城郭探訪

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伝本丸の東虎口は?史跡観音寺城跡

2012年03月12日 | 文化財

2年目の発掘と石垣調査

史跡観音寺城跡伝本丸北東虎口の石段跡(県文化財保護課提供)

◇東近江・安土町
  平成二十年度から県教委が四年計画で石垣基礎調査と発掘調査を続けている。
 今年度は、本谷から伝本丸に通じる西側ルートで想定されていた枡形虎口がなかったことが明らかになった昨年度調査に続いて、昨年十一月から東側ルートの虎口があったとされる伝本丸東虎口(防御機能をもつ入り口)〇・三ヘクタールで発掘調査を行っている。
 東側ルートは、江戸時代以降に桑実寺から観音正寺への巡礼道で、伝本丸北東隅の開口部につながり、観音寺城時代にも道として利用されていたと考えられている。伝本丸の手前で巨大な削り出し土塁が張り出して、道が狭くなっているが、防御のための構築物などは発見できていない。
 石垣調査は、観音寺城跡最大の特徴である安土城以前の石垣の現状を把握するため、四年かけて伝布施淡路丸周辺と南山裾部二十四ヘクタールを調査している。


伝本丸大石段は直線だった

2012年03月12日 | 文化財

=伝三ノ丸へ折れ曲がらない 寺との関係も あす現地説明会=

伝本丸大石段から直角に曲がる石段ではないかと思われていた石垣の崩壊部分

◇東近江・安土町
 四年計画で史跡観音寺城跡の石垣基礎調査などを行っている県教委文化財保護課は、調査・発掘の成果を発表した。
 これまで、伝本丸から通じる大石段が、本丸の十メートル東側の下部(高低差約二十メートル)にある伝三ノ丸付近で一旦直角に曲がり、再び直角に曲がる、防御性のある桝形的空間をもっていたのではないかと思われてきたが、今回の調査で、伝三ノ丸への石段だと思われていた部分は実は大石段側面の石垣が崩れたもので、大石段は曲がらずに直線的に続いていて、伝三ノ丸とはここではつながらず、桝形的空間も存在しなかった可能性が強くなった。
 また、伝三ノ丸北端にある谷に突き出した土塁から両側っへ下る新たな石段が見つかり、それぞれ別の谷につながっており、伝三ノ丸へ二つのルートがあったことが分かった。
 さらに、伝三ノ丸を中心に向かって二十五メートルほど進んだところに石垣が築かれ、ここから奥が一段(七十センチ程度)高くなっているが、大規模な火災により赤色変化した石が多数あり、修復、崩壊がくり返されたため、石段の形跡は認められなかった。
 これらのことから、伝三ノ丸が築城前からあった観音正寺の施設の遺構を生かした可能性も考えられ、観音寺城と観音正寺との関係、佐々木六角氏と宗教の関係など、曖昧になっている部分を解明する第一歩となる可能性も出てきた。