城郭探訪

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甲賀忍者の名とどろかせた=栗東「鈎の陣」テーマに講座=

2013年01月30日 | 平城

=栗東「鈎の陣」テーマに講座=

伝「鈎の陣跡」の永正寺を見学する参加者

◇栗東
 県教育委員会の連続講座「近江の城郭 城・寺・町~中世近江の自治の世界」がこのほど、甲賀忍者が全国に知られたと伝わる「鈎の陣」をテーマに栗東市内で開かれ、約百人が歴史ロマンに触れた。

100人歴史ロマン触れる

 「鈎の陣」は、長享元年(一四八九年)から一年五か月、室町幕府九代将軍足利義尚が、寺社及び幕府奉公衆(親衛隊)の領地横領を繰り返す南近江・佐々木六角氏の征討を目的に、現在の栗東市内に張った陣。
 観音寺城(近江八幡市)の六角氏は戦いの当初、ほとんど抵抗をせず、甲賀郡へ退却。野洲河原の戦い以外に目だった合戦はなく、小競り合い状態が続いた。伝承では、六角氏を支援した「甲賀忍者」で有名な甲賀武士がゲリラ戦を仕掛けて幕府方を混乱させ、全国にその名が知れ渡ったとされる。
 講座では、「鈎の陣」の意義として、当時の幕府内の権力争いや、幕府中枢が同行している点、目立った合戦がなかった点に注目し、失地回復とは別に「義尚が、父の義政、母の日野富子、管領らの影響を脱し、自己の権力基盤を形成する意思があった」と、近江への幕府移動と分析した。
 このあと受講者は、鈎の陣跡とされる永正寺(栗東市上鈎)へ移動し、県や市の教育委員会職員の案内で、陣所の古地図をもとに当時の堀跡を探ったり、同寺を中心に形成された寺内町の土塁を見学した。

 

http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0012177


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