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コジキジゲン

理不尽な奴には拳を挙げろ・・・辛夷(シンイ・こぶし)?

2023-04-13 01:15:12 | 古事記字源

 西暦25年・・・?

 「理不尽な奴」には拳(こぶし)を挙げろ・・・「辛夷(シンイ)」?
 「刀の白刃」を鞘から抜いた相手に
 アゲた「こぶし」をドウするつもりなんだか、「古武士」・・・?
  ↓↑
  東夷・・・「東夷(あずまえびす・トウイ)
         夷(イ・えびす)=一+弓+人」
     ・・・弓矢を狩猟道具として巧みに使用したヒトビト

  ↓↑
 「後漢書東夷伝」
 江蘇省・山東省付近
 畎夷・於夷・方夷
 黄夷・白夷・赤夷・玄夷
 風夷・陽夷・嵎夷・藍夷
 徐夷・淮夷・泗夷
 中国東北部・朝鮮半島・日本列島
 夫餘国・高句麗・東沃沮・北沃沮
 粛慎氏(挹婁)・濊・韓(三韓)
 倭人(倭国)
 百済国・加羅国
 勿吉国(靺鞨)・失韋国(室韋)
 豆莫婁国・地豆于国
 庫莫奚国(奚)
 契丹国・烏洛侯国
 裨離国・養雲国・寇莫汗国
 一群国
 新羅国
 琉求国(流求国)
 日本国
 流鬼
 周代以前
 「夷」は
 江蘇省
 山東省
 付近に住んでいた
 『後漢書』東夷伝
 『礼記』王制篇
 「東方のことを夷という。
  夷とは根本の意味である」・・・?
 意味は
 「恵み育て生命を尊重することで
  万物は土地に根ざしてできるものである」
 東夷諸民族は生まれつきが
 従順で
 道理をもってすれば容易に治められる
 君子の国
 や
 不死の国がある・・・とさえいわれる」
 周代以降
 江蘇省
 山東省
 付近に
 斉
 魯
 など漢民族系の国々が建国
 東夷と呼ばれた人々は漢民族に同化
 「東夷」という言葉は
 中国東北部
 朝鮮半島に住んでいた人々
 「濊・貊・倭・韓」
 といった諸民族を指す用語となった
 これは他の三方の蛮夷
 北狄・西戎・南蛮
 と異なり
 「東夷諸国は
  夷狄の邦(くに)といえども
  俎豆(ソトウ)の礼があり
  中国ではすでにその礼を失ってしまったが
  東夷ではそれがまだ信じられている」
 夷=イ・えびす・えみし・ころす・たいらか・たいらげる
 夷=大+弓
   一+人+弓
   東方の異民族
   外国の蔑称
   平坦・おだやか
   平定する
   打ち滅ぼす
   ↓↑
   あぐら(胡坐)を・・・安座(あぐら・アンザ)
   「かく(搔)」
   ↓↑
   掻(か)く=イッチング=一致務愚
        =itching=掻痒・掻痒感・かゆみ
         疥癬虫(ヒゼンダニ)の痒み
         疥癬(カイセン・scabies)
         ヒゼンダニ科のダニ
         ヒゼンダニ(皮癬蜱)の
         壁蝨・ダニ=蜹・蟎・蜱=虫+卑
       ダニ=壁蝨・蜱・蟎・螕・acarid)
         寄生による皮膚感染症
         湿瘡(シッソウ)・皮癬(ヒゼン)
         皮膚疾患の中で、掻痒は最悪
         ヒゼンダニ
        (疥癬虫、 Sarcoptes scabiei )
         肥前の蜱(中+ム+卑弥呼)?
   掻(か)きならす・・・書き散らす?
   汗をかく
   頭を掻く
   裏をかく
   靴を隔てて痒(かゆ)きを掻く
   垢離(コリ)を掻く・・・水垢離
            水行(スイギョウ)・滝行
   裾(すそ)を掻く
   寝首を掻く
   鼾(いびき)を掻く
   恥を掻く
   冷や汗をかく
   吠(ほ)え面(づら)をかく
   麻姑(まこ)痒(かゆ)きを掻く
   眉根(まよね)掻く
   髪を掻く・頭を掻く
      舁(か)く=臼+廾
      =二人以上で
      物を肩にのせて運ぶ
      「かつぐ」
      駕籠 (かご) を舁(か)く
      川渡し 
      だます・あざむく
      過誤(カゴ)を書く?  
   足組(あぐむ)
   足を投げ出してすわる
 ↓↑
 夷=傷・傷をつける
   えびす・七福神の一人
 ↓↑
 地名
 夷町(えびすちょう)
 梅之木町「夷川(えびすがわ)」通新烏丸東入
 梅之木町新烏丸通「夷川」上る
 梅之木町「夷川」通新椹木町西入
 名字
 朝夷=あさい・あさいな・あさえびす・あさひな
 朝夷名=あさいな
 有寿夷=ありすい・ありすえ
 夷石=いいし・いせき
 夷岡=いおか・えびすおか・えぶおか
 ↓↑
 東夷(あずまえびす)
 荒夷(あらえびす)
 夷狄(イテキ)
 蝦夷(えぞ・カイ)
 蝦夷菊(えぞぎく)
 蝦夷松(えぞまつ)
 恵比寿・恵比須・夷(えびす)
 蝦夷(えみし)
 戡夷(カンイ)
 ↓↑

 辛夷(こぶし)=赤い実(種子)に辛みがある
 「ヤマ アララギ」(アララギ=イチイ)
         (イチイ=一位=櫟)
 「コブシ ハジカミ」(ハジカミ=サンショウ)
           薑=椒(はじかみ)=生姜
           椒=山椒(さんしょう)の古名 
 地域によっては
 コブシの花の時期に
 稲の苗代や種まきをしたことから
 コブシは
 「タウチザクラ(田打桜)」
 「タネマキザクラ(種まき桜)」
 ともよばれた
 北海道の
 松前地方では
 遠見だと
 桜に似ているが
 花期が桜より早いことから
 「ヒキザクラ=ヤチザクラ=シキザクラ」
 などとも呼ばれる
 桜に先駆けて咲くことと
 花付きのよい年には
 豊作になるとされ
 「マンサク(先ず咲く=満作)」
 との名もある(和名のマンサクは別の植物)
 栃木県では
 コブシの花が咲く頃を目安に
 サトイモ(砂糖芋)の植えつけを行ったため
 「芋植え花」
 と呼ばれる
 アイヌ語では
 「オマウクㇱニ(omawkusni)=そこ・香気・通る・木
  オㇷ゚ケニ(opkeni)=放屁する・木」
 と呼ばれ、魔除けの花
 漢方処方
  葛根湯     加川芎    辛夷
 (カッコントウ カセンキュウ シンイ)
  辛夷   清 肺 湯
 (シンイ セイハイトウ)
 に配合
 蓄膿症や花粉症の鼻づまり
 鼻炎・蓄膿症・頭痛・目眩(眩暈・めまい)に効能
 乾燥した辛夷を粉末にし白湯で服用
 多量に飲むと
 めまいや充血を起こす

 ↓↑
 戎夷(ジュウイ)
 攘夷(ジョウイ)
 征夷大将軍(セイイタイショウグン)
 東夷(トウイ)
 夷(イ)
 戎・夷(えびす=恵比寿=胡人)
 焼夷弾(ショウイダン)
 蛮夷・蕃夷(ばんい)
 ↓↑
 以夷征夷(イイセイイ)
 夷険一節(イケンイッセイ)
 夷蛮戎狄(イバンジュウテキ)
 禽獣夷狄(キンジュウイテキ)
 勤王攘夷(キンノウジョウイ)
 西戎東夷(セイジュウトウイ)
 尊皇攘夷(ソンノウジョウイ)
 伯夷叔斉(ハクイシュクセイ)
 伯夷之清(ハクイのセイ)
 蛮夷戎狄(バンイジュウテキ)

 山東半島の切っ先の地名(紀元前3~4)
 「萃夷」・・・?
 ↓↑
 萃=艹+卒
   艹+亠+从+十
   艹+亠+人+十
   あつまる・あつめる・とどまる
   やつれる・しぼむ
   草があつまり生えるさま・くさむら
   易(エキ)の六十四卦の一
   抜粋=抜萃(バッスイ)
   書物や作品などから
   必要な部分や優れた部分を抜き出すこと
   抜き書き
   出類抜萃(シュツルイバッスイ)
   同じ仲間の中のすぐれたものの中でも
   さらに一際すぐれていること
    「出類」=同種類の中で、優れている人を選ぶこと
        「類より出でて萃に抜く」
        選抜=選手の抜粋・抜萃(バッスイ)
    「類より出でて萃に抜く」
    名字
    萃房=はなぶさ
    地名
    萃夷
    夷萃
     萃(セ)・ 萃(ズイ)・ 萃(スイ)
     萃(ジュチ)・ 萃(シュツ)・ 萃(サイ)
     萃(やつ)れる・ 萃(あつ)める
     萃(あつ)まる
     9種の読み方
 ↓↑
 ボクも市民社会を抜け出して「リッシンシュッセ」したかったけれど
 「造反有理」の「実践、行動無理」の顛末・・・
 ・・・有理「得素=碓(うす)=臼・𦥑・渦・有珠・碾・磑・摸・佻」
 佻=イ+兆=かるい(軽い)
       かるがるしい
       軽薄
       ぬすむ(盗む)
   こっそりとぬすむ=空き巣=コソ泥
 ↓↑
   軽佻浮薄(ケイチョウフハク)
    言動に思慮が足りず
    気持ちが浮ついている
    信念がなく
    言動が軽率で周りに流されやすい
https://www.youtube.com/watch?v=-_nCrDn27Ic

 ↓↑
 㥧=忄+頁=順=川+頁
   心=忄(こころ・したごころ・りっしんべん)
              立身弁
     末は博士か大臣か・・・大将か
   ジュン
   すなお
   したがう・道理にしたがう
   言うことにさからわない
   おとなしい・おだやか
   物事の道すじ・順序・順番
 ↓↑
 西暦(ユリウス暦)
 西暦25年
 干支         乙酉年
 垂仁天皇      五十四年
 皇紀   六百八拾五(685)年
 漢(新滅亡後)   更始三年
 後漢        建武元年・・・建武
 隗囂        漢復三年
 公孫述       龍興元年
 劉盆子       建世元年
 高句麗     大武神王八年
 新羅       儒理王二年
 百済     温祚王四拾参年
 檀紀         2358年
 仏滅紀元        568年
 ↓↑
 赤眉軍
 籤(くじ)引きで
 劉盆子
 を皇帝に選ぶ
 ↓↑
 河北の
 劉秀(光武帝即位・後漢成立)
 更始帝
 の軍が
 赤眉軍
 に大敗
 更始帝
 は降伏し
 赤眉軍が
 長安を占領
 ↓↑
 隗 囂 (カイゴウ)・・・
     魁罡=カイゴウ=「庚辰・庚戌・壬辰・戊戌」
        会合・皆合・改号・開合・回号
        北斗七星=柄杓・大熊座
        大熊=カリストー
        アルカス (古希: Ἀρκάς, Arkas)
        ギリシア神話の人物
        アルカディアー地方の王
        リュカーオーンの娘
        カリストー
        と
        ゼウス(Zeus・Jupiter)
        の子
 隗 囂 (カイゴウ)
 ?~33年(建武九年)
 中国新王朝~後漢時代初期の武将・政治家
 字 季孟
 涼州・・・「氵+亠+口+亅+ハ」+「川+丶+丶+丶」
 天水郡・・・アマのミズのコオリ?
 成紀県=所為か紀(イトの己=よこしま)の懸
    (甘粛省 天水市 秦安県 )
     海部縮 海女瑞 葉多・波多+懸
 の人
 隴右に割拠した新末後漢初の群雄
 蜀の
 公孫述
 と共に
 光武帝(劉秀)
 の統一事業に
 立ちはだかった
 王莽
 の下で国師を務めた
 劉歆・・・歆=音+欠=キン
      受ける・神が供物を受け取る
      喜ぶ・喜んで従う
      むさぼる・欲しがる・望む
 に登用
 ↓↑
 囂=㗊+頁=嚻
   吅+頁+吅
   口+口+頁+口+口
   口+口+丆+目+ハ+口+口
    頁=丆+目+ハ
      丆=斧の取っ手・杓子の柄
      丆+α・・・石斧・面子・百済
          頁岩=頁嵒=頁嵓
           磐・・・磐余彦
    頁=ケツ・ヨウ
      かしら
      ページ
      こうべ(頭・首)
      人間の頭
      髑髏
     (ドクロ
      されこうべ
      しゃれこうべ
      しゃりこうべ
      Skull)
      白骨化したヒトの頭部の頭蓋骨
      ページ
      書物の一枚の紙の片面
      紙を数える「葉(ヨウ)」と同音
      頁=ページ(page)
      大貝
  ↓↑
  囂=キョウ
   ゴウ
   かまびすしい(喧しい)
   やかましい(喧しい)
   さわがしい(騒がしい)
   わずらわしい(煩わしい)
   うれえる(憂える)
   なげく(嘆く・歎く)
 ↓↑
 㗊+α
 㗊=吅+吅
   口+口+口+口
   シュウ・キュウ・ホウ
   かまびすしい・やかましい
 嘂=㗊+丩
   吅+丩+吅
     丩=まつわる・よじれる・まとう=糾
   キョウ
   さけぶ・おおきな声、高い声を出す
 ↓↑
 器=㗊+大=噐
   吅+工
 噐=㗊+工=器
   吅+工+吅
 ↓↑
 噩=㗊+王
   吅+王+吅
   ガク
   おどろく=愕・驚愕
   作噩(サクガク)=酉年
 ↓↑
 嚚=㗊+臣
   吅+臣+吅
   ガン・ギン・ゲン・ゴン
   おろか・わるい
   言葉に実がない
   語る声
 ↓↑
 囂しい・姦しい(かしましい)
 周囲の音や声などが大きく騒がしい様子
 うるさい・やかましい
 ↓↑
 囂しい・喧しい(かまびすしい)
 大きな音や声がしている様子・うるさい・騒々しい
 ↓↑
 叫囂(キョウゴウ)
 うるさく叫ぶこと・わめきたてること
 ↓↑
 囂囂(ゴウゴウ)
 多くの人の声で騒々しい様子
 ↓↑
 囂しい(かしがましい)
 ↓↑
 喧嘩囂躁(ケンカゴウソウ)
  慌しく騒々しいこと
   「喧嘩」=騒々しいこと
   「囂躁」=騒々しく慌しいこと
   「喧嘩=喧譁」
   「囂躁=嗷騒」
 ↓↑
 喧喧囂囂(ケンケンゴウゴウ)
  各々好き勝手に喋ってやかましい様子
  たくさんの人たちが激しく騒ぎ立てて
  事態を収めることが出来ないこと
   「喧喧=囂囂」=やかましい・騒がしい
   「喧々囂々」
 ↓↑
 非難囂囂(ヒナンゴウゴウ)
  欠点や失敗を責める声が非常にやかましい
   「非難囂々」
 ↓↑
 物論囂囂(ブツロンゴウゴウ)
  世間のうわさや物議が騒々しく
  落ち着かないこと
   「物論」=世間のうわさ、物議
   「囂囂」=多くの人の声が騒がしいこと
ーーーーー
 ・・・???
  ↓↑   ↓↑
エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
  ↓↑   ↓↑

 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬

コメント
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「漢字=万葉仮名」をニホンゴで読めるヒトの不思議・・・

2023-04-11 20:31:04 | 古事記字源

 ボクにとって「漢字=万葉仮名」をニホンゴで読めるヒトの不思議・・・

  日本語の「訓読(クンドク)=音声語の意味」を知らないと
  読めない「漢字=万葉仮名」・・・
  蕃登=ほと=火門=含処・陰・火陰・火戸
     美保登(みほと)
     敵対する勢力・・・?
     継体天皇
     諱  男大迹=ヲホド
     別称 袁本杼命=ヲホド
        男大迹王=ヲホド
        彦太(ひこふと)尊(みこと)
        雄大迹(ヲホド)天皇
        乎富等(ヲホド)大公王

 ↓↑
 なぜ、「箸の墓」なのか・・・
    「竹の者」とは「筑紫の者のハカ」?
     女性の陰部
     ほと(蕃登・保登)=女性器?
     蕃=艹+番
       艹+釆+田
       艹+丿+米+田
       ハン・バン
       えびす
       しげ(る)
       ふ(える)
       まがき
       しげる・草木が生い茂る
       草がはびこる・ふえる
       まがき・かきね・おおい・囲い
       えびす・異民族
       教化の行き届いていない民族
  ↓↑    外国人・異邦人
  是後
  倭迹々日百襲姫命
  ↓↑
  倭=イ+委
    イ+禾(のぎ)+女・・・人は退きの女
  迹=辶+亦
   =辶+亠+丿+亅
   エキ
   ヤク
   また
   わき
   「また~」
   「~もまた」
   「~も同様に」
   「また~ずや」
   「また~ならずや」
   反語の意
   おおいに=奕
   わき(腋・脇)・わきのした
   ↓↑
   わき=和気・和木・和喜・倭記
      和=咊=龢=惒
      ワ
      オ
      カ
      なご(和)む・・・名護務
      なご(和)やか・・・名護屋化
      やわ(和)らぐ
      やわ(和)らげる
      あ(和)える
      な(和)ぐ
      なごむ・やわらぐ・おだやかになる
      なごやか・おだやか
      やわらげる
      あえる・混ぜる・調合する
      仲良くする・争わない
      二つ以上の数を足したもの
      車の軾(しきみ)につける鈴
      車の前部の横木
      応える・声で反応する
      声を合わせる=harmony
      調子を合わせる
      わ・やまと=日本=大和=和=倭
      凪=なぎ
      風がおさまり波がおだやかな状態
      吾亦紅・吾木香・我毛香(われもこう)
      バラ科の多年草
      山野に自生し
      初秋
      分岐した茎の先に
      暗紅紫色の花穂をつける
      根茎は漢方薬用
      亦歩亦趨(えきほえきすう)
      弟子が師匠がすることから学ぶ
      「趨」=小走りで走ること
  々=同
  日=口+一・・・曰く
  百=丆+日
    一+白・・・新羅・百済・百舌鳥
  襲=龍+衣・・・熊襲・襲(かさねる=累・重)
  姫=女+臣・・・女の大臣・媛・比売
  命=亼+叩・・・合+叩く・人+一+口+卩
  ↓↑
  爲
  大物主神之妻。
  然
  其神
  常晝不見
  而夜來矣
  倭迹々姫命
  ↓↑・・・やまと
     トト・ヒメ・みごと
        秘め・見事
     トト=鶏・鷄・雞・・・鷦
     鷦=鷦鷯(ショウリョウ)
      =みそさざい
     鷦鵬(ショウホウ)=鷦明(ショウメイ)
     伝説上の鳥・鳳凰(ホウオウ)
  ↓↑
  語 夫曰
  「君 常晝不見者
   分明 不得視 其尊顏。
   願暫留之
   明旦
   仰欲覲美麗之威儀」
  大神對曰
  「言理灼然。
   吾明旦 入汝櫛笥而居。
   願 無驚吾形」
  爰倭迹々姫命・・・爰=エン・  オン
             円・延・縁 音
             ここに(此処に)
             個々に?
  心裏密異之。
  待明以 見 櫛笥
  遂有
  美麗小蛇
  其長大 如 衣紐
  則 驚之叫啼。
  時
  大神有恥
  忽化人形
  謂 其妻曰
  「汝不忍、令羞吾。
   吾 還 令羞汝」
  仍踐大虛
  登于御諸山。
  爰倭迹々姫命・・・爰=エン・オン・ここに
  仰見 而悔
  之急居(急居、此云 菟岐于=ツキウ)
  則 箸 撞 陰
     (撞木=シュモク
        =鐘や半鐘などを打ち鳴らすため
         丁字形のかねたたき
      撞着=辻褄(つじつま)が
         合わない・矛盾
      撞球=ビリヤード
       (英 cue sports, billiard sports、billiards)
         撞球(ドウキュウ)
         球撞き
         玉突き=タマつき
         球磨元
      ・・・クマモトたまなヨコシマ
      自家撞着
      自己撞着
      矛盾撞着=撞着矛盾)
  而薨。
  乃葬於大市。
  故時人
  號
  其墓謂
  箸墓也
  是墓者
  日也人作
  夜也神作
  故運 大坂山 石而造
  則自 山至于墓
  人民相踵
  以
  手遞傳(テゴシ)=手渡し・中継ぎ・中次
           リレー
  而運焉。
  ↓↑
  時人 歌之曰
  飫朋佐介珥
  菟藝廼煩例屢・・・屢=尸+婁・・・婁宿=七夕
             尸+申+口+女
             尸+口+一+丨+女
  伊辭務邏塢・・・・塢=土+烏・・・烏=加羅州
             ウ・オ
             どて・小さな堤
             とりで(砦)・小さな城
             むらざと・村落
  多誤辭珥固佐縻・・・多くの誤りの辭(ことば)
  固辭介氐務介茂・・・氐=テイ
              もと・根本・ふもと
              いたる
              低い=底
              二十八宿の一・ともぼし
            氐宿=東方青龍七宿の第三宿
               距星は天秤座α星
               矛や盾
               戦車と騎兵
               狼座=ケンタウルス座
               大神・医学者
  ↓↑
  どうして、これらの「漢字」を「訓読」出来るのか?
  ボクには不思議である・・・カナ
  ↓↑
  飫朋佐介珥=大坂に
  菟藝廼煩例屢=継ぎ登れる
  伊辭務邏塢=石群(イシムラ)を
  多誤辭珥固佐縻=手遞傳(テゴシ)に越さば
  固辭介氐務介茂=越しかてむかも
  ↓↑
 「箸墓」の「箸(はし・チョ)」
 箸=竹+者
   竹+者+丶
   竹+耂+日+丶
   チョ
   はし
   食べ物をはさむ「はし」
   あきらか・いちじるしい・書きあらわす=著
   着る・身につける。身にまとう
   つく・ねばりつく・まとわりつく
 ↓↑ 
 者+α
 乽䎞都著渚猪偖阇暑煮
 堵奢屠猪都渚著陼媎㥩
 㨋帾啫署楮暑煮䐗殾斱
 暏煑琽㸙锗緒睹署褚瘏
 㗯禇諸緖翥蝫賭赭覩豬
 諸踷觰醏䡤闍鍺䬡䰇䰩
 名のり(名前での読み)
 あき・あきら・つく
 地名
 大沢箸木平(おおさわはしぎだいら)
 加美区箸荷(かみくはせがい)
 杉箸(すぎはし)
 箸木免(はしきめん)
 箸中(はしなか)
 飯箸=いいはし・いいばし
 稲箸=いなはし・いねはし
 大箸=おおはし
 神箸=かみはし・かんばし
 北箸=きたはし・きたはじ
 ↓↑
 移り箸(うつりばし)
  ご飯とおかずを交互に食べず
  おかずを食べて
  すぐに別のおかずを食べること
  無作法
 ↓↑
 菜箸(サイばし)
  料理を作ったり
  取り分けたりするさいに使う
  長い箸
 ↓↑
 取り箸(とりばし)
  料理やお菓子などを
 取りわけるときに用いる箸
 ↓↑
 握り箸・握箸(にぎりばし)
  嫌い箸の一つ
  棒を握るような手つきで箸を扱うこと
 ↓↑
 箸(はし・チョ)
  食物や物などを挟むために用いる
  「二本(にほん)」組の・・・・「日本」
  細長い棒
 ↓↑
 箸置き・箸置(はしおき)
  箸の先をのせておく小さな台
  箸枕・箸台
 ↓↑
 象箸玉杯(ゾウチョギョクハイ)
  贅沢な生活
  贅沢な欲求が生まれ始めること
  象牙の箸と宝石の杯
  古代中国の
  殷の名臣の
  箕子は
  主君の
  紂王が
  象牙の箸を・・・形象がのキバのハシ?
  作ったことを聞き
  箸だけでは満足できずに
  宝石の杯を作り
  それに合わせ食事や住居も
  贅沢になっていき
  最後には世界の全てのものを
  集めても満足しなくなるだろう
  と恐れた
 ↓↑
 石臼を箸に刺す
  無理難題を言うこと
  石臼を箸で刺すことなど不可能
 ↓↑
 膳部揃うて箸を取れ
  食事をする時は
  料理がすべて揃ってから
  箸を取るものだ
  物事は用意がすっかり整ってから始めよ
  「膳部」=膳にのせて出す料理
      =「全部」とかけた
 ↓↑
 塗り箸で芋を盛る
  滑ってはさみにくいことから
  物事のやりにくい様子
  「塗り箸で素麺(そうめん)を食う」
  「塗り箸で鰻(うなぎ)を挟む」
 ↓↑
 箸で含める
  理解できるように
  細かく丁寧に
  わかりやすく言い聞かせること
  親が
  食物を嚙み砕いて
  食べやすいようにしてから
  子どもの口に含ませてやる
 ↓↑
 箸に当たり棒に当たる
  腹を立てて
  何の関係もない箸や棒に当り散らすこと
  八つ当たり
  ↓↑
 「萬葉仮名」が
 珍紛漢紛(チンプンカンプン)で?
 ↓↑
 本居宣長の門人
 春登上人は
 『万葉用字格』(1818年)で
 万葉集の用字を
 正音・略音
 正訓・義訓・略訓・約訓・借訓
 戯書
 に分類
 ↓↑
 正音 漢字の字音を用いる
    阿(あ)・伊(い)・渡(と)
 略音 漢字の字音の一部を用いる
    安(あ)・印(い)
    騰(と)
   (韻尾を省略)
 正訓 漢字の和訓を用いる
    吾(あ)・天(あめ)・恋(こひ)
    門(と)・常(とこ)・山(やま)
   (万葉集で多く用いられる)
 義訓 和訓を複雑に転用
    丸雪(あられ)・未通女(をとめ)
    金(あき)
    白(あき)
   (金・白は陰陽五行思想で
    秋に当ることから)
 略訓 漢字の和訓の一部を用いる
    足(あ)・髪(か)・市(ち)
 借訓 和訓の音を意味に関わりなく転用
    得管(うつつ)・夏樫(なつかし)
    鶴(つる)・鴨(かも)
 約訓 音の一部を省略
    朝明(あさけ)・常磐(ときわ)
 戯書(ぎしょ、ざれがき)
    十六(しし)のような言葉遊び
 ↓↑
 橋本進吉による
 万葉仮名の簡便な分類
 ↓↑
 音仮名
 1字で1音節を表すもの
 (漢字音の全部を用いる)
 以(い)・呂(ろ)・波(は)
 (漢字音の一部を用いる)
 安(あ)・楽(ら)・天(て)
 ↓↑
 1字で2音節を表すもの
 信(しな)・覧(らむ)・相(さが)
 ↓↑
 訓仮名
 1字で1音節を表すもの
 女(め)・毛(け)・蚊(か)
 石(し)・跡(と)・市(ち)
 ↓↑
 1字で2音節または3音節を表すもの
 蟻(あり)・巻(まく)・鴨(かも)
 慍(いかり)・下(おろし)
 炊(かしき)
 ↓↑
 2字で1音節を表すもの
 嗚呼(あ)・五十(い)・可愛(え)
 二二(し)
 馬聲(い)・蜂音(ぶ)・石花(せ)
 ↓↑
 2字または3字で2音節を表すもの
 十六(しし)・八十一(くく)
 神楽声(ささ)・切木四(かり)
 ↓↑
 『万葉集』以外の
 史書、木簡、金石文等で用いられるのは
 ほぼ1字1音節の万葉仮名に限られる
 ↓↑
 この他に
 3字が4音を表すもの・・・三五月(もちづき)
 4字で2音を表すもの・・・三伏一向(つく)
           一伏三向(ころ)
 5字で2音を表すもの・・・山上復有山(いで)
 ↓↑

 「萬葉仮名」のドの「漢字」で表記するのか?
 「わたくし」⇔「よこしま」
   ・・・経線の縞、緯線の縞?
     横線   縦線
      合従連衡
      十=一+丨
     #=ハッシュ(hush)
       縦線が斜めで交差する横線は直線
       ハッシュタグ「#=hashtag」
     ♯ =‖+⼆・・・井戸・怡土・伊都
       縦線が直線で交差する横線は斜め
       シャープ(sharp)
       「嬰(エイ)記号」
       ある「音」を「半音」上げる
 ↓↑
 わ=和 丸 輪
 た=太 多 他 丹 駄 田 手 立
 く=久 九 口 丘 苦 鳩 来
 し=子 之 芝 水 四 司 詞 斯
   志 思 信 偲 寺 侍 時 歌
   詩 師 紫 新 旨 指 次 此
   死 事 准 磯 為
 ↓↑
 高山波 雲根火雄男志等
 耳梨與 相諍競伎 神代従
 ↓↑
 雲根火雄
 う ねび を・・・・・・畝傍山の雄々しさを
 男志等
 を し と・・・・・・・男の意地と
 耳 梨 與
 みみ なし と・・・・・耳成山と
 相 諍 競 伎
 あひ あらそひ き・・・相争った格闘技は
 神 代 従
 かむよ より・・・・・神代から縦続
          寝台の寝技次第かも?
 ↓↑
 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽
 虚蝉毛 嬬乎 相格良思
 ↓↑
 如此 尓 有    良 之
 かく に あるら し・・・この様に有るらしい
 古 昔      母
 いにしへも・・・・・・古も
 然     尓 有    許曽
 しかに あれ こ そ・・・当然でも有るのだが
 虚      蝉    毛
 うつ せみ も・・・・・蝉も
 嬬     乎
 つま を・・・・・・・妻を
 相     格   良   思
 あらそふ らしき・・・争う
 ↓↑
 「をはりだ」⇔音で「乎波理陀」⇔訓で「小治田」
 ↓↑
 日本語の「音」⇔「漢字音」を当てた
 日本語の「音の意味」⇔「漢字の意味の漢字」を当てた
 日本語の「音の意味」⇔「漢字の訓読み」とした
 ↓↑
 「波奈(はな・花)」
 「也麻(やま・山)」
 漢字をその字義にかかわらず
 日本語の
 音節の表記のために用いる
 のが万葉仮名の最大の特徴
 『古事記』
 『日本書紀』は
 漢文主体だが
 歌謡や訓注などに
 万葉仮名表記が用いられている
 ↓↑
 一つの音節に対して複数種の漢字が用いられ
 「し」=之・思・師・四・志
    大野晋の作成した一覧表(1958年)
    万葉仮名で使われる漢字の数は
    973に達する、という説・・・
 ↓↑
   第二十六代天皇
     ↓↑
     武烈帝
     の後継者
 ↓↑  ↓↑
     応神天皇五世孫(曾孫の孫)
     父 彦主人王
     母 振媛 十一代 垂仁天皇七世孫
     ↓↑
     継体天皇
     諱  男大迹=ヲホド
     別称 袁本杼命=ヲホド
        男大迹王=ヲホド
        彦太(ひこふと)尊(みこと)
        雄大迹(ヲホド)天皇
        乎富等(ヲホド)大公王
     越前
     足羽神社に
     御子の
     馬来田皇女(うまくだのひめみこ)
     を斎主とした
     ↓↑
     皇后 手白香皇女(たしらかのひめみこ
              仁賢天皇の皇女)
        武烈天皇の妹(姉)
     ↓↑
     妃  目子媛(めのこひめ
            尾張連 草香の女)
     ↓↑
     妃  倭媛(やまとひめ・・・ワのヒメ
           三尾君 堅楲の女)
           楲    
           地中に埋めた木製の樋
           戸を開閉して
           水量を調節する「とい(樋)」
     ↓↑
     妃  和珥荑媛(わに はえひめ
             和珥臣 河内の女)
     ↓↑
     比肩随踵(ヒケンズイショウ)
     比肩、隋王朝の
     足(踵・踝・くびす・きびす)を重ねる・・・?
 ↓↑
 后妃から見た
 男大迹王の支持基盤
 男大迹王の
 婚姻による豪族との結びつき
 ↓↑
 稚子媛(三尾角折君の妹)
     近江北西部の高島郡(滋賀県高島市)
 倭 媛(三尾君堅楲の女)
     近江北西部の高島郡(滋賀県高島市)
 広 媛(坂田大跨王の女)
     近江北東部の坂田郡(滋賀県米原市)
 麻績娘子(息長真手王の女)
     近江北東部の坂田郡(滋賀県米原市)
 目子媛(尾張連草香の女)
     尾張(愛知県)
 和珥荑媛(和珥臣河内の女)
     大和国添上郡(奈良県北部)
 関媛(茨田連小望の女)
     河内国北東部(大阪府寝屋川市周辺)
 広媛(根王の女)出自不明
     近江の可能性・・・
 ↓↑
 『記紀』
 男大迹王の出生地
 近江北西部と
 琵琶湖をはさんだ反対側の
 近江北東部の
 近江出身の后が最多の合計5人
 近江北部を本拠地にしていた
 継体の祖父の代の
 「乎非王」は
 牟義都国造(岐阜県南部)
 伊自牟良君の女
 久留比売命
 を娶った
 母親の
 「振媛」の出身地は越前(福井県)で
 男大迹王の時代は
 美濃や越前は勢力圏で
 拡大し
 尾張連の妃を娶った・・・
 ↓↑
 天武天皇は
 豪族の位階を
 「八色の姓を制定」
 「息長」氏は・・・「息(いき・壱岐)の長(おさ)」
 最高位の
 「真人」を賜った
 ↓↑
 応神の母=神功皇后
 実名は
 「息長足姫」
 夫の
 仲哀天皇・・・大和建(武)の子供
 が
 死んだ後
 熊襲征伐
 三韓征伐
 応神を生み
 仲哀天皇の嫡男、次男
 香坂皇子
 忍熊皇子
 を討伐し
 摂政
 ↓↑
 息長氏
 近江国坂田郡(滋賀県米原市)を本拠
 息長真手王の娘
 「広(廣)媛」・・・ム(よこしま)=黄
 が継体天皇に嫁いだ
 応神の妃のひとりに
 「息長真若中比売」
 という息長氏の妃がいる
 継体天皇は
 息長氏を母に持つ
 「応神天皇の五世孫」
 と称し
 息長氏は
 天皇と密接に絡んだ系譜で
 琵琶湖の湖上交通路を支配し
 近畿北部から北陸、東海へかけての
 地方豪族の連合を背景に
 皇位を簒奪・・・?
 ↓↑
 武烈天皇崩御後
 天皇の跡継ぎが居なく
 大連の
 大伴金村が
 男大迹王を推薦
 物部麁鹿火が
 「枝孫を妙しく簡ぶに賢者は
  唯
  男大迹王のみなり」
 とし男大迹王を迎えに行ったが
 男大迹王は即位を拒否したので
 河内
 馬飼荒籠が使者を派遣して説得し
 男大迹王は天皇に即位
 河内馬飼首は
 渡来系の氏族で
 その勢力地は
 河内国讃良郡(四條畷市周辺)
 琵琶湖から
淀川・木津川にかけての水運を利用
 北陸若狭湾から朝鮮半島と直接貿易
 ↓↑
 ヤマト王権では
 大悪天皇(はなはだあしきすめらみこと)
 と称された
 雄略天皇
 が権力争いで
 八釣白彦皇子(兄)
 坂合黒彦皇子(兄)
 眉輪王(目弱王・従兄弟)
 市辺押磐皇子(従兄弟)
 御馬皇子(従兄弟)
 円(圓・つぶら)大臣(葛城氏の首長)
       葛城皇子=中大兄皇子
 を殺害
 雄略の死後
 清寧天皇
 (雄略天皇の皇子・在位5年・后妃、子女なし)
 顕宗天皇
 (清寧天皇の又従兄弟・在位3年・子女なし)
 仁賢天皇
 (顕宗天皇の兄・在位11年・皇子は武烈天皇)
 武烈天皇(在位8年・后妃、子女なし)
 ヤマト王権は混乱
 武烈天皇は
 殺戮や刑罰などを
 楽しんでいた異常人格者・・・?
 16代
 仁徳天皇から
 25代
 武烈天皇まで
 続いた
 仁徳系の大王は終焉
 26代
 継体天皇の即位によって
 皇統は交替した・・・
 『日本書紀』
 倭彦王は・・・「倭(ワ)の彦の王」
 仲哀天皇の後裔で
 仲哀天皇(第14代)
    日本武尊の子
    神功皇后の夫
    応神天皇の父
 5世孫の
 倭彦王を持ち出すことによって
 仁徳天皇(第16代)系の断絶を確定し
 応神天皇(第15代)5世孫という
 継体天皇の正統性を確立した・・・?

ーーーーー
 ・・・???
  ↓↑   ↓↑
エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬

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「姨=女+夷」のカンジは「倭姫の命・倭比売の命」

2023-04-08 08:45:03 | 古事記字源

 ・・・同名異人の???・・・八と六・・・数字音のカイ?
 「倭姫の命・倭比売の命」
 のカンジをユメみてカンジる・・・
 「倭男具那=大和武建」の姨(おば)で
 同名の
 「倭姫王(やまとひめのおおきみ)」は
 舒明天皇の・・・・・・除名・除名処分・助命?
 第一皇子の
 「古人大兄皇子の娘」=「中大兄皇子(叔父)」の皇后
 「古人大兄皇子の娘」=「大海王子の姉」・・・?
          =「中大兄皇子」の皇后
 「中大兄皇子」の夫人=蘇我遠智娘(おちのいらつめ)
           蘇我倉山田石川麻呂の女
           ↓↑
           第一皇女=大田皇女
                天武天皇妃
           大津皇子・大来皇女の母
           ↓↑
           第二皇女=鸕野讚良皇女
                持統天皇
           天武天皇后=草壁皇子の母
           ↓↑
           「中大兄皇子」の
           第二皇子=「建」皇子は
                八歳で夭逝
           「建」皇子は唖不能語
                聾唖者
      誉津別(ほむつわけ)命
      『日本書紀』 誉津別命
      『古事記』  本牟智和気命・品牟津和気命
           (ほむちわけのみこと)
      『尾張国風土記』逸 品津別皇子
      垂仁天皇の第一皇子
      母は皇后の
      狭穂毘売命(さほびめのみこと)=日子坐王の女
      『上宮記』逸文
      継体天皇の先祖
      通常 応神天皇(誉田別命)
         凡牟都和希王(ほむつわけのみこ)

           「建」皇子の
           父 天智天皇
           母 遠智娘
             蘇我倉山田
               石川麻呂の娘
 ↓↑
 「日本書紀・十一月三十日」
 「中大兄」が討伐を命じ
 「古人大兄」を殺害
 「ある本」一書が引用
 「巻第二十五・孝徳天皇 古人大兄の死」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 「六角堂(ろっかくどう)」
 日本各地にある寺院や建築物などの名称
 六角堂=長野県須坂市にある浄土宗の寺院
 六角堂=京都府京都市中京区
     紫雲山頂法寺(西国三十三所第18番札所)
     の別名
 六角堂=宮城県気仙沼市
     白樺山補陀寺にある観音堂
    (奥州三十三観音霊場第30番札所)
 六角堂=宮城県登米市
     大嶽山興福寺にある洋風建築
    (奥州三十三観音霊場第10番札所)
 六角堂=群馬県渋川市
     五徳山水澤寺にある地蔵堂
    (坂東三十三箇所第16番札所)
 六角堂=東京都新宿区神楽坂
     真清浄寺にある六角堂
 六角堂=山梨県南都留郡富士河口湖町
     河口湖南岸の浮島上に立っている
 六角堂=長野県松本市
     放光寺
 六角堂=滋賀県甲賀市甲南町寺庄にある地蔵堂
 六角堂=北海道旭川市
     中原悌二郎記念
     旭川市彫刻美術館の横
     旧竹村病院六角堂
 六角堂=茨城県北茨城市の五浦海岸
     岡倉天心が
     1905年(明治38年)建築
     に建てた建物
     2011年(平成23年)3月11日
     東北地方太平洋沖地震の
     津波で土台部分のみを残して消失
     2012年(平成24年)4月17日
     再建
 六角堂=栃木県下野市
     安国寺の前身
     下野薬師寺
     戒壇院の跡に建つ
 六角堂=兵庫県西宮市立
     今津小学校旧校舎の通称
     1882年(明治15年)近代洋風建築
 六角堂=兵庫県神戸市
     舞子公園内にある
     孫中山記念館(移情閣)の別名
 六角堂=山口県宇部市
     桃山配水計量室(登録有形文化財)の通称
 六角堂広場=福岡県久留米市
       六ツ門町にあるイベントスペース・広場
 地名
 六角堂=愛知県稲沢市六角堂
 ↓↑
 雪の結晶が「六角形」になる根拠を知りたいのですが
 ↓↑
 新しいBingさんに訊いてみた
 ↓↑
 雪の結晶が六角形になるのは、水分子の構造と結合の仕方に関係しています。水分子は酸素原子と水素原子が「やじろべえ」のような形で結合しており、その結合角は約104.5度です。この結合角は正四面体の中心角109.5度に近いため、水分子同士が引き合って水素結合すると、正四面体の形を作ります。そして、その正四面体が複数結合すると、平面では六角形を形成します。
 雲の中では、水分子は過冷却状態で気体のままですが、微粒子などにぶつかると凍り始めて六角柱の形でくっつきます。この六角柱が雪の結晶の核となり、周りの水蒸気がくっついて成長していきます。その際、六角柱の角に水蒸気が付着しやすいため、枝や板が発達して六方向に広がっていきます。また、温度や湿度によって成長する面や速度が変わるため、さまざまな形の雪の結晶ができます。
 以上が雪の結晶が六角形になる根拠です。ご参考になれば幸いです。
 ↓↑
 ボクには「六角形」の説明、理解困難だったが
 「蜂の巣」や「亀の甲羅」、「昆虫の眼」・・・
 そして「六芒星=△+▼=✶✾✽✼✻⬡⬢❆=⺢⇔氷」
 兎に角、ありがとう・・・

 ↓↑
 やぁッ、ここ、蝦夷地でも雪を割っての
 「福寿草(フクジュソウ)」が咲きだした
 福寿草=献歳菊=Adonis ramosa
 キンポウゲ(金鳳花)科の多年草
 エダウチフクジュソウ
 別名
 ガンジツソウ(元日草)
 「1月1日、4月6日」の誕生花
 強心作用・利尿作用
 毒草?・・・シマリン(cymarin・cymarine)含有の副作用
      「死魔・揣摩・志摩・嶋=嶌=島」+「厸(吝)」
    ・・・司馬+臨・・・司馬遷・・・司馬仲達=司馬懿
              斯波氏・柴氏・羽柴・柴田
 嘔吐、呼吸困難、心臓麻痺などで、重症の場合は死亡

  ↓↑
 「蝦夷・東夷」の「当為・当意」の「問う意」の・・・「問う夷」
 ↓↑
 夷=大+弓
   一+人+弓・・・「壹+訊+由+箕」?
   イ
   えびす
   えみし
   東方の異民族
   外国の蔑称
   たいらか・たいら・平坦・おだやか
   たいらげる・平定する
   たいらげる・ころす・打ち滅ぼす
   あぐらをかく・足を投げ出してすわる
   傷・傷をつける・
   えびす・七福神の一人
   地名
   夷(えびす)
   夷町(えびすちょう)
   梅之木町
   夷(えびす)川通
   新椹木町西入
   梅之木町
   夷(えびす)川通
   新烏丸東入
   梅之木町
   新烏丸通
   夷(えびす)川上る
   名字
   朝夷=あさい・あさいな・あさえびす・あさひな
   朝夷名=あさいな
   有寿夷=ありすい・ありすえ
   夷石=いいし・いせき
   夷岡=いおか・えびすおか・えぶおか

  ↓↑
  東夷(あずまえびす)=東国武士の蔑称
  荒夷(あらえびす)=荒っぽい東国人の蔑称
   夷狄(イtテキ)=中国周辺の異民族
  蝦夷(えぞ・カイ)=関東より北の人々の呼称・えみし
  蝦夷菊(えぞぎく)=キク目キク科の一年生植物
     中国東北部原産
     夏に赤色や紫色などの花が咲く
     アスター
  蝦夷松
 ↓↑
 以夷征夷(イイセイイ)
  自ら手を下さずに他人を利用して利益を図ること
  外敵を利用して外敵を制する外交戦略
   「以夷制夷」
 ↓↑
 夷険一節(イケンイッセツ)
  どんな時でも信念を守り続けること
  夷険=平らな場所と険しい場所
     順境、逆境でも
     信念を変えないこと
 ↓↑
 夷蛮戎狄(イバンジュウテキ)
  中国の周辺にいた異民族
  東夷、南蛮、西戎、北狄
  四方の異民族の呼称
 ↓↑
 禽獣夷狄(キンジュウイテキ)
  異民族の蔑称
  夷狄=野蛮人
 ↓↑
 勤王攘夷
  「勤皇攘夷」
 ↓↑
 西戎東夷(セイジュウトウイ)
  西方と東方の異民族の蔑称
   「東夷西戎」
 ↓↑
 夷を以て夷を制す
 ↓↑
 鴺=夷+鳥
   大+弓+鳥
   イ
   テイ
   鴺𩿬(イユウ)=むささび・リス科の哺乳類
   鴺鶘(テイコ)=ぺりかん・伽藍鳥(ガランチョウ)
 ↓↑
 鮧=魚+夷
   ⺈+田+灬+大+弓
   イ
   テイ
   鯸鮧(コウイ)=ふぐ・フグ科の海魚
   なまず(鯰)・魚の名・淡水魚のおおなまず
   鱁鮧・鮞・潤香(うるか)
   鮎の内臓や卵を
   塩漬けにして発酵させた食品
 ↓↑
 䮊=馬+夷
   馬+大+弓
   イ
   馬の名
 ↓↑
 䩟=革+夷
   革+大+弓
   イ・テイ・タイ
 ↓↑
 䨑=雨+夷
   雨+大+弓
   テイ・ダイ
 ↓↑
 銕=金+夷
   金+大+弓
   鉄=鐵=鐡=䥫
   テツ
   かね
   くろがね
   かたい・つよい・堅固・
   鉄でつくった武器・刃物
 ↓↑
 跠=足+夷
   口+龰+大+弓
   口+止+大+弓
   ジ・イ・チ
 ↓↑
 羠=羊+夷
   羊+大+弓
   イ・シ・ジ
 ↓↑
 蛦=虫+夷
   虫+大+弓
   蛦美(えみ)
   イ
   𧒀蛦(ヘツイ)=キジ(雉)の類
   螗蛦(トウイ)=昆虫の蝉(せみ)
 ↓↑
 䄺=禾+夷
   禾+大+弓
   チ
   おさない・いとけない・わかい・あどけない
   年齢が低い・
   幼い者・子供・
   おくて・晩稲・おそい時期に実る稲
 ↓↑
 眱=目+夷
   目+大+弓
   イ・テイ・ダイ
 ↓↑
 痍=疒+夷
   疒+大+弓
   イ
   きず
   切り傷・きずつく・きずつける
   負傷する
   創痍=刃物などで
      切られたり
      突かれたりしてできた傷・
   傷痍(ショウイ)
   満身創痍
   全身傷だらけ
   非難されて
   精神的に痛めつけられていること
   「創・痍」=傷
   創痍未だ瘳(い)えず
   戦いで受けた傷がまだ癒えない様子
 ↓↑
 桋=木+夷
   木+大+弓
   イ
   テイ
   ブナ(椈・橅・山毛欅)科の常緑高木
   桋桑(ていそう)
   桑の小さなもの・桑の若い枝
 ↓↑
 胰=月+夷
   月+大+弓
   イ
   背中の肉・背中の両側の肉
   膵臓(スイゾウ)
   胰子(イシ)=石鹸
 ↓↑
 䧅=阝+夷
   阝+大+弓
   イ
   隇䧅=険しい
 ↓↑
 㹫=犭+夷
   犭+大+弓
   イ
   えびす
   獣の名
   異民族の名
 ↓↑
 挗=扌+夷
   扌+大+弓
   ケツ
   こじる
   えぐる・えぐりだす・ほじくる
   ゆがけ(弓掛)
   弓を射るときに
   はめる指を保護する道具
 ↓↑
 恞=忄+夷
   忄+大+弓
   イ
 ↓↑
 峓=山+夷
   山+大+弓
   イ
 ↓↑
 咦=口+夷
   口+大+弓
   イ
   2番キ
   といき(吐息)・大きなため息
   笑うさま
 ↓↑
 荑=艹+夷
   艹+大+弓
   イ
   テイ
   茅(かや)の初めて芽を出したもの
   つばな
   わかめ・若芽・草木の新芽
   いぬびえ(犬稗)・稗(ひえ)の類
   雑草を刈り取る
 ↓↑
 洟=氵+夷
   氵+大+弓
   イ
   テイ
   なみだ
   はな
   はなじる
   鼻・鼻汁・鼻水
   なみだ(泪・涙・涕)
   青洟・青っぱな・青みを帯びた鼻汁
   洟(はな)
   鼻の穴から出る液体
   鼻水・鼻汁
   洟垂し(はなたらし)
   はな垂れ・洟垂れ(はなたれ)
   水っぱな・水っ洟(みずっぱな)
   水ばな・水洟(みずばな)
 ↓↑
 姨=女+夷=「倭姫の命・倭比売の命」
   女+大+弓
   イ
   おば・母の姉妹
   妻の姉妹(特に妹)
 ↓↑
 侇=亻+夷
   亻+大+弓
   イ
   横たわらせる・据え置く

 ↓↑
 「円堂」
 六角堂や
 八角堂の総称
 木造建築は円形平面を造るのが困難で
 六角
 八角で円形を象った
 八角円堂
 法隆寺夢殿
 聖徳太子の甥は
 「蜂子皇子=波知乃子王=能除大師」
 興福寺南円堂・北円堂
 ↓↑
 善愷訴訟事件
 ↓↑
 承和十二年(845年)
 法隆寺の僧侶
 「善愷」
 が、同寺の壇越
 少納言
 登美直名
 を告訴した事件
 承和十三年(846年)
 弁官
 伴善男
 によって告発され
 同僚の弁官5人全員が弾劾処罰
 法隆寺の有力檀越で
 来目皇子(聖徳太子の弟)
 の子孫
 「登美真人」
 の保護下にあったが
 9世紀
 登美氏が法隆寺の財物や奴婢を
 自己の私物のようにみなし
 これを売却して
 自己の収入として扱った
 登美直名
 は朝廷中央において
 事務官人として出世を遂げ
 その威光をカサに着た
 これに憤慨した
 「善愷」
 は太政官弁官局に対して
 「登美直名」
 を寺財の
 不当売却とその利益押領の廉で告訴
 六名の弁官のうち
 左大弁 正躬王
 右大弁 和気真綱
 左中弁 伴成益
 右中弁 藤原豊嗣
 左少弁 藤原岳雄
 5名が審理し
 登美直名
 に遠流判決
 が、残り1名の弁官
 右少弁 伴善男
 は審議に参加せずに
 次の5点を問題とした
 ↓↑
 僧侶である善愷が
 一時的に俗形の姿を取らずに
 訴訟を提起したのは
 僧尼令(有私事条)違反
 ↓↑
 善愷が提訴したときに
 一時的に拘束したのは不当
 審理の際
 弁官が有罪が決まっていない
 登美直名
 を「奸賊之臣・貪戻之子」と罵倒した
 ↓↑
 善愷の訴状が
 僧綱・治部省を経由せず
 弁官が直接受理したのは手続違反
 ↓↑
 訴状に明確な日時記載がないのは
 闘訟律(告人罪条)違反
 ↓↑
 以上を指摘し
 判決無効と
 5人の弁官の違法行為を指摘
 だが、
 承和13年
 善男は
 左大史 伴良田宗
 とともにこれを律令に対する違法行為で
 5弁官は
 善愷のために「私曲」して
 登美直名
 を無理やり有罪にしたとして弾劾
 朝廷は弁官に対する審議を開始し
 明法博士らに
 明法勘文の提出を命じる官宣旨
 明法博士
 兼
 勘解由次官
 兼大判事
 讃岐永直
 は当初弁官の行為を無罪としたが
 後に
 明法博士 御輔長道
 勘解由主典
 兼
 左大史 川枯勝成
 とともに5弁官を
 「公罪(公務上の失錯)」として
 贖銅50斤の処分を下すべきとした
 これに対して5名を訴えた
 善男と宗はこれは
 「私罪(公務に無関係な犯罪)」
 と反論して
 解官の上
 贖銅10斤を課すように求めた
 更に
 弾正大疏 漢部松長
 は、審理での実際の分担より
 伴成益・藤原岳雄を「公罪」
 他を「私罪」とした
 そのため
 太政官内部でも
 5弁官の行動は
 公罪か私罪か
 更に私罪であれば
 私曲があったのかと言う点(「私曲相須」)で
 議論が紛糾
 9月27日に弾劾されていた
 前左大弁である
 参議 和気真綱
 が死没
 ところが
 訴訟当時は
 弁官の地位にはおらず
 弾劾当事者ではない
 権左中弁 小野篁(承和十三年五月二十三日任命)
 が
 「私曲を犯していなくても
  元々弁官に権限が無い裁判を行った以上
  公務ではなく私罪である」
 とする善男の主張に同意して
 善男・宗が主導して作成した草案に印したために
 太政官もこれを了承する流れとなり
 承和十三年十一月十四日
 5名全員の弾劾を認め
 死去した
 和気真綱
 以外の4名を
 解官の上
 贖銅10斤を課す
 太政官符が刑部省に下され
 誤った明法勘文を作成したとして
 讃岐永直・御輔長道・川枯勝成
 の3名も解任
 訴訟を起こした
 善愷も
 讃岐永直
 伴善男
 の主張通り
 笞罪40の処分を受けた・・・
 承和十四年五月二十七日(847年)
 4人の元弁官の位記が破毀され
 嘉祥元年十二月二十五日
 死亡の
 藤原岳雄
 以外の3名(正躬王・伴成益・藤原豊嗣)
 をそれぞれ位階を1等降格した上で
 再叙
 なお、訴訟そのものが無効となり
 登美直名
 は無罪となったが
 地方官に転任
 嘉祥二年(849年)
 豊前権守であった
 登美直名
 に謀叛の疑いをかけられている・・・
 ・・・「登美ナガスネヒコ」のダブり・・・?
 昔も今も「役人根性」・・・お変わりなし?
 ・・・あるハイのり中国人と
 ・・・ある日本人国会議員と
 ・・・ある日本国厚生官僚とがツルンで
 ・・・ある警察、検察、裁判官僚をも巻き込んで
 法律解釈を捻じ曲げ事実事件を曖昧、空論化・・・?

ーーーーー
 ・・・???
  ↓↑   ↓↑
エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
  ↓↑   ↓↑

 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬

コメント
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天乙(湯王)が 夏(桀王)を滅ぼした・・・磔刑?

2023-04-06 13:05:52 | 古事記字源

 桀=舛+木・・・帥升 (スイショウ)西暦107年に後漢に朝貢
          師匠 (シショウ) 
   夕+㐄+木(十+八)
 α+桀
 傑椉嵥滐搩榤㻧磔謋䮪
 ↓↑
 大桀小桀(タイケツショウケツ)
 残虐な王や為政者
 「桀」=夏王朝の桀王
 「紂」=殷王朝の紂王
  いずれも暴君の代名詞
  磔(はりつけ)=石+桀
  罪人を
  板や柱などに縛りつけ
  槍などを用いて殺す公開処刑の
  刑罰・磔刑(タッケイ)
  磔に使われる台(磔台)の形状
  キリストの磔刑図や時代劇で見られる
  十字形
  逆十字形
  I字形
  X字形
  Y字形
  IとX字の組み合わせなど・・・
  頭を上にする方法の他
  頭を下にする方法(逆さ磔)
  ブリッジなどの不自然な体位で磔ける方法があった
  磔けたあと死亡に至らしめる方法
  槍などを使ってとどめを刺す方法
  重傷を負わせて放置する方法
  何もせずに呼吸困難で死ぬに任せる方法
 ↓↑
 殷(イン・アン)=白+勹+几+又=雷電音・獅子の咆哮?
   韻  案・按 ライオン=雷音・頼音・磊音・厲音(ライオン)
              鶆鳩(ライキュウ)=鷹(たか)
              鶆音(ライオン)?
              スフインクス

   ↓↑
  深厲浅掲(シンレイセンケイ)
  その時々の状況に合わせて適切に対処すること
  「厲」=着物をたくし上げること
  「掲」=裾(すそ)をからげること
  深い川を渡る時には着物をたくし上げ
  浅い川を渡る時は裾をからげて渡ること
  「深ければ厲し、浅ければ掲す」
  川越の要領

 ↓↑
 鶆=來+鳥
   木+从+鳥
   木+人+鳥殷(イン)
   ライ
   鶆鳩(ライキュウ)=鷹(たか)・タカ科の鳥
   鶆䴈(ライオウ)」=レア・レア科の鳥
   鶆鳩=鷹=䧹+鳥・・・来る鳥、九(キュウ)の鳥(チョウ)
      广+倠+鳥
      广+亻+隹+鳥
      オウ・ヨウ
      たか
      鳩(はと・キュウ)=九+鳥
      ・・・求長・球長・球調
      ・・「球磨・久万・熊・隈磨」+調べる
      ・・・給調=糸+合+言+周
            伊都連合妧
               (妍・嫄・諺)収(集)
   雷鳥(ライチョウ)=カミなりのチョウ
      サンダーバード (Thunderbird)
      伝説の生物
      アメリカインディアンの伝説神話の
      想像上の鳥
      江戸時代の中頃から使用された文字
      漢字(雷鳥・らいちょう)の
      英語訳 (Thunderbird)
      とは異なる
      Rock ptarmigan(ロック・ターミガン)
                 p-tarmigan
                 pが無音・・・?
     鳥綱・キジ目・キジ科・ライチョウ属
     チョウコウ=兆候・聴講・兆行・兆項・長考
      雉=きじ=生地・木地・亀茲・期次
        記事 基地
        竺紫日向之高千穂之久士布流多気
     (つくしのひむかのたかちほのくじふるたけ)
      日向襲之高千穂峯  句字振他記(化・懸)
     (ひむかのそのたかちほのたけ)
        槵觸 (くしふる)
         天孫 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
                 邇邇芸 命
     「筑紫の日向の高千穂の
      久士布流多気に天降ります」
      旧辞振 多紀(他記・他宄) 邇
             海部(海士・海女)
              件(くだり・下り・行)
      雉目=Rock ptarmigan
        (ロック・ターミガン)
         磐・・・他網 頑・願・含・翫・玩
         lock=ロック=錠・鍵・錠前
      柳のptarmigan
      白尾のptarmigan
      高山の荒地に住む鳥
      冬には白く
      夏には茶色や赤色になる
      鳴き声
      柳 のptarmigan=キュルキュル
      白尾のptarmigan=クッククック
 ↓↑
 語源学(羅=etymologia
     英=etymology =エ タマロジィ)
 昆虫学  (entomology=エンタマロジィ)
  ↓↑
 鳥類学(英=ornithology=オー(ル)ナァサァラァヂィ)
 英語の「ornithology=オルソロジー・オーソロジー」
 ギリシャ語の
 「ornis = 鳥」+「logos = 学問」
 の合成語
  ↓↑
 「ライチョウ」
 高山やツンドラに生息
 矮性低木やスゲなどの草本
 地衣類や
 苔類などの
 絨毯(カーペット・carpet)状の植生
 あるいは
 岩肌などがモザイク
 「モザイク=模細工・雑綴・切嵌」状に
 現れている環境に生息
 学名
 Lagopus(ラゴプス)=ウサギの足
 muta(ムタ)=無声・変わる
 指先まで羽毛が生えた足
 頻繁には鳴かない
 英名
 Grouse(グラウス)
 冬に体色を
 白く変化させるライチョウ属3種
 Ptarmigan(ターミガン)
 アメリカ、カナダ
 Rock Ptarmigan(ロック ターミガン)
 Lagopus(ラゴプス)は
 一般に「プルミマン」と呼ばれている
 下垂体サブファミリーの小さな鳥類
 ptarmigan(ターミガン)
 ライチョウ類のうち
 冬に白くなり
 脚だけでなく趾まで羽毛に覆われるタイプの種
 本州にいるライチョウ、オジロライチョウ
 grouse(グラウス)
 冬に白くならず一年中濃色(主に褐色)
 脚までは羽毛に覆われるが
 趾には羽毛がないタイプの種
 エゾライチョウ
 クロライチョウ
 など、大半のライチョウ

 ↓↑
 殷(イン)
 紀元前17世紀頃~紀元前1046年
 殷代
 商朝、殷商とも
 天乙(湯王)が
 夏(桀王)を滅ぼし建立した
 (紀元前16世紀以前)
 紀元前11世紀
 帝辛(紂王)の代に
 周によって滅ぼされた(殷周革命)・・・因習
 ↓↑
 殷墟から出土した
 甲骨文字には
 王朝名
 及び
 「殷」は見当たらない
 周が
 先代の王朝名として
 「殷」を用いた
 殷後期の首都を
 出土した甲骨文字で
 「商」と記録
 ↓↑
 殷の位置(華北平原内)
 (二里頭)・・・邇理のカシラ
 二里岡
 盤龍城
 殷墟
 三星堆呉城
 殷代の主な遺跡
 二里頭は
 殷に先行する時代の遺跡
 殷王朝の都城
 二里岡
 殷墟(安陽)
 鄭州市の
 二里岡文化
 紀元前1600年頃~紀元前1400年頃
 初期の商(殷)王朝
 鄭州商城
 建国者
 天乙の
 亳(ハク・バク)と推定・・・漢代の宿場名
 亳≠毫
 ↓↑
 毫(ゴウ)=わずか・毛筆
 毫=亠+口+冖+毛
   ゴウ
   すこし
   ふで=筆・毛筆・筆の穂
   ほそげ
   わずか
   細い毛
   長さや重さに用いられる単位
   地名
   市島町白毫寺
  (いちじまちょうびゃくごうじ)
   名字
   尾毫=おごう
    ↓↑
   揮毫(きごう)=筆を使って文字や絵を書くこと
   毫末(ごうまつ)=非常に少ないこと・秋毫
   毫も(ごうも)=その様子が全くないこと
          打ち消しの言葉と共に使う言葉
   寸毫(すんごう)=わずかであること・ほんの少し。
   一毫(いちごう)
   毫光(ごうこう)
   一糸一毫(いっしいちごう)
    きわめてわずかであるたとえ
     「一毫」=一本の細い毛・わずかなことのたとえ
   毫末遺漏(ごうまついろう)
    ほんの少し、抜けがあること
    「豪末遺漏」
   毫末之利(ごうまつのり)
    ほんの少しだけの利益
   毫毛斧柯(ごうもうふか)
    災いは大きくならないうちに
    取り除くべきだという教え
    「斧柯」は斧の柄
   毫釐千里(ごうりせんり)
    最初の小さな違いが
    後に大きな違いになること
    「毫・釐」はどちらも小さな数量の単位
    「毫釐の差は千里の誤り」
   子墨兎毫(しぼくとごう)
   文人・詩文を作る人
   秋毫(しゅうごう)
    きわめて僅かなことのたとえ
    秋に生え変わった
    獣のきわめて細い毛の意
   目は毫毛を見るも睫(まつげ)を見ず
 ↓↑
 「偃師商城遺跡」
 偃師の尸郷溝
 商(殷)王朝初期(鄭州商城と同時期)
 の大規模な都城が発見
 二里頭遺跡から
 約6km東
 ↓↑
 洹北商城
 殷墟の北東(洹水北岸)
 殷中期の都城の遺跡(花園荘村)
 文字を刻まず
 占卜した獣骨が出土
 殷中期に至っても
 文字資料はほとんど全く出土していない
 ↓↑
 殷墟
 安陽市の
 殷墟(大邑商)
 紀元前1300年頃~殷滅亡までの首都
 洹水南岸
 洹北商城のすぐ南西
 甲骨文字が
 小屯村で出土
 その地区が
 首都存在と推定
 都城の遺跡は見つかっていない
 洹水を挟んだ北側では
 22代王の
 武丁
 以降の王墓が発掘
 甲骨文から
 ここに都を置いたのは
 武丁
 の代からと考えられるが
 竹書紀年では
 19代王の
 盤庚によるとある
 ↓↑
 甲骨文字
 殷墟から出土する
 甲骨文字(亀甲獣骨文字)
 の発見
 『史記』
 の殷の実在性
 甲骨占卜では
 上甲
 が始祖
 天乙(名は唐)が建国者
 ↓↑
 武丁
 より以前の殷の文字は
 ほとんど出土がないが
 筆や木簡・竹簡を表す漢字が
 甲骨文字に現れ
 以前からも文字が用いられた・・・
 ↓↑
 『史記』
 商
 『通志』
 などで殷王朝の祖の
 契
 が「商」に封じられたとある
 『尚書』
 でも「商」の記録
 ↓↑
 伝説
 殷の始祖の
 契
 は
 有娀氏の娘で
 帝嚳の次妃であった
 簡狄
 が
 玄鳥・・・からす=カラス=烏・鴉・香良洲・唐洲?
 の卵を食べたために
 産んだ子
 契は
 帝舜のときに
 禹の治水を援けた功績が認められ
 帝舜により
 商に封じられ
 子姓を賜った
 有娀(有戎)の
 「戎」は西方の遊牧民
 有娀(有戎)の娘である
 簡狄の
 「狄」は北方の狩猟民
 女神が野外の水浴の場で
 天から降りてきた
 鳥の卵・・・・・・・・酉の乱?
 を呑んで妊娠し
 男子を産む
 ↓↑
 「帝」の漢字は
 上古の五帝
 もしくはそれらに準じる者に用いる
 契
 の子孫は代々
 夏王朝に仕え
 契~天乙(湯)
 までの14代の間に
 8回、遷都
 ↓↑
 契(始祖)
 昭明 - 契の子
 相土 - 昭明の子
 昌若 - 相土の子
 曹圉 - 昌若の子
 冥 - 曹圉の子
 亥(高祖、永) - 冥の子
 恒(亙) - 亥の弟
 上甲微(昏微) - 恒の子
 報乙(匚乙) - 上甲微の子
 報丙(匚丙) - 報乙の子
 報丁(匚丁) - 報丙の子
 主壬(示壬) - 報丁の子
 主癸(示癸) - 主壬の子
 天乙(湯) - 主癸の子
 ↓↑
 殷王一覧
 ↓↑
 殷商王室系図
 代数 名(諡号含) 在位年        在位年数
 天乙 (成湯)   前1558年?- 前1546年?12年/29年
 外丙        前1546年? - 前1544年? 2年?
 仲壬        前1544年? - 前1540年? 4年?
 太宗太甲      前1540年? - 前1528年? 12年?
 伊尹
 沃丁        前1528年? - 前1509年? 19年?
 太庚        前1509年? - 前1504年? 5年?
 小甲        前1504年? - 前1487年? 17年?
 中宗太戊      前1487年? - 前1413年? 75年?
 雍己        前1412年? - 前1401年? 12年?
 中丁(仲丁)    前1400年? - 前1391年? 9年?
 外壬        前1391年? - 前1381年? 10年?
 河亶甲       前1381年? - 前1372年? 9年?
 祖乙        前1372年? - 前1353年? 19年?
 祖辛        前1353年? - 前1339年? 14年
 沃甲        前1339年? - 前1334年? 5年
 祖丁        前1334年? - 前1325年? 9年?
 南庚        前1325年? - 前1319年? 6年?
 陽甲        前1319年? - 前1315年? 4年?
 盤庚        前1315年? - 前1287年? 28年?
 小辛        前1287年? - 前1284年? 3年?
 小乙        前1284年? - 前1274年? 10年?
 高宗武丁      前1274年? - 前1215年?
 祖己        前1190年? - 前1132年? 59年?
 祖庚        前1215年? - 前1204年? 11年?
 祖甲        前1204年? - 前1171年? 33年?
 廩辛        前1171年? - 前1167年? 4年?
 庚丁        前1167年? - 前1159年?
 武乙        前1159年? - 前1124年?
            1148年? - 1113年?
 太丁        前1124年? - 前1111年?
            1113年? - 1102年?
 帝乙        前1111年 ?- 前1102年?
            1102年? - 1076年?
 帝辛(子受)    前1102年? - 前1050年?
            1076年 - 1046年?
 ↓↑
 夏の
 桀王
 は暴政
 殷の
 湯王(13代目、天乙)
 天命を受けて悪政を正す
 賢人
 伊尹
 の助けを借りて蜂起
 「鳴条の戦」
 で夏軍を撃破
 各都市を破壊
 夏は滅亡
 夏の都市のひとつ
 望京楼遺跡では
 殷による激しい破壊と虐殺の跡
 遺骨の多くは
 手足が刃物で切断され
 顔が陥没
 遺跡からは
 夏人のどれも
 毀損された
 遺骨と共に
 殷の青銅の武器も出土
 ↓↑
 天乙は諸侯に推挙されて
 王となり
 亳に都を設置
 ↓↑
 4代目の王
 太甲は暴君で
 伊尹に追放されが
 太甲が反省したので
 伊尹は許し
 太甲は善政を敷き
 太宗と称された
 ↓↑
 王
 雍己
 王朝は一旦衰えた
 王雍己の次の王
 太戊は賢人
 伊陟
 を任用
 善政に努め
 殷は復興
 王
 太戊の功績を称えて
 王太戊は
 中宗と称された
 ↓↑
 中宗の死後、王朝は再び衰え
 王
 祖乙
 は賢人
 巫賢を任用し
 善政に努め
 殷は再び復興
 ↓↑
 王祖乙の死後また王朝は衰えた
 王盤庚
 は殷墟(大邑商)に遷都
 湯の頃の善政を復活させた
 ↓↑
 王盤庚の死後にも王朝は衰えた
 王
 武丁
 は賢人
 傅説を任用し、殷の中興を果たした
 武丁の功績を称えて
 高宗と称された
 ↓↑
 武丁以降の王は
 概ね暗愚な暴君で
 王朝最後の
 帝辛(紂王)
 は即位後
 妃の妲己を溺愛し暴政
 そのため
 周の
 武王に誅され(牧野の戦い)
 殷は滅亡
 ↓↑
 殷は占いによって政治を行い
 その為に多数の
 人身御供を必要とした
 中国の文字である漢字は
 骨に刻むための
 象形文字として始まった
 2012年現在
 少なくとも
 14000体の
 殷代に生贄の犠牲となった人骨が発掘
 殷以外の他の部族から見せしめ的に要求され
 献上された
 人身御供
 恐怖政治は
 他の多くの部族の反感を買い
 周や
 微など東西南北の
 8つの従属国家が密かに連絡、連携し
 紂王が
 東夷の征伐に乗り出した隙をついて
 反乱
 「牧野の戦い」
 で殷軍を撃破
 殷王朝は滅亡

 ↓↑
 「史記」著作者
 司馬遷
 は、これを漢の時代の制度を当て嵌め
 (漢代
  いくつかの氏族で
  君主権力を共有することなど皆無)
 親子相続
 兄弟相続
 と解釈したが
 後年の
 亀甲獣骨文字の解読から
 基本は
 非世襲で
 必ずしも
 実子相続が行われていたわけではなかった
 殷は
 氏族共同体の連合体で
 殷王室は少なくとも
 二つ以上の王族(氏族)からなっていた・・・
 ↓↑
 仮説
 殷王室は
 10の王族(「甲~癸」は氏族名)
 からなり、不規則ではあるが
 原則として
 「甲・乙・丙・丁」(「丙」は早い時期に消滅)
 の4つの氏族の間で
 定期的に
 王を交替していた
 それ以外の
 「戊・己・庚・辛・壬・癸」の
 6つの氏族中から
 臨時の
 中継ぎの王を出したり
 王妃を娶っていた・・・
 ↓↑
 殷の王族は
 太陽の末裔と当時考えられ
 山海経の伝える
 10個の太陽の神話(十日神話)は
 殷王朝の
 10の王族(氏族)の
 王位交替制度を表し
 羿(ゲイ)により
 9個の太陽が射落される(射日神話)
 のは
 一つの氏族に権力が
 集中し強大化した・・・解釈説
 ↓↑
 殷王朝で作られた
 后母戊
 鼎
 は見つかった青銅器のうち最も重い物
 紂王の子である
 武庚は
 周の
 武王に
 殷の故地に封じられた
 武王の死後
 武庚は
 武王の兄弟の
 管 叔鮮
 蔡 叔度
 霍 叔処
 と共に反乱を起こした
 (三監の乱)
 が失敗
 叔度以外誅殺
 叔度は追放されたがその子が継いだ
 その後
 武庚(禄父)の伯父の
 微 子啓(紂王の兄)
 が宋に封じられ
 殷の祭祀を続けた
 微子啓には嫡子が無かったため
 同じく紂王の兄の
 微 仲衍
 が宋公を継ぐ
 異説もあるが
 微仲衍の子孫が
 孔子
 その後の孔子の家系は
 現在まで続いている
 ↓↑
 紂王の叔父
 箕子
 は朝鮮に渡り
 箕子朝鮮を建国した
 中国人によって
 朝鮮が建国されたことになってしい
 韓国側は
 檀君朝鮮こそ
 初の王朝であり
 箕子朝鮮は
 単なる後世の創作であると主張
 ↓↑
 商人
 商(殷)人
 が国の滅亡した後の生業として
 各地を渡り歩き
 物を売っていたことに由来するとされ
 転じて
 店舗を持たずに
 各地を渡り歩いて物を売っていた人(行商人)を
 「あれは商(あきない)の人間だ」とし
 「商人(あきんど)」という言葉が生まれた・・・
 ↓↑
 殷の滅亡の理由
 周の
 康王の時代に造られた
 「76大盂鼎」
 の銘文に
 「私(王)が聞いたところによると
 殷が天命を失ったのは
 殷の諸侯と
 殷の百官が
 みな酒に耽り、軍隊を失ったからである」
 とあり
 「殷は酒によって滅びた」
 という伝承が形成されていた
 ↓↑
 周が殷を滅ぼした
 のは
 紀元前1046年・・・説

 『竹書紀年』
 武王~幽王(西周最後の王)
 まで
 257年という記述
 幽王が死んだのが
 紀元前771年で
 殷が亡んだのは
 紀元前1027年
 『漢書』には
 周は867年続いたという記述で
 紀元前1123年・・・
 殷滅亡を一番古い時代に置くのは
 紀元前1127年
 新しくは
 紀元前1018年
 ↓↑
 殷社会の基本単位は
 邑(ユウ)
 氏族ごとの集落で
 数千の邑が
 数百の豪族や王族に従属
 殷王は多くの氏族によって
 推戴された君主だった
 方国とよばれる
 地方勢力の征伐や外敵からの
 防衛による軍事活動によって
 次第に専制的な性格を帯びていった
 宗教
 殷王は
 神界と人界を行き来できる最高位の
 シャーマン
 とされ、後期には
 周祭制度による
 大量の生贄を捧げる
 鬼神崇拝が発展
 この王権と神権によって
 殷王はみずからの地位を強固なものにし
 残酷な刑罰を制定して統治の強化を図った
 しかし祭祀のために
 戦争捕虜を生贄に捧げる慣習が
 周辺諸氏族の恨みを買い
 殷に対する反乱を招き
 殷を滅亡に導いたとする説・・・
 ↓↑
 現代の考古学調査
 これまでに発見された
 殷による
 生贄になった人の骨は
 計14000体
 ↓↑
 殷王朝の軍隊
 氏族で構成
 殷王による徴集を受けると
 普段は農耕に従事していた
 氏族の構成員が武器をとり
 出征する軍隊を編成
 この軍隊を指揮するのは
 各氏族の貴族
 ↓↑ ↓↑
 戦争勝利を収めるために
 兵種・戦法・軍備
 などを発展
 「三師戦法」
 という大量の
 戦車を活用した戦術
 殷王朝が
 歩兵中心の軍制から
 戦車を中心とした軍制に変化
 殷の支配域が拡大して
 黄河中下流域や
 中原など
 戦車を疾駆させるのに適した
 平原地帯が戦場になっていったから
 『呂氏春秋』
 によると
 殷の湯王が
 夏の桀王を討ったとき
 「良車七十乗(輌)
  必死(決死隊)六千人」
 があったといい
 「令三百射」
 「到三百射」
 と記載された甲骨文があることから
 一度に戦役に出撃した戦車は
 300輌にも達していた・・・
 戦車は
 歩兵と共同して戦い
 1輌の戦車に
 3人の兵
 左側の兵士が弓を
 右側の兵士が矛や戈を
 中央の兵士が御者
 戦車部隊は
 5輌が最小単位
 戦車兵15人
 付随する
 歩兵15人
 100輌の戦車と
     戦車兵
     歩兵
 がそれぞれ300人
 25輌の戦車と戦車兵と歩兵が
 75人
 戦車が5の倍数で
 戦車兵と歩兵は15の倍数で編成
 戦車の運用法
 「三師戦法」
 軍隊を
 左・右・中の3つの部隊に分け
 互いに連携して
 敵に対処
 ↓↑
 軍備
 戦車戦に適した
 戈・矛・弓矢
 木製の盾
 刀
 殷王朝では
 戈と矛を合体させた戟が発明
 材質は青銅製
 弓矢の鏃の材質は
 石器や骨器なども使われた
 防具については
 戦車兵が立ったままの状態で
 乗っていたため標的にされやすく
 重装化
 殷代の
 鎧は皮革
 兜は青銅
 敵の弓矢から身を守るため
 盾も
 戦車には用意されていた
 ↓↑
 殷では
 王族・有力者に対して十干を付した諡号を用いた
 ↓↑
 黄帝~少昊~嚳~契~昭明~相土~昌若~曹圉~冥
 ~王亥~王恒~上甲微~報乙~報丙~報丁~主壬~主癸
 ↓↑
 殷の王
 天乙~外丙~中壬~太甲~沃丁~太庚
 ~小甲~雍己~太戊~中丁~外壬~河亶甲
 ~祖乙~祖辛~沃甲~祖丁~南庚~陽甲
 ~盤庚~小辛~小乙~武丁~祖己~祖庚
 ~祖甲~廩辛~庚丁~武乙~太丁~帝乙~帝辛
 ↓↑
 原文 BY 『ウィキペディア(Wikipedia)』
ーーーーー
 ・・・???
  ↓↑   ↓↑
エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬

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ぜぇ~んぶ、「自然の所為(せい)だモノガタリ」?

2023-04-03 21:24:15 | 古事記字源

 やったのはオマエだろう・・・腐汚黕(ぷうチン)・・・

 アリアさんの「わたくしでした物語」をユウチューブで視た、聴いた・・・
 ・・・
 「あいつの所為(せい)だ物語」
 「おまえの所為(せい)だ物語」
 「責任転嫁・責任転換」
 「キヤツ(彼奴=アヤツ・カヤツ)デシタ物語」
https://www.youtube.com/watch?v=8gd_ohoPzYc

  ・・・「キャッツ」じゃないョなッ・・・
 「あんたデシタ物語」
  ↓↑
 三人称として
 「 彼 ・ 彼ら 、 彼女 ・ 彼女ら ( 彼女たち )
  こいつ(此奴)、そいつ(其奴)、あいつ(彼奴)」
 「デシタモノがたり」
  ↓↑
 「貴方、貴様、あんた、オマエ、うぬ、おぬし、汝(なんじ)・・・」
 最も古い
 二人称単数代名詞としては「な」
 二人称として
 「なれ、なむち(なんじ=汝)」
 「なデシタモノがたり」
<iframe src="https://richlink.blogsys.jp/embed/72f6c079-847e-3e7d-a44f-88bb7dd16b31" frameborder="0" scrolling="no"></iframe>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E7%A7%B0%E4%BB%A3%E5%90%8D%E8%A9%9E
 ・・・ぜぇ~んぶ・・・「自然の所為(せい)だモノガタリ」・・・
  ↓↑
 ひと=ヒト=hito=比土=干止=丕登
    霊止(ひと)?=人
    霊=雨+一+亚=・・・䨩・霛・㚑・灵
      雨+二+业
     止=丄+ト
   靈止?=人・・・霊視・麗姿・礼氏
   靈=霝+巫
     雨+口+工+从
     雨+口+工+人
   靈登(ひと)?
   ↓↑
   靈=レイ・リョウ
     たま
     たましい
     よい
     死者のたましい
     神秘な力・不思議な力
     みこ(巫女)・かんなぎ(覡)
     よい・かしこい・すぐれている
 ↓↑
 比徒・比等・・・「藤原 不比等」
 比登
  登=癶+豆
    ト
    トウ
    のぼる・あがる・高い所にあがる・上にのる
    みのる・成熟する・穀物が熟する
    成す・成る・出来上がる・成しとげる
    今・たちどころに・すぐに
  ↓↑
  癶=ハツ・両足を開く・歩く
    はねる=撥ねる
    發=癶+弓+殳
      癶+弓+几+又
    發=発=发=彂
    ハツ・ホツ
    あばく
    たつ
    はなつ
    ひらく
    矢を放つ・鉄砲を撃つ
    あばく・明らかにする・あらわす・あらわれる
    たつ・出かける・出発する・進む
    ひらく・あける
    のびる・のばす・盛んになる・成長する
    つかわす
    おこる・おこす・やる・生じる・致す
 ↓↑
 イオマンテ
 アイヌの儀礼
 ヒグマ(羆)
 などの動物を殺して
 その魂である
 カムイを
 神々の世界に送り帰す祭り
 アイヌ(蝦夷=カイ)・・・
    カヒ=化意・歌碑・可否
       甲斐・過肥・夏飛⇔殷⇔倭
    和氏の璧(カシのヘキ・かしのたま)
    ワシのタマ・・・
       詫間駅(たくまえき)
       香川県三豊市詫間町松崎
       四国旅客鉄道(JR四国)
       予讃線の駅
       駅名標に
      「浦島太郎伝説の駅」
 ↓↑  ↓↑
    中国春秋時代・戦国時代の故事
    『韓非子』(和氏篇十三)
    『史記』
    「連城の璧(レンジョウのヘキ)」
    楚の国の
    卞和 (ベンカ)が
    山中で玉の原石を見つけ
    楚の厲王(蚡冒)に献上したが
    鑑定者がただの雑石と述べたので
    厲王は怒って
    卞和の左足を切断の刑にした
    卞和は同じ石を
    武王に献上したが結果は
    右足切断の刑に処せられた
    文王即位後
    卞和はその石を抱いて
    3日3晩泣き続け
    文王がその理由を訊き
    原石を磨かせたら
    名玉になった
    文王は不明を詫び
    和氏である卞和を称え
    「和氏の璧」と名付けた
    後
    宝玉は
    趙の
    恵文王の手にわたり
    秦の
    昭襄王が
    自領にある
    15の城と交換しようと持ちかけたが
    恵文王は
    藺相如を秦に送ったが
    昭襄王は
    約束を守るつもりが無く
    藺相如は持ち帰り
    「璧(へき)を完(まっとう)する」
    ことができた
    完全無欠なことを
    「完璧」と称し
    15城もの価値がある璧であるとし
    「連城の璧」と称した
 ↓↑
 アイヌ語の
 イオマンテ・・・「イオ-マン-テ」?
 言葉としては
 i(イ=それを)=カムイ⇔魂 (ramat)
 +
 oman(オマン=行く)
 +
 te(テ=何々させる)
 の意味
 iyomante=イヨマンテ
 近代
 イオマンテ=熊(ヒグマ・羆)のイオマンテ
 飼育したヒグマを対象とする儀式
 ↓↑
 「イオマンテ」
 狩猟で捕殺した
 ヒグマ(キムンカムイ=山の神)を対象とする儀式
 「カムイ・ホプニレ (kamuy hopunire)」
 「ホプニレ (hopunire)」
      ho(ホ=尻)
      +
      puni(プニ=持ち上げる)
      +
      re(レ=発たせる)
      狩猟で殺した直後の
      獣のカムイの
      魂 (ramat)は
      両耳の間に留まっている
      儀式では祭壇を設えて
      ヒグマの頭部を祀り
      酒食や
      イナウ(inaw・inau)を捧げ
        神霊の依り代
        御幣(ごへい・おんべい・おんべ)
        神道の祭祀で
        捧げられ、用いられる
        幣帛(へいはく)
        2本の紙垂(しで)を
        竹または木の幣串に挟んだもの
        幣束(へいそく)
         幣(ぬさ)=幤
        敞=尚+攵
     尙+攵・・・尚歯会?
          ⺌+冋+攵
          小+冋+攵
          丨+丷+冂+口+攵
          小+冂+口+攵
          ショウ
          たかい
          土地が高くひろびろとして
          見晴らしがよい
        幣=敝+巾・・・貨幣
          㡀+攵+巾
          丷+巾+八+攵+巾
          丷+巾+八+攵+冂+丨
          ヘイ
          おとろえる
          やぶれる
          やぶれてぼろぼろになる
          つかれる・よわる
          自分側の謙遜語=弊社
          おおいかくす=蔽・隠蔽
     カムイを神々の世界
     カムイ・モシリ (kamuy mosir)
     に送り帰す
 ↓↑
 黄幡・・・
 イオ(イヲ)
 イヨに
 コダワッテ・・・
 古代史・・・
 2016-08-28 13:54:11の記録添文
 古事記字源
 ・・・「イオ・イヲ」にコダワル・・「晋(晉・シン・265年~420年)」は、「司馬炎が魏の最後の元帝から禅譲で建国・280年に呉を滅ぼして三国時代を終焉させた」・・・「匈奴(前趙) に華北を奪われ一旦滅亡し、南遷した317年以前を西晋、以後を東晋と呼ぶ」・・・古代史に興味のナイヒトにはどうでもイイことだが・・・ギリシャとなれば、「神話」で「天文学」だが、「スウガク(数学)・幾何学」、「化学・生物学・医学」、「冶金・鉱学」、「土木建築」、「絵画・造形・音楽」、そして、「哲学」、「文学」、「オリンピック」、「戦争」の「記録の国」でもあった。初期のローマ帝国時代の(支配階級の)国際語は「ギリシャ語」であった・・・しかも、古代エジプトの歴史を継承したのはギリシャ人マケドニア(トラキア)のアレクサンダー大王の臣下の「プトレマイオス」であった。そして「トラキア」、「ディオニュソス=バッコス(Bakchos)」は「トラキア」に由来・・・葡萄酒(ワイン)と酩酊(大虎)の神、男性ディオニュソス信者がサテュロスで、パーン(半身半山羊)も同類らしいが「ギリシア語のパン(あまねし・全ての意)で、全てを意味する接頭語 Pan(汎)の語源になった」、漢字の「普」も「あまねし」だが・・・
 ガイアの子「テューポーン(多頭竜で翼を持つ怪物)」はゼウスと戦い、地球を灼熱地獄とし、天上の神々を大混乱させ、追い掛け回された神々は、動物に姿を変えてエジプトへ逃げ、動物の姿になった。パーン神 (Pan) は、恐慌のあまり上半身がヤギで下半身が魚に化けて逃げたので「Panic (パニック)=混乱」の語源となった、とか・・・まるで、今現在のシリア、イラクではあるが、「古事記・日本書紀」では「やまたのおろち(八岐大蛇・八俣遠呂智・八俣遠呂知)」だろう・・・退治したのは「すさのお(建速-須佐之男・素戔男・素戔嗚)」である。ならば「ゼウス」とは・・・
 アレクサンダー大王はペルシャに勝利し、エジプトをも支配下に置き、インドにも遠征した。
 文明、文化は戦争で膨大な屍を地上に曝したが、生き残った「勝者」にも「敗者」にも「文明文化」を「融合」させたのである・・・
 それ以前から当時の地中海沿岸、島々は「ギリシャ人の商業と植民の地」であった・・・「ローマ人」の「神話」は「ギリシャ神話の借り物」であり、「融合」であった・・・そして、「古代ギリシャ」は「先進古代エジプト文明文化」の「融合」でもあった・・・
 その「文明文化」を
   「アラブ(Arab)」が西の「ヨーロッパ」へ、極東の「ジポン」にも伝えた・・・
    ムハンマド(マホメット)・アラブ(Arab)人・セム語族
    20世紀以降
    セム・ハム語族は
   「アフロ・アジア語族」とされた・・・?
    アラぶる神の名は・・・
    荒 振 神=邪神・暴神・悪神
    高天原の神々に従わず
    高天原に帰属しない神々
    《古事記》〈神代巻〉の天孫降臨の条
   「この国に
    道速振(ちはやぶる)
    荒振る
    国つ神等の
    多在(さわな)りと
    以為(おも)ほす」
   「蛍火(ほたるび)のように輝く」邪神
   「膽吹山(いぶきのやま)の白猪神は
    日本武尊の
    足を
    三重に萎えさせ衰弱させた」・・・
    王権(足=たり)が三重・・・?
ーーーー
 ・・・???
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エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
  ↓↑   ↓↑

 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
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 干支歴
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 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

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 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

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 モウ君の総合目次
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コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
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 古事記と虎関師錬

 

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