近世には金堂陣屋の米倉が置かれていたお城。
お城のデータ
所在地:東近江市宮荘町 (旧神崎郡五個荘町宮荘) map:http://yahoo.jp/cc79HD
築城期:
築城者:
現 状:グランド・宅地
区 分:平城(居館)
遺 構:
目標地:宮荘集落の北の表示板
駐車場:路上駐車
訪城日:2014.7.9
内屋敷の周辺に
お城の概要
清水ヶ井(しずがい)城は、中世城館調査報告書には「宮荘地区の西端にあるL字形に土塁が残ってる。」とあるが、現在は「宮荘草の根広場」となっていて、遺構は消滅していた。
佐々木六角の居城観音寺城・和田山城・箕作山城・佐生城の本貫地の真ん中位置した居館。
周辺は、田地に改変され、グランド、宅地、田地に。
西に観音寺城、東に和田山城北に伊庭山(佐生城・仮称北須田山城・仮称伊庭山城)
歴 史
清水ヶ井(しずがい)城、築城年代や築城者など詳細なことは定かではないが、
江戸時代に五個荘を領した大和郡山藩金堂陣屋の米藏が置かれていたと云われいる。地元では、「藏屋敷」と呼んでいた。今は位置の確認すらできない。
明治6年作成の「北荘村地券取調絵図」には、宮荘清水ヶ井遺跡南北1/3町・東西1/2町の長方形に土塁で囲まれ、西を除く三方には二重の、西には三重の濠を巡らせ形で表し、内部に建物二棟米藏。
神崎郡誌、宮荘村史より
三人衆塚
佐々木六角の近臣、宇野因幡守・辻伊賀守・川副兵庫助は北荘(現宮荘)に居住いた。
「野良田の戦い」に勝った浅井氏は赤田信濃守とはかり三人衆の寝返りを誘い、応じた三人衆と共に六角氏に敵対するも赤田信濃守と共に屋敷に籠城した浅井合戦について記している。
後に、大和国郡山藩の所領となり、米蔵があったと伝えられ、地元では「蔵屋敷」と呼ばれいた。
宮荘集落の北の表示板
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、五個荘町史
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