城郭探訪

yamaziro

補陀楽寺(ほだらくじ)城 近江国(甲賀) 

2014年07月18日 | 平城

お城のデータ

所在地:甲賀市甲賀町大原市場 (甲賀郡甲賀町大原市場) map:http://yahoo.jp/czSDyw

現状:補陀楽寺・公民館

区分:平城

遺構:土塁・堀跡

築城期:室町時代

築城者:

目標地:補陀楽寺・公民館

駐車場:補陀楽寺・大原市場公民館駐車場

訪城日:2014.7.16

お城の概要

補陀楽寺城は、甲賀町大原市場(JR甲賀駅)の西方にあり、北東と東南に土塁が残る。北西にも土塁が残っていた(平成7(1995)年まで)が、区画整備の公民館の新設・発掘調査後で消滅した。残念!

地籍図から、城域は半町(約50m)四方の館跡で、北東の土塁は高さ2.5m、50mと図る。南東の土塁は高さ2.0m、20mと図る。土塁の外側には堀はない。

東端の開口部は近年以降の改変・開削されたもの。本来は杣街道に直交する道が残る南西面は正面であった。現在はJR草津線で分断され、城門(寺門)が建つ。立地は、杣川へ北から南へ除々に傾斜する。JR草津線が城域を分断する。

歴 史

発掘調査で中世以降の17世紀の信楽焼の壺や擂鉢片が出土し、土塁下層部の溝から16世紀後半の遺物が出土している、土塁構築はこの頃。

築城は室町期、築城者等詳細不明。

城門(寺門)が建つ。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城、日本城郭体系11

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竹林(たけばやし)城 近江国(甲賀)

2014年07月18日 | 平城

石積みで固められた土塁が、お寺の前に残るお城。

お城のデータ

所在地:甲賀市甲賀町相模字竹ノ花 (甲賀郡甲賀町相模字竹ノ花) map:http://yahoo.jp/lLoMZZ

現 状:慶徳寺

遺 構::慶徳寺前土塁、本堂裏の土塁、石仏

区 分:平城

築城期:室町期

築城者:竹林新七郎

目標地:慶徳寺、交番http://yahoo.jp/wTePqx

訪城日:2014.7.16

 

 

お城の概要

竹林城は、甲賀町相模のうち里集落の北端で、大原川の河岸左段丘際に位置している。

現在は慶徳寺が建ち、改変がみられるものの、境内南(門前30m・高さ1.2m)北(本堂裏高さ3m・5m)に土塁が残存する。

北側川沿いは基底部程度しか残らないが、南側は境内から路地を挟んだところに東西約30mにもおよぶ土塁が残る。
また昭和中期頃までは南北辺に加え、東辺にも土塁が残存していたといい、それを踏まえると少なくとも約60m四方の単郭城館であったと考えられる。

歴 史

竹林城は、室町時代に竹林新七郎によって築かれたが、詳細なことはことは定かでない。

土塁林と大原川を挟んで鳥居城(遠望)

土塁の樹下の石仏直下を流れる大原川の南土塁(本堂裏)

鳥居城からの遠景

竹林城前の林田籐九郎翁の顕著碑土塁の上に立つ。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城

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鳥居城 近江国(甲賀)

2014年07月18日 | 平城

お城のデータ

所在地:甲賀市甲賀町鳥居野字樋越 (甲賀市甲賀町鳥居野字樋越) map:http://yahoo.jp/kvP7li

現 状:雑木竹林

遺 構:曲輪・土塁・空堀

区 分:平城

築城者:鳥居兵内

築城期:文明年間(1469-87)

城 主:大原伊予守春綱・丹後守貞綱、篠山備後守景春

目標地:交番http://yahoo.jp/wTePqx

駐車場:城域南西部平坦地http://yahoo.jp/j0zksC

訪城日:2014.7.14

お城の概要

 鳥居城は、甲賀町鳥居野のうち樋越の北西、大橋川が大原川と合流する地点のすぐ北側に位置する。
大橋川北岸に広がる丘陵地の西端で、南側へ舌状に突き出した台地を利用し、丘陵続きの北と北東は堀り切って背後の横堀としている。

 縄張は、南北約60m×東西約40mの単郭方形で、民家側の南辺のほぼ中央に虎口が開口している。現在の虎口付近は、後世の改変が考えられるが、他に開口部はなく虎口はここにあったのでは。

 土塁は、南辺虎口の西半分から西・北辺と、コの字形に残っている。さらに北辺の東端の土塁切れ目は不自然に途切れているので、本来は東辺にも土塁があったことが考えられる。

城内の東側には、近年建物が建っていた基礎(コンクリートに鉄柱)のような跡が残っている。邪魔だった東側の土塁は削除されたカ。

 北側は、急斜なV字に切込んでいる。基本空堀だが、湧水か灌漑水か、水堀か。

東側では縄張の東辺に沿って排水路のように大橋川へ向かっている。これは本来東辺にも堀があった名残り。土塁も、城外の切岸は垂直に鋭く、北東からV字に入城したが危険。

城の南側の民家は台地状の地形になっており、城の一部または付属する屋敷地であったのでは。

V字の堀底から、左が土塁。Vに下り、土塁を登る

歴 史

鳥居城は、文明年間(1469-87)に鳥居兵内が築いたとされる。

天文年間(1532-55)大原伊予守春綱・丹後守貞綱が領有したのち、いったん廃城となる。

天正年間(1573-92)篠山城主、篠山備後守景春によって修築されたが、完成しないまま廃城となった。

 

城内・土塁も竹林・・・北側は杉林

近年の基礎(コンクリートに鉄柱)が、東側に残っている。

無理やり城外へ(東側)南側(民家の向かい)の電柱の横に虎口があった。

西側の民家から鳥居城の北西部遠景

駐車位置(郭外の平坦地)http://yahoo.jp/j0zksC

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城

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