●賢い人はいるものだ。一を聞いて十を知ることができる。私などは近頃十を聞いて二つか三つくらいしか覚えていない。藤沢周平の人情ものを借りれば、短編でも何人も登場人物がいる。一膳めしやの「おまつ」だか桶芳のおかみ「おつな」だったか何ページも戻って確かめたりする。(苦笑)
●小6の頃の通信簿がある。よくよくみると、不得手な分野も、成績も実によく似ているのに気づく。はは~ん、これは仕方ないなと思うのか、自分はこうだったのだから我が子にはぜひがんばってもらいたいと思うのか、それは話しかけ方次第なのだ。自力をつけてくれればこの世で誰かの役に立つ。存在そのものに価値がある
人間だってたくさんいる。ある養護学校の先生がおっしゃっていた。「悪いことをするのは子どもですからしかたのないことです。しっかり教えてあげましょう。でもうちにいる子は、悪いことさえできないのです。」
●ここ数年、いつも頭にあるのは「言葉は人を成長させる」ということだ。大して気持ちが無くても「おかげさまで」を使いなさい、と教えてそれが口に付いてくると、言動までもがそうなってくる。だからいい言葉は繰り返し、多用する。
●昨日、決勝前にスタンドでキャプテンにこのことを話した。「いいか、学校に帰ったら多くの人が出迎える。そこで『おかげさまで』を使え。そしてこれからも挨拶する度に使え。おまえの言葉で周囲は疲れが吹っ飛び、おまえ自身も知らぬうちに成長するから」・・・言ったかな、あいつ・・
●小6の頃の通信簿がある。よくよくみると、不得手な分野も、成績も実によく似ているのに気づく。はは~ん、これは仕方ないなと思うのか、自分はこうだったのだから我が子にはぜひがんばってもらいたいと思うのか、それは話しかけ方次第なのだ。自力をつけてくれればこの世で誰かの役に立つ。存在そのものに価値がある
人間だってたくさんいる。ある養護学校の先生がおっしゃっていた。「悪いことをするのは子どもですからしかたのないことです。しっかり教えてあげましょう。でもうちにいる子は、悪いことさえできないのです。」
●ここ数年、いつも頭にあるのは「言葉は人を成長させる」ということだ。大して気持ちが無くても「おかげさまで」を使いなさい、と教えてそれが口に付いてくると、言動までもがそうなってくる。だからいい言葉は繰り返し、多用する。
●昨日、決勝前にスタンドでキャプテンにこのことを話した。「いいか、学校に帰ったら多くの人が出迎える。そこで『おかげさまで』を使え。そしてこれからも挨拶する度に使え。おまえの言葉で周囲は疲れが吹っ飛び、おまえ自身も知らぬうちに成長するから」・・・言ったかな、あいつ・・