど=きわめて小さいことのたとえ
 ↓↑
 株を守りて兎を待つ=古い習慣や過去の偶然の成功にこだわり
  進歩や向上がないことのたとえ
  中国・宋の農民が
  木の切り株にぶつかって死んだウサギを
  労せず兎を手に入れ
  農作業をせずに毎日切り株を見張っていた
  「守株」
  株を守りて兎を待つ
  古い習慣や過去の偶然の成功にこだわり
  進歩や向上がないことのたとえ
 ↓↑
 兎の罠に狐がかかる
  思いがけない幸運や収穫を得ること
 ↓↑
 卯=ノ+⊥+卩
   ノ+𠄌+卩
 ↓↑
 卯木(うつぎ)
 卯坂(うさか)
 卯坂南(うさかみなみ)
 卯敷(うずき)
 卯辰町(うたつまち)
 卯塚(うづか)
 ↓↑
 空木・卯木(うつぎ)
 アジサイ科ウツギ属の落葉低木
 初夏に白色の五弁花を開く
 材質は堅く、木釘や楊枝、生け垣として使われる
 幹の中が空洞になっていることから名付けられた
 うのはな(卯の花)・・・「卯の花の芽」
 ↓↑
 卯月(うづき)陰暦の四月の別称・
 卯の花(うのはな)ウツギの花・また、ウツギの別名
  アジサイ科ウツギ属の落葉低木
  初夏に白色の五弁花を開く
  材質は堅く、木釘や楊枝、生け垣として使われる
  卯の花腐し(うのはなくたし)
  五、六月頃に降る長雨
  うのはなくだし
  「卯の花」を腐らせる意から

 司馬 卬 (シバ ゴウ?~紀元前205年)
 ↓↑
 秦末~楚漢戦争期の武将
 曾祖父 趙の武将の司馬蒯聵
  祖父 司馬浅(司馬昭豫)
   父 司馬尚(司馬憲)

   卩(わりふ・セチ・セツ)・・・叩く
   㔾(ふしづくり)⇔巴(とも)・巳・・・色
            蜷局=とぐろ=戸愚呂
 ↓↑
 卬=ノ+⊥+丿+卩
   ノ+𠄌+丿+卩
   ゴウ
   ギョウ
   たかい・位置が高い
   あがる・物価があがる
   のぞむ
   我(われ・ガ)
   あおぐ・見上げる=仰(ギョウ・コウ)
            仰(おお)せ
   むかえる=迎・迎賓・迎合
   卬=二人相対する形
   ↓↑
   迎=路上に相迎えること(左右の関係)
     歓迎・迎撃
   抑=上下の関係にあって上なるもの
     抑制・抑圧
   仰=上下の関係にあって下なるもの
     信仰
     仰ぐ(あおぐ)
      高い場所を見上げること
      顔を上に向けること
     仰(あおのく)く=仰向く
              上を向くこと
     仰(あおの)ける=仰向ける
      顔や物の正面を上に向けること
     仰向(あおむ)く=上を向くこと
     仰向(あおむ)け
      顔や物の正面を上に向けること
     仰向(あおむ)ける
      顔や物の正面を上に向けること。

     吃驚仰天(きっきょうぎょうてん)
      いきなりの出来事に、激しく驚くこと
      「喫驚仰天」
     寄田仰穀(きでんぎょうこく)
      他国の田畑を借りて農耕をして
      近くの国の穀物を頼りにすること
      食糧を自分たちで生産できない様子
     仰観俯察(ぎょうかんふさつ)
      目に入るさまざまな物や現象を観察
      上を見上げては空に起こる現象を観察し
      下を見ては土地の様子を観察する
      「俯察仰観」
     仰首伸眉(ぎょうしゅしんび)
      大きな目標を持って
      平気な顔をして何事にも動じないこと
      「首を仰ぎ眉を伸ぶ」
     仰事俯畜(ぎょうじふちく)
      家族を養って、家計を成立させること
      「仰事」=両親に仕えること
      「俯畜」=妻と子を養うこと
      「仰いで事え俯して蓄う」
     仰天長嘆(ぎょうてんちょうたん)
      この上なく嘆くこと
      空を見上げて大きなため息をつく
      「天を仰ぎて長嘆す」
     仰いで唾を吐く
      天を仰いで唾する・仰いで唾を吐く
     仰いで天に愧(は)じず
     毒を仰ぐ
     人間は実が入れば仰向く
     菩薩は実が入れば俯(うつむ)く
 ↓↑
 枊=木+卬
   木+ノ+𠄌+卩
   ゴウ
   馬を繋ぎ止める杭(くい)
 ↓↑
 柳=木+卯
   リュウ
   やなぎ
 ↓↑
 夘=卯=戼=丿+匚+「+コ
 タ=ノ+⊥+丿
 タ=ノ+𠄌+丿
 ↓↑
 瓜=厂+ム+乀(乁)
   ウリ
   瓜田・甜瓜 (テンカ)
   瓜=女の十六歳
     男の六十四歳
 爪=厂+丨+乀(乁)
 ↓↑
 𦥑=⋿+ヨ
   左右の手を垂れて指と指とを組み合わせる
   両手で物を捧げ持つ(高く上げて持つ)
   臼⇔𦥑(うす)
    ⇔白(新羅・秦・斯盧)
     を割った漢字
     シロ=暤=白+皋(白+本)
白+皋(白+十+八+一)=
           ⇔臬=自+木
        皎=白+交(亠+ハ+乂)=
        皓=白+告(𠂉+丄+口)=
        皚=白+豈(山+豆)=
        皜=白+高(亠+口+冂+口)=
        皤=白+番(釆+田)=
            番(ノ+米+囗+十)=
        皦=白+敫
         =白+敫(白+方+攵)
         =白+敫(白+方+𠂉+乂)
         ⇔敷・敷=敷設・敷物・屋敷
        顥=景+頁(page・ページ)
 ↓↑
 劉=卬(ノ+丄+丿+力)
   ・・・迎=卬+辶・歓迎・迎撃
   卬+金+刂
   夘=卯=戼=丿+匚+「+コ
   部首 刀 刂(かたな・りっとう)
   リュウ
   ころす
   つらねる
   ころす・殺める
   つらねる・並べる
   おの・まさかり・刃物
   異体字
  「刘=文+刂」
 ↓↑
 劉=刀+金+刂
 瀏=氵+劉
 嚠=口+劉
 䉧=竹+劉
 䬟=風+劉
 ↓↑
 名前の訓
 のぶ
 みずち
 みずき(名字)
 ↓↑
 劉寛温恕(リュウカンオンジョ)
  些細なことを気にせず
  優しく穏やかな性格
  劉寛=優しく穏やかな性格で有名な後漢の大官の名前
  温=温厚
  恕=許すこと
  劉寛の夫人が温厚な劉寛を
  一度怒らせてみようと
  召し使いに命じて
  熱い吸い物を服にかけさせると
  怒るよりも
  召し使いが
  火傷(やけど)していないか心配した
   ・・・劉環怨女(リュウカンオンジョ)?
      流感(留患)冤(寃)所?
      冤=冖+兔
        冖+免+丶
        エン
        あだ
        ぬれぎぬ
        うらみ・かたき
        やっていない無実の罪
        異体字
        寃
        蒬
 ↓↑
 「冤」の類字
 兔・寃・堍・婏・菟・逸・㭸
 逸・㝹・㕙・䖘・毚・鵵・䨲
 ↓↑
 冤枉(エンオウ)
  行っていないことに対する罪・無実の罪・冤罪
 冤罪
  やっていないことに対する罪・無実の罪・濡れ衣
 雪冤(セツヱン)
  罪を犯していないことを証明して身の潔白を示すこと
 冤家路窄(エンカロサク)
      ・・・冤化魯策?・・・円(圓)加呂作?
                      鸕作?
      圓=囗+口+貝(目+ハ)
       =圎=囗+ム+貝(目+ハ)
       =円=冂+丄=口+口+丨+亅
      エン
      まるい
      つぶらか
      まどか
      まろやか
      まる・円形
      角のないさま
      つぶら・まるくて可愛らしいさま
      まったし
      完全な・欠けているところがない
      日本の貨幣単位
      そのあたり一帯
 ↓↑    ↓↑
      円(圓・圎・つぶら)大臣(おほおみ)
      安康天皇三年(456年)
      古代日本豪族・・・?
      別名
      葛城円
      円(圓・圎・つぶら)大使主
      都夫良 意富 美
     (つぶら おほおみ)
 ↓↑    ↓↑
      眉輪王(まよわおう・目弱王)
      坂合黒彦皇子(さかあいのくろひこのみこ)
      を屋敷にかくまい
      雄略天皇に
      娘の韓媛(からひめ)と
     「葛城宅七区(葛城の屯倉(みやけ)7ヶ所か)」
      を差出したが
      殺害された
      曾祖父 武内宿禰
      祖父 葛城襲津彦
      父 玉田宿禰or葦田宿禰
      娘 韓媛、雄略天皇の妃
      外孫 清寧天皇
      ↓↑
      円珍(エンチン)
      弘仁五年三月十五日
     (814年4月8日)
      ~
      寛平三年十月二十九日
     (891年12月4日)
      ↓↑
      平安時代の天台宗の僧
      天台寺門宗(寺門派)の宗祖
      諡号 智証大師(智證大師)
      入唐八家
     (最澄・空海・常暁
      円行
      円仁
      恵運
      円珍
      宗叡)
      の一人
      讃岐国(香川県)
      金倉郷誕生
      多度郡
      弘田郷の豪族
      佐伯一門
      姓 和気
      字 遠塵
      空海(弘法大師)の甥(姪の息子)
      15歳
      比叡山に登り
      義真に師事
      12年間の
      籠山行
      ↓↑
      承和12年(845年)
      役行者の後を慕い
      大峯山・葛城山・熊野三山を巡礼
      修験道の発展に寄与
      承和十三年(846年)
      延暦寺学頭
      仁寿三年(853年)
     「新羅商人の船」で入唐
      途中で暴風に遭って台湾に漂着
      八月
      福州
      連江県に上陸
      天台山
      国清寺に滞在しながら求法
      斉衡二年(855年)
      長安訪問
      真言密教を伝授された
      ↓↑
      天安二年(858年)
     「唐商人の船」で帰国
      金倉寺に居住
      貞観元年(859年)
      園城寺長吏(別当)に補任
      同寺を
      伝法灌頂の道場とした
      後
      比叡山
      山王院に住し
      貞観十年(868年)
      延暦寺
      第五代座主
      後
      比叡山を山門派が占拠
      園城寺は
      寺門派の拠点となる
      ↓↑
      寛平三年(891年)十月二十九日、入寂
      享年78歳
      三井寺に
      円珍が感得したとされる
     「黄不動」
     「新羅明神像」
      等の美術品
      円珍の文書が他数存在
      延長五年(927年)十二月二十七日
      醍醐天皇より
     「法印大和尚位」
      と
     「智証大師」の諡号を賜る
      ↓↑
      著作は90
      円珍の教え
     「法華論記」
     「授決集」
      唐旅行記の
     「行歴抄」・・・円載との確執が描写
      など
      ↓↑
      智証大師像(中尊大師)
      園城寺所蔵
      平安時代の作
      円珍は
      園城寺では宗祖
      国宝の彫像をはじめ
      多くの円珍像が伝わる
      同寺唐院大師堂には
     「中尊大師」
     「御骨大師」
      と称する
      2体の
      智証大師像
      があり
      いずれの像も
      頭頂が尖り
      頭部の輪郭が
      卵型を呈する独特の風貌に特徴
      これを「霊蓋(レイガイ)」といい
      左道密教では
      未来を予知できる能力を備えるとされた
      その験力を得ようと切り取られることもあり
      入唐時に諭され非常に警戒された
      ↓↑
      円珍自筆書状
     (僧正遍照あて、年未詳五月二十七日)
      東京国立博物館蔵(国宝「円珍関係文書」)
      書風は
     「枯枝のような」と評される
      真跡は20余点現存
      僧正遍照宛円珍書状
     「円珍関係文書」のうち
      古今集の歌人
      遍照僧正への返信
      請伝法公験奏状案
      園城寺所蔵
     「智証大師関係文書典籍」のうち
      入唐からの帰国後
      伝法のための
      公験(証明書)を請求するため
      朝廷に提出した文書の案
      貞観五年(863年)十一月十三日の日付
 ↓↑
 冤家路窄(エンカロサク)
  会いたくない人にだけよく出会うこと
  次から次へと悪い出来事が起きること
  「冤家」=仇の家
  「路窄」=道幅の狭い道
  仇同士が狭い道で出会うと
  逃げることは出来ない
  「冤家、道窄し」
ーーーーー
 ・・・???・・・
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)

  +

 (表紙・画像・音楽)」の

  移転先・・・
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