お城のデータ
所在地:長浜市(旧伊香郡)木之本町大字黒田 map:http://yahoo.jp/ITJx2G
別 名:木之本城
区 分:山城(砦)
築城期:織豊期
築城者:朝倉氏
改築期:天正11年(1583)
改築者:羽柴氏(羽柴秀長)
遺 構:虎口・竪堀・馬出城
城 域:380m×130m
標 高:323m 比高差200m
目標地:田上山
駐車場:田神観音寺・意冨布良神社参拝者用駐車場
訪城日:2017.10.15(雨)
お城の概要
築城年代は定かではない。元亀4年(1573年)浅井・朝倉氏と織田氏が争った元亀争乱で、朝倉氏の軍勢が田上山に布陣していたという。
お城の歴史
信長公記―――――巻六 元亀四年 13、刀根山合戦 刀根山の戦並に一乗谷攻破るの事
この戦で落城した朝倉方の城塞は、大嶽・焼尾・月ヶ瀬・丁野山・田部山をはじめ、義景本陣の田上山や疋田・敦賀・賎ヶ岳の各城など数多にのぼった。また若狭で織田勢に味方していた粟屋越中の城に対して築かれた十ヶ所の付城にいた兵たちも退散した。
天正11年(1583年)賎ヶ岳合戦では羽柴秀吉方の砦として秀吉の弟羽柴秀長が布陣し、秀吉方の本陣的な役目を果たした。
田上山砦は、田上山(標高323m)の山頂付近に築かれ、比高200mほどの山頂からは北国街道を眼下に押さえ、秀吉軍の諸将が布陣する中でも最も南方に位置し、後方に布陣する秀吉の本陣・木之本地蔵(浄信寺)をも守備する役目も担っている。
北国街道木之本宿から30分ほど山道を登ると山頂の主曲輪に着く。
砦は主曲輪を中心として、Y字型の尾根に曲輪が配置されている。登ってきた南側斜面には防御施設はないが、柴田軍と対峙している東側尾根の曲輪と本丸跡の間には竪堀を穿ち、曲輪の東には虎口を備え、虎口前面には角馬出が設けられている。
また、西側尾根の曲輪の先には、土塁による虎口と竪堀の見られる。
現在でも木々の間から、賤ヶ岳、堂木山、明神山、行市山などが一望でき、賤ヶ岳の戦いの特徴として、山岳戦でありながらほとんどの砦から敵味方の状況が把握できる。
ここから田上山城(砦)
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、信長公記、現地説明板
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