城郭探訪

yamaziro

総山城 近江国(長浜 垣籠/米原山東 村井田)

2018年05月15日 | 陣城

画像に含まれている可能性があるもの:屋外

お城のデータ

所在地:長浜市垣籠/米原市山東町村居田   map:https://yahoo.jp/iSGREu

現 状:山林・山頂(古道)

区 分:山城砦

築城期:織豊期

築城者:織田軍(氏家直元か)

遺 構:土塁・堀切・堀割・曲輪

標 高:229m 比高差:100m

城 域:100m✖250m

目標地:長浜垣籠 天満神社

駐車場:天満神社鳥居横駐車場

訪城日:2018.5.11

お城の概要

 長浜市垣篭町と山東町村井田の境界の臥竜の尾根に、横山城から見れば尾根伝いに北の地点、龍ヶ崎砦の中間に、横山連峰の北の端も最高所。

 総山城は標高229mに郭があり、尾根伝いに北に115mの間に6箇所の郭を段城に配し、南に130mの間にも1条の堀切と5箇所の郭を設けており、姉川の古戦場を見渡せる。

最南端は峠道が掘割(高約10m×幅約10m)。これは尾根道を遮断する為に、本来の峠道を”姉川の合戦”の時にさらに掘り下げたか?

 最高頂は曲輪跡、南端の掘割の北側ピークは「犬飼古墳」であり、本来の古墳地形に防禦を加えたか?。垣篭町一帯には多くの古墳が散在する。

お城の歴史

 姉川の合戦における浅井家の被害は甚大で、長政が信頼していたと言われている重臣遠藤直経や長政の実弟浅井政之をはじめ、浅井正澄、弓削家澄、今井氏直ら浅井家で中心的役割を果たしていた武将が戦死した。

朝倉氏では真柄直隆、真柄直澄、真柄隆基らが討死した。両軍は戦場からの撤退戦で多くの戦死者を出した。一方、初期戦闘で苦戦した織田方では坂井政尚の嫡子である尚経らが戦死している。横山城は降伏、信長は木下秀吉を城主にした。

 城郭資料は不明で、姉川戦いで織田軍の陣城として急造されたか?。規模と築城技術から推測される。画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外犬飼坂を登る。

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然堀切として、掘下げられた峠道

画像に含まれている可能性があるもの:植物、屋外、自然長陵への参道

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然山城へのハイキング道を北へ

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然南端の犬飼古墳の石碑

画像に含まれている可能性があるもの:植物、草、屋外、自然古代文字刻印石碑

他の写真

https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/1318668001629105

https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/1318668561629049

 参考資料:滋賀県中世城郭分布調査・現地古墳説明板・ウィキペディア

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木尾城 近江国(長浜市浅井町木尾)

2018年05月15日 | 丘陵城

 写真の説明はありません。

お城のデータ

所座地:長浜市木尾 map:https://yahoo.jp/CFa3Ss

通 称:城山

区 分:平山城

現 状:森林(自然林)

築城期:

築城者:

遺 構:曲輪・櫓台・坂虎口

標 高:127m  比高差:20m

目標地:あねがわ温泉(を500m北上北側急陵)

駐車場:南側の城址空地に駐車

訪城日:2018.5.11 

お城の概要

現状、平山で自然林で矢竹の密集で、藪漕ぎして頂部を目指したが、遺構の見学は断念した。

北側の麓に、滋賀県教育委員会の「文化財を大切にしよう」の石柱が二本立っている。

城山の周囲は、農地整備が進み「城山」だけ残るが、その城山に重機で破壊されされ初めている。

お城の歴史

城山(木尾城)について・・・『木尾のいまむかし』・・・(1995年4月 佐治寛一著『喜寿の春』)

『木尾のいまむかし』には、「慶長七年検地帳に地名として掲載され「じようやま」と称しその他古書に散見される。

城山は、壬申の乱の戦跡にして当時近江軍が拠守せし塁砦であり、西北東の三方に城の腰・白渕・古淵の地名が有る様に、川や沼に囲まれた一大要害であった。

麓より弥生時代の石棒が出土(県の博物館に保管されている)、又麓には横穴式の登り釜や八嶋持等跡ある。此の一帯は古くより開かれ重要な位置を占めてた。

アセビ林道に多くの古墳と城郭あるが、この城山を起点してるもようである。調査の結果、中央に大きな古墳が二基ある。

北側には、小谷城へ通じる主要道ある。おそらく中世の烽火(のろし)場であり、小谷城・横山城との烽火の中継点であった思われる。

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、草、屋外、自然

他の写真https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/1318666204962618

参考資料:滋賀県城郭分布調査、長谷川博美氏の資料、『木尾のいまむかし』、遺跡ウォーカー

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木尾館  近江国(浅井 木尾)

2018年05月15日 | 居館

画像に含まれている可能性があるもの:屋外木尾町公民館前

お城のデータ

所座地:長浜市木尾町 map:https://yahoo.jp/6bNUoJ http://www.isekiwalker.com/iseki/244276/

現 状:木尾集落宅地

区 分:平城

築城期:室町期

築城者:早水(速水)大隅守

目標地:木尾町公民館

駐車場:木尾町公民館

訪城日:2018.5.11、2018.5.20

写真の説明はありません。

お城の歴史

『淡海国木間攫』には、「木ノ尾村 枝郷大滝村。野田村ノ南ニアリ。枝郷大滝村ハ北ノ方ノ別住ス。昔早水(速水)大隅守ト云武士居住ス。宅地跡残レリ。当所ニ田根ノ沼云テ二ケ所アリ。民族相伝云」


他の写真https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/1318666771629228

木尾館遺跡 第5次調査-建物の柱や溝の跡が見つかりました-(木尾町)http://www.city.nagahama.lg.jp/0000000386.html

 木尾館遺跡第5次調査 全景木尾館(きおやかた)遺跡は木尾町にある中世の城館跡として知られています。天守閣などが建っていたような城ではなく、中世の武士が住んでいた居館の跡です。

木尾館遺跡第5次調査は、個人住宅建築にともなう発掘調査です。調査では柱穴や土坑(柱以外の穴など)がたくさん見つかりました。時代は中世で、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの=地面に穴を掘って柱を立てた建物)などからなる集落の跡と考えられます。

 

木尾館遺跡第5次調査 柱出土状況出土品は土師器皿※1や陶器※2、の破片などが見つかりました。中には、縁の部分が焼けこげており、燈明皿(とうみょうざら※3)として使用した跡が残る土師器皿の破片もありました。

柱穴には柱の根元が残っていました(写真中)。柱は立てられたままの状態で出土しました。上の方は腐ってしまっていましたが、残っているものには運ぶ時に引張るためのひもなどを通すための穴が加工されているものもありました。

溝では土が崩れないように板と杭を用いて土を留めた板柵土留がされていました。(写真下)

木尾館遺跡溝第5次調査 板柵土留

 ※1 土師器 素焼きの焼き物 ※2 陶器 窯で焼かれた硬質の焼き物 ※3 燈明皿 電気の無かった時代に、明かり用に皿の中に油を入れ、ひもをつけ、火をつけたもの

(平成25年7月10日発行)

 参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、『淡海国木間攫』、発掘調査報告書

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