お城のデータ
所在地:犬上郡多賀町敏満寺 map:https://yahoo.jp/ON7Sms
現 状:山林(山腹)
区 分:居城
遺 構:空堀・土橋・曲輪・
築城期:
築城者:
城 主:今井氏?
標 高:150m 比高差:30m
目標地:金屋橋バス停
駐車場:犬上川左岸路上駐車
訪城日:2017.9.7
お城の概要
敏満寺の南の青龍山から、南に延びる丸山の山頂部遺構が南籠城山城で、
周囲を土塁で囲い、主郭部と南東部に平削地(副曲廓)からなっている。薄くなった横矢折れ・虎口・カザシも十分確認された、東側の副郭から眺望が利く。
一隅に櫓台が残り、南東の平削地の先端部に巨岩が残り物見岩のたぐいか?
南籠城山城の北西下1kmに、籠城は空堀で囲われた遺構が?
お城の歴史
『甲良町史』には、どんじょ山の城砦跡の存在を誌し、「山名の由来は古来篭城山の訛ったものといわれて来たが、あるいは佐目道場久遠寺の前線基地としての道場山の訛ったものとも考えられる。」としている。
『嶋記録』には、
〇敏満寺城(多賀町) 今井左衛門尉没落の事
秀俊妻女ハ番場土肥か息女なりしか、秀俊か息8歳尺夜叉をかゝへ、・・・・敏満寺に十余年の春秋を送り程見に」 今井一門連書乃写シ 「今井敏満寺ニ有し比」と記す。
六角方への内通を疑った浅井亮政により、天文2年(1533)長浜の神照寺にて誘殺された。
秀俊の遺児・尺夜叉丸と一門・家来は、六角氏の支援を得て敏満寺に10余年の間牢籠しており、その際の東方を守備する砦ではないかと推測するとのことであるが、詳細は不明である。
〇下之郷城 今井一門連書乃写シ 「覚へ、今井敏満寺ニ有し比、・・・」
今井氏の敏満寺城か?
写真集:ttps://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/919642364865006
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査5(旧愛知郡・犬上郡の城)・見学会資料、『嶋記録』
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