城郭探訪

yamaziro

田上山城(砦) 近江国(木之本)

2017年10月19日 | 山城

 自動代替テキストはありません。画像に含まれている可能性があるもの:屋外

お城のデータ

所在地:長浜市(旧伊香郡)木之本町大字黒田   map:http://yahoo.jp/ITJx2G                                                                                

別  名:木之本城

区   分:山城(砦)

築城期:織豊期

築城者:朝倉氏

改築期:天正11年(1583)

改築者:羽柴氏(羽柴秀長)

遺  構:虎口・竪堀・馬出城

 城 域:380m×130m

標 高:323m  比高差200m

目標地:田上山

駐車場:田神観音寺・意冨布良神社参拝者用駐車場

訪城日:2017.10.15(雨)

画像に含まれている可能性があるもの:屋外

お城の概要

築城年代は定かではない。元亀4年(1573年)浅井・朝倉氏と織田氏が争った元亀争乱で、朝倉氏の軍勢が田上山に布陣していたという。 

お城の歴史

信長公記―――――巻六 元亀四年 13、刀根山合戦  刀根山の戦並に一乗谷攻破るの

 この戦で落城した朝倉方の城塞は、大嶽・焼尾・月ヶ瀬・丁野山・田部山をはじめ、義景本陣の田上山や疋田・敦賀・賎ヶ岳の各城など数多にのぼった。また若狭で織田勢に味方していた粟屋越中の城に対して築かれた十ヶ所の付城にいた兵たちも退散した。

天正11年(1583年)賎ヶ岳合戦では羽柴秀吉方の砦として秀吉の弟羽柴秀長が布陣し、秀吉方の本陣的な役目を果たした。

田上山砦は、田上山(標高323m)の山頂付近に築かれ、比高200mほどの山頂からは北国街道を眼下に押さえ、秀吉軍の諸将が布陣する中でも最も南方に位置し、後方に布陣する秀吉の本陣・木之本地蔵(浄信寺)をも守備する役目も担っている。

 


 北国街道木之本宿から30分ほど山道を登ると山頂の主曲輪に着く。

 砦は主曲輪を中心として、Y字型の尾根に曲輪が配置されている。登ってきた南側斜面には防御施設はないが、柴田軍と対峙している東側尾根の曲輪と本丸跡の間には竪堀を穿ち、曲輪の東には虎口を備え、虎口前面には角馬出が設けられている。
また、西側尾根の曲輪の先には、土塁による虎口と竪堀の見られる。

 現在でも木々の間から、賤ヶ岳、堂木山、明神山、行市山などが一望でき、賤ヶ岳の戦いの特徴として、山岳戦でありながらほとんどの砦から敵味方の状況が把握できる。

 

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然ここから田上山城(砦)画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、草、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然自動代替テキストはありません。画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然自動代替テキストはありません。画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:立ってる(複数の人)、植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然自動代替テキストはありません。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、信長公記、現地説明板

本日の訪問ありがとうございす!!


官山寺城 近江国(余呉)

2017年10月19日 | 山城

写真の説明はありません。官山寺城の位置画像に含まれている可能性があるもの:空、山、雲、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、歩いてる(複数の人)、立ってる(複数の人)、屋外

お城のデータ

所在地:長浜市余呉町坂口  map:https://yahoo.jp/cRxsiQT

区 分:山城

現 状:山林(尾根ハイキングコース)

築城期:室町期

築城者:京極氏(高詮の時?)

遺 構:竪堀・堀切・土橋・陣営・低土塁

標 高:410m  比高差200m(ウッディパルより) 比高差280m(国道8号線より)

目標地:ウッディパル(赤子山スキー場)

駐車場:山上駐車場

訪城日:2017.10.15(雨)

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、木、屋外、自然

お城の概要

官山寺山上駐車場から、南に進むハイキングコースと官山寺参道に『官山寺周辺案内図』の大看板ある。

官山寺城の案内図は無い。

が、参道に沿って大竪堀がある。山岳寺院官山寺の寺院坊を守備する見張り砦や、戦乱時の寺院勢力は不可欠であった。古文書を元現地踏査の結果長谷川博美氏は官山寺城の発見された。大堀切・堀切・土橋・竪堀・陣営跡(平削地)など城郭遺構が残る。 

尾根筋はハイキングコースとなり、城郭遺構に興味がない人には単なる自然林のハイキングコースであろう。

遺構は全長100m、標高410mで近江天満宮が330mがら比高差80m

お城の歴史

・京極導誉を余呉荘の文献 近江国余呉荘(旧伊香郡余呉町)文和元年(1352)将軍足利義詮は、余呉荘が要害の地の為に、袖判下文で佐々木導誉に地頭職に補任した『佐々木文書』

・余呉荘内丹生・菅並を山城地蔵院に安堵 応永二十四年(1417)室町幕府は、余呉荘内丹生・菅並を山城地蔵院に安堵する。京極氏と領家の対立が推定される。高詮の孫京極持高(吉童子丸)の時代に、山城地蔵院が衰退し、京極氏被官が地蔵院領を横領じた。画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然、水画像に含まれている可能性があるもの:木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、草、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然、水画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、屋外、自然



画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然

官山寺超え遺構の竪堀・・・(作図・城郭研究家 長谷川博美氏)

南の大堀切・竪堀(官山寺への山上駐車場からの参道脇)

官山寺超え遺構図・・作図:長谷川博美氏

山寺城出曲廓で踏査図(作図:長谷川博美氏)

第一の堀切画像に含まれている可能性があるもの:植物、草、木、靴、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然

第二の堀

第三堀切画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、木、植物、屋外、自然

 

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然


画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然此処から田上山城画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然

https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/922940374535205

 https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/924547241041185

参考資料:官山寺フォレスト資料

本日の訪問ありがとうございす!!